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第十八話 The New Dawn



「怪我は大丈夫かい、(ゆい)……」
「あははー、なんとかね」

 後ろ手にドアを閉めながら不安げにこちらを見つめるヘイトの問いに、結はベッドから身を起こして、苦笑を作りながら答えた。
 窓から注ぐ陽光は、もう沈みかけている。身体の修復に力を使い果たしたのだろう、何日経っているのかは定かでないが、あれからずっと眠っていたらしい。
 しかし、失われていたはずの半身は完全に復元していた。修復されたのは飽くまでも身体だけ≠ネので少々肌寒いのが気になったが、よく見ればベッドの横には新品の服が畳まれて置いてあった。恐らくマヤあたりが用意しておいてくれたのだろう。

(ひじり)ちゃんは……どうなった?」

 布団の中でもそもそと服を着ながら、結は恐る恐る問いかけた。

「多分、逃げられたよ。ゲートインした残滓(ざんし)が残ってた」

 ヘイトはそう答えて溜息を()き、手に持ったカップを結に差し出す。
 何かと思って見てみれば、人間だった頃の生活でも見覚えのある、ごく普通のフルーチェが入っていた。スプーンも添えられている。まあとりあえずこれでも食え、と、つまりそう言うことなのだろう。
 結がそれを受け取ると、ヘイトは肩を落として呟くように言葉を続ける。

「まさかあんな子供がアビスゲートの力を解放するなんて思わなかった。僕の責任だな、これは」

 やけに落ち込んだその声は、つまり聖がヘイトを返り討ちにしたらしいことを暗に示していた。
 彼の持つ能力には、ちょっと喧嘩に慣れた程度の人間が数百人の束になっても敵わないであろうことは、この数日でとうに気付いている。だが、聖はアビスゲートの力を解放した≠ニか言う事によって、それを上回ったらしい。
 相変わらずたまに凄い℃qだ。思わず苦笑が零れた。

「ヘイトでもダメだったか……でも、ちょっとホッとした」

 結はそう言って、多めに盛られたフルーチェを掬って一口頬張った。冷たい甘みが広がり、まだぼんやりしていた脳を僅かばかり覚醒させる。
 聖はまだ生きている。その事実は、結の立場にとっては歓迎できない事だったかも知れない。だが、結自身の感情には、そう知った事によって確かな安堵が生まれていた。その中には、もしかしたら自分が心までバケモノに成り果てていないことへの安堵≠煌ワまれていたかも知れない。
 そんな結の様子を察したか、ヘイトは心苦しげに俯いて、呟くように言う。

「結、君は……本当にこれでいいのか……?」

 悔悛(かいしゅん)の情を無理矢理に押し込めたかのような、苦みを帯びた声。錯迷(さくめい)の色に濁った問いかけは、どこまでも不明瞭な形をして、結の心に沈み込む。

「いいんだよ、きっと私があそこにいたって……」

 返す言葉は、消え入るように掠れ、途切れた。
 その先を口にすることは、今ここにいる自分というものを否定することに他ならない――結の無意識はそう言って、言葉を止めるほどにきつく彼女の胸を締め付けていた。

「……結?」

 ヘイトの呼びかけにはっとして、結は顔を上げる。
 取り(つくろ)うようにして向けた視線の先には、砂に描かれた絵のように淡泊な表情。が、その瞳の奥には確かな憂慮(ゆうりょ)の色が見て取れた。

「いや……もうこの世界には時間が無いんだし、手段選んでなんかいられないよね」

 乾いた笑顔を貼り付けて、ただ思い浮かんだ理由をすらりと言ってのける。虚構の言葉で自身を覆うのは慣れたものだが、この程度で彼を騙せるとも思えない。
 案の定、ヘイトは苦渋の表情を背けて沈黙する。安心させようと咄嗟(とっさ)についた嘘だが、どうやら逆効果だったらしい。

 どうにも気まずい静寂は、そう長く続かなかった。
 ドアノブを掌で叩きでもしたのか、妙に派手な音をたてて扉が開き、その向こうから小柄な少女が顔を出した。(まと)う衣服は無地のパーカーにジーンズと、ごく普通にして簡素なものだったが、桃色の髪や三角形の大きな耳、さらには黒い瞳の中に妖しく光る紅色が、彼女が人間でないことを表している。

「たっだいまー! お買い物いってきたよーっと」

 底抜けに明るいその声に合わせてか、ヘイトも乾いた笑顔を浮かべて挨拶に応じる。

「おかえり、デュー……あれ、クロスは?」

 恐らく共に出かけていたのだろう、もう一人の仲間の所在を彼が問うと、デューは笑顔のまま肩を竦め、やれやれとばかりに溜息を吐いた。

「いやー、なんかその辺に生えてたキノコ食べさせたら巨大化したり増えたりして大変だったよ」
「買い物するのに何面まで行ったんだ君たち」
「8-4まで」
「全クリしてんじゃないか」

 結はフルーチェを食べながら、笑って二人の会話を聞いていた。
 と、彼等の背後から、もう一人が姿を見せる。紫紺の髪と瞳を持つ、疲弊(ひへい)しきった表情を浮かべた線の細い青年だ。相変わらずデューには振り回されているようで、結は思わず苦笑して迎えた。

「カメにぶつかったら元に戻れました」
「お、おかえりクロス……大変だったみたいだね」
「一度軽快な音楽と共に地面を突き破ってった気がしたんだけど、気がついたら増えたのも戻ってたよ」
「わあ一度死んでらっしゃる」

 彼等相手だと、その言葉がどこまで冗談なのか結には見当もつかない。人間でない彼等は、人間から見た常識が全く通用しないような真似ばかりしてみせる。キノコ王国まで買い物しに行く程度のことなら、本当に行ってそうな気もした。二人の話もしっかり一致してるし。
 なんて事を考えていたら、その間にクロスはデューに連れられて――と言うよりは引っ張られて、早々にこの部屋から出ていこうとしていた。

「よーしクロス、挨拶も済んだし約束のスパイvsスパイやろ」
「ちょっとファミゲーネタ多すぎないかこの小説ッ、本当に中高生向けなのか!?」

 そんなツッコミを響かせながら廊下の奥に消えていくクロスを見送り、結とヘイトは(しば)し沈黙を重ねる。
 ややあって、二人は呆れ混じりの微笑を浮かべて顔を見合わせた。

「……このパーティ、明らかに対抗勢力に負けてる気がする」
「否定できないな……向こうもこんなであることを祈るか」



第二幕

『Einherjar』

第一章 歪んだ水面に映る星




 吊り下げられた照明から溢れるセピア色の薄明かりが、窓から僅かに差し込む陽光と重なり攪拌(かくはん)する。
 学校の教室二つ分程度の広いとは言えない室内に、木で作られた、シンプルながらも洗練されたデザインの丸テーブルが六つ。
 派手ではないが、地味と言うよりは落ち着いた、瀟洒(しょうしゃ)な内装の酒場。そうとしか思えない場所の一角に、全くそぐわぬ制服姿の若い男女が二人、座っていた。
 テーブルの上には、大皿に盛られたフライドポテト。横に置かれた二つのグラスはもう空になっている。そしてその奥には、二つのゲームパッドをUSB端子に接続したノートパソコンが置かれていた。パッドは、それぞれ二人の手の中にある。

 男の方は、透き通ったクリスタル・ブルーの髪に、天を突くように伸びて尖った、機械のようにも見える耳。
 女の方は、外側に跳ねた金髪こそ人間にもよくある≠烽フだったが、横に長く伸びた耳は細かな獣毛に覆われており、その質感はまるで小動物のそれのようだ。

「――ここで傘を使って硫酸を無効化するわ!」
「甘いっ、ここで強襲じゃァー!」
「うわしまった、隣の部屋にいたのかー!」
「ハッサンよ我に力を……! こん棒アタックこん棒アタック!」
「はぅあっ、死んだ!」

 どちらも、人間ではなかった。立場や法律上は同一のものとして扱われるが、少なくとも純粋な人間でないことは一目で判ろうものである。
 亜人――人に次ぐ人ならぬ種と、そう呼ばれる種族。それは言葉通りに人の下位種≠ニ言うわけではなく、原語であるDemihuman(デミヒューマン)を正確に訳すなら、単に半人≠ニ言うのが正しい。実際、彼らは人に劣るどころか、往々にして人間を超える力を持っていた。

「よっしゃ書類運び出し完了、俺の勝ちだリミルー!」
「くぅ、強いよライト……途中まで勝てそうだったのになあ……」

 エミュレーターで動かしていた古いゲームを終え、亜人の男女――ライトとリミルはそれぞれ皿の上のフライドポテトを(かじ)った。ちょくちょく食べながら対戦していたおかげでパッドが油でべとべとになっているが、そうなることを見越して、皿の横にはお手拭きが万全の出撃体勢を取っている。

「さて、勝者は敗者をなんでもかんでも好きにしていいんだったか」
「ああ、いけませんいけません……ちゃう! なんでエロ展開に持ってこうとするかな、支払い争奪戦だよコレ!」

 リミルは照れる様子も無しに鮮やかな裏手ツッコミを入れ、それからポテトをもう一つ口に放り込んだ。
 二人が席について真っ先に行われる、本日の支払い争奪ノンジャンルゲームバトル。この光景も、もはや通例である。今回のようにテレビゲームを用いる時もあれば、チェスやオセロ等のテーブルゲーム、さらには小学生が休み時間に行うような遊びなどなど、その内容は様々なものだ。
 とは言え、勝率はほぼ五分五分なので、総合計値は自分の分だけを払うのと大して変わらないのだが……だからと言ってそれではつまらないだろう、と言うのは両者一致の意見である。

「んじゃヒスイさーん、ジントニック一杯くださーい」
「えーと……じゃあぼくはアカシアで」
「はーい、でもあんまり酔っちゃわないよーにねー」

 それぞれが好みのカクテルを注文すると、カウンターの向こうの年若い女性が優しくも快活な声で返した。
 今ライトに呼ばれたとおり、彼女の名はヒスイと言う。藍色の髪に赤いカチューシャが特徴的な、ちょっと前まで異世界の魔王とかやってた明るいお姉さんだ。それ故か亜人種としても魔法の腕はかなりのもので、まだ少女と呼んでも子細ない年齢ながら、今はここ――都立ヴァルハラ高校にて、実践魔法学の講師を務めている。

 そう、この一見しただけでは酒場にしか見えない部屋は、その高校の隠し部屋のうち一つなのだ。学校の教室二つ分、と言う広さは、決して(たと)えなどではない。実際にその分のスペースに作られているのである。一階の端っこに謎のスペースがあることに気付いた生徒が校舎裏を探索してみるとこの部屋を見つけられるとかどうのこうの。
 ちなみにライト達は、この部屋を部室とする冒険者ギルド部≠ノ属する、咒湖の子(チルドレン・オブ・ボドム)≠ニか何とか通称される組織の一員となった際にここへと案内された。その活動内容は言ってしまえば何でも屋のようなもので、ペットの捜索から心霊現象の調査、怪物退治に戦争への参加や鎮圧など、依頼によって多種多様である。
 ライト達は未だここの一年生になってから三ヶ月ほどしか経過していないが、少なくとも上記した内容はこの部全体の過去などではなく、その三ヶ月間だけで実際に経験したうちの一部に過ぎない。おかげで全部員が幾度と無く生命の危機に瀕することとなったが、今となってはすっかり慣れて素敵な思い出∴オいである。

 ――いろいろとツッコミ所が満載なのだが、そのへんは二人とも入学当初に一通りツッコんだことなので、二度ツッコむ気は起こらない。

「お兄ちゃーん、いるー?」

 ドアの開く音に合わせて、やや間延びした少女の声。微風に揺れる薄桃色の髪と、その隙間から伸びた機械のような耳が、照りつける陽光をうっすらと反射している。その顔つきはどこかライトに似ていたが、それも当然だろう。彼らが双子の兄妹であると言うことは、まあいちいち地の文に書かなくても上の台詞で誰もが気付いていることと思う。
 小説としてやや反則に近い紹介を受けたライトは、入ってきた妹に目を向けると、にこりと笑ってテーブルの上の大皿を指した。

「よぉルナ、ポテト食う?」
「わーい食べる……じゃなくて、なんかそこで変なもの見つけたんだけど、コレなんだろ」
「んー?」

 ルナが差し出したのは、小さなアンテナと一つのボタンがついたプラスチックの板だった。
 特に詳しく調べられるような箇所も見当たらないそれを、二人は()めつ(すが)めつ眺める。その肩越しに、持ってきたグラスをテーブルに置きながら、ヒスイもその板を見遣って唇を開いた。

「見るからに謎のリモコンだけど……ボタンが一つってことは何かの遠隔起動装置かな」
「なにはともあれ押してみよう、ポチっとな」

 考えるのをやめたライトの疾風突きによって赤いボタンが押されると、校舎に微細な振動が走った。ほんの僅かとは言え、遙か太古よりこの地に佇み続ける古城(立川駅から徒歩十五分)を改造して作られた、このヴァ高を揺るがすほどの衝撃など滅多に無いはずのものである。
 まあ、ここにいる者達は入学以来の三ヶ月でそんな滅多に無い事≠ノすら慣れっこになってしまっているため特に慌てた様子もなかったが、しかし平然としているわけにもいかなかった。もはや慣れたとは言え、こう言う場合に「特に何も起こらなかった」なんて試しがない。
 ヒスイはそのリモコンらしきものを手に取り、まじまじと見つめた。その視線は、細長いアンテナの側面で止まる。

「あれ、これ……ここに名前書いてあるよ、ルシフェルって」
「うわ嫌な予感」
「なんでそんなわかりづらい所に名前を」

 リミルとルナが立て続けにツッコミを入れた後、酒場のドアが勢いよく開き、酒場どころか高校と言う場にすらそぐわないような小さな少女が駆け込んできた。
 外見的には十三、四歳ほどだろうか、短めに揃えられた髪は淡い青から赤へとグラデーションを描き、それと同じ色をした和服が、透き通るような白い肌によく似合う。

「たっ、たたたった大変ですライトさみゅっ……はぁうっ舌噛んだ!」

 どうやら彼女は少し混乱しているらしく、目がウズマキ状になると言う古典的な表現法で動揺を表している。流れ的にも、先刻の振動と何らかの関係があることは明白だった。
 ライトは大皿からポテトを数本取ると立ち上がり、動物に餌付けでもするかのように彼女の鼻先に差し出し、問いかける。

「まず落ち着け華鈴(かりん)、概ね見当はついてるけど何が起きた!?」
「ど、どうしたって言うか私もどうしたのか解らないって言うか……」

 華鈴と呼ばれた少女はそのポテトを受け取り、もしゃもしゃと食べながら答えた。

「できるだけ子細漏らさず説明してくれ」
「え、えーと、えーと……」
「ちょっとライト、あんまりいじめちゃ……ん?」

 リミルが何かに気付いたらしく、台詞を途中で切って扉の向こうに視線を動かした。
 他者がそれを追う間も置かず、爆音。

「きゃー何かアメコミ風のバタ臭い顔をした機関車トーマスみたいな機械が暴走して妙にいい声で『Cでお願いします! 何か売ってください! Cでお願いします!』などと意味不明な言葉を繰り返しつつ壁突き破ってきたー!」
「子細漏らさぬ説明ありがとう華鈴ッ! しかしコレを果たしてどうしたものかは俺にもさっぱりだッ!」

 一体何が起こったのかと言うと、華鈴が述べた言葉の通りである。
 その突然の来訪者……もとい来訪車は、ドアと言う存在を(ないがし)ろにして綺麗な壁をものの見事に瓦礫の山と変え、平和な――今の今まで平和だった酒場の中程まで進んでから、不気味に動きを止めた。

 暫し、沈黙。
 ややあって、反復プログラムのように同じ台詞を繰り返すそれに向かって、薄桃色の髪を揺らし、ルナが一歩踏み出した。

「こ、これは一体何をするための機械……?」
「お、おいルナ、あんまりその……えー……何と形容してよいやら皆目見当もつかねえ機械に近付くな!」

 彼女は別段、実戦経験が豊富であるとか野性的な勘が優れているとか、そういった長所があるわけではない。それどころか、そういった能力は低い部類に入るだろう。こうも無防備に近付いたのも、好奇心が人一倍強い、と、それだけの特性に基づいた行動である。
 それをよく知っていたライトはすぐにルナを止めようとしたが、反応が少しばかり遅かった。二歩目を踏み出したルナとライトとの距離は一瞬で詰めるには離れすぎていて、しかも当の暴走機関車は、何故かルナに向かって口から数本のミサイルを吐き出していた。

 え、何コイツ戦闘用なの? なんて事を誰かが言う暇もなく、多数のミサイルは驚異的なスピードでルナに襲いかかる。
 だがその瞬間、煌めく光の塊がその姿を背後から追い抜いた。
 爆音が轟き、閃光が辺りを包む。しかし爆発の威力は、透明な盾に阻まれて誰にも届かなかった。

 誰もがその源に視線を遣る。そこには、硝子(がらす)のコップをまっすぐに突き出したヒスイの姿があった。入っていたはずの水は、その中から消えている。
 それから一瞬の間すらも置かず、暴走機関車が次の動きに移る前に、胸元の黒いペンダントを掴んで藍色の影は疾駆した。

鐫界器(せんかいき)魔剣・神の(みささぎ)&譜解放ッ――どいて、皆!」

 ――(いな)、疾駆と言うのすら生温い、弾丸が爆ぜたかのような驀進(ばくしん)。飛行魔法の使い手が限られた者であるとて、ここまでの速度を引き出せる者はそうそういない。
 そんな化け物じみた力の持ち主が通ろうと言うのだから、全員が言われる前から退()いていた。

 黒いペンダント状の鐫界器魔剣・神の陵≠ヘ、ヒスイに振り抜かれると同時にその姿形を変え、不気味な大鎌となって機関車を真っ二つに斬り裂く。漆黒の鎌はその直後に盾へと変わり、壊された機械型エネミーお約束の大爆発≠ゥらヒスイの身を守った。
 まさに、一瞬。神の陵をペンダント型に戻し、軽く溜息をついたヒスイの元に、和服の裾をぱたぱたとはためかせて華鈴が駆け寄った。

「た、助かりました……ありがとうございます」
「ふっふーん甘く見ないでよねー、私ちょっと前まで魔王やってたんだから」

 その言葉が冗談でもなんでもないことが、この鮮やかな手腕から見て取れる。

 先刻、透明な盾があったはずの場所にはもはや何もなく、代わりにその下の絨毯にちょっとした染みがついているだけだった。
 ――水の盾。ヒスイの使った魔法≠ヘ、コップの中に入っていた水を高速で飛ばし、広く展開して薄膜(はくまく)とするものだった。その射出や展開には電磁気力の操作が、盾としての維持には重力による制御が用いられている。
 このような防御術は通常、面攻撃ではなく点攻撃に対して使われる。水のような流体を、流体のままの密度で盾として使うのは難しいからだ。通常は、盾として使用可能な物質を全て集中させ、可能な限り密度を上げてからポイントに絞って盾にする。面防御に使ったって、衝撃を受けながら流体を維持し続けるのは難しく、かといって薄氷では、維持する力の僅かな揺らぎだけで早々に自壊してしまうだろう。

 しかしヒスイは、薄く張った水で爆発すらも防いで見せた。さらには魔力を練る間もなしに超高速での空中疾走、立て続けて鐫界器の使用、しかもそれらを終えて尚、魔力切れの兆候すら見せていない。
 ライトが見る限りでは、いかに勇者たちが一対多数で挑んだとしても、この魔王に勝てるとは思えなかった。――いや、その当時の勇者ロゼアは確か彼女の実妹だと聞いたから、同じようなものなのだろうか。

 ややあって、咄嗟に倒して盾にしたらしいテーブルの向こうから、リミルが溜息と共に立ち上がる。

「ったく、またあの校長か……ライト、ルナ、大丈夫だった?」
「あー、どうにかな。リミル、そっちはどうだ?」
「振動くらいは来たけど、さっき頼んだ飲み物は死守しといたよ」
「グッジョブ」

 流石はリミルと言うべきか、それとも当然と言うべきか。あの僅かな間に爆風が及ぶ危険性を考慮し、空いているテーブルを倒して盾にし、(あまつさ)え、さして大事でもない飲料すら零さないよう守って見せた。若干十六歳の少女とは思えない手並みである。
 八年前、故郷であるストックホルムで(うつせ)と出会ってから家出同然にくっついてきてしまった彼女は、言うなればあの′サと、かなりの長期に渡って共にいたことになる。
 別段、重要な役割を与えられ、そのために育てられたわけではなかった。だが、彼を知る者なら、リミルがどのような道を共に歩くことになったかは想像に(かた)くない。無論、現実にその通りである。
 結果として、努力家である彼女自身の性格もあってか、教え込まれた知識や技術は、既に一般女学生のレベルを遙かに超えていた。

 何ら特別な生い立ちが無いながらも、この日常に今の彼女はやや不釣り合いだった。
 ……ここに逃げ込んできて、おどおどしていただけの子とは対極とも言える。
 ライトは、すっかり脱力して床にへたり込んでいる華鈴に視線を移した。

「華鈴は……平気か?」

 これだけカオスな面々が揃って、彼女だけ何でもないなんてワケはない。
 虚数領域情報固着被験体――レプリケート技術の復元および試作型幽体動力機(エーテルジェネレータ)の機能実験に際して、孤児の遺体を流用して造られた“半人工生命体”。それが華鈴である。年齢は十代前半程度には見えるが、実際にその身体が作られてからは二年と経っていない。
 ライト達もよく解っていないが、現の説明によれば簡単に言うと、神の人形に喪われた魂を乗せた崇高なる贋物(がんぶつ)≠ニのこと。ある程度は解りやすくなったが、全然簡単に言ってないのでそれでも理解できない点は多い。
 しかし最も面白いのが、だからどうと言うわけでもない≠アとである。これだけ珍奇な生い立ちを背負っていながら、それに(まつ)わるドラマは皆無。ただ実験によって生み出され、別に本人はその生い立ちを気にするでもなく普通に生きている無害な少女である。

 華鈴は声を掛けられてようやく我に返り、慌ててライトに微笑みを返す。

「あ……はい、心配してくれてありがとうございます、ライトさん」

 そんな華鈴の背後から、金色の瞳をキラリと光らせたルナが忍び寄り、細い首もとにチョップを繰り出した。

「そうは問屋が卸さない」
「かふっ」
「何故!?」

 崩れ落ちる華鈴。
 あまりにも謎だらけなルナの行動に、床でぐっすりおねんねしている華鈴を除いた誰もが思わず声を上げる。

「ちょっと在庫切らしちゃってて」
「なるほど! ……いや問屋の方じゃねえ、何故殺した!?」

 未だ視線の焦点がはっきりしない華鈴を助け起こしながら、ライトは突然の奇行に走った妹を見上げた。が、ルナは至極当然であるかのように、無邪気な笑みを浮かべて語り始める。

「だってだってー、この子お兄ちゃんのことを本当のお兄ちゃんみたいな目で見るんだもの、妹ってポジション取られちゃう」
「怖ッ! ルナ、俺は君をそんなヤンデレ妹に育てた覚えはありませんよ!」
「お兄ちゃんどいて! そいつ殺せない!」
「また懐かしいネタをッ!」

 そんなドタバタの中、どうにか明瞭な意識を取り戻した華鈴は、ライトの背に隠れるようにしてどうにか立ち上がった。単に足下が覚束なかったから彼に掴まっていただけなのだが、ルナの目にはそう映るはずもない。

「わ、私は別にライトさんをそんな風に見てなんか……」
「うるさーい! 華鈴ちゃんっ、ならば妹からランク一つ……いや、二つ落としてペットにしてあげるわ!」
「どういう順列なんですかその家庭内ヒエラルキー!?」

 返すツッコミにも聞く耳持たず、ルナは犬耳アクセサリーやら首輪やら手錠やら、何で持ってるのかよく解らない装備品一式を鞄から取り出し、まだ(ろく)に動けない華鈴に襲いかかった。ペットに手錠はかけないだろ普通、とは、誰もが思っていても言わなかったことである。
 助けには入らない、だって見ていた方が面白いから――華鈴には悪いが、こういう場合はそれが通例である。

「よーし貴方はペットの犬になりました! これでどうだっ! さあ鳴け!」
「わ……わんっ」
「ああっ、なんか(かえ)ってかわゆくなってしまったッ! ねえお兄ちゃんコレ飼っていい!?」
「ちゃんとエサやるのよー」
「ま、待ってライトさん、(さじ)を投げないで……!」

 繰り広げられるカオスに満足したライトは爽やかな笑顔でテーブルに戻り、透明なグラスに口を付けた。

 程良い苦みと折衷(せっちゅう)する甘みの中に、薄いライムの風味が広がる。ライトはあまり酒に詳しいわけでもないが、これが世界中で基本的なカクテルとして親しまれるのもよく解る。
 対して、向かいの席で微笑むリミルの手にあるアカシアは、とろりと強い甘味を特徴とするカクテルだが、酒としては比較的強い部類に入る。ライトではそう軽々と飲める代物ではないのだが、彼女の肝臓はその程度かと嘲笑うだろう。……ちょっと負けた気がしないでもない。
 そんな対抗意識全開の眼差しに気付いて、しかしその対抗意識自体には気付かずに、リミルは悪戯っぽく笑って見せる。

「ふふっ、なーんかモテモテじゃない、ライト」
「これそーゆーのじゃないと思う」

 未だごちゃごちゃと騒いでいる妹達に目を遣ってから、肩を竦めて苦笑する。

 なんか爆発したりもしたけれど、ヴァ高(略称)は今日もカオスに平和です。



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