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第四話 いびつな永遠(とわ)へと紡ぐ



 結局、その日の夜は二人とも、螢一(けいいち)の部屋に逃げ込んだきり、外に出ることはなかった。

 彼には、両親に連絡して迎えに来てもらうよう提案されたのだが、(ゆい)(かたく)なに断った。自分でも我儘だとは思ったものの、その時、(ひじり)を置いて帰る気にはどうしてもなれなかったのだ。
 いや──それすらも、無意識が囁く自分のための言い訳だったのかもしれない。
 螢一は何度か確認を取った後、すべて察した様子で頷いて、結の両親に電話連絡を入れてくれた。

 何もかも話したわけではない。一つは要らぬ憂懼(ゆうく)を増やさぬため、もう一つは──単に、連日続く面倒事に心底疲れ果てたがために、これ以上大事とならぬよう『友人たちと外泊する』という事だけを結から説明したのだ。
 あとは螢一が──仔細な文面はよく覚えていないが──子を預かる立場として、いろいろと儀礼的な挨拶を交わしていた。
 ……彼の丁寧な語調故か、後々、受話器を取った母親から、携帯端末のメッセージアプリに『白河さん家のお父さん? 声かっこいいね!』なんて文面が送信されてきたが……その時は訂正する気力もなかったので、二日が経過した現在も、まだ勘違いは続行中である。

「……はあ」

 結の吐息は白く、宵闇に()けて消えた。

 ──あの時。
 螢一が使った『攻撃』の正体について、結は、渦巻く混乱の残滓(ざんし)()めやらぬままに詰問した。
 秘匿性に優れながら、とてつもない威力を持つ銃らしきもの。そして、音を伴わず炸裂した閃光弾。それらが普通の代物ではないことは、兵器に関しては素人の結でも想像がつく。
 しかし──いや、やはりと言うべきか、彼から返された答えは『済まないが説明できない』という言葉だけだった。

 胸中に降り積もるのは、決して彼への『不信』ではない。
 何か、あまりにも大きなものが、視えない場所で渦巻いているような、渾然たる『不安』であった。

「うーん……やっぱ、秘密警察とかかぁ……?」

 腕組みをして深く沈思しながら、結はぼそりと勝手な想像を呟く。言っておいて何だが、秘密警察というものが何なのかは自分でもよくわかっていない。

 現実的に──きわめて現実的に考えるのであれば、彼が重度の軍事オタクか何かで、法に抵触する危険な武器をこっそり入手して所持していたとするのが、最も簡単に説明がつく。真実を言えない理由も、迂闊に口にすればどこから足がつくかわからないからだ。
 しかし、結は理想論を採択する。彼はそんな人間ではない。そこには何の根拠もないが、彼女はそう確信していた。
 あの四人組の顛末について、大きな事件として報道されていないのも気になっている。──それについては、螢一も『彼らがやろうとしていた事を鑑みれば、碌な証言は出来んはずだ』と予想を立てていた通りの展開だが。

 思考は泡沫(うたかた)須臾(しゅゆ)の沈黙を破ったのは、微かな振動音だった。結ははっとして鞄を開き、煌々と光る、愛用のスマートフォンを手に取る。母親からの着信を通知する文字が、ディスプレイの内側で存在感を放っていた。
 結は鞄を肩にかけ直し、端末を耳に宛がう。

「……あ、お母さん? ……うん、うん……ありがと」

 冷たく乾いた風の中、言葉は他の誰にも届くことなく、密度を増してゆく夜へと、攫われて消える。

 電話の用件は、先ほど結が出したメッセージ──来年の受験に向けて、図書室で調べ物をしていたら帰宅が遅くなってしまったため、車で迎えに来て欲しいという旨への返答だった。
 いかに『最高電圧(ハイテンショニスト)』を自称する結とは言えど、例外的状況はある。危うく誘拐されかけた記憶も新しいままに、暗夜を独り歩く時などは、まさに例外(それ)にあたった。
 恐怖とは知性体に備わった正常な防衛機能だ。その発現を恥じることはない。
 結は自分に言い聞かせるように頷き、もう誰とも繋がっていない電話を掌の上で弄ぶ。

 ふと、友の顔が脳裏を(よぎ)る。聖は、どうしているだろう。
 彼女の母親は働き詰めで、あの日も、夜勤のため家には居なかった。父親については……真実かはともかく、聖は『興味が無いので、訊いたこともない』と言っていたはずだ。
 あの子は──今、独りではないだろうか。
 螢一だって、仲がいいとは言え、結ほど付き合いが長いわけではないのだ。

「大丈夫……かな」

 聖という人間は、決して他人に期待を抱かず、あてにすることもなく、自分だけを信じて、文句の一つも言わずに結果を受容してしまう。
 肉体的な強靭さも、前向きな意志の強さも無い彼女だが、その孤独な『精神』の強さを、結は何よりも尊敬しており──僅かだが、嫉妬してさえいた。
 独りのうちに完結するそれは、安定した強さだからだ。
 結のような不安定な存在とは、違う。

 いつだったか、結が精神的に落ち込んで泣きそうになっていた時も、聖は何をするでもなく、声もかけずに、ただ側に居てくれた。
 行動の取捨選択は、飽くまでも結自身の判断によって行われるべきだと──結がどのような行動に出ても、自分は受容する用意があると、態度によって示したのだ。
 泣きたければ泣けばいい。一人になりたければ、追いはしない。もし抱き締めれば、きっと優しく抱き締め返してくれただろう。
 そんな聖の存在は、結にとって幾度となく助けになっている。

 ……だが、彼女の強さの性質は、危うさと表裏一体でもある。
 それは孤独を所以(ゆえん)とした、冷徹な諦観だ。いつか決定的に絶望した瞬間、他人に頼ろうとせず、それこそ己が死すらも素直に受容してしまうかもしれない。
 だから、結は常に彼女の事を気にかけている。彼女を下に見て『保護』をと試みるのではなく、最愛の友として、『幸福』という利己的な願望を押し付け、先に受容させてしまうためだ。

「……聖」

 ディスプレイを辿る指は、彼女とのメッセージログを表示したところで、はたと止まっていた。
 他愛もない会話と、たまに何の前触れもなく送られてくるシュールな画像。確かな日常の記録は、昨日から動きを見せていない。チベットスナギツネの絶妙に微妙な表情が、得も言われぬ威圧感と共に、画面から結を見返しているばかりだ。

 卒然と吹き下ろす風は冷たく、結は、思わずコートの襟を掻き合せた。
 月下に夜は刻一刻と満ち、寒さと静寂が、闇という形骸を伴って肌に染みこんでくるかのようだ。
 こんな時間になるんだったら、もっと厚着してくればよかった──なんて小さな後悔を抱きながら、冷えきった指先を頬に当てる。

 だが。ほんの僅かに視線を上げた、その瞬間。
 迎えを待つために立っていた通りの角から、見覚えのある姿を遠くに認め、結は、すぐにその手を離した。

「え……?」

 どうせ今日も聖と一緒だろうと思っていた、彼の姿を見た気がして──同時に、脳がそれを否定する。
 夜闇の中でよく見えもしなかったそれを、一体『何』を以て螢一だと判断したのか、結自身にもまるで解らないのだ。髪色は同じ黒色だったと思うが、見覚えのある服を着ていたわけでもなければ、背格好の判別すらつかなかったはずなのに。

 背筋を穿つ悪寒にも似たざわめきは、寒さのせいか、それとも本能による警鐘だろうか。

 いずれにせよ、結がその感覚から何を読み取ったとしても、行動に移るための一瞬の猶予すらありはしなかった。
 突然、と言う、ただの二文字に込めるには、その事実はあまりに酷薄であろう。
 瞬きを一つするよりも前に、彼女の心臓は刺し貫かれていたのだから


 維持する力が失われ、路面に落ちて罅割れたスマートフォンの画面が、新たな文章の到着を主に報せた。開いたままにしていた聖とのメッセージログが、自動的にスクロールされ、たった二行の文字列が踊る。

 ──『あ、そうだ。明日遊びましょう。
    ユイは色々と過去の名作に触れるべきですよ!』──

 その言葉は、届くべき人に届くことなく、鮮やかな赤色に塗りつぶされて、読めなくなった。







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