◆巫 名無子ななこ
真っ白な包帯で両目を覆った奇妙な女性。自称、民俗学者。恐らく魔術師である。マジキチ。
真っ黒なセーラー服が気に入っているらしく、よく身に纏っている。
片言ではないが、所々で跳ねるように強調された独特の発音で喋る。(文章中ではカタカナ混じりの言葉で表現される)
常に楽しげな微笑を絶やさず、その言動には一点の邪気もない。紛れも無く人間の姿をしていながら、見た者に“人間でないものが人間のふりをしている”かのような、強烈な違和感を覚えさせる。
ただ、そうやって怖がられる事が多いだけで、基本的には善人である。……彼女が良かれと思って招いた結果が、当事者以外にとって良い結果に終わるか否かはさておき。現が“個を殺してでも全体を良い方向に導く”タイプだとしたら、名無子は真逆で、“全体はともかく気に入った個人を良い方向に導く”タイプ。
自宅と呼べるものは持っていないらしく、普段は何故か学校の空き教室に寝泊まりしている。許可を得ている訳ではないのだが、《誰も気付いていない》ため追い出されずに済んでいるらしい。
教室には大量の書物や魔術器具、家具や生活用品、果てはファービーまでもが所狭しと並べられており、完全に自室扱いである。ただし寝具は無く、名無子は普段ソファで寝ている。
ちなみに、その高校では『“自分では解決できない悩み”を抱えた者は、“魔女の教室”に招かれる事があり、魔女に代償を払う事により悩みを解決してくれる』と言う都市伝説が実しやかに語られている。
ただし、もしも魔女を怒らせてしまうと、二度と帰れないという。
彼女が『教室』を構えた事例は2014年のほか、2019年にも確認されている。加齢している様子は見られない。
包帯の下はちゃんと両目とも普通にある。ただし人工的なオッドアイであり、左目に視覚は無い。(2014年以降は両目とも白色となっている)
……しかし、彼女はそれでも見えているような振る舞いをする。そもそも両目に包帯を巻いているのに普通に歩けている時点で何かが見えているとしか思えないが……?
【ネタバレ表示】
『魔女の教室』の噂をどこかで聞いたことがあるという記憶自体が、そもそも彼女自身を核として周囲に発生している認識障害である。その話は誰から聞いたのか、最初の出処となる者を絶対に思い出せない。
名無子という呼称は自分でつけたもの。
もともとは『黒神』の支流の家柄(すなわち、ウォーグの権限の実行端末)において、魔術儀式の供犠として産み育てられた私生児であり、本名と呼べるものは存在しない。彼女は一種の人工的な“偽神”であり、世界歴史に干渉するツールのエミュレーターとして父母の手により作り上げられていった存在である。
当初は両目とも見えていたが、儀式魔術に用いるための段階として薬品で瞳を白く染められ、幼い頃に失明した。(古来より、予言の力や異界視力を得るため、巫女は自らの手で視力を失うことがあった。これは一種の魔術集団への参入儀礼とも言える。光学視力と霊的視力は相反するものであるという信仰が、人々の中に共通認識として存在するのである)
彼女が行い、行われた施術は、『虚数質量体振動による脳神経へのフィードバックを、感覚器同様の神経発火と関連付けて知覚する』というものが一つ。そしてもう一つが、『“黒き神”のアストラルラベルが持つ歴史干渉権限を、最大限発揮できるよう濃縮する』というもの。
この施術によって、脳神経が力場の振動によって信号を受けとるように変容していく中で、とうに光を失っていた幼い名無子は『この世ならざるもの』を、光学的翻訳を介さず直接『視た』。
本来脳が知覚するはずのない原初の恐怖を『視る』という、衝撃的な行為による精神汚染は、施術者たる父母にとっては誤算だった。そも意識や魂とは虚数質量を持つ量子場の振動であり、脳による記憶や人格とは全く別のもの。霊的な神秘などなく、ただの物理現象である。そして魔術とは魔法とは別の、暗示による自己や他者の精神の変容・洗練を目的とした技術体系であり、その感性を極大化することは、逆に言えば、自分の精神もまた外的な影響を受けやすくなることを意味する。深淵を覗き込むどころか、無防備な身で蹴り落とされたようなものである。
名無子はその時、それら原初の恐怖から目を逸らすことも閉じることもできず、両目を覆う包帯から血を流しながら手探りで這い、父と母を呼び続けていた。だが二人は既に、名無子自身に魂を喰われて死亡していた。儀式を止める者はなく、戸籍すらない彼女に気付ける者は誰もいなかった。その後彼女が気を失うまで狂乱は続き、周辺地域では変死体が次々と発生していった。
彼女が10歳の頃のことである。
常人ならば発狂の末に死んでいたところだが、彼女は出生以降そのためだけに純粋培養された供犠であったため、人間社会との繋がりが薄く、常識を持ち合わせていなかった。
脳を侵食され狂死するよりも前に、ヒトとしての常識を捨て、狂った世界の見方を覚えた。喋り方も歩き方も呼吸の仕方も何もかも一度忘れ、整流された脳神経の『やり方』で覚え直した。
幼く、色付かぬ無垢であったが故に、比較的容易に、狂気の世界に染まり直すことができたのである。
それからは、彼女はその他の人間達と全く同じように、周囲の情報(クオリア)を視覚として見ることができる。受け取った情報が、他人の光学視界と同じように知覚されているのかは解らない。そんなものは誰もわからないからだ。自分にとっての『赤色』と他人にとっての『赤色』がその実まったく違うように見えていたとしても、気にするようなことではない。
それだけではなく、完全な虚数知覚を持つ彼女は、一挙手、一投足、呼吸の一つでさえ、人々の意識と無意識を擾乱させることができる。『見られたくない』と思って“隠れ”れば、足を一歩も動かすことなく、誰からも気付かれない場所に行くことができる。『動いちゃダメ』と言えば、指一本も振れることなく、相手の四肢を押さえつけることができる。他の多くの人間は、この“やり方”を知る機会すらなく一生を終えていくのだ。やってみたらできるのに。
でも、言っても誰もが理解できるわけではないし、無理矢理やらせようとすると人間の脳には負荷が大きすぎてすぐ壊れてしまう。
というわけで、他のヒトよりちょっと出来る事の多い彼女は、他人の願いを聞いて、それができない人間の代わりに、100%善意でそれを叶えて回っている。何もかもやってあげてはその子のためにならないので、よほど逼迫した事情がなければ、本人に成功体験を積ませるために少々回りくどい方法を取る。また、自分でも手に負えないくらいの何かがこの先に起きそうだと思ったら、ただ願いの成就に必要な事項だけではなく、様々な知識を与え、周囲の成長を促す。そういった集団を構成する場合、『魔術結社N∴S∴(ネームレス・シャドウ)』という名を使う。(ただし西洋魔術結社としての形式にこだわりはなく、思いつきで突然ロックバンドにしようとしていたこともある)
彼女本人の望みは『もっと自分に出来ることを多くする』こと。
前述の通り、一般的な価値観で見れば十分強力な魔術師であった父母の魂を、それと同時に都市一区画ぶんの人間を喰らい、その数百人分の魂魄を同化統制しており、この時点で凄まじく強大な『怪物』と言える。
曲がりなりにも人間であったのは2014年までで、当時の桜花聖を魔術儀式のアンプリファイアーとして虚数領域の深層に至り、全宇宙の知性体の中に遍在する『影』という概念と一体化し、怪異と化している。
この際、聖は虚数質量体が負荷に耐えられず霧散して死亡している。クロノブレイク後の聖が2014年に一度死ぬ運命にあったのはこのため。
以降しばらく音沙汰なかったが、2019年に別の高校に出現し、現地の高校生を数種の怪異との戦いに導いている。その際『名無子』という名をつけ直すような言動が見られたが、これは『影』の怪異と化した後にはじめて地球に現出したため、『影』という一般名詞から、個の定義をやり直す必要があったからである。
クロノブレイク後の歴史においても、記憶を継承して存在している。誰かが『影』という概念を持ち続ける限り、彼女は宇宙に遍在し続ける。
ちなみに、何故セーラー服で学校に出没するのかというと、『自分も普通の女の子みたいに学校で皆と遊んだりしたかったから』という未練の表出。それ以上の理由はない。
万人の畏れる黒き怪物に成り果てても、ただの『一度も愛されたことのない少女』を、まだ心の内に飼っている。