TOP文章俺達の異世界転生物語がどうにも思ってたのと違う件について>第九話


#9 / 宿運 涙色の(つるぎ)(せな)




「……なんて(ざま)だ」

 エメリス帝国の東の片隅、交易と旅人の街リヴェイラの小さな教会の一室で、男はぽつりと呟いた。
 ぴったりと閉められた二重窓が、埃に描く光の帯。その朝日のぼやけた輝きでは、彼の戦窶(いくさやつ)れの黒ずみを到底覆い隠すことはできない。修羅の面差し、奈落の瞳──されどその深い暗闇の中に揺らめくのは、絶えぬ希望の灯火であった。
 希望を己の前方に見据え、どれだけ疲れ果てようとも、どれだけ傷つこうとも、足を持ち上げ、少しでも前へと進む。繰り返し、繰り返し、その()のたもとへ辿り着くために。
 彼にはそうする以外に無かったから。
 彼の持つその称号が、そうする以外に許さなかったから。
 故に彼は、言葉を紡ぐ。もはや両足が疲れ果て止まってしまっても、少しでも何かが変わると、この旅が終わりに近づくと信じて、一言ずつ、静かに語る。

「それは……それは、お前の信じた正義ではないだろう。お前の恨んだ悪でもないだろう」

 彼は──エメリスの勇者、シス・ジェティマは、無機と静寂に閉ざされた一室で、粗末な寝具の上に仰臥(ぎょうが)して動かぬものに語り続けた。
 斜めに差し込む光の中で、海中の意思持たぬ微生物の死骸のように、埃がたゆたう。
 過去を懐かしむような情緒は持ち合わせていない──はずだ。しかし何故か、遠い記憶の情景が脳裏から離れない。そうだ、この教会の一室で、彼と出会った。練習用のちいさな剣を、親の仇を討ちたいと言って不格好に握りしめた彼と。

「誰の正義でも誰の悪でもない、ただの理不尽の暴威に、お前は……一人で殺されるのか」

 返事はない。何の表情も作らぬまま、彼は続ける。淡々と。
 地に向けられた瞳に映るものの名は──ザック。剣士、ザック・フレード。黒き死の病に冒された、痩せこけた友の名前。

「立てよ……我が友。立ってあの剣を取れよ。師匠と同じ太刀筋をもう一度見せてみろよ。俺は……」

 跪き、その痩せこけた頬に触れる指先は、何故かも解らぬまま震えていた。

「……お前を殺しに来たんだぞ……?」


◆ ◆ ◆



 戦った。
 戦ってきた。
 その先に旅の終わりがあると信じて、もう歩かなくてもいい日が待っていると信じて、歩き続けた。

 旅の娘に偽装したフィーネと共にアーデルクラムに亡命し、王都に潜伏しながら、盗賊組合(ギルド)の情報網を頼った。
 『己より強くて偉い奴を全殺しにすることで、我が名のもとに天下統一を図る』──なんて、時代錯誤なことを真顔で言ってのけるフィーネに、当初は辟易したものだ。しかし彼女の判断で生命を救われた手前、すぐさま粛清するのは気が咎めたし、彼女もまた恩や忠節に対して誠実ではあるようだったので、ひとまずは協力関係を築いていた。
 共にエメリス国内のきな臭い動きを辿っているうちに、やがて彼女もまた、自然を愛で、理不尽を(なげ)き、未知に憧れと恐れを抱く、等身大の感性を持つのだとわかってきた。
 盗賊組合の幹部の一人が、筋を通さずにシスの情報を敵に売ろうとしていることを別の幹部が突き止め、粛清の戦いに臨んだ時には、人の上に立つ者として、それを己が事のように怒ってみせたフィーネの『心』を信じることができた。
 きっと彼女にも、ああして奇妙な理由を言って誤魔化さなければならないような事情があったのだろう。確証は無いが、そう信じてみることにした。

 概ねそのようにして時は過ぎた。


◆ ◆ ◆



 それが修羅の道と悟った時、シスは誰かに頼ろうとするのを止めたはずだった。
 エメリスの内から彼を嵌めた人間の一人、北の貧しい農村地帯を治めていた肥満の小男、ベベトスの粛清に向かったときもそうだった。
 ベベトスは絵に描いたような小悪党で、北部の魔人たちから守るための兵力を盾に、農民から税の他にも私的所有物を非公式に取り立て、娘には暴力をもって狼藉を働こうとした。結論から言えば兵力なんて張りぼてで、魔人たちに金や奴隷を渡して見逃してもらっていたのだが……村人たちは知る由もない。
 南の都市に村人からの通報は伝達されていたはずだが、賄賂によって揉み消されており、兵がそんな事実を知ったところで、弾劾の命は与えられることはなかった。誰も彼らを救いに出ることはできなかった。
 たった一人の赤毛の戦士を除いては。
 『破戒の盾』エレイン・セルヴィハートは、己の正義に(もと)る命令を何もかも撥ねつけ、臆した上官と同僚を『お掃除』した後、独断でベベトスの屋敷に殴り込んだのである。間の悪いことに──シスと全く同じタイミングで。

 まあ……あれはシスの対応も悪かったと思う。ついでにいうと、全力を出すために偽装を解いて魔人の姿を露わにしていたフィーネの対応も悪かったと思う。
 詳細な沿革は省くが、とにかくエレインは帝国側の謀略通り『勇者シスは勇敢に戦ったが、魔王と相討ちになったあと、魔道に堕ちて屍のまま彷徨っている』とすっかり信じ込んでおり、お互いに要領を得ない会話ののちに大乱戦になってしまった。
 ベベトスの屋敷は戦闘の煽りを受けてどんどん崩落し、彼の情けない悲鳴が村じゅうに(こだま)した。
 賄賂を受け取りにきていた魔人が用心棒を気取って途中から参戦したが、「戦いに……ッ」「水を差すなァーッ!」「愚物めがッ!」との怒号が一斉に飛んだかと思えば、そこそこ激しい攻防ののち、数分後には田んぼに頭から突き刺さっていた。

「……よし」
「やったなッ!」
「ふっ、惰弱者め」

 そして三者三様に残心を決めたあたりで、「…………ん?」と全員一斉に気付いた。多分、我々に戦う理由は無かったということに。
 戦士エレインは命令違反の責任を取るという言い訳で軍を抜け、シスに一割の尊敬と九割の対抗心を抱いて強引に旅に加わった。
 ちなみに、一人そろそろと逃げようとしていたベベトスは、もはや権力も兵力も何もかも失った状態で、村人たちによって裸にひん剥かれ、もう使えなくなった畑に埋められていた。シスの件についてインタビューもしてみたが、どうやら何も知らされず、保身のために行ったことのようだった。埋め直した。

 概ねそのようにして時は過ぎた。


◆ ◆ ◆



 アルフェイムの大陸外縁にほど近い帝国南部。その名も無き辺境の村に辿り着いたのは、シスを陥れた三人目の帝国幹部、『落葉』のグライツェンを追っている時だった。
 彼は、大陸中でも隣国アーデルクラムの賢王の腹心として高名な『魔導博士』ヨゼフと肩を並べるほどに優秀な理学研究者であり、国の公共福祉の行き届かない小さな村を回っては、医師や薬師の代わりをしていた。そして、今ならその村にいる頃だという情報を得てやってきたのだが……その時は僅かに到着が遅れ、既に次の村に出発してしまったらしかった。
 急いで追って()つ準備をしていた時、フィーネが森の中、雨具もなく雨に濡れる栗毛の少女の姿を見つけた。

「愚かな種は愚かな事をするのが好きなのか? 風邪をひくぞ、入れ」

 そう言って自分の外套を開いて広げたフィーネに、少女はひどく怯えた様子で森の中に去っていった。村の方角ではなく、森の中へと。
 シスもエレインも、その姿に明確な違和感を持った。旅の目的という指針は(せな)の方を向いてあれど、(きびす)を返すことはできなかった。皆、奇妙な胸騒ぎを感じていた。
 そうして森の中で追いついた痩せた娘に、空腹のあまり弱毒とはいえ有毒の果実を齧っていた彼女に、帰るべき家はなかった。

 フィーネをして『魔導少女』と呼ばしめたミルテアイリス・イス・エーゼフォットは、かつては村の中でも大きな家の子供だった。何不自由なく──とまでは行かなくとも、日々を笑ったり泣いたりして過ごすには充分な暮らしだった。
 生まれて七年が経過した頃、兆しが現れ始めた。
 『魔』の才能。複雑な理論を学ばずとも、直感的に法則を理解し、操る力。可愛いミルトは、その力を無邪気に行使し、高い樹木の果物を採ったり、小さな動物を捕らえたりして見せた。愛する父と母に褒めてもらいたくて、愛してくれた父と母に喜んでほしくて、精一杯に。
 生まれて九年が過ぎる頃、彼女を省みるものはいなくなった。村人は気味の悪い力を恐れ、その家族までも厭倦の目で見始めた。
 十二年が過ぎる頃、彼女は両親から塵屑のように痛めつけられ、森に棄てられた。何があったのかはわからない。でも、両親にも誰かにひどく痛めつけられた痕が見えた。それだけは覚えていた。

 ──『……いたいの? なお……なおせる、よ……わたし……すこしなら……』──

 棄てられる間際に掠れた声でそう言った娘を、父は怯えた目をして叫び、渾身の力で殴りつけ、その光景を最後にミルトの意識は途絶えたという。
 その話を聞いて、据わった目で剣に手をかけたシスを、しかしフィーネは真剣な顔で制した。シスの性格は既によく解っているだろうに、それをも()して。

「……半魔人化しておる。これは……人為の産物だ」

 刹那、村の方角から何重ものおぞましい悲鳴が轟いた。
 慌てて駆けつけてみれば、そこには村人の姿はなく、ぶよぶよとうごめく芋虫のような巨大な肉塊があった。皮膚もなく神経をむき出しにしたそれは、風が吹くたび痛苦に叫び、のたうち回り、家々を叩き壊した。そして瓦礫片の突き刺さる衝撃に、殊更大きな叫びをあげた。その肉塊の中から、不気味にうねり浮かび上がる無数の顔の二つを、ミルトは震えながら見つめた。

「パパ、……ママ……? なんで……こ、こんなっ……」

 答えは──明白であった。その前に佇む、真っ白な髪を刈り上げて、ぴしりと背筋を伸ばした痩躯の壮年。今そこにいるはずのないその姿が、全てを物語っていた。

「……『落葉』グライツェン……! 貴様……貴様はッ!」

 全ては明白。彼が医師を騙り、村人に薬を渡し、何をしていたのかも。生まれつき魔人の因子を備え、成長に伴って発現してしまったミルトが、母の胎内において、何の副作用によってそうなってしまったのかも。どれだけ前からこのような非道を計画し、繰り返してきたのかも。

「許せんッ!」
「許せねえッ!」
「許さぬッ!」
「ゆるさないっ!」

 ──概ねそのようにして時は過ぎた。


◆ ◆ ◆



 戦った。
 戦ってきた。
 その先に旅の終わりがあると信じて、もう歩かなくてもいい日が待っていると信じて、歩き続けた。

 ──違う。

 確かに旅の終わりを信じた。歩みを止められる日々を望んだ。それは真実だ。
 でも、違う。

 単純な話だ。
 『許せない』奴を『許せない』から、シスは戦ってきた。

 二度と戻れぬ道ではなかった。歩みを止めることはいつでもできた。

 魔国ベネギアは、一五〇年ほど前の構造改革から急激に文化的発展を遂げた、民主政治の国である。有権者や投票対象がある程度以上の位を持つ貴族に限られるという封建社会の名残こそあれ、未だに血筋に囚われ王政を敷いている人類よりも、少なくとも制度上は数歩抜きん出た立場にあると言っていい。
 以前、前魔王ギオルジェダインは、初めて己の前に対峙したシスに「たとえ余が死すとも、第二、第三の余が現れ、争いは繰り返されるであろう。シス、それでも余に刃を向けるか?」と問いかけた。
 それは脅しでも、余裕の現れでもない。純粋に言葉通りの意味だ。今や魔王とは投票の多数決で任命される象徴に過ぎず、十二年の任期を終えれば次の魔王が選ばれる。無論、魔人の貴族ともなれば相応の戦闘力は求められるが、魔王としての力は、多くの魔人から儀式を介して蒐められたり、装備品によって補われ成立するものなのだ。
 魔人たちにとっても『魔王』という称号は誇りと価値のあるものであり、もしも任期中に魔王が斃されるようなことがあれば、すぐさま代役を立てたりせず、本来の任期終了まで空席となる。その際の政は次席以下の貴族たちが議会を以て決定するという。
 前魔王の死によって、魔人達の攻勢は確かに緩んだ。フィーネが言うには、魔人達にも感情が、倫理観があり、厭戦の気運はちゃんとある。次の魔王には戦に消極的な者が選ばれるということもあるだろう。

 シスには、わかっていた。
 それでも魔王に一太刀を浴びせなければ気が済まなかったのは──許せなかったからだ。
 秩序に敵も味方もない。正義に人も魔人もない。誰かのために、誰かのせいで死んでいく無辜の人々の哀しみを、やるせなさを、怒りを、血も流れぬ高みから戦を始めるものに、刻みつけてやりたかった。
 ただ『許せない』。それだけで、ほとんど無意味にも近い戦いに生命を賭けられた。

 ────今は。

 ──────今は、どうなのだ?

 病に伏せるザックを見下ろしながら、シスは自問する。

「……ハ、ハッ……」

 友は、そこに立つシスにようやく気付いたかのように、掠れて渇いた笑いをあげた。
 ひどく老いたような、生気のない声だった。だがそれは、紛れもなく幾度も聞いたザックの笑い方だった。

「そんな泣きそうな顔をするなよ……シス。秩序を超えちまう秩序の仔よ」

 優しい瞳をした剣士は、己の頬を撫でる友の指を静かに握って、口角を上げる。
 震えと熱、関節の痛みと感覚の喪失でろくに動かせないはずの四肢から、最後の一滴まで気力を絞り出すように。

「お前は……お前の正義は、俺の正義より強くなったんだろ……?」
「俺は」

 シスは、いくつか言いたいことを考えてきていた。順番に問い質したいことを訊き、最後に冷酷に批難するつもりだった。
 しかし彼が言葉を返した時、それらは全て思考の外に追いやられ、まったく別の言葉が、口をついて出ていた。

「俺がお前を赦したら、お前は……笑ってくれるのか」

 病床で臥するザックは、目を細めて、笑う。
 嘲笑でも、困惑でも、ましてや作り笑いでもなく、ただ穏やかに。そして答えはせず、震える指先に力を込めた。

「聞け。最後だ、聞け、シス。俺から渡せる最後の贈り物だ」
「贈り物か。沢山貰った。子供の頃から……お前の作る飯は、美味かった」
「ッたりめえだ。お前の味覚に合わせて作ってたンだぜ」

 にっ、とボロボロの歯を見せて、彼は粗末な寝床の隣、小さな丸テーブルの上に置かれた装飾つきの木箱を指さした。

円環(アリストゥム)────『結社』だ。帝国(エメリス)も、魔国(ベネギア)も、王国(アーデルクラム)でさえも、全てはその『円環』の中にある──……王都だ。王都に行け、シス」

 その言葉にはっとして、シスは片手で木箱を手に取り、開けた。──厚さがわからないように工夫されているが、二重底だ。恐らく彼の遺した何かが、その下にある。

「ザック、お前はまさか……これを探って……?」
「いや勘違いするな。マジで途中までは帝国を信じちまった。済まん。んで俺ァ……少し休むわ。歩みを止めちまうよ。ひと足お先だ。けどな」

 ザックは(にわか)に明るさを取り戻したような調子でそう言って、木箱を指していた手で、ゆっくりと握り拳を作った。

「俺も……心底、『許せねえ』。だから……受け取れ」

 その拳の甲を、シスは自分の拳を合わせて受ける。彼の渾身の拳の一撃を、受け取る。

「ヘヘッ、頼むぜ……俺の分もさ……ちょっと多めで……」
「ああ。任せろ。一緒に行こう、ぶちかましてくる」

 刻告(ときつ)げの鐘が鳴る。緩やかに昇る朝日が二重窓越しに差し込み、二人の輪郭を黒く塗り分けていった。
 約束の時間だ。今の仲間が外で待っている。ここを出たらミルトに『病原除去』の魔法をかけてもらわねば。俺はもう少し歩きたいんだ。
 シスは小さな木箱を手に立ち上がり、扉に向けて数歩進み……立ち止まった。

「……何度か、何度かな、こっそり試したんだが。お前の味覚は……よく、解らなかった」

 もはや何も言うことのない陰に背を向けたまま、歩く姿をとった影は、小さく、しかしはっきりと言った。

「今度会ったら、教えてくれ」

 扉が開き、そして閉まる。
 あとには、空から差し込む(きざはし)のような、光の帯だけが残された。






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