TOP文章俺達の異世界転生物語がどうにも思ってたのと違う件について>第十一話


#11 / 潜入 熄滅(そくめつ)時告(ときつ)欷歔(なげき)(こえ)




「父を救いたくば協力せよ、シオン。そして王国(アーデルクラム)の公子よ。お主も他人事ではない」

 魔国ベネギアの前王女を名乗る魔人の娘ギオルフィナイトは、エメリス帝国の勇者を後背に伴って粛然と言った。
 正体が割れているなら意味はない、と被り物を外したキララクラムは、同様にシパードを隣に伴いながら、「ほう」と短く興味深げに応じる。

「その言い方。なるほど、事態が読めたぞ。それは全く厄介だ」
如何(いか)にも深刻だ。さて、『世捨卿』なる二つ名が(まこと)を衝いておらぬのなら、少しはましになろうものだが?」
(むべ)なるかな。舞台そのものに執着はないが、贔屓の役者が随分増えてしまってな……さあらば、余が助力せねばならぬのは全くの道理だ」

 そう交わして互いににやりと微笑する二人の、肝心の言葉の意味は、他の誰にも解らなかった。少し古風で複雑な言い回しが多すぎて、紫音に至ってはそのうち大多数の単語を今初めて聞いたくらいだ。
 奥でただ緘黙(かんもく)していた勇者シスだけは、すでに事情を理解しているせいか、彼の答えに安堵したように目を伏せていた。

 ──数日。

 立てられていた作戦は、本来ならば冴羽義隆博士の居場所が分かった時点で調査隊本部に報告すべき事柄だったのだろう。
 それでも、紫音はそうしなかった。規則に従うならば迅速に報告し指示を仰ぐべきなのは解っていたが、現状、地球・異世界間では電波を用いた通話すらできない。書面のやり取りだけでは結論が出るまで長い時間がかかるだろうし、そんな救出作戦に回す兵力は現状アルフェイム側に存在しないはずだ。そもそも、同盟も条約も結んでいない国に兵を送り込んで、そこの国民相手に組織的戦闘行為を行っていいはずがない。迅速かつ良い答えが返ってくる可能性は、限りなく無に等しかった。
 何より、この事実をいま報告し、迂闊に公にすれば、彼らが──今まさに機密作戦を企てているフェルド卿キララクラムや勇者シス達が、不要な危険に晒されるのは明白である。紫音が自分たちの都合で余計な事をしたばっかりに、彼らが無惨に殺されるかもしれない。それも避けなければならなかった。
 彼らの生活は彼らのものだ。下手な遺恨を遺して後の国際問題に発展させるわけにはいかない。
 故に、政治的に紫音が取るべき正しい選択は────報告ですらない。『何もしない』ことだ。

 正直に言うと、紫音はその時、どうするべきか解らなかった。
 盗賊ギルドのロビーの中。長椅子に腰掛け、俯いて迷う彼の隣で、エナが凛と唇を結んで立ち上がるその時までは。

「……私も行きます。精霊の血がありますから、何かお役に立てるはずです」

 最初、紫音はその声に我が耳を疑った。
 言葉が解らなかったからではない。彼女の声には迷いが無かったからだ。
 自分よりもずっと小さな少女の唇から飛び出したその言葉は、同行の許可を求めるものではなく、ただの、純粋な決意だった。

 言われたキララクラムはそんな彼女の目をちらりと見て、微笑んで頷く。

「好きにせよ。庇護に甘んじる年齢(とし)でもなかろう、自信を持って己の責任と判断で動け。後悔さえしなければ良い」

 背筋を伸ばして頷き返すエナ。
 その(いとけな)さの残る表情と体格を、横から目を丸くした真輝那がまじまじと見ながら小声で問いかける。

「あれ、エナちゃんって……あれ? 成人?」
「は、はい。私もう二十二ですから」
「え゛っ歳上ッ!? エ……エナさん!?」
「え……そうですけど……あれっ、言ってませんでしたっけ……」

 アルフェイムにおける成人とは、数え年で十九歳──つまりは十八歳を指す。紫音も最初に聞いた時は驚いたものだが、どうやら『とんがり耳』の人種は人間に比べて少し体躯の成長が遅いらしく、子供の特徴をある程度残したまま成熟する。調査隊に同行していた生物学者は一種の幼形成熟種(ネオテニー)だろうと言っていた。
 それでも、紫音よりは四つも下だ。
 真輝那はどうだろう。体感年齢的にはその更に一つ下なのに、十六歳のときに異世界に放り出されてから逞しく生き、日本政府による保護の申し出を自分の意志で蹴ってまで通訳家として働いて、今、怖気づくこともなくここに立っている。

 自分はどうだろう。

 量子物理学者。肩書は大層立派なものが貰えたと思う。論文が認められた時は、大学の友人達や教授から、その若さでよくやったと賞賛されたものだ。既に父はいなかったが、一宮博士も自分のことのように喜んでくれた。正直に言って気分が良かった。
 兄が居なくなるまで、紫音はこの道に進むつもりはなかった。優秀な兄にはどう頑張ったって敵わなかったからだ。別に彼に対してひどい劣等感があったわけではなく、ただ、脚光を浴びるのは彼のような『本物』であるべきで、自分程度のこの世にごまんといるような趣味人は、趣味人で終わるべきだと信じ込んでいた。
 なのに、脚光を浴びる前に、彼は消えた。
 ぽっかりと空いた席に、ただ順繰りに、紫音が収まった。そう感じていた。だから凡人の紫音は優秀な兄の『代わり』になるべくして学び、努力し、逃避せずに走ってこられた。義務感や使命感ではなく、ただ、それが当然のように、本心からそうあろうと思ったのだ。誰も死んだ兄の代わりなんて紫音に求めていなかったのに、何故かそうせずにはいられなかった。そうあれることが救いだった。
 今思えば、なんとなくわかる。
 手を引いてくれる(かれ)の代わりを求めていたのは──紫音自身だったのだ。
 誰の代わりでもない、自分以外の誰にもなろうとしていない、目の前の人々を見て、遅れながらもそれに気付かされてしまった。

 ──いいんだ。俺も好きに生きるから──

 自分が言ったはずの、忘れかけていた言葉が不意に脳裏に蘇る。
 紫音は自嘲的に一つ息をつき、迷いの晴れた目を真っ直ぐに前へと向けて立ち上がった。

「勿論、私も協力します。できることは少ないかもしれませんが……ま、やってみたいんで」

 そうして計画は実行された。


◆ ◆ ◆



 計画の概要については、単純だが堅実なものだった。
 すなわち、二陣営に分かれての陽動、そして殲滅である。殲滅部隊はさらに途中で二手に分かれ、冴羽博士の救出に向かうという算段だ。
 陽動に関する工作は、王都の地理に詳しく、身分により様々な自由が効くキララクラムと護衛のシパードが。潜入・殲滅は少数精鋭ながら単純戦闘力に優れる勇者一行と、銃を持った紫音とエナが請け負った。銃も魔法も使えぬ真輝那は、さすがに向き不向きというものがあるため荒事には同行させず、可能ならば退路の確保を行うこととなった。

 『円環(アリストゥム)』──とは、王国、帝国、魔国それぞれに隔てなく跨る結社の名である。
 来歴や目的などについては、勇者シス達も全容は掴めていないらしい。ただ、政治を、経済を、戦争に至るまでも、三国の間に流れる血の因果を影から操り続けてきたのだという。
 もしかしたら、それは本来、恒久的な平和のための暗躍だったのかもしれない。
 本当は、それこそが本来、最も血の流れない方法だったのかもしれない。
 国境を適度に動かしながら、経済の発展のため民に血を流させ、技術の進歩のため国同士を(いが)み合わせて、すべてが共倒れにならぬよう人口を管理する。
 そうやって、常に同程度のパワーバランスで競争が起こり続けるように管理された三国社会の均衡があれば、確かに人類は最低限の犠牲で効率的に発展することだろう。破滅的な戦争の危険(リスク)も避けられる。ただ──ただ、影響のない範囲で、末端の民が飢えと戦で計画的に死んでいくだけだ。
 ある意味ではそれは、究極の秩序の形だった。しかしシスは言う。

「……秩序とは光と闇の共存だ。異なるものを異なるまま調和させ相争わぬための理想だ。
 だがこれは……心地よい光だけを一部の者が近くにかき集め、見たくない闇を視界の外に追いやっているに過ぎない。
 金や領土や貴族達の安全のために、何も知らぬ民草を素知らぬ顔で争わせて嗤う茶番劇が秩序だと言うのなら……俺は他ならぬ秩序の代行者として、その威を借る混沌の種を粛清する」

 その昏い瞳に迷いはなかった。
 紫音は彼ほど思想的に振り切ることはできそうもないが、少なくとも強者の策謀のために弱者が犠牲になるのは好きじゃない。だから、誰の命令でもなく自分の意思で、紫音は手にした突撃銃(アサルトライフル)銃爪(トリガー)下部セレクターレバーに指をかけ、セーフティを外した。

 『円環(アリストゥム)』の王都における拠点のひとつは、王城にほど近い大神殿の地下にある。賊の侵入と戦闘行為に見せかけた陽動工作が功を奏し、神殿の一般人や聖職者、また衛兵の類は一斉に出払い、下層部の警備は一気に手薄になった。『魔王女』フィーネと『魔導少女』ミルトが聖堂隅に協力して張った強固な認識阻害魔法の影響の中で、通り過ぎる人々を見送ってから一同は迅速に駆けた。
 地下への階段の先には古い石造りの講堂のようなものがあり、この騒ぎにも関わらず奥への扉を守る兵がいた。彼らは突然の侵入者に誰何の声すらかけず槍斧を構えるも、その穂先が閃くよりも早く懐に潜り込んだ『勇者』シスと『破戒の盾』エレインの一撃に敢えなく昏倒する。

「当たり……みたいですね」

 ミルトが痙攣する兵士に『神経麻痺』の魔法をかけながら言う。これで起こされて挟撃される心配はないはずだ。一同は頷き、奥の扉へと殺到した。
 鍵はかかっていたが、簡素なものだ。罠の危険性を踏まえた上で、時間が惜しいため防御膜をかけた上で扉ごと叩き壊したものの、罠の残骸は見当たらなかった。おそらく日常的に利用する施設であるがゆえに危険なものを仕掛けることが躊躇われたのだろう。

「内部地図は頭に入れておるな? さして広くはない場所だ、迅速に征くぞ」

 フィーネはそう言って、扉奥の回廊を颯爽と駆けてゆく。シス達もまたそれに続き、最後に紫音とエナが残された。

「私達も行きましょう、シオン!」
「ああ」

 ここからは別行動だ。シス達は敵勢力の誘導・殲滅と、王城の脱出路に通じているという活路の確保。そして紫音達は、牢に囚われているという父の救出である。こちらは道も短く警備も手薄とのことだが、本当に彼がそこにいるかどうかも含めて、盗賊ギルドの情報がどれほど信用できるかといったところだ。
 石でできた古い通路に埃はなく、この遥か昔からある施設が常々使われていたことを示していた。地形構造は襲撃計画を立てる際にも聞いた通りの形をしており、二人は慎重に、事前に記憶していた通りの道を行く。

「な、何奴……ぐあッ!」
「おい、どうし……ひッ、ぎァッ」

 行く手にはおよそ戦えそうには見えないローブの男や、看守のような鎖帷子を着込んだ男などが時折慌てて身構え、立ち塞がったが、彼らの持ち得る護身程度のいかなる防護も、立て続けに撃ち込まれるNATO第二標準弾の前には無力だった。一度、前の男を三点バーストで撃ち倒した瞬間に、その背後に隠れた者から魔法の矢が降り注いだことがあったが、エナの張った光の防護膜が防いでくれた。
 たとえ非戦闘員とはいえ、そのまま逃がすわけにはいかない。その十倍の人数の戦闘員になって帰ってきたら困るからだ。紫音はこれまで人を殺したことなど無かったが、これまでに至る異常な状況と、それを成せる集団への帰属が、罪悪感を紛らわせていた。

 ──五回、撃ったはずだ。弾倉は三十発、三発ずつの射撃でちょうど半分、残り五回撃てることになる。努めて冷静に、紫音は呼吸を整えてハンドガンに持ち替え、まだ息のあった看守風の男の頭部に一発撃ち込んだ。……こちらは残り二十一発。

「……それ、魔法の杖みたいな媒介ですか?」
「えーと……複雑? だから、後で説明するよ」

 少なくとも、銃の仕組みをアルフェイム語で説明するだけの語彙を、今の紫音は持ち合わせてはいない。
 壁際に身を寄せつつ、二人は短く交わして曲がり角の奥を見る。小さな牢の付近に人影はなく、また他に扉や通路などもない。誰が潜んでいるということもないだろう。
 エナに後方の見張りを頼み、看守の死体を(あらた)め、鍵束を服からちぎり取る。これで開かなければ壁か鉄格子を破らなければならないが……まぁ、この場合は考えるよりもまずは試してみなければ始まるまい。映画のように銃撃で鉄扉の鍵を外すなんて危険な上に不確実な真似はしたくないし、フィーネ特製の魔法爆弾『蝶』をこんな半ば密閉されたような地下空間で用いるのは……その効果の程は一度確認済みだが……もっと危険だ。本当に最後の手段にしたい。

 そうして二人で辿り着いた最奥部、小さな鉄格子の向こうに──彼はいた。襤褸切れのような布を頭から被せられ、恐らく鋳鉄の鎖で両腕を繋がれた状態で、項垂れながら粗末な椅子に座り込んでいる。

「ッ……父さん!」

 思わず口をついて出た言葉は、日本語だ。エナが不思議そうな顔で見つめる中、彼は持っていた拳銃を雑に上着のポケットに突っ込み、鍵束にかけられたさほど多くもない鍵を順々に錠に差し込んでいった。
 やがてかちりと音を立てて鍵が回ると、紫音は、勢い良く開け放たれた鉄扉から彼のもとへと駆け寄った。床は定期的に掃除されているようだが、それでも、こびり付いた汗と汚物の匂いがむっと鼻をつく。

「紫音……紫音か……?」
「喋らないで。救助に来ました。話は脱出してからです」

 父の姿は些か痩せ衰え、いつもきっちりとセットされていた灰色の髪は伸び放題で白みも増したようだったが、その声も表情も、変わらぬ父のままだった。紫音は後ろのエナの安全を確認してから、涙ぐみつつも彼の手に巻き付いた鎖を外していく。
 しかし彼は、何か別のことに気を取られているような不可思議な様子で、自らを助け起こす紫音の装備を目で確認していた。

「紫音……通信機は無いか? 早く……報せ……」

 その言葉に、さしもの紫音も何か引っかかるものを覚え、疑問を表情に浮かべながら改めて父、冴羽義隆に向き直る。
 そして、気付いた。さっきまで襤褸布に隠されていた彼の頭部から、小さくねじれた暗灰色(あんかいしょく)の角が生えかけていることに。()り紐のようになった前髪の向こうに見える瞳が、生来の焦茶色ではなく淡い紫色をしていることに。
 魔人。
 紫音は彼の姿形にありありとその二文字を想起して、目眩を感じながら後退った。

「その姿……ちょ、ちょっと待ってください……え? 一体……」
「混乱するな。アポトーシス障害だ……いいか、自然転移を起こす条件は、強い感情による虚数振動の他に、遺伝子……特定のDNA配列の持つ遺伝的形質が必要なようだ。それが無い者が強引に転移した場合、アルフェイム界の異常に濃い虚数質量体濃度にやられ……五年もすればこうなる。冷静になれ、物理現象は奇跡でも呪いでもない」
「……了解、理解したよ。そうなっちゃうのか……調査隊の皆も、一刻も早く送還して検査しないと……」

 錯乱しかけた紫音を、義隆は落ち着いた声色で鎮める。そうだ、『感情ではなく論理で語る』。『結果ではなく理由から述べる』。子に接する際にも徹底していた彼の行動原理だ。彼は、こうすれば紫音の──そして梨緒の──混乱が収まる事を知っている。
 平静を取り戻した紫音は、ようやく両腕の鎖を解いて、彼の痩せた身体を肩で支えようと腕を回した。
 しかし肝心の義隆は、自分を支えようとする腕を払うように取って、焦りを孕んだ真剣な表情で、掠れた声を喉から絞り出した。

「いや、それより先だ……通信機は無いのか? なら私を置いて、走って報せるんだ……! 地球が──」

 言葉は不意に途絶えた。紫音の背後、エナの、アルフェイム語の声が刺すように飛ぶ。

「──誰っ!?」
「紫音ッ!!」

 肩に走る衝撃。義隆が自らの体重を乗せて倒れ込むように紫音を突き飛ばしたせいだ。その瞬間には未だ、なぜ、と考える余地などなかった。
 まさか、とまで考えることができたのは、汚濁まみれの石床に紫音が倒れ込んでからである。
 炸裂音。
 はじけ飛ぶ血潮の大粒の雫が、粘性を持つ音を伴って紫音の頬に飛び散った。

「な……っ」

 紫音を狙って放たれた一撃に、父の身体は貫かれていた。
 胸部に穿たれた穴から、心臓の鼓動に合わせて溢れ出る鮮血が、白く(なまぐさ)い蒸気をあげて床に赤色を押し広げてゆく。エナが息を呑む、甲高い音が聞こえた。
 ──肺を──
 紫音の思考が真っ白に弾けてから、我を取り戻した脳が演算を始めるまでは、ほんの一瞬の間であった。
 ──肺を貫かれた?──矢の魔法か?──救助を──ああ、駄目だ──この傷は──助からない……!──
 目に映る情報をすべてその一瞬で処理した後、あまりに強い衝撃に感情を置き去りにしたままで、紫音は咄嗟にポケットの拳銃を抜き放って扉に立つものへと向けた。ポケットに入れていた幾つかのものが溢れたようだが、気にしてはいられない。エナは──無事だ。警戒態勢を取っている。ではそこに立っているものは? 何が、どのような状態でいるのだ?
 牢の中の明かりは外に比べて幽かなものだ。逆光に覆い隠されていたその表情は、彼がわずかに首を傾げることによって陰影を帯びる。紫音は自分の奥歯の鳴る音をやけに遠く聞きながら、その姿を見た。

「……ああ。今の即断は早まりましたね。何てことだ、私としたことが……すみません、すっかり凶暴な賊だと思ってしまって……」

 それは、綺麗に撫で付けられた白髪と、同じ色をした立派な口髭を持つ、いかにも穏やかな相貌に丸眼鏡を乗せた初老の紳士だった。
 彼はその長身を両足まで礼儀正しく伸ばし、本当に済まなそうな、失敗を悔いているような表情をして、宥めるような丁寧な英語で話しかけながらも、ぴたりと紫音にその手の銃口を向けている

 紫音は、言葉無くただ息を呑んだ。
 ──そう、魔法ではない。魔法であったなら、いくら身を隠していても発動前の詠唱の段階でエナの防護膜が間に合ったはずだ。彼女はその流れを感知できる。おそらくは、彼もそれを想定に入れていたから──銃を使った。
 驚愕に目を見開いた紫音の表情に気付いたのか、老紳士はまるで隣人と世間話でもするかのような穏やかな笑顔をして、手にした銃を左手の指でぽんぽんと叩いてみせる。自分も銃口を向けられているとは思えないような、余裕のある所作で。

「ああ、これですか? 他の転移犠牲者が持っていたものなんですよ。そろそろ弾も切れかけなのですが……」
「貴方……貴方はッ……」

 戦慄に震える紫音の言葉は、かすれた喉の嗚咽に(つか)えた。
 アルフェイム語ではなく、同じ英語で返された台詞に、彼は感慨深げに目を細める。

「聞き手に回ると懐かしい言葉です。かれはドイツ語で話してくれましたから」

 その会話の内容が聞き取れないエナは、当惑の表情を顔に浮かべて両者を見比べている。
 どちらも同じ武器を持ち、どちらも同じ言葉を話し、しかしどちらも全く違う表情をしている。
 片方は余裕。あるいは追懐。
 片方は恐怖。あるいは錯乱。
 その理由すら、エナには解らないまま。

「貴方はッ……死んだはずでしょう! 私が産まれてすぐ……二十五年も前に……!」
「そうですね。私も、私は一度死んだと思います。実験中の不幸な事故で。……にしても貴方、やはり親子ですねえ。彼にも全く同じ調子で言われましたよ」

 ──紫音が拳銃を取り出す際、ポケットから引っかき出されたロケット・ペンダントが、床に転がっていた。

 潜入作戦が始まる前に、邪魔になるからと外してポケットに突っ込んでいたものだ。落下の衝撃で蓋が開き、家族の──父母と兄の写真が、それぞれの面に納められている。肖像画風に加工して尋ねるのに使っていた、数少ない父の写真の一枚だ。
 楕円形に切り取られて半ば見切れているが──その写真には、父の隣に立つ者があった。
 紫音はその人物を直接的には知らないが、よく記憶している。博士の思い出話に幾度となく出た、その名前。父母の、かれらの、数多くの出会いの因果の中心に立っていたはずの、その男。

「ですがまあ、なんというか……どうやら異世界転生してしまったようで。ご覧のとおりです。……ときに。一宮くんはお元気ですか? 彼にも会いたいものですが……」

 目の前に立つその姿と、たったひとつ『金色の目』を除いて瓜二つの──

「ヨゼフ…………ヨゼフ・グライフェルト教授ッ……!!」






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