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第四十二話 Destined Marionette



「ひっ!?」
「ぐ……ッ」

 射撃の残響音と、舞い上がった白煙が幾重にも連なり、揺蕩(たゆた)う。叫ぶどころか呼吸すら忘れて息を()んだ華鈴(かりん)は、兇闇(まがつやみ)に抱き起こされて、ようやく掠れた声を絞り出した。

「な、なっ……にが……起……」
「市街地戦で上空にヘリを飛ばす理由は……上空からなら戦場広域が一瞥(いちべつ)できるからだ。高性能なレーダーを搭載している場合、索敵には最適の手段となる……!」

 兇闇は肩を押さえながら起き上がり、アサルトライフルを手に、二つ重ねた金属製の本棚の影に隠れた。華鈴もはっとして、通路を挟んで逆側の、カウンターの後ろに姿を隠す。
 ホルスターとマガジンポーチは、このような強襲に備えて即座に動けるよう、二人とも既に装着済であった。――想定していたものより、(いささ)か派手な強襲ではあったが。

「恐らく超高性能な動体センサーで今の僅かな動きを悟られたか、もしくは高度な熱源探知機で移動時の残熱反応を追われるかしたのだろう……百年後の未来なら、その程度の技術があっても不思議ではない。とすれば、あれは被撃墜リスクの低い無人機と見た。機関砲で攻撃してきたところを見ると、ミサイルは搭載されていない、か?」

 この状況下に()いても、冷静そのものと言った風体で、兇闇は鋭い眼差しを、崩落しかけた壁へと向ける。正確には、壁を挟んで外に待機しているであろう、歩兵隊に対してだ。

「華鈴、冷静にな。慌てず焦らず、姿勢を低く、相互支援を忘れるな」
「言われてちゃんと冷静になれるよーになってきた自分が若干イヤです……でも、人はともかく、ヘリなんか相手に、私達、やれるんですか……?」
「……可能不可能に関わりなく、やらんと死ぬ」
「うわ聞かなきゃよかった」

 事件に巻き込まれる度に“普通の女の子”度が目減りしている気がしてならない華鈴は、言いながらアサルトライフルのセレクターレバーを指で弾き、迷い無くオートに合わせた。
 そして、今一度兇闇と視線を合わせて、同時に壁を睨み、唇を開く。

颶風(ぐふう)、集いて――」
「――()穿(うが)て!」

 詠唱の終了と、壁の崩壊する瞬間は、全くの同時だった。落ちる壁材の隙間から向こうが見えもしないうちに、二人はそれぞれ高低に銃を構え、宣言する。

「「風弾魔法(ゲイルバレット)!!」」

 それは、電磁気力操作によって大気の構成分子の電荷を操り、その電気的引力・斥力(せきりょく)によって局所的な気圧差を起こし、風圧の弾を撃ち出す、最も基礎的な風の魔法だった。戦闘に縁のない者にとっては、遠くにある扇風機や、部屋の照明のスイッチを押すのに使われる魔法だが、高度なスキルを持つ者が強く収斂(しゅうれん)させて放てば、それは拳銃弾程度の破壊力を発揮する場合すらある。
 弱点は、もともと空気を固めているだけであるため、高密度の気体は安定せず、拳銃弾以上に距離による威力減衰が激しいことに尽きる。
 ――だが、この局面に於いては、そんな弱点は関係ない。何せ、今放った魔法は物理的なダメージが目的ではなく、ただ“強い風を起こす”ことだけが目的であるため、わざと大雑把に拡散させた状態で発動されていたのだから。

 兇闇の読み通り、黒い円筒形の物体――先程と同じスタン・グレネードが二つ、崩れた壁の向こうから飛来した。咄嗟(とっさ)には反応できない程度の速度で放物線を描くそれは、しかし強力な“気圧”の壁に阻まれ、押し戻された。岩をも砕く威力を拡散させて放たれた、その瞬間的な突風は、並の台風ごときの比ではない。
 轟音をあげて、烈風が吹き荒れた。急激に生じた気圧差に巻き込まれ、周囲の大気が渦を巻く。
 数瞬と待たず、炸裂。甲高い音が鼓膜を(つんざ)き、凄まじい閃光は煙たい部屋を白黒調(モノトーン)に塗り分ける。風の壁によって部屋から追い返したそれを、兇闇も華鈴も直視してはいなかったが、それを投げた者達にとっては、さぞや強烈なお返しだったに違いない。

「行くぞ華鈴! 裏から侵入・挟撃(きょうげき)される前に突破する!」
「はいっ!」

 その()り取りを皮切りとして、銃声の粗暴な合奏が始まった。

 突入作戦の出端(ではな)(くじ)かれた彼らには、僅かばかりの隙が生じる。横合いに叩きつけるライフル弾の暴風雨は、その時間的空隙(くうげき)を突いて、戦場を先制した。
 しかし、今度はそれだけで倒せはしなかった。兵たちは即座に崩れた壁面へと身を隠し、銃身だけを横から出して応戦する。流石(さすが)、いや、当然と言うべきか、そのポジショニングに付け入る余裕は一切存在しない。

 弾丸は金属製の本棚を容赦なく陥没、破砕し、ちぎれ飛んだ紙片が空中に舞う。
 兇闇は先の戦闘の折、地面に残った弾痕から、銃弾の貫通力を見て取っていた。だから、二つ重ねた本棚程度では、長くは()たない事を知っている。ただ、壁際にいれば爆破される恐れがあったため、最初はこの位置に隠れざるを得なかっただけだ。
 故に、可及的速やかに、より安全性の高い場所に移動する必要がある。

 フルオートで連射される銃弾も、いつかは弾倉から尽きる時がある。だから、弾倉交換(マグ・チェンジ)の隙は、別の者がカバーしなければならない。弾幕を絶やせば、相手に接近の余裕を与える事になる。
 新兵はよく、隙を作るまいと弾をすぐに撃ち尽くしてしまい、結果として多くの隙を晒してしまう。その点に関して、この歩兵隊に油断は無かったと言えよう。待っていれば勝手に隙ができるような戦い方はしてくれない。できたとしたら、それは罠だ。待てばやられるのは一方的にこちら側。人数も、装備も、遮蔽物の硬度も劣っている今、消耗戦に活路は無い。

 また、こうして正面から撃ち合っている今、恐らく別働隊が横か背後から回り込もうとしていることは明白だった。ファイア・アンド・ムーブメントと呼ばれる、歩兵戦術の基礎中の基礎だ。この程度は読んで当然、そして読まれて当然でもある。
 裏口や窓から建物の外に抜けることは、出来ないと思っていいだろう。作戦の裏を掻こうとすれば、予想だにしない方向から狙撃される事が容易に推測できる。結局、今は正面突破が最もリスクが少ない方法なのだ。

 初撃を跳ね返されて未だ警戒しているのか、グレネードの(たぐい)()だ飛んでこない。少なくとも、殺傷力の高い榴弾(りゅうだん)を使うことは躊躇(ちゅうちょ)するようになったはずだ。また、わざわざ危険を冒さずとも、回り込んでの攻撃が決め手になることが解っているのだろう、焦って距離を詰めようとしてくるような者は居ない。

 では、現状に於いて、兇闇が取るべき行動は何か。
 彼は、ちらと反対側にいる華鈴の姿を確認した。教えた通り、大きな銃の反動を正確に受け止め、安定した座射姿勢で射撃を行なっている。流石に焦燥は拭い切れないらしく、狙いは安定していないが、今日初めて実銃を持った女の子にしては充分に過ぎる健闘だった。
 数秒なら、任せられる。そう判断して兇闇は、銃撃を止め、完全に遮蔽物に身を隠した。――輝光壁(シールド)の展開準備を、解除したのだ。異なる魔法を使うために。

(ほとばし)贖罪(しょくざい)()(もたら)すは蝕災(しょくさい)()

 詠唱は銃声に遮られ、他の者には聞こえまい。これで魔法攻撃を読まれる可能性は格段に低くなった。
 それでも相手に輝光壁で防がれる可能性は無いではないが、その為には銃を一度引っ込めざるを得ない。魔力によるシールドは、自分から離れた場所には展開できないのだから。

閃熱魔法(フレイムアロー)!」

 やがて華鈴の銃弾が途絶える頃、その隙を突こうと彼女に向けられた銃を確認すると同時に、兇闇は魔法の発動を宣言した。
 この“宣言”によって、魔法攻撃が来ると悟られてしまうのは危険でもある。だが、虚数領域振動――即ち意思の力によって発現する物理現象である魔法の最終的な威力は、この宣言一つで大幅に変わってしまうのだ。詠唱も(しか)り、リミルのように強力な魔法使いでなければ、これを抜きにして充分な威力は発揮できない。

 だが、この閃熱魔法は“光”なのだ。秒速三〇万キロメートルの速度で進行する高熱の帯は、先読みされない限り、回避、防御、共に不可能。
 アルミ板程度なら容易に溶断する高熱の針は、しかし誰にも突き刺さることはなかった。
 (いや)、“誰か”に突き刺す必要は無いのだ。急所を巧妙に壁の後ろへと隠した人間に対して、確実に致命傷を与えられないのなら、その“人間”は狙わない。
 熱線は、壁から突き出された“銃”自体を加熱し、無機質なポリマーフレームの黒色を貫いた。
 銃身や機関部などの基幹部品は耐高熱性を持つ合金鋼で構成されているため、この瞬間的な加熱では(ゆが)みもしないだろう。だが、“それ以外”は違う。この距離では細かく狙いをつける事も難しいが、そもそも特定部位を狙う必要がなければ問題では無い。何せ、大気中に生じた薄いプラズマのガイドラインをゆっくり動かすだけでよいのだから。

 照射された超高熱によって穿(うが)たれ、(えぐ)られ、溶断されたフレームは、直後、その銃自体の反動によって破砕した。
 思った通り、機関部は全く傷ついておらず、銃弾の発射機構自体は無事だ。だが、銃と言うものは、フレームの僅かな歪みですら、命中精度に大きく影響してくる。機関部が無事なら問題なく使えるようなものではない。
 特に、銃床(ストック)銃把(グリップ)すらも外れてしまったライフルなんて、使い物になるわけがなかった。

 狼狽(ろうばい)は周囲にも伝わり、もう一人が弾を撃ち尽くした瞬間、銃弾の雨に切れ目ができる。
 そしてこの時、ややもたつきながらもリロードを完了した華鈴の銃撃が再開した。
 決断は刹那、兇闇は銃を構えて地を蹴った。本棚の影から飛び出し、華鈴の支援の元、素早く壁際に移動する。息つく間もなく、銃口は火を吹いた。壁に空いた大穴を挟んで反対側に隠れていた兵士二人を、正確無比な銃撃が()ぎ払う。

 それと同時に、兇闇の心中には一つの“疑念”が去来していた。
 先程から、魔法に対する防衛策が、彼らの中には皆無なのだ。更に言うと、向こうから魔法攻撃を仕掛けてくる様子も無い。
 亜人種が、一人も居ないのである。思ってみれば、以前に戦った四人組の兵士達も、外見的には全員人間だった。
 基礎的な解錠魔法に耐性のない扉。華鈴に対して見せた過剰なまでの警戒心。兇闇達二人を、可能な限り殺さず、無力化して捕らえようとしているとしか思えない戦い方。
 この推測が正しいのなら、全てに説明がつく。
 そして同時に、彼は活路を見出した。もし“この世界に亜人種が存在しない”のならば、兇闇の力量(レベル)では未だ不完全な魔法でも、無力化されずに発現させられるかも知れない。

 ――力量に対して高度な魔法の発現には、相応に研ぎ澄まされた精神的集中が必要となる。
 一般的には“立ち止まって目を瞑り、深呼吸ができる”程度の環境がそのラインであり、当然、銃撃戦をしながらそんな事は出来ない。瞑目も出来ない環境下では、その集中は簡単に乱されてしまう。
 だから兇闇は、再び隠れた。近くにあった本棚の後ろへと駆け戻り、それなりに頑丈なそれに背を預けながら、詠唱を開始する。

聯亙(れんこう)()ゆ、頌謌(しょうか)の旋律――」

 同じ頃、壁の向こう側から飛び込む銃声に、華鈴が行なっていた銃撃は、「ひゃあっ」と言う短い悲鳴と共に、再び中断させられた。
 床が、壁が抉れる音が聞こえる。もう一つの銃声が重なり、兇闇が隠れているのとは違う本棚から、剥落(はくらく)した金属片が飛んだ。どうやら、まだこちらが隠れている場所はバレていないらしい。

「――天光に()む、浄化の戦慄――」

 ばちばちと、兇闇の周囲で、幾つか意図せぬ放電が起きる。やはり電撃系の魔法はコントロールが難しい。
 華鈴の銃撃は止んだが、向こうも警戒しているらしく、すぐさま間合いを詰めようとはしてこない。当然だろう、兇闇を見失っているなら、ここで弾幕を途切れさせたのは、誘き寄せて狙撃するための罠だと勘繰るはずだ。
 それでなくても、推測が正しければ、彼らは“魔法を知らない”のだから、別働隊の突撃が始まるまで迂闊な行動は取らないだろう。それが始まれば勝ち目は薄い。恐らく、残り時間は僅かである。

「――死したる(とぎ)よ、さざめく時よ――(うた)え!」

 詠唱が終わり、兇闇は再び銃を立射に構え、本棚の影から身を乗り出した。

雷撃魔法(エレクトリック・フィールド)!!」

 銃撃の開始と共に、無数の青白い光が弾けた。
 電磁気力操作によって大気中に生じた局所的な電位差が、空気を貫く火花となって(ほとばし)る。小さいながらも無差別的に生じる絶縁破壊の衝撃は、幾多に重なる破裂音となって響き渡り、そのうち幾つかは兵士の身体に突き刺さった。

 しかし、兇闇の放ったこの魔法の威力は、せいぜい“ちょっとビリッとする”程度だろう。ちょっとした火傷(やけど)くらいは残るかも知れないが、致命的なダメージを見込めるほどのものではなく、相手によっては足止めにもならない。また、いくら“範囲内に無差別的な放電を起こす”と言っても、人体内部は虚数領域の抵抗が強く、この魔法に限らず、体内からダメージを与えることは不可能である。
 だが、それでよい。元より、この魔法で“直接”ダメージを与える事なんて視野の外なのだから。

 それから一秒と()たず、その瞬間は訪れた。
 一際大きな光が弾け、強い衝撃が建物を、そして大気を激しく揺るがした。
 爆発である。
 対象物が小さいため、最初から狙うことはできなかったが、無数に生じる放電現象によって、遂に、彼らのうち誰かが所持していた“グレネード弾”の火薬に引火したのだ。衝撃は一つでは止まず、二度、三度と立て続けに空を走った。
 その中で、小さな破裂音も混ざって聞こえるようになった。どうやら、銃弾の火薬にまでも引火、暴発し始めたらしい。現代の銃弾も、さほど高温でない炎に投げ込んだくらいでは暴発しないように出来ているが、薬莢内部に直接電撃が走った場合、炸裂しない道理は無い。

 案の定、彼らは“魔法を知らない”。
 正確に言うならば、各種魔法への対処法を知らない。
 今の電撃など、それなりに魔法が扱える亜人種さえ居れば、手近な物質の電圧を簡単に操作することによって、“避雷針”にすることくらい、簡単にできた(はず)だ。リミルの電撃魔法のように、局所的低気圧のガイドレールを同時に作ることは兇闇にはできなかったのだから、それだけで対処が可能だった。
 やはり、ここには亜人種自体が“存在しない”と考えてよさそうである。

 兇闇は即座に、崩れた壁の側に駆け寄り、銃を構えながら外の様子を確認する。
 少なくとも、見える範囲に生きている者は居なかった。持っていた爆弾が突然爆発したのだから当然だろう。あまり長くは直視していたくない形の肉片が、無造作に転がっていた。

「華鈴。あまり此処に長くは居られん、――」

 行くぞ、と声をかけようとして、止めた。
 上空に舞い戻ってきた攻撃ヘリが一機、紛うことなく、兇闇に照準を定めていたからだ。兇闇は小さく舌打ちを零し、両手を天に(かざ)して、取り分け強力な輝光壁(シールド)を展開する準備を始める。半ば以上、博打(ばくち)の域だが、あれが魔法の法則を知らないのなら、まだ対処の余地があるはずだ。

 ――結論から言えば、彼の輝光壁(シールド)が、機関銃の弾を防ぐことはできなかった。

 と言うか、防ぐ以前に、機関銃の弾は彼の所まで“飛んで来なかった”。

 空中に出現した、巨大な漆黒の“幕”のようなものに、全て阻まれていたのである。
 無論、兇闇が現出させたものではない。このような魔法は知らない。重力魔法には似た現象を起こすものがあるが、そもそも兇闇は重力魔法自体を使えないのだ。
 想定外の事態に、一瞬、思考が停止する。
 思考を再開させたとしても、眼前で起きている事態に理解が追いつかず、もう一瞬、身体は停止する。
 その、合計二つの瞬きの間があれば、後ろから――即ち、何故か“同じ建物の中”から歩いてきた“彼”が、兇闇の隣に立つには充分だった。

「指向性反作用シールド」
「――ッ!?」

 それは、青年だった。
 彼は、無造作に伸ばされた黒髪を風に(なび)かせ、どこか厭世的(えんせいてき)な瞳をまっすぐに空へと向けて、薄笑みを浮かべていた。簡素なボディ・アーマーのようなものを装着してはいるものの、他の服装は、到底戦場には似つかわしくない。旅人、とでも呼称するのが、しっくりくる外見だった。
 何よりも、異様な存在感を放つのは――右手に握りしめられた、不思議な光沢を持つ“黒い剣”。

 青年は、ふう、と気怠(けだる)げな溜息を()いて、声の出ない兇闇に視線を向けた。

「この剣――ブラインド・ガーディアンに搭載された魔力回路だよ。あの防護膜は、受けたエネルギー全てを正反対に向けて跳ね返す。光や音でさえ完璧に跳ね返しちゃうから、こっちからは真っ暗だし、向こうの音が聞こえなくなっちゃうんだけどね」

 その後ろでは、華鈴が状況を理解できず、銃を両手で抱えたまま、戸惑いを映した瞳で二人を交互に見比べていた。
 無理もない話である。兇闇でさえ、判断に困る状況なのだから。

 暗幕の向こう側に注意を払いつつ、兇闇はその青年に軽く会釈をしてから、珍しく、緊張を強く反映した表情で唇を開いた。

「……失礼した。名乗ろう。ベースヴィリッヒ・ドゥンケル……と言う者だ。手助けを感謝する。……日本人、か?」
「シュウ。シュウ・ガルネリウスだよ。日本語で話してたから日本語で話しかけただけなんだけど、一応やっぱり日本人。で、“彼女”が――」

 その、とても日本人とは思えない名字の青年は、再び上天に目を遣り、右手の剣を振るった。その指揮に合わせて、空を覆っていた暗幕が消え去り、空の景色が(あらわ)になる。
 一人の少女が、宙を舞っていた。
 何か円形のボードのようなものに乗って、高速で上空を機動するその姿は――陽光に照らされて輝く白銀の髪と、同じ色をした皓い翼は、(まご)うことなく、亜人種のものだった。

 一体、彼女が何をやったのか、見ることはできなかった。何せ、その時には、既にあの攻撃ヘリは、彼女によって“叩き墜とされて”いたのだから。

「な……ッ!?」
「サンドラ=ベルヴェルク。……まあ、詳しいことは本人から聞いてよ。多分、すぐこっち来る」

 諸刃(もろは)の剣を抜き身のまま肩に乗せて、シュウと名乗った青年は、どこか(つか)みどころのない曖昧な笑顔を二人に向けた。
 よく見ると、その剣は“刃”と呼べそうなものがついておらず、何も斬れそうにない。どうにも、何から何まで奇妙な因子ばかりが目立つ男だった。

 兇闇が(いぶか)るような目で彼を見ていると、シュウは急に顔面から微笑を取り払い、声の調子を抑えて、いかにも深刻げに台詞を続けた。

「君達は……“ヴィズル”だよね? サルヴェイションの人ではないと思うけど、ベルヴェルク軍と交戦してたって事は……どこか、他にもレジスタンス組織があるの?」

 ……理解できる固有名詞が存在しなかった。
 やはり百年の月日ともなれば、ここまでジェネレーションギャップを生むものなのか。
 答え(あぐ)ねる兇闇の横で、華鈴は頭上に「?」(疑問符)を浮かべて首を傾げている。どうやっているのかは、永遠に不明である。

「べる、べる……?」

 脳のメモリー許容量が限界を超過したらしい華鈴の、漏洩(ろうえい)するような呟き。
 その様子を見たシュウは、微かに怪訝(けげん)な表情をして、すぐに先程までの曖昧な笑顔を浮かべた。

「いや、こんな所でする話じゃないな。ひとまず少しは安全そうな所に行こう」

 指示を仰ぐように、華鈴は不安げな表情をして兇闇の顔を見つめた。
 彼は(しば)し黙考した後、首肯(しゅこう)して返す。少なくとも、このまま此処(ここ)に居るよりは、このシュウと言う青年についていった方が、より好ましい状態に転がっていく可能性が大きそうだ。


 しかし――と、兇闇は心中で(ひと)()つ。
 亜人が居ないと思われた世界で、代わりに“ヴィズル”と呼ばれた存在。
 百年後の日付が刻印された書籍。
 地理は実世界と同様かと思えば、“ベルヴェルク”と言う聞き慣れない名前。
 そして何より、ポケットの中に確かに存在する、現実世界のレシート。
 当初、ただ“戦場である”というだけの事から想像していた異質さ以上に、この状況は“尋常”ではない。

(うつせ)、お前は……俺たちに何を見せたい……?」

 呟く声は、北欧の風に(さら)われて、白く濁った空に溶けていった。



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