TOP文章俺達の異世界転生物語がどうにも思ってたのと違う件について>第十七話


#17 / 神殿 白き彼方からの残響




 その後────

 地球側からの各国への働きかけも手伝って、アルフェイム主要三ヵ国の間に、停戦協定が締結された。
 親兄弟を戦で亡くした者も多い中、国民感情は複雑なものだったが、停戦は当初思われていたよりもすんなりと受け入れられた。『円環』という三国に跨る組織が明らかとされ、それが共通の黒幕として広く知られるところとなったことが幸いに働いたのだろうと歴史学者は分析する。
 魔国ベネギアでは、戦争が終わったことにより、(かね)てから国内で問題視されていた内地への富の集中と、外縁都市のスラム化が議会で多く取り沙汰されるようになり、経済の流れの基本にメスが入れられた。その一方で、魔人の戦災孤児に対してエメリス・アーデルクラム両軍の兵士が早速炊き出しを行い、その姿は平和の訪れを予感させる象徴的な場面として大々的に報道された。

 あれから『勇者』は姿を晦まし、歴史の表舞台に顔を出すことは二度となかった。
 己が新たな争いの火種となることを嫌って自ら生命を絶ったとも、どこかの魔人が復讐に燃えて捕らえて飼っているとも、この世の果てで次の敵を待ち眠りについたとも言われるが、確かめた者はなく、真相は不明である。

 やがて、鍛冶屋では剣や槍よりも(くわ)(すき)が優先して研ぎ直されるようになり、子供たちは武器の構え方よりも、上手な穀物の刈り入れ方を覚えた。
 敵陣を焼き尽くし爆破する魔法よりも、大地を潤し、空気や水の流れを清める魔法が教えられた。
 仕事を失った多くの兵士が荒んでしまうよりも前に、孤児を育てる施設の職員や、それを建てるための大工、そしてその周りを飾り立てるための庭師の役割をもって国に再び雇い入れられた。

 そうして、人と魔人の子供が互いに鞠を蹴って遊んでも、親に引き離されなくなってきた頃──
 ようやく、地球との経済的取引が開始されようとしていた。

 異世界への暫定渡航制限は解かれて免許制となり、欧州連合(EU)圏にもじきにベネギア領西部へと通じる転移設備が作られる予定となっている。
 必要な調査が一段落したという事実も、地球側が経済的取引に積極的になった理由の一つである。しかしそれよりも、『円環』の(もたら)した技術の発展と経済効果があまりに目覚ましいものであったという事実が、多くの企業を乗り気にさせ、各国の政府を積極的に動かしたのだ。
 技術介入によってアルフェイムの技術水準を主要先進国に並べ、ゆくゆくは彼らだけが使える魔法技術──改め『虚数物理学』の詳細な解析と、工業・商業的利用に繋げるのが長期的な展望だ。
 とは言え、現地の文化や環境を(みだ)りに破壊してはならないのには変わりない。そのための渡航免許でもあるのだが、他の諸国との取引のようにはいかない、難儀な仕事だった。
 世界各地にはちらほらと、現代技術の行き届かない異世界の民のために寄付を募る慈善団体までもが顔を出しはじめていた。

 そしてあっという間に、地球時間で一年、アルフェイムでは半年の月日が流れた──。



盈虚の円環、
あるいは朔望の終焉

- 此の地にて人は謌う -




 陽光うららかに満ちる、閑雅な昼下がり。人々の喧騒が遠く鳴りを潜める中、小鳥の囀りが青空を渡る。
 アルフェイムにおいて『魔法道具』と呼ばれる様々な物質の性質について、地方都市レゼントーグに仮設された自分の出張研究室で記録をつけていた紫音は、突然、二階の窓からずるりと侵入してきたローブ姿の来客に仰け反り、思わず椅子から転げ落ちて、愉快な体勢を取って応じていた。

「えーと……お久し……ぶりです」
「ふむ。新種の挨拶でも開発したのか?」

 地面に転がる紫音の顔の向きに合わせ、恐らく壁を蹴って登ってきたのだろう、その銀髪の娘は不思議そうに身体を傾げて覗き込む。
 紫音は手首をばねにして飛び起き、きょとんとした表情で見返す彼女に勢い良く詰め寄った。

「……フィーネさん! 色々と言いたい事はあるんですけどまず玄関から入りましょう!」
「む? こっちの方が直線距離で近くて速かろうに」
「私が驚くからですッ!!」
「うむ、その驚く顔が見たかったでな」
「ツノ折りますよ」

 二人がその場でわちゃわちゃしていると、部屋の扉を数度叩く音ののち、金髪の少女の顔がおずおずと中を覗き込んだ。
 彼女は少し戸惑ったような表情をしつつも、どこか慣れきった様子で扉を開けきる。

「シオン、お客さん……がもう来てるね」
「ああ、エナ。うん、なんとなく察しはついてたよ」

 その後ろから、勢い良く飛び込んできたのは、もはやすっかり馴染み深くなった黒髪に赤ぶち眼鏡の女性だ。
 フェルド家執事のシェマを小脇に抱えて(なぜ小脇に抱えているのかは言及しないことにした)、彼女は輝かんばかりの笑顔で手を広げ、名を告げる。

「オラーッ真輝那ちゃんが来ーたぞーッ!」
「失礼いたします。主の代理として参りました……あの、マキナさん、そろそろ下ろしていただけませんでしょ……わふっ」

 ふわふわの銀髪の向こうから赤い瞳を覗かせ、相も変わらず幼い少年にしか見えないシェマは、小脇に抱えられたまま丁寧に礼をしていた──が、台詞の途中で突然真輝那のゆったりとした上着の中にばふっと収納され、何やらもぞもぞやっていたと思ったら、完全に困惑した表情で、上着の合わせの中央あたりから顔と両腕だけ外に出された。

「デスピサロ」
「何しに来やがったんですかアンタら、一発芸ですか」

 どこかのボスキャラ、というかその腹の口から捕食されてる人みたいな感じになっている二人をジト目で見ながら、紫音は淡々とツッコミを入れる。
 その言葉に対する答えは、背後で笑うフィーネが返した。

「調査依頼だ。シオンの知識が必要でな」
「依頼ですか。地球の目線が欲しいって事ですね?」

 念のため、開いた窓を閉めながら、紫音は三つ編みの後ろ髪を指先で跳ね上げた。
 シェマはこほんと一つ咳払いをしてから、持ち上げられた猫のように宙に浮いて顔と手だけを出したままの姿で、真剣な顔をして紫音を見上げて話し始める。

「ええ、我が主から直々の依頼です。仔細はフィーネ様がお詳しいのですが、恐らく我々では手に余る事態と……きゃふぁっ!」

 そして突然甲高い悲鳴をあげて話は停止し、誰もが察した暫定犯人の真輝那に、そして滅多に見られない、完全に素でびっくりした表情のシェマに一同の視線が集まった。
 真輝那はわざとらしく視線を斜め上に逸らして、切って張ったような笑顔を作る。

「いやその……ちっちゃいものってついつい弄りたくなっちゃうよねっていうか?」
「声かわいいの、お主……」
「ですね、かわいい……」
「かわいい……」
「あ、あの、真面目な話をしてるんですよ僕は!?」

 おそらく脇腹をくすぐられたと見られるシェマは、何故かじりじりと距離を詰めはじめる部屋の一同に向け、両手を振って涙目で訴えるのだった。


◆ ◆ ◆



 魔人たちが『祖なる神の神殿』と呼ぶその構造物は、ちょうどアルフェイム三国の国境緩衝地帯、すなわち大陸の中心付近にひっそりと佇んでいた。

 フィーネは以前、その神殿を訪れたことがあったと言う。前魔王ギオルジェダインが未だ都市部のいち貴族だった頃のことだった。位の高い魔人の中でも特に信心深い者は、子が六つになる年の後冬月の終わり、その子に祖神の祝福を授けるためこの神殿に祭礼に向かうのだ。
 ……しかしその後、末子のフィーネはすぐに『実験素材』にされ、その生を隠蔽された。生きた我が子を実験に使うなど、戦のためとは言えど、穏健派の貴族に知れたら激しい糾弾を受ける。故にその子の生存自体を隠したのだ。
 転移した先、西の荒野で拾われ、その理学の知識を見込まれ『名誉魔人』として父の子飼いとなったばかりのグライフェルト教授が、それを成した。彼の身に施された魔人化や身体強化に関わる基礎実験は、すべてフィーネを素体として行われたものだ。
 そうして必然的に『円環』の幹部であったギオルジェダインが魔王に選出された後、グライフェルトは人の姿では活動しづらい魔国を離れ、『円環』の人脈を辿ってアーデルクラムへと渡った。後のことは皆知っての通りである。

 ともかくも、フィーネは幼し頃の追憶に、あの整然とした理知の世界の面影を見た。
 その記憶の有様を、アルフェイムの中でも理学に詳しい『世捨卿』や紫音に仔細漏らさぬように告げ、(たし)かにいよいよ気がかりだということがわかった。そうして今一度(ひとたび)、幼少の砌に見たかの景色を確かめに向かっているのだが──……

「あ゛の゛、フ゛ィ゛ー゛ネ゛さ゛ん゛……」
「む、なんだマキナ? 顔色が面白い感じになっておるぞ」
「登゛山゛こ゛ん゛な゛キ゛ツ゛い゛な゛ん゛て゛聞゛い゛て゛な゛い゛ん゛で゛す゛け゛ど゛……」

 杖をつく手元まですっかりへろへろになった真輝那が言う通り、『神殿』は、容易には人の近付き難い峻険なる岩尾根に幾重にも囲まれてあった。
 人々に『ロレミア山脈』と呼ばれる大陸中枢の大岩山である。道案内のフィーネと、フェルド卿キララクラム、その護衛のシパードと、神殿を見極めるためのもう一つの目として同行した真輝那、そして地球の学者である紫音と、パン屋手伝いの合間の助手姿も板についてきたエナ。この六人の編成で、一行はその途中にいた。

「はン、相変わらず体力は無いのだな。疲れたなら余が背負ってやろうか」
「はひゅう……キララはねえ、自分の身分をもうちょい考えた方がいいと思うんだよぉ……」
「そいつァ同感だ。俺が背負ってもいいんだぜ?」
「何なら二人で掲げて進むというのもよいな」
「私は何なの? 何かの魔除けなの?」

 一国の公子と近衛騎士を相手に、もはや完全に馴染みまくっている真輝那を横目に、紫音は苦笑を漏らしながら山道を進む。急ぎでもなく休み休み進んでいるとはいえ、確かに衰えがちな学者の足にもこれは少々厳しかった。

 小さな山河は他にも数あれど、アルフェイムの浮遊大陸に流れる四つの主だった大河は、全てこの聳然(しょうぜん)たるロレミアより湧き出でて枝分かれしながら海へと至る。この閉じられた世界で、どうやら水の循環の中心を担っているようだ。大陸の端から流れ落ちた水の分子も、何らかの筋道を辿って蒸発し、雲になっているのだろうと紫音は考えている。
 この源流の河は、山をゆく際の障害としてもなかなかの曲者で、岩床(がんしょう)を削って複雑に荒れ狂う潮のような奔流は船も橋も寄せ付けず、みな迂回を余儀なくされた。
 幾重もの岩尾根が連なっているとはいえ、神殿を目指すのに、ばか正直にその一つ一つを登っては降るわけではない。しかし、長い目で見れば近道であるはずの、巡礼者によって拓かれた経路は、時にただ斜面を登るよりも過酷に思えた。
 例えば曲がりくねった山道を抜け、摩滅した天然の岩の階段を下ると、壁じゅうに不思議な模様を描いた洞穴が一行を出迎えた。水流が長い年月をかけて岩肌を削り、いつしか河が経路を変えたため遺棄されたもののようだった。湿った粘土のように滑りやすい濡れた岩道をしばらくゆくと、途中、岩壁がところどころ刻まれたり、杭を打ち込まれたりしており、手をかけて登れるようになっている。ここを登って、今度は上の人工的な隧道(トンネル)を行く──。
 概ねこのようにして一行は進んだ。身長の小さいエナはよく段差に引っかかっては持ち上げられ、真輝那は強引によじ登りながらスカートを気にして何度か落ちかけた。(なぜ長くて分厚い靴下を用意することができてこっちに気が回らなかったのだろう)
 そして、とりわけ頭を悩ませるのが──

「……出たぞ! 魔獣だ、下がれッ!」
「シオン、私の後ろに!」

 ──魔獣、すなわち大型敵性生物である。
 こればっかりは非戦闘員の紫音たちにはどうすることもできない。岩肌に巣を作るイカヅチドリの夫婦(めおと)が、湿った洞窟を根城にする凶暴なヒバナトビヘビが、岩壁を巧みに跳梁(ちょうりょう)し草を喰むオオツノジュウの群れが、世にも珍しい半透明なゲル状の肉体を持つ変異貝類トリツキガイがあちこちの影から一行を出迎え、シパードの斬撃が、フィーネの火焔と礫弾(れきだん)が、そしてエナの風刃と雷撃がそれらを殲滅した。
 ミルトがいればこれらの対処はもっと楽だったのかもしれないが、いま彼女と一緒に暮らしているらしいフィーネは「幼い身でここを連れ回されるキツさは私が一番よくわかっておる」と少し遠い目をして答えた。
 また、彼女ら人外レベルの使い手と、虚数質量体濃度の低い地球上で訓練したのが効いたのか、エナの魔法はすっかり一流と言っていい領域に上達していた。小さい胸を得意気に張って紫音の護衛を買って出てくれる彼女の姿は、今では非常に頼もしく見える。
 そうして兎角あるうち、旅程は概ね滞りなく進んだ。

 巡礼者にもよく使われるという中腹の野営地で代わる代わる番をして一夜を明かし、峨々(がが)たる稜線を(せな)に更に進むこと半日。
 やがて切り立った山の傾斜面を取り巻くように刻まれた石の(きざはし)を登りきった先、それ自体が天上に御座(おわ)す神を捧ず祭壇であるかの如く、平坦に整った円形の大地が視界に開けた。
 その時、紫音は──いや、それ以外の皆もきっと、絶句して大きく目を見張った。

 久遠に思える時代を(けみ)ししその『神殿』は、この峰に薄っすらと積もる処女雪のきらめきに見劣りせぬ純白の、角の取られた巨大な四角錐型をしていて、多少の装飾と()り込まれた紋様だけが、異様な存在をわずかばかり人の理解の範疇に押し留めていた。
 その外壁は山頂の冷気をよく吸って冷え、しかし石でも金属でもない、不思議な材質をしていた。

「こ……れは……」

 登山の疲れも忘れ、紫音はその完璧に磨かれた白亜の外壁に手を触れる。
 エナや真輝那も、それに倣って不思議そうにぺたぺたと冷たい壁を触った。他のものは警戒して遠巻きに見ているようだが、その中から、フィーネが遅れてゆっくりと歩を進めて紫音に並ぶ。

「そうだ。ここから入れるのだったな」

 フィーネがそう言って壁の一部に手を触れ、その装飾の線を指先でなぞると、すっと空気中に融けて消えてしまうかのように、その壁の一部が消失した。
 四角くぽっかりと口を開けた入り口には、いかなる投影機も、もちろん戸袋の類も肉眼では見受けられない。ただ、まっさらな銀白の壁が続いているだけだった。

「……汎力場障壁(フォースフィールド)技術……!?」

 紫音は肩の後ろから出した三つ編みの髪をきゅっと握って、未だ地球上でも実用化どころか理論段階にすら至らぬ名を、半ば反射的に、呆然と呟いた。






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