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「随分、無茶なことをするんだね」

 白い部屋。質素な丸椅子に座った、セミショートに切り揃えられた(つや)やかな金髪に蒼い眼を持つ女性が、呆れたように唇を開いた。話している言語はその外見に反して日本語だが、撥音(はつおん)は流暢なものだ。
 対し、黒装束に白髪の男が、腰掛けているベッドで眠る、熊の耳を持つ亜人の少女を静かに撫でながら顔を上げる。

「道理を覆すには、愚直なほど強引にでも、無理を通すしかあるまい」

 淡々と語る男の表情は、微かだが、どこか曇っているようだった。

「それもそうだけど」

 くるん、と丸椅子を回転させ、女は男に向けて上体を乗り出す。

「あれでも一応、私の子なんだよ」

 すると、男も彼女に向き直ってゆっくりと目を伏せ、

「君や彼女たちには、(たし)かに悪いことをした。すまなかったね」

 そう一言詫びてから、俯いたまま瞼を開く。

「だが今、重要なのは緻密な駒の運びだ。欲求が過ぎれば全滅しても()む無しと言える」

 その眼光は凪のように静かながらも鋭く、威圧された女は、乗り出していた上体を引いて肩を落とした。

「そりゃ、私だってわかってるけどさ……」

 そう言って両の肩を萎縮させる女を(しば)し見てから、男は軽く息を吐き、語調を明るく変えて切り出す。

「君は北欧神話を知っているかね?」
「まあ、それなりには」

 女が返すと、男は瞼を閉じて人差し指を突き出し、

「詩人ロッドファーヴニルの記した、最高神オーディンの箴言(しんげん)にこのようなものがある」

 静かに語り出した。

「愚かなる臆病者は、一つ戦を生き抜けば永遠に生きられると考える。だが、槍には無事とて、時は容赦を知らぬ……とな」

 暫しの、間。
 ややあって、女が溜息をついて丸椅子を少し回した。

「あの子達にも……それを?」

 女は悲しげに()くが、男は黙って立ち上がり、数歩進んでから(ようや)く口を開いた。

「人よ勇敢であれ、押し寄せる災厄から隠れつ死に行くぐらいなら、人を守りて散るがよし……戦の時代の言葉だが、今には相応しかろう」

 それきり背を向けたままの男に向かって、女は諦観の口調で呟く。

「……酷なこと言うよね、やっぱ」

 男は答えず、胸のポケットから携帯電話を取り出して部屋の出口へと向かった。
 そして、先端に三日月型の刃がついた金属製の武器が立てかけてある壁の横で立ち止まると、

「私とて、認めたくはないがな」

 そう言って、その武器に手を掛ける。
 どこに行こうとしているのか、女は訊こうともしなかった。長い付き合いだ、彼のとらんとしている行動くらいは判る。
 コスモの能力は正確だ。今は大気中の魔力異常につき内状が伺い知れぬとは言え、彼らが辿り着きそうな場所は充分に予測できるものである。

 金色の三日月を手にした男は、ドアを閉める直前に、小さく呟く。


「――だが悲しいかな、彼女(ルナ)は飽くまでも一つの道具に過ぎなかったと言うことだ」


 静かな音をたててドアは閉められ、静寂が訪れた。



 ――――

 Weiß gespenst.
  第六章 Der blaue Himmel(デア ブロイエ ヒンメル)

 ――――



 次に目の前が光に包まれた時、(ひじり)咄嗟(とっさ)にアビスゲートを振り抜いてシールドを展開していた。

 立て続けに炸裂する衝撃が腕を軋ませ、バランスを崩した身体がそのまま地面に叩き付けられる。聖は地面を転がる勢いを左手に受け流し、それを地面について立ち上がった。剣を振り抜く際、腰から乱暴に振り解かれた小さなリボンが、はらはらと宙に舞う。
 強いダメージが両腕を痺れさせていたが、どうでもよかった。そんなことよりも遙かに聖の脳を支配する光景が、目の前には広がっていたのだから。

「ルナ、さん……?」

 剣の刺さっていた祭壇から数メートルは遠ざかってしまったが、それでも明確に視認することができた。
 祭壇の近くに立つ、貴族然とした白装束の青年と――その足下で、だらりと身体を投げ出しているルナの姿が、はっきりと見えてしまった。

「ルナさん!」

 叫ぶように名を呼ぶも、返事がない。
 横たわる彼女の姿は、顔の左半分が欠落していた。左肩の付近が大きく穿(うが)たれていた。聖を突き飛ばしてその攻撃から護ってくれた左腕が、少し離れたところに肘から先だけが転がっていた。その全てが、赤黒い血の色に染められていた。

 彼女は、死んでいた。
 今まで聖が斬り殺してきた幾多の人間達のように、あまりに呆気なく。

 聖は、剣を構えたまま硬直していた。自分自身でその光景を否定したい気持ちが、現状の理解を拒ませていたのだ。しかしこれは紛れもない現実で、僅かな痛みを伴って痺れる両の腕がそれを明示していた。
 時間を操る鐫界器(せんかいき)であるアビスゲートを用いても、流れてしまった時間を逆行することは出来ない。既に事が起こってしまった今では、もはやルナを助ける術など無いのである。

「そんな……」

 力無い呟きは、轟いた鳴動に掻き消された。聖がその異質な空気の波に慄然(りつぜん)として剣を構え直すと、視線の先には白装束の青年が先刻と同じ位置に立ち、右腕を掲げていた。よく見ると、祭壇に刺さっていた剣は、もう無かった。

「ほう、この状態の俺が見えるのか」

 そう言って、男は何をするでもなく魔力を(まと)わせていた右腕を下ろす。その声は大気ではなく、何か心の波を伝って、聖の頭へと入り込んだ。
 そして、今までにも幾度か経験したその感覚は、聖にその男の正体を告げる。

「亜存在……!?」

 明確にその姿を保ち、高い力と知恵を持つ上位の亜存在、Stigma。姿形は人のそれと同一であっても、そこに立っている白い影は紛れもなくその魔物だった。
 やや短めだが癖もなく伸びた金髪、一見すると穏やかそうな目、金色の装飾が施された白色の燕尾服など、変質してしまう前は高貴な身分だったのだろうかと思わせる優男風の外観をしていたが、それらは全て光の反射や吸収でそう見えているものではないようだ。その色彩に陰影はなく、確かな違和感が、男が物理法則の外にあるものと教えている。

「その態度、バスターかな……これは大変だ」

 聖は剣を構えたまま、にやりと笑う男を()め付けた。
 Stigmaとの交戦経験は幾度かしかないが、彼らは(もっぱ)ら人に匹敵する知能を持っており、ただ本能のままに動物を攻撃するEnigmaとは明らかに違う。以前邂逅(かいこう)した者の中には、その能力を完全に制御し、人間の友を守るために、聖たちと共に別の亜存在と戦った者すらもいた。
 しかし――それほど公にされる仕事ではないバスター≠ニ言う存在を知っている亜存在など、今まで聞いたことがない。そもそも絶対的に数の少ないStigmaの中で、その情報が伝播(でんぱ)するなど有り得ないのだ。

「何故、解った……」
「遠い昔、いや未来か、幾度も対峙しているものでね」

 男は、暗い部屋の中にて尚白い右の手を、空気に舞わせるように、ひらりと眼前に広げる。

「降りかかる火の粉は――などと偉そうなことは言わないが、まだ俺は遊び足りないもんでね、退けさせて貰う」

 右手の先から大きめの光球が飛び、アビスゲートの出力する光の盾に弾かれて散った。欠片が古い石畳を穿ち、(つぶて)が辺りを跳ね回る。
 恐らく、ルナを殺したものと同一の技だろう。その威力から判断するに、実力は僅差だが、冷静に戦えば勝てる相手だ。
 そうだ、冷静であれ。聖は、ルナの死に顔がまだ焼き付いている自分に、そう言い聞かせる。しかし、口を付いて出た言葉は、静かだが、激昂(げっこう)しているかのような底冷えのする声だった。

「遊びで……人を殺すのか、貴様は……!」
「俺がしたいのは殺しじゃない、戦いだよ……ああ、でも今は殺し優先でな」

 その余裕に、心を乱される。
 聖だって、半年もの間を戦士として過ごしてきたのだ。心理戦のノウハウは知っているつもりでいる。これは、実力の差を見抜いているが故に、相手の動揺を誘って隙を見いだそうとしているのだろう。無論、聖は易々と挑発に乗るような性格ではない。一つ息を吐くと、次に敵が行動を起こした瞬間に飛びかかれるように、剣を下段に構えて前傾姿勢をとる。
 男は、少しも表情を崩さないまま右手を下げ、光を固めたような長剣を握り締めた。恐らく先刻の光球をその場で維持しているのだろう、とすれば、力の差を覆すほどの威力にはならない。未だ完全には使いこなせないとは言え、聖の握っているアビスゲートの方が、何倍も高次元な武器であるはずだ。

 しかし、それは飽くまでも予測でしかなく、勝敗は未だ事実ではない。不測の事態と言うものは、予測を外れるから不測と言うのだ。
 一対一の戦いに不測の事態は無きに等しい、その時点でより強い者が勝者となる≠ネんて、そんなことを何かの本で読んだ気がするが、その言葉は確かに正しい。ただ、一つ付け加えるならば……だからこそ、そんな事態に陥ったときに迅速に対応できる人間は限られてくる。

 ……だから、真横からその声が響いたとき、聖はすぐに対応できなかった。

「あ、あれ聖か?」
「ほんとだ、こんな所にいたんだ」

 もう一つの出入口から広間に入ってきたライトとリミルは、まるで眼前にて聖と対峙している燕尾服の男など見えていないかのように――いや、実際に見えていないのだろう、呑気な声で呟いた。
 間が悪いとか、運が悪いとか、そういう次元じゃない。まさに致命的なタイミングである。それだけで聖の頭は真っ白になり、目の前にいた男が二人に向かって駆け出すのを、ただ黙って見送ってしまった。一瞬遅れて、現状を理解した聖もライト達の方へと振り向き、叫ぶ。

「二人とも、逃げてっ!」

 それだけを(こいねが)うかのような叫声に、何か尋常ならざるものを察知したか、ライトは見えないはずの何かに対して身構え、弱めのシールドを展開させながら一歩、後ずさった。
 しかし、リミルの方はそうもいかなかった。どうやらこの場所へと至るまでにかなり疲弊していたらしく、先刻の聖と同じように、瞬間的な判断ができずに困惑し、棒立ちしたまま硬直している。

 聖はアビスゲートの中央に埋め込まれた金剛石を煌めかせ、男を追って駆け出した。
 時間を司る鐫界器破魔剣(はまのつるぎ)・アビスゲート=c…魔力の弓としても使用できる上、単純な剣としても相当な威力を誇るが、その真髄はやはり時間に対する作用である。その剣に触れているものや、魔力によって指定した範囲の時間を操作する事で、自分自身が高速で動いたり、一定区間のあらゆる物質を低速で動かしたりと言った戦い方が可能になる。
 まだ聖では扱いきれない代物だが、それでも聖は、自分にできる限界の加速で男を追った。前を行く男の動きが途端に鈍くなり、見る間に距離が詰められる。

 が、しかし、やはり行動に移るまでが遅すぎた。
 一瞬の閃光が目の前を白く覆い、聖が眼に焼き付いた残像を振り払った頃には、男の姿は完全に消え、代わりにリミルが一振りの剣を手にしていた。

「――リミル?」

 僅かながら動揺したせいか、高速化の解けた聖の耳に、(いぶか)るライトの声が届く。聖ははっとして再びアビスゲートを閃かせ、遅く進む時間の中、二つの影の中間に突っ込んでいった。

「どいてくださいッ!」

 リミルが振るった白銀の剣を、すんでの所でアビスゲートが受け止める。その瞬間、どうやらライトもリミルの身に何が起きているのか気付いたらしく、彼女に向き直って身構えた。
 一撃、二撃と高速で剣を交えると、リミルはいつものような明るい笑顔ではなく、嘲笑にも似た静かな笑みを浮かべる。

「なるほど、こんな柔らかい肉でも、最強の盾になり得るもんだね」
「貴様……ッ!」

 聖は薙ぐようにして全力で剣を打ち払い、距離を取った。リミルは相当な距離を吹き飛ばされても軽々と地に足を付き、にやりと妖しげに笑う。

 ……やられた。ただ動揺を誘うだけでは勝てないと踏んだか、まさかこう出るとは。
 今やリミルの身体は、完全にあの亜存在――ルナが呼ぶには、エクスカリバーの支配下にあった。

 亜存在Stigmaの中には、ある物質の形骸をとって所持者を操るタイプの者がいると聞く。思考が器官に依存せず、それでいて独立しているが故のものらしい。聖は今までそれに当たったことは無かったが、まさかあの剣がそうだったとは思いもしなかった。
 取り入る隙を見せないでいてくれたお陰で、潜在的な魔力が異常に高いライトに憑依される事はなかったが……この場合、どちらでも大して変わらない。仲間と戦わなければならないのは、何れにせよ同じなのだ。

「ライトさん、無事ですか……?」

 聖は剣を構えたまま、隙を見せないように後方のライトに視線を送る。

「ああ、何事もねーけど、まさか……」

 そう答えたライトの視線は、恐らく、祭壇の中程に横たわる赤色の死体に向けられていた。彼の溺愛していた妹の面影は、まだ色濃く残っている。
 いっそ跡形もなく消えてしまった方が、彼にこんな光景を見せずに済んだのだろう。聖は心苦しさや虚無感が()()ぜになった感情を、右手の剣と共に握り締めた。

「……ごめんなさい、ルナさん、守れませんでした」

 その言葉に、ライトは薄笑いを浮かべたリミルを睥睨(へいげい)する。

「殺ったのは、てめェか……!」
「その通り、ぼくが殺したんだよ……ライト」

 その声は、いつもの彼女と同じように聞こえた。
 恐らく、身体を直接操っているのではなく、人格を同調させているのだろう。彼女の意識は今、自分が何をしているのか、全て見えているのだ。何せ、今の彼女は自分の意志で二人に剣を向けているのだから。
 残酷なことをする、と聖が咬牙(こうが)する横で、ライトが身を乗り出した。

「あんたって人はアァ――! よくもルナを、ルナをやったなァァーッ!」
「ここで引用ネタ!? なんでそんな余裕でいられるんですかライトさん……!?」

 いきなりアスランにされたリミルが目を点にして硬直している前で、あまりに予想外すぎて一周して戻ってきてまた通り過ぎた程度に予想外な反応に、聖は珍しく動揺を露わにツッコミを入れた。
 その声に振り向いたライトは、聖に優しげな微笑を向ける。
 だがそれは、暖かくはなかった。血の通わぬ、冷たい笑顔を貼り付けた面。そして、冷たい怒気を内に秘めた目。いつも笑って(おど)けていた彼は、その笑みの後ろで確かに憤怒(ふんぬ)の焔を燃やしている。
 普段の彼を見る限りでは、妹を失った悲哀や衝撃よりも、怒りが先行するとは(いささ)か予想外ではあった。

「あー、まあ可哀想だけどよ、お前はあんま気にするな」

 ライトは聖を安心させようとしているのだろうか、そう言って明るく笑ってみせる。だがそれとは裏腹に、聖の心は、その笑顔にきつく締め付けられた。
 ルナもそうだったが、この兄妹はどうしてこんなにも強いのだろう。自身に負けることのない強靱な精神は、生半に身に付くものではない。だと言うのに、溺愛していた妹を失ったばかりのライトは、怒りこそすれど、まるで悲しんでなどいないようにすら見える。

「でも……」

 弱々しい呟き。
 それは感情から無意識に発された言葉で、でも、より先に何が続くというわけでもなかった。察したか、ライトは視線を戻して右の拳を握り締める。斜め後ろから僅かに見える表情は、変わらず微笑を浮かべていた。

「どうしても気が済まないってんなら、弁償してくれりゃいいんだぜェ」

 その台詞の意味を理解する前に、聖はふと、ライトの振る舞いに違和感を覚えた。
 ような、ではない。彼は本当に悲しんでいないのだ。その胸中は、恐らく妹を傷つけられた怒りのみに支配されている。大切なものを失った≠ニは、毛筋ほども考えていないのだ。

「ワンピース代、樋口が一枚。差し当たっての被害はそれくらい」

 聖は、確かに少し前まではただの学生だったが、その立場を離れて、もはや半年が経つ。人の挙動から感情を見抜く術ならば僅かながら身につけていたし、ライトとの付き合いもそう短いものではない。彼がどのような性格をしているのか、全く理解していないわけではなかった。こうしてライトが勿体つける時は、(すなわ)ち――。

「別に帰ってからアイツが着られりゃ何でもいいんだけどな」

 まさか、と思った瞬間、ライトの握り締めていた右の手に、まるで血液の中から光っているかのような赤色をした魔力の光が灯る。直後、聖は身体中の皮膚が(あわ)立つのを感じた。
 いくら聖が生来の亜人ではないからと言っても、自分の扱う魔法の原理くらいは解っている。そして、解っているからこそ、現在ライトの行使しているそれが正規のものではない≠ニ理解できてしまった。
 発光による余剰魔力の発散など、普通の魔法ではそう頻繁に起こり得るものではない。聖のように、本来は持ち得るはずのない遺伝子配列を持つ者を――それを利用した特異な魔法を扱える者を除いては。

「ルナ、起きろ! いつまで死んでるつもりだッ!」

 開いた掌から閃光が零れ、一瞬、暗い部屋を鮮やかな朱が満たした。明度の差に眩む瞳は視覚を奪われ、一瞬の風を追うも、その正体を確認することは能わない。ただその場に響いた二人の声だけが、何が起きているのかを鮮明に描き出していた。

「そんな微妙な引用、誰もわかってくれないよ……お兄ちゃん」
「あんな死に方されてちゃあ、言ってみたくなるもんさ」

 ややあって光が止み、そして聖の見た光景は、推測を遙かに超えるものだった。
 右腕を頭上に掲げたライトは、有機と無機の中間のような、不可思議な光沢を放つ材質で構成された鎧を身に纏っていた。桃色に近い赤色と純白のコントラストを持つ鎧は、暗い色調の洞窟に光差すように、強い存在感を放っている。そして、その背部からは、固体としての形状を保つことなく影が揺らいでおり――その先にあるものは、恐らく人の上半身のようだった。どうやら服は着ていないようだったが、代わりに鎧の揺らぎを宙に舞わせて纏っている。
 そのルナによく似た人のようなものは、ライトと同時に右腕を水平に薙いだ。すると揺らいだ鎧から幅広の両刃が伸び、ライトの右手の甲に宿った。続き、二人が左腕を掲げると、ライトの左腕に月の紋章が彫り込まれた盾が現れる。そして最後に、風斬り音を響かせてライトが剣を、背後の少女は同じようにして右の指を、前方のリミルへと突きつけた。

「武装完了、それじゃあ戦闘(バトル)と行きましょーか?」

 異口同音に言い放つ二人の声は、いつもと毫末(ごうまつ)差違(さい)もない兄妹の声だった。
 ちらと祭壇の方に視線を向けると、そこには左肩の部分が千切れたワンピースだけが無造作に転がっているだけだった。地面に散敷かれていた(おびただ)しい量の血液も、全てが趣味の悪い幻覚であったかのように消え失せている。
 もはや、この状況から導き出せる答えは一つだった。
 ライトの纏う鎧であり、剣であり、盾でもあるそれは――間違いなくルナなのだ。

「そうか――そうか、覚えてるよ、姿は変われどその声、その魔力……!」

 驚愕を台詞の端に滲ませ、リミルは白く輝くエクスカリバーの刃先をライトに向ける。その反応は狼狽ではなく、ただ純粋な喫驚(きっきょう)であった。
 彼女は剣を構えたまま、ある種の欣快(きんかい)すら感じさせる口調で台詞を続ける。

「World Engraver of an Autonomic Drive type [ID]-000"LUNA"……自律駆動型鐫界器プロトタイプ、ルナ!」

 その場の空気が、無音よりも静かに、ざわりと波を打った。
 アビスゲートを握る手に、冷たい汗が滲む。もはや彼女がただの亜人では無いと思ってはいたが、リミルの口から発せられた言葉は、聖の想像のさらに先を行っていた。

「ルナさんが、鐫界器……!?」

 (にわか)には信じられず、聖はライトと、半ば彼の鎧と化したルナを見た。それはそうだ、誰しも自分の友が人ではないと――ただの道具、それも単なるアンドロイドではなく、武器や防具の(たぐい)に過ぎないものだと知らされれば、驚く以上に否定したくもなるだろう。
 しかし言われたからには、それ以外にこの状況を説明できる言葉が無いことにも気付いている。魔法とは飽くまでも分子間の相互干渉を操作する術であり、その力では死者を蘇らせることも、特別なエネルギーも無しに自身の身体を変質させることもできはしない。それを可能にする術はたった一つ……最初から、身体をそのような材質で作るしかないのだ。

 聖の葛藤を知ってか知らずか、ライトは暗に肯定するように、目を細めて微笑を作る。

「正確には"LUNA"-R……俺に合わせて改造済みだからな」
「騙してたみたいでごめんね、聖ちゃん」

 当のルナはそう言って、寂しげな笑顔を聖に向けた。それはきっと、聖の動揺を落ち着けようとしてのことだったのだろうが、しかし聖の心臓は、余計にきつく締め付けられるだけだった。
 その目は、似すぎていたのだ。戦いの後、鏡の向こうに見る自分自身に。聖は、空元気を見て安心できるほど状況を楽観視できる人間ではなかった。

 ――空元気、か。
 自分のことは得てして他人しか気付けないものだ、と言うが、どうやらその通りらしい。聖はちらつく迷いを殺すように、剣を持つ右手に力を込めた。

「まさかこんな所で邂逅するとはね……中世から生き延びた甲斐あったよ、最終戦争以来じゃない」

 対するリミルは、反応を測るように静かな口調でそう言いながら、剣をゆっくりと肩の後ろまで振り上げ、そのまま袈裟に空を斬る。剣閃は白い残光となってライト達に襲いかかるも、二人が黙って左手を向けると、光の刃は音を立てて砕け散った。

「残念だけど私には一年以上前の記憶はないんだ、湖底の遺跡で眠ってる間にみんな流されたらしくて」

 手を下ろしつつ言うルナの眼光が、若干意外そうな表情をしているリミルを射抜く。
 追撃が来ないことを考えると、今の光は単なる小手調べ≠ニ呼べるような軽い一撃ではなかったらしい。それとも、ただ純粋にルナと対話したいだけなのだろうか。少なくとも、何を話しているのかすら解らない聖には、推し量る術も無かった。
 リミルは目立った隙も無しに構えを解き、煌めく剣を見つめて唇を開く。

「剣の名を呼べたことを考えると、全てを忘れたわけではなさそうだけど」
「みんな忘れたよ、ここでの生活が私の全てだ」

 ルナは落ち着いた声で、しかし気丈に言い放った。ある種の悲壮ささえ感じさせる表情は、どこか諦観のそれにも似ている。
 それを見て取ったか、リミルは右手の剣をくるくると弄びながら、

「成程、それは好都合。知識があっては応用される危険性もあるからね」

 言って、自身の視線とルナの視線とを結んだ線を剣先でなぞる。

「そして、Innosent Devilタイプの鐫界器は、血液を分けたマスターの死と同時にその機能を停止する」

 そうして彼女が下へとずらした剣の先に指されたライトは、軽く舌打ちをして呟いた。

「ちッ、いきなりバレてやがる」

 互いの血液を混合すると言う行為は、遠く北欧の伝承に書かれるには義兄弟の誓いであると言う。何の理由があって隠していたのかは知らないが、彼らが互いを兄妹と称していたのも、それに準えてのことなのだろうか。
 とかく、ただ一つ言い切れることがあるとしたら、彼は聖と同じように異質≠ナあると言うことだけだった。聖の所有する鐫界器破魔剣・アビスゲート≠爨ライトにとってのルナと同じように使い手を選ぶ。人から亜人への改変がその因子をもたらしたのだとすれば……ライトとは、一体何≠ナあるのだろうか?
 残念ながら、聖の想像力では一つの仮説すらも立てられなかった。

「ルナ、リミルが無事な状態でアイツを追い出す方法、思いつかないか?」
「ごめんお兄ちゃん、そう都合良くいろいろ思い出してはくれないみたい……」

 小さな声で言葉を交わす二人を横目で見ながら、聖は思考を振り払い、剣を向けた先のリミルを睨む。
 これは、やり直しの効くゲームではない。どうにか無事な状態で、などと考えていては、助けるどころか勝つこともできないだろう。
 あの剣自体の実力は聖と拮抗(きっこう)する程度かそれ以下と見たが、リミルの魔力操作は一般人として見るには充分に異質だと言えるほど高度なものだ。殺す気でかからなければ、こちらが殺される。そもそもの人格を同調させているのだから、急に彼女の意識が洗脳を撥ねつけたりするような都合のいい展開は望めない。
 殺したくないなんて、甘いことを考えていられる状況ではなかった。どうやらライト達は守ってやらねばならないほど弱くはないようだったが、ここで冷酷になるべきは聖だけだ。亜存在との戦いに何ら関係ない彼らを巻き込んだ挙げ句、友の血でその手を汚させたとあっては、もはや顔向けもできない。どれだけ恨まれようが、どれだけ悲しませようが、その役割と後悔は聖が背負うべきものなのだ。

 そんな思いを乗せた剣の先を見て、リミルは変わらぬ殺気を悟ったか、瞼を閉じて小さな溜息をついた。

「一つだけ……訊いておくよ、イエスかノーか」

 薄く笑みすら浮かべつつ、リミルは一歩、二歩と足を踏み出し、静かに問う。剣は構えていないが隙はなく、聖は警戒を解かずに剣を向け直す……が、その前をライトが隙丸出しのまま軽快に歩いていき、場違い感全開の爽やかな声を投げかけた。

「手短に頼むよ」
「話すのやめるぞコノヤロウ」

 さすがリミル、洗脳中でもツッコミ魂は忘れない!
 とまあ、そんなやり取りは置いといて、立ち止まったリミルは静かに両の腕を広げ、細めた目で二人を見据えた。

「君たちは……平和のためなら、戦いを望む?」

 その問いかけは、大凡(おおよそ)、予測していたものとは違っていた。こういう時の定番と言ったら、降伏しろだとか、仲間になれだとか、部下になれば世界の半分をお前にやろうだとか、大体そんなものだろうと踏んでいたのだが……この問いは、全く意図が判らない。
 平和のための戦い。綺麗事を言うなら、それは矛盾なのだろう。そもそも聖は、恐らくライトだって、戦いを好む性格はしていない。しかし、その言葉を否定することはできなかった。

 平和のための戦いを否定するのなら――今こうして、敵に剣を向けているのは何のためだというのだ。

 聖とライトは暫し顔を見合わせ、それから視線を戻し、ゆっくりと首肯した。瞬間、リミルは広げた両腕と輝く刃を閃かせ、先刻と同様、虚空を袈裟に斬る。二人は咄嗟に身構えたが、今回は光の刃が飛ぶことはなかった。リミルはそのまま剣を下段に構え、そっと顔を上げる。

「ならこれが最初の洗礼だ、単純明快、強い方が進める……君たちは、仲間を殺してまで先に進めるかな」

 発された台詞は、とても奇妙なものだった。
 聖の洞察力では言葉の真意など全く理解できなかったのだが、リミルの表情がそれを示唆(しさ)していた。彼女は今、ただ純粋に二人を試しているのだ。勝敗など二の次、どちらが残るかはさして重要ではなく、強い方が残れば問題ない。重要なのは――その先に待ち受けるもの。ざっと解釈すれば、そんなものだろうか。

「あなた……何が、目的なんですか……?」

 彼女の中に、またその剣の中にあるものが純粋な敵意や防衛本能ではないと知り、聖はおずおずと問いかける。しかしリミルは応じず、首を左右に振って唇を開いた。

「現在のところ、話す義理も義務もないね」

 そう一言に切り捨てたかと思えば、彼女は何かを思い出すように俯き、言葉を続ける。

「しかし、進むならば知ることになる……遠い未来にこの地を覆う災厄と、その意味を」

 そう言って向けられた眼光の妖気に、身体中に怖気(おぞけ)が走り、全身の皮膚が粟立った。
 全く要領を得ない言葉だったが、その漠然とした感覚の中で狂い始めている何か≠、本能が報せていた。それが果たして恐怖感なのか背徳感なのか、もっと別の複雑な感情なのかは推測することも(あた)わなかったが、意識の深奥から来る茫漠(ぼうばく)とした拒否の念は、確かに聖の胸中を圧迫する。聖は邪魔な思考を噛み潰し、熱く滲む掌を強く握った。
 その横で、ライトは相変わらず剣を構えもせずに一歩踏み出し、値踏みでもするかのような目でリミルを見据える。

「このまま倒されてもよい、とアピールすることで人質に対する執着など無いと見せつけ、心理的に付け入る隙を無くす……か」
「お兄ちゃん……」

 一息、そして睥睨。不利を隠すように、彼は口角を上げた。

「切れるじゃねーか、随分と。罠だと解ってながら、その確証がないからやっぱり攻め(あぐ)ねちまう」

 それは聖から見ても感嘆に値する、堂々たる態度であった。慎重な考察と大胆な行動、このような駆け引きに慣れていない者は、肝心な時に両者のバランスを見失ってしまう場合が多い。
 しかし見る限り、心理戦に於いて、ライトは聖よりもずっと場慣れしているように思えた。少なくとも、彼の言葉がなければ聖は気圧(けお)され、萎縮したまま戦っていただろう。戦士たる者、常に落ち着いていなければ勝てる戦いも勝てはしない。

 もはやライトがただの学生とは程遠い存在であることは明白だったが、詮索は野暮だ。
 責任や重圧と言ったものに慣れているわけではないし、全くの平気だと言うわけでもない。それでも今は、彼女を倒すことだけを考えていればいい……いや、いなければならないのだ。兇闇(まがつやみ)だって、この場にいたならきっとそうしただろう。何故だかそれを否定したがる自分自身に、そう言い聞かせる。

「言っていることは本当だよ、ぼくはただ楽しみたいだけだけど」
「フン、その身体を失ったら不利に回ると言うだけの理由だろうが」
「この身体を失いたくないと思ってるのは、君たちのほうだと思うけどな」

 双方とも互いの動揺を誘おうとしているが、どうやら話は平行線を辿っているようだった。これ以上の発展は望めそうもないどころか、リミルを奪われている今では、このまま対話を続けていても、こちらが不利になる要素の方が強い。
 そう察した聖は、二人の間に左手を広げて会話を止め、リミルの姿を見つめたまま、ライトに向けて呟く。

「ライトさん……Stigmaは(ほとん)ど得体の知れない存在です、器用な事を考えて勝てる相手じゃありません」

 その台詞を継ぐように、ライトの背後でじっとリミルを見ていたルナが苦い顔をして口を開いた。

「あいつ、多分私と同じだよ、酸素みたいに魔力を吸って活動してるんだ」

 それを聞いたライトの表情も変わったところを見ると、彼もその指し示すところが理解できているらしい。
 ルナの言う通り、亜存在は魔力を取り込むことで活動している。固有のエーテル体を持っている者はその限りではないのだが、多くの者は他の生命体から魔力を奪うことで行動し、能力を使役する。
 このエクスカリバーは、今までこんな場所にいたにも関わらず大技を連発できたことから、前者であるらしい事が推測できるが、だからと言ってリミルの身は安全だと言うわけではない。恐らく、彼女は力を温存するための魔力貯蔵庫としても扱われているのだろう。遺跡内で幾度ほど交戦したのかにも()るが、ここまで歩いてきた彼女の身体では、そう長くは持つまい。

「その通り、この身体じゃ立ってるだけでも一時間と持たないだろうね」

 裏付けるように、リミル自身が言う。
 大した問題ではない、とは言い難かった。リミルの有する全魔力を削りに使われれば、いくら聖と言えども相当な量の魔力を消耗するだろう。その状態で、剥離したエクスカリバーに勝てるとは判断しかねる。人格を同調させているうちに、速攻でリミルごと潰すしかない。
 修羅の道の厳しさ、悲しさに、いつしか笑みすら零れていた。

「タイムリミット付きかよ……心理戦で自分の有利を確実にするためかと思ってたが、アイツの余裕はそれが所以だったか」

 そう言って、ライトは剣を肩の上に構え、まっすぐにリミルへと向ける。我流の構えらしかったが、兇闇と幾度も手合わせしているだけあって、そのシルエットに隙は少ない。

「仕方ない、マジで行くぞ」

 その言葉に、ルナは喫驚、と言うよりは悲嘆にも似た表情を浮かべ、リミルとライトを見比べるように視線を動かしてから小さく呟いた。

「こ、殺すの……?」
「簡単には殺されてくれなさそうだし、戦闘中に誰かが策を閃いてくれりゃそうしなくて済むんだがな」

 ライトは軽い口調でそう言っていたが、その表情から察するに、やはり彼にとっても苦渋の選択らしかった。
 それも当然だろう、彼とリミルは、傍目(はため)から見ても友人としてかなり親しい部類にいるようだった。よほど互いを信頼していない限りは、この年代の男女が泊まりがけで遊んだりは出来まい。それだけに、彼がこの決断に至れたことが、聖にとっては不思議に思えた。

「意外としっかりした戦況判断できるんですね、ライトさん……」

 聖がそう言うと、ライトは相変わらず明るさを取り繕うような軽い調子で、

「俺も冷静になんなきゃ、こんな少数じゃどうしようもねェだろ」

 と(うそぶ)き、笑う。それを見て同様に決意したのか、思案に暮れていたらしいルナも困惑の表情を止め、じっとリミルの姿を見つめていた。

 やはり、この二人は強かった。そして、どうやら彼らの強さは、聖のそれとは根幹から性質が違うものらしい。敬意か、悔恨か、それとも嫉妬か、自身の内に灯る感情の得体も知れぬまま、聖は言葉を促す。

「でも、大丈夫なんですか……?」
「まあ見てな、戦闘モードと化した俺達のHACHA☆MECHAな戦いっぷりはミラーフォースでも止めらんねーから」
「は、はぁ……」

 あまりに自信たっぷりに答えるものだから、心配の念は払拭(ふっしょく)されつつあった。
 よく考えてみれば、このライトと言う男も、専門の訓練を受けた戦士である兇闇を相手にして、その突飛な発想を以てとは言え、三度に一度ほどは勝利を収めているのだ。手合わせしたことはないので推測に過ぎないが、鐫界器を持たなければ、聖だってその程度の戦績かも知れない。
 そして今、ルナと言う鐫界器を手にした彼は、もしかしたら聖と同等の力を――いや、その性能に依っては、聖自身をも超えるほどの力を手にしているのではないだろうか。そう考えると、強さというものに対して虚無感を覚えると同時に、僅かながら寂しさが緩和されたような気がした。

 ライトは、もう艱苦(かんく)の表情をしてはいなかった。彼らの高校でよく見るこの薄笑みも、この場で見ると何か違和感を覚える。それはひょっとしたら仮面の下の表情のせいだったのかも知れないが、聖にそれを確かめる術はなかった。
 そんな聖の視線を憂慮と取ったか、ライトは口角を上げて呼号する。

「鐫界器ルナ=I それが有するは、使い手の意思と鐫界器の意思が完全に同調した時のみ、魔力の許す限りそれを物理世界に()り込む能力!」
「限りなく簡単に言うと――」

 台詞をルナが引継ぎ、そして二人は剣を構えた体勢のままで開いた左手を突き出して、

「――思い通りに世界を変える程度の能力<b!」

 叫び、駆け出した。

「来なっ、ライトぉ!」

 楽しげな声を上げるリミルに向かい、ライトは疾駆する。背後にいたルナは、その一瞬で鎧の中に溶けて消えた。
 しかし、遅い。確かに普通に走るよりは余程速いようだったが、あの程度の速度ならば、聖だって隙を見て攻撃を叩き込める。慌てて聖も剣を構え直して駆け出すが、時間操作能力を用いて追いつける距離でも無さそうだった。

「ライトさん、待ちを狙っていた相手に不用意に突っ込んじゃ――!」
「ハハッ、知るかァ! 巻き添えにはしないから安心しなッ!」

 呼びかけるも、ライトは止まらずにそう返す。その真意を考えるより先に、リミルの放った光の刃が今まさにライトへと肉迫していた。

「人間ワープ!」

 光の刃は、遙か遠くの壁を砕いて消えた。
 何が起きたのか、曲がりなりにも鐫界器を扱える聖はすぐに理解した。今、ライトが一瞬にしてリミルの背後を取ったのは単なる高速移動ではなく、しかし空間操作による瞬間移動のようなものでもない。最初からそこにいた事にした≠フである。
 そして、ライトはどこからか取り出した、一世代前のSFにでも出てきそうな珍妙な形の銃を左手に構え、

「スーパー光線銃!」

 そこから放たれた、光学兵器のはずなのに何故かジグザクに進む光線は、先刻光の刃が壊した壁の瓦礫(がれき)を一瞬にして蒸発させた。

「設定年齢十九歳で蟹座のB型かお前はーッ!」

 往なすように攻撃を(かわ)したリミルは、ライトの懐に潜り込んでツッコミと共に剣閃を走らせる。
 が、届かず。ライトの右腕の剣がエクスカリバーを弾き、続く二撃目、三撃目も鋭い金属音と共に弾き飛ばす。

「てやぁあっ!」

 蹌踉(そうろう)として後ずさるリミルの背後、聖のアビスゲートが大上段から高速で振り下ろされた。しかし隙を突いたはずの攻撃は、流れるようなサイドステップに躱され、ただ地面を僅かに穿つだけに終わった。離脱したリミルの姿を目で追うと、飛び退りながらも剣を握った右手に左手を添えるようにして薙ぎ払いの構えに入っている。聖は咄嗟にライトの前に躍り出て、アビスゲートをまっすぐに掲げた。

「裁剣、罪の雫!」

 横薙ぎの剣閃は白銀の光となって残り、一拍を置いて七つに弾け、それはさらに小さな礫となって驟雨(しゅうう)の如く降り注いだ。
 アビスゲートの光壁でなければとうに破られていたであろう程の衝撃が、両の腕を伝う。実際、この盾を使っていながら衝撃を受けることなど幾度もなかった。どうやらリミルにも鐫界器のような特殊な道具を扱う適正がそれなりにあるらしく、力ならば彼女に分があると言える。
 光弾の雨が止むと、アビスゲートを構えた聖の背後から、すぐにライトが飛び出した。どうやら浮遊術をも扱えるようになっているらしく、彼は聖の頭を軽々と飛び越して、着地したリミルへと向かう。

「分かってないな、弾幕はパワーだ!」

 ライトは一瞬仰け反ったかと思うと、背に薄桃色の光翼を固着させ、空中に制止しつつ右手の剣を押さえ、地面のリミルに向けた。リミルは一瞬迎え撃とうとしたようだが、すぐに腰を落とした体勢から真横に跳躍(ちょうやく)する。直後、剣を取り巻く魔法陣の光と共に、ライトの声が部屋中に響いた。

「マスタースパ――クッ!」

 ……『力ならば彼女に分がある』?
 前言撤回。

 ライトの剣から放射された、インド象をも軽く飲み込んでしまいそうな超巨大恋色ビームは、同時に広範に渡って射出されている星形弾も合わせて、大きかった祭壇をバキバキに破壊し尽くし、広間をひどく殺風景な空間に変えていった。
 本来、ビーム兵器と言うものは、放射するものが光であれ粒子であれ、(いたずら)にその口径を拡散しては威力を削がれるだけに終わる。一点に絞らなければマトモに機能しないはずなのだ。しかし、それでいてこの破壊力。これは間違いなく、ただの光線ではなかった。

 思い通りに世界を変える程度の能力■
 それが文字通りの意味だとしたら、恐ろしいことである。意思の一致と言うストッパーこそ掛かっているが、それは世界を手中にできる力にしては充分だ。力とは規制ではなくモラルによって統制されるべきものだが、例えば核兵器のように、大きすぎる力は存在しているだけで驚異となるのだ。
 ……ルナはひょっとしたら、存在してはいけないモノなのかも知れない。そんな馬鹿げた考えが頭を過ぎった時、祭壇を綺麗に消し飛ばした光が止み、シールドを張って余波を防いでいたらしいリミルが素早く剣を振り上げる。

「風剣、――」
「はぁっ!」

 聖以外の全てに対して遅く流れる時間の中、アビスゲートの刃がエクスカリバーを弾いた。(すか)さず同じ箇所にもう一撃を加え、衝撃でよろめいたリミルの心臓を狙う。しかし、途端にリミルの動きが高速になり、聖は既の所で反撃を受け止め、その剣戟(けんげき)の響きに交えて詠唱を始めた。

(あか)き光芒は紅き光焔(こうえん)()ぜて散り敷く瞋恚(しんい)の華よ!」

 弱い力の代替操作によって大気中の中性子と陽子をベータ崩壊させ、生じた陽電子と大気に含まれる電子との対消滅反応で生じたガンマ線の持つエネルギーの方向性を詠唱によって変更、そのエネルギーと電磁気力の代替(だいたい)操作を以てして、そのへんの適当な分子と酸素分子を強制的に疑似結合させる。
 急激な燃焼反応は大気の激しい熱膨張を呼び、ほぼ同時にシールドを張った二人は、小規模な爆発によって引き離された。少し遅れて、吹き飛んだ空気が渦を巻いて風となり、吹き戻る。

 やはり、今の自分ではアビスゲートの能力は扱いきれないか。聖は深く息を吐いて、乱れた呼吸を整えた。
 魔法操作のうち最も多く扱われる電磁相互作用などとは違い、弱い相互作用を扱うのは非常に高度な操作である。戦士にしては魔法があまり得手ではない聖にとって、この咄嗟の一手は迂闊と言う他はなかった。
 恐らく今の不慣れな爆発魔法で、聖の残存魔力は四割程度にまで下落している。体力的な問題から言っても、可能なだけ短期にて決着させなければならない。ライトもいるとは言え、あれだけの鐫界器を使っているならば消費する魔力も半端なものではないだろう。

「雷剣、神の(つち)!」

 地面に足がつき、体勢を立て直すと同時に、リミルはエクスカリバーの剣先を地面に叩き付けた。するとそこから雷光に似た紫紺の光が(ほとばし)り、聖の掲げたアビスゲートの光壁に音を立てて弾かれる。
 だが、その紫電は動きを止めることなく、一度投擲(とうてき)したならば必ず敵を倒して手元に戻ると言う、雷神トールの鎚であるミョルニルのように、再び聖に襲いかかった。

「おいおい、サンダーボルトは禁止カードだぜ、リミル!」

 ドン☆ などと言う擬音をどこからともなく響かせながら、紫の光は避雷針に落ちる雷のようにライトの持つ剣に吸い寄せられ、そしてライトは剣に雷を纏わせたまま、薄桃色の光翼をはためかせてリミルに向かって宙を翔る。
 しかし一瞬、聖の前を横切った彼の目は、先刻までと何かが違うように見えた。

「って、禁止と言いながら避雷針を利用してるアンタはどうなん――」
「ギガストラッシュ!」

 ツッコミを入れるリミルに構わず、身体を(かし)ぐようにして後背に構えた剣を大きく薙ぐライト。エクスカリバーがそれを受け止めた瞬間、解放された雷の激しい閃光が周囲を照らす。激しく舞い散る魔力の光と共に白銀の刃が宙を舞い、近くの壁に根本まで突き刺さった。

「やったか!?」
「ダメです、ライトさん!」

 言うが早いか、刹那(せつな)の閃光がライトを吹き飛ばした。電荷操作による擬似電磁モノポール粒子砲、事前に魔力をチャージしてさえいれば詠唱によるエネルギー変換も無しに繰り出せる単純な電磁気力操作魔法だが、その単純を極めた、リミルの最大奥義とも言うべき魔法である。
 高速で吹き飛ばされたライトは空中で身体を捻って着地し、地面を足で削りながら広がる光翼が空を叩き、数メートルほど石畳を滑走して静止した。しかし、その直後に彼は血紅色(けっこうしょく)の液体を吐き出し、削れた地面に片膝を付く。

「シールド無しとは言え、この鎧でも防ぎきれないとはな……ルナ、損傷は?」
「肋骨に(ひび)、あと肝臓と肺に若干かな。今の喀血(かっけつ)はそのせい」
「修復思考頼む」
「丁寧にやるからちょっと時間かかるよ」

 ルナが言い終わらないうちにライトは立ち上がり、それと時を同じくしてリミルが壁の剣を引き抜く。あれだけ戦った後に、常人なら一発放っただけで自分が昏睡状態に陥る程の大魔法を放ったのだ、恐らくリミルの魔力はもう殆ど残っていないだろう。
 となると、取れる戦法は、全魔力を使った最後の一撃に賭けるか、消費を抑えて粘るかのどちらかだ。もし聖がその立場なら、恐らく後者を選ぶだろう。リミルが倒れるまでに多くの魔力を削ることによって、その後の自分自身が戦いやすくなる。

 こちらの立場からも、できればそうして欲しいという希望があった。
 リミルを救う手だてが、思いつかなかったわけではないのだ。確率は非常に低いし、手加減して戦ったりしたら殺されると解ってはいるのだが、どうしてもその道に執着してしまう。

 個体としての強さが全てだと孤独の道を突き進んでいた聖は、共に在ることの強さをライト達の姿に見た。
 信頼。決して片方からは築かれない、脆く儚くも美しい繋がり。それは妥協と抑制の(たまもの)だと思っていたが、そうではなかった。聖の中には、自身もそうありたいと願う意識が確かにあったと気付かされたのだ。そしてふと気付けば、ひと思いにリミルを殺すことを躊躇(ためら)っている自分がいた。

 リミルを救うことについて、こちらからの干渉が何一つ意味を為さないのは同じだ。
 ただ、もしリミルが、こちらに影響を及ぼせる限界程度の魔法すら扱えないほどに魔力が少ない、まさに消滅ギリギリの状態になったなら。そして、エクスカリバーがその状態で彼女の身体を放棄してくれたなら。全ての攻撃を耐えきり、その状態で剥離した万全なエクスカリバーに勝つことができたなら――リミルは暫し昏睡するだけで、死にはしない。
 しかし、それは危険な賭けだった。確実な勝利を狙うのならば、今すぐリミルを殺しにかかるべきなのだろう。魔力を削られきった状態で、あの白装束の男に勝てるとは思えなかったからだ。いくらライトが未知数の力を行使しているとは言え、無敵と言うわけではない。全ては彼の能力限界次第……とも言える。

「裁剣、罪の雫!」

 リミルは小さく跳躍し、再び手にした剣で宙を薙ぐ。剣閃は七つに弾け、それぞれが幾つもの光弾となって二人を襲った。だがそれは先刻と比べて小規模なものになっているようで、やはり消費を抑える作戦に出たらしい。
 ホーミング性が無いことは一度目の攻撃で見切っている。聖は跳躍にて光弾を躱してから、微量の気圧操作によって着地の衝撃を弱め、疾駆した。逆袈裟、横薙ぎ、一歩引いてからの斬り下ろしと立て続けに斬撃を繰り出し、その全てがリミルに弾かれる。が、勢いではこちらが勝っているようだ。力を込めた四撃目の逆袈裟でリミルの身体は大きく仰け反った。

 好機。アビスゲートの柄をぶつけて、リミルの身体を吹き飛ばす。そして今一度エクスカリバーを弾き飛ばそうと、体勢を崩したリミルに追撃をかけた、瞬間――

 ――彼女は、その白銀の刃を自らの喉に宛った。

「……っ!」

 息を呑む聖の瞳に、薄笑いを浮かべたリミルの顔が映し出される。心臓を狙い澄ましたエクスカリバーの一撃は、咄嗟に踏み込み方を変えた右足の跳躍によって、右脇腹を浅く抉るのみに留まった。鮮血の雫が地面に落ち、灼熱する痛みが身体を焼く。
 直後、(ひる)んだ聖に振り下ろされた刃は、飛来したライトの剣に受け止められた。擦れ合う刃から、淡い魔力の光が飛び散る。

「大丈夫か、聖!?」
「……はい」

 本当のところは、大丈夫などではない。この場で自身に剣を突き立ててやりたいほど情けなかった。
 脇腹の傷は、剣士ならば最も避けるべき負傷である。腕に幾つもの傷を受けるより、この位置に一撃を受けるだけの方が剣の威力を削られてしまうからだ。剣を振るような動作をする際にはそこにある腹斜筋が連動するため、傷が引きつって均等な握力を保つことが出来ず、瞬間の狙いも定まらなくなる。
 どうして、あんな事で心を乱されてしまったのだろう。いつもの聖なら、即座に思考を切り替えて、逆に心臓を一突きにしていたはずなのに。リミルが無事であっても、その後で聖たちが勝つことができなければ全滅するだけだと言うのに。
 どんなに嘆いても、もはや後の祭りであった。聖の武器であった高い攻撃力や瞬発力は、高くとも今までの半分程度までしか発揮できまい。その二つを封じられては、元より脆く体力もない聖は、並の剣士よりも遙かに低い能力しか持たなかった。

「ふふふ……ぼくの身体より聖を優先するんだね、ライト」
「基本的になァ、俺は女にゃ優しいんだよッ」

 鍔迫りの音、そして激しい金属音。両者が離れ、そして構えた剣と眼光が再びぶつかり合う。

「だからお前も、すぐに助けてやる……!」
「へえ、どうやって?」
「それを考えるのもまた一興!」
「考えてないんかい」

 再び、金属音。魔力の光が弾け、吹き飛ばされた勢いのまま、光翼を纏ったライトが飛翔する。同時に、右手の剣がぐにゃりと姿を変え、装甲となって彼の右手を包み込んだ。

「スピキュール!」

 ライトの声に呼応するかのように右手の装甲から炎が吹き上げ、それと同時にリミルが地を蹴り、その場から離れるように疾走する。
 直後、ライトは炎を纏ったまま、重力に従い落下した。

「うおー、あっちぃー!」

 そして、その炎の拳が地面を射抜いた瞬間、爆発するように広がる火炎の波紋が部屋中を覆い尽くした。やはりライト達の思考によって生成されたものらしく、聖の周囲だけはその炎も避けて通る。しかしリミルも、シールドと共にエクスカリバーを一振りすることで炎の壁を裂き、やり過ごしていた。

 ……聖はライトの繰り出す攻撃に、先刻から違和感を覚えていた。今の炎も、それでリミルを倒すつもりであったなら、少し弱すぎる。それに何より、弾け飛ぶ魔力の光。先刻も言ったが、発光による余剰魔力の発散など、普通の魔法ではそう頻繁に起こり得るものではない。()してやただの斬撃に、あれだけの余剰魔力が生じるはずはないのだ。恐らく――今の彼は、何かを目論んでいる。

 やはり今の炎は追撃の隙を生み出すためのものだったらしく、ライトはまっすぐにリミルへと向かって斬撃戦を繰り広げている。そしてやはり、その一撃ごとに微弱な魔力の光が辺りに舞っていた。
 聖は、無意識のうちに彼らの挙動をじっと観察していた。そもそも最初に魔力の光が散っていたのは、横切る彼の眼光に違和感を覚えた時、あのエクスカリバーを弾き飛ばした攻撃からだ。思ってみれば、その時は聖ばかりが戦っていて、彼の行動には暫しの空白があったように思える。何かルナと相談していたのか、今の聖と同じように戦況を観察していたのかは解らないが……少なくともその時、彼は何かに気付いたのだろう。

 しかし、気付いたとしたら何に気付いたのだろうか。彼はこの場で何かをしようとしていて、さらにリミルを助けるとも言っていた。彼にリミルを救う気があるのならば、それを実現する策とも考えられる。方法は思いついていないと言っていたが、何かをしようとしている時点で、それは彼女を油断させるための虚言(きょげん)だろう。が、助けるとは単に洗脳からの解放……つまり死という方向で言っていたのなら、どうだろうか。結局、彼の意図する所は解らないままだった。
 聖は、ただじっと彼らの動きを見ていた。剣戟の音が幾重にもなって響き渡る。ルナの変化した剣に魔力を纏わせ、エクスカリバーを斬りつけている。鐫界器と、また亜存在と同じように魔力を吸う、ルナに――


「……まさか……!」

 その推測に聖が声を上げた瞬間、一際大きな金属音が部屋に響いた。どうやらライトが押し負けたらしく、リミルの追撃を盾で受けて跳躍し、彼女の頭上を飛び越えて、その背を蹴り飛ばし距離を取る。ライトの掲げた右腕の剣に、淡い魔力の光が伝わった。
 聖は直感的に、ライトがやろうとしている事を理解していた。が、駄目だ。これはライト一人にやらせてはならない。今や聖は、殆ど無意識のうちに剣を下ろし、その足はライトの方へと向かっていた。

「ライトさんっ!」

 アビスゲートを投げ捨てて大声で名を呼び、こちらに視線を向けたライトの右腕を、すり抜けざまに乱暴に掴む。強い魔力を湛えた剣が、その狙いをリミルから外した。

「聖、何を――!?」

 この場で悠長に答えている時間はない。こんなタイミングで聖がライトの攻撃を止めたりしたなら、リミルがそれを隙と見て攻撃を仕掛けてくるはずだからだ。聖は黙って鎧に包まれたライトの右腕を両手で掴み、しっかりとライトの目を見つめた。
 最初、彼やリミルは、ひょっとしたら先例のようにリミルを殺したくないから攻撃を制止したのかと思ったかも知れないが、今回は決してそうではなかった。聖は同じ失敗をそう何度も繰り返すような性格はしていない。
 その決意の目線は、どうやらライトにも伝わったらしかった。彼は聖の手に自分の手を重ね、再び右手の剣を、エクスカリバーを構えて疾駆してくるリミルへと向ける。

 この、使える限りの全魔力を込めた一撃で――友との戦いを終わらせるために。

「うぉらああぁぁっ!」
「はぁあああぁぁっ!」

 薄桃色に包まれた剣と、白銀に輝く剣が発する、甲高い金属音。
 激しく弾け飛ぶ幽光が仄暗(ほのぐら)い部屋を照らし、それから数秒の静寂の後、遙か遠くの地面にエクスカリバーが音を立てて突き刺さり――
 ――そして、闇が訪れた。

 今まで広間を照らしていた白銀の光は完全に消え去り、制御するものを失ったリミルの身体が、どさり、と力無く(くずお)れる音が聞こえた。
 後はただ、今やこの広間からは殆どいなくなった夜光虫の羽音と、隣に立つ者の呼吸音だけが、漆黒の空間に響いていた。

「活動を……停止、した……?」

 羽音とどちらが大きいか解らぬほどか細い、聖の声。直後、ライトの左手の中に生まれた光球が、弱々しく周囲を照らす。恐らく先刻の一撃で魔力を使いすぎたが故に、通常の照明魔法よりも微弱なもので済ませているのだろう。

「リミル!」

 ライトは仰向けになって地面に倒れているリミルの側へと駆け寄り、剣の無くなった右腕で抱き起こした。すぐに聖も後を追い、彼女の顔を覗き込む。薄く開かれた目は僅かに潤んでいて、唇が小さく震えていた。
 ややあって、リミルは絞り出すような声で小さく呟く。

「……ごめん、ライト……聖……」

 その言葉を最後に、彼女は眠るように瞼を閉じた。その端からは溢れた潤みが一筋の雫となって伝い、彼女の頭を支えていたライトの手に零れ落ちる。
 それを見届けた二人は、一斉に安堵(あんど)の溜息をつき、脱力してその場にへたり込んだ。

「昏睡状態に陥ったみたいですね……」
「当たり前だ、あんだけ魔力使えばな」

 そう言ってリミルを自分の膝に寝かせるライトを見て、聖はポケットからリボンを取り出し、近くに落ちていたアビスゲートを腰に括りつけた。そして、魔力を使いすぎた疲労感のあまり、埃っぽい石畳にそのまま背面から倒れ込む。

「確信、あったんですか?」

 暗闇に包まれた天井を見つめながらそう呟く聖に、ライトは首だけをこちらに向けて訊き返す。

「ん、何のよ?」
「強大な魔力の塊をぶつけることで、エクスカリバーの活動のみを止められると言う確信です」

 体勢はそのままに、視線だけをライトに向けて静かに言う聖。

「確かに理論的には納得が行きますが、リスクを考えると直感で出るような賭けじゃありません」
「はっは、リスクやマイナスならば起爆剤さ」

 どこかのアニメで聴いた歌のような台詞を吐いて、ライトは笑って地面に片手を付き、自分の纏っている鎧を指先で軽く叩いた。

「マスタースパークぶっ放した後、ルナに訊いたんだよ、可能かどうか……性質は同じだからな」

 それから視線を眠っているリミルに戻し、軽く髪を撫でてから、

「元々は、コイツが『酸素は吸いすぎると毒になる』とか言ってたから思いついたんだけどよ」

 と笑う。
 そう言えば、最初にもルナは「酸素みたいに魔力を吸って……」などと言っていた。その比喩表現に使われた言葉が、以前の記憶と結びついたのだろう。
 ただ、策を思いついたとしても、それを実行できる程の技量がなければ意味はない。剣と剣の重なり合う一瞬を狙って魔力を注ぎ込むなんて真似が出来る普通の学生≠ネどそうはいないし、それにどうやらライトは亜存在一体を停止させるほどの魔力がどの程度のものかも読み誤っていたようだ。

 とは言え、聖の誘導さえあれば、その策も充分に実現可能なものだった。
 魔力を吸って活動し、物理法則から乖離(かいり)した現象を起こし、そして自律的に行動する――そんな、亜存在と同じような性質を持っているルナの体躯(たいく)を介し、リミルの魔力を扱っていたがために開いていた、エクスカリバーの魔力の回線≠フようなものへと膨大な魔力を注ぎ込み、その活動中枢を過呼吸に陥らせて一時的に停止させる。
 その成功をもたらしたのは、自分だけではない。ライトとルナ、この二人がいなければ為し得なかった、完璧とは言い(がた)いが、とかく一つとして犠牲のない勝利であった。まさかリミルも、自分自身が言った言葉が自分を倒し、そして助けることになるとは思ってもいなかっただろう。
 ただ自身の居場所を求めていた今までの戦いと同じように、得られたものなど何もなく、ただ双方が傷つくだけの戦いだったが、それを終えて乾いた石畳に寝転がる聖の胸中は、不思議と心地よいものだった。きっと今回ばかりは、鏡の向こうに見える表情はいつもと違うものだろう。

 ……ライト、ルナ、そしてリミル、仲間達のあらゆる要素の結集による勝利。これが、共に在ることの強さか。

 斬り捨てた屍の数ではなく、協力し、守った命の数を見るべきなのだろうか。しかし、それは即ち殺した命の数にも繋がりかねない。それを綺麗事で包むのは、単に逃避ではないのだろうか?
 一度は完結したはずの疑問だが、本当の強さとは何なのか、聖には解らなくなっていた。

「何より聖、お前が導いてくれたおかげだな」
「そうそう、凄かったよ聖ちゃん」

 ライトの背中からひょいと半身を突き出したルナは、その正体がただの道具であるなどとは思えないほどの笑顔を聖に向けた。それから彼女は、ふと思い出したかのように視線をライトに向け直し、暗闇の向こうを指さして言う。

「そうだお兄ちゃん、向こうに私の服があったはずだから、ちょっと取ろうとしてくれない?」
「おお、祭壇壊したときに風で飛んだかな」

 ライトは答えて、空いた右腕をルナの指す方向へと向ける。すると、手甲がぐにゃりと姿を変え、遙か暗闇の彼方へと伸びていった。ライトはすぐに右腕を下へとずらし、そしてがりがりと地面を削る音が少し聞こえた後、熊手のような形となった手甲に引っかかって、薄桃色のワンピースが二人の眼前に投げ出された。
 にかりと笑って、ライトはそれを中空へと打ち上げ、手甲を収めた右手で掴み取る。

「よしキャッチ、じゃあ一旦剥離(パージ)して――」
「あ、待ってお兄ちゃん」

 ルナは手で制し、それからその手で聖の右脇腹を指した。先刻の戦闘で受けた傷から、未だに血液の紅色が流れ出ている。
 戦闘で受けた傷と言うには浅いかも知れないが、日常生活から考えると相当に深い傷だ。時間経過で多少は慣れたとは言え痛みは強く、傷自体が塞がっても痕は残るだろう。いくら聖が自ら戦いにその身を投じているとは言え、余程の不覚を取らなければこんな傷は受けたりしない。今回の場合は、相手が悪かったと素直に認めておくこととしよう。
 しかしライトは、そんな傷を見て少し大袈裟に驚いて見せ、

「何だよ聖、やっぱ大丈夫じゃなかったじゃねーか」

 そう言うと、ルナと共に右手の指を傷口に(かざ)した。
 まさかと見てみれば、剣で斬りつけられ、軽く抉られたはずの傷口は、その切断面を聖の血液でぴたりと埋められていた。そして端から順に、目立った痕跡も無しに赤い血が白い肌へと変わってゆく。
 結果、ものの数十秒ほどで、聖の傷は痛みごと綺麗に消え去ってしまった。

「はいおしまいっ、内臓とかじゃなきゃ楽なもんだよ」

 ルナはそう言って笑い、それから破れたワンピースを手に取ると、

「じゃあ着るから、ちょっと明かり消してて」

 と、恥ずかしそうにライトに告げた。


 ――道具だと?
 彼女は、こんなにも人間的じゃないか。
 どうして思ってやれなかったのだろう。道具だとか、鐫界器だとか、生きているとかいないとか、そんな事よりも何よりも前に……ルナは自分の友であると。

 再び訪れた暗闇の中、聖は先刻まで鮮烈な痛みを放っていたはずの右脇腹を指でなぞった。
 これが、思い通りに世界を変える程度の能力■
 もはやそれは、恐ろしいものでもなんでもなかった。力とはその強さに関わらず、正しい使われ方をするのであれば、恐れることなど何一つ有り得ないのだから。少なくとも、ここにいるルナの持っている力は、素晴らしいものであった。

 誰から見ても絶対に正しいことなど、存在し得ようはずは無い。同じように、絶対に間違っているものもありはしない。かと言って、自分にとってだけの正しさを求めても、それは正しさとは言えないだろう。
 本当のところは、何が正しい、何が間違いと言うものは、人が勝手にあると思い込んでいるだけに過ぎない、虚像の概念なのかも知れない。
 信ずるべきは、己が信念と意志。孤高に生きんとするならばそうすればいいし、誰かと共に生きたければその意思に従うのみ。重要なのは、信念を貫き通そうとする姿勢ではないか。
 ほぼ真逆とさえ言える状況を生きる、この少女と自分との姿を見て、本当の強さ≠ニ言うものの答えが、僅かながら理解できた気がした。

「――さて、どうやら全て終わったようだね」

 そんな安穏(あんのん)とした静寂を破って暗闇の中から響いた声に驚き、聖は飛び上がるように上体を起こす。程なくして、洞窟の闇に慣れていた目には眩しすぎるほどの白色光が一筋の閃光となって石畳を照らし、白く焼き付いた視界を振り払って、漸く、その大本である懐中電灯を持っているのが(うつせ)であると認識できた。
 後ずさるように身体を反らせたライトが、聖と同じように驚いた顔で、自らの主人を見上げて叫ぶ。

「ま、マスター! どうやってここに!?」
「いや何、ヒスイの任務を殆ど返上してでも、早急に彼女と此処(ここ)に来る必要がありそうだったものでね」

 現は微笑にて返し、懐中電灯の照準を自分の背後へと送る。そこには、何やら金色に煌めく三日月形の刃を先端に頂く、長い柄の武器のようなものを持ち、笑顔で手を振っているヒスイがいた。
 その武器に反射する光でよく見ると、現の手にも一振りの剣が握られている。どうやらそれは、先刻輝きを無くしたばかりのエクスカリバーであるらしかった。

「やっほーみんな、どうやらギリギリ無事みたいだね」

 いつもの明るい声で言いながら、ヒスイは聖たち四人の姿を見渡す。確かに、外見的にはそうでもないが、残存魔力や疲労を考えると、ここにいる全員が満身創痍(まんしんそうい)と言っても差し支えない状態だった。ライトやルナは平気そうにしているが、リミルは昏睡状態に陥っているし、聖だって、もはや立つだけの余力すらも残っていないのだ。
 そしてヒスイが次の言葉を発しようとしたのか、今一度口を開きかけた瞬間、現はそれを懐中電灯を持った手で制し、目を刺す白色の光が少しだけ遠ざかる。

「ヒスイ、何もこんな状況、こんな場所で語らうことはあるまい」
「それもそうだね、じゃあさっさと脱出するとしましょうか」

 そう言うと、ヒスイは手にしていた金色の三日月がついた武器を静かに掲げ、聖達の周りを囲むように、弧を描きながら歩き始めた。その武器が聖の近くに寄せられると、微かな耳鳴りが響いた。
 誰もが黙って見守る中、ヒスイはやがて円を描いて元の位置へと戻り、そして最後に持っていた三日月の武器をひゅんと振り上げて、

「さぁみんな、地上に帰ろ」

 と笑い、自分もその武器が描き出した円の中に収まった。現も同様にして、輪の中へと入る。

 瞬間、陰気な洞窟を映し出していた視界が暗転し、何の空白も挟まずに、巨大戦艦きびだんご下部、昇降装置の床の上、夕焼け色に染まった湿原が目の前に広がっていた。

 現とヒスイ以外は何が起きたのか皆目理解できていなかったようだが……とりあえず、地下にて死闘を繰り広げ帰還したこの場の全員にとって、即座に一致するであろう感想が一つある。



「――なんで雨上がってんの?」



 ――――



 どたばたしているうちに一日が過ぎ、そして様々な話を聞いている間に二日、三日と時が過ぎていった。

 最初に、皆と一緒にきびだんご内のベッドへと運ばれた時に「なんかもう装置壊されてたんだよね」と軽く聞かされた時は激しく脱力したが、続けて話を聞けば聞くほど、今回の件は運がいいのか悪いのか解らない事件≠ニして聖の記憶に刻み込まれていった。

 概要はこうだ。
 まず、あの遺跡の底に眠る亜存在を封印しようとした者がおり、その影響で雨が止まなくなっていたという。
 そこで聖達が雨を止ませようと奮闘してしまったおかげで、雨は上がったものの封印は完成せず破られてしまったのだ。
 しかし、結局は聖達の手によって亜存在は倒された。(そもそ)も、最初からここに来なければ万事が上手くいっていたはずなのだが、そこは知らなかったのだから仕方ないと割り切ることにしよう。

 ルナの正体については、全てが終わってからの数日間、訊くに訊けなかったのだが、暫くすると本人達から話してくれた。
 彼女はやはり(まご)うことなく鐫界器なのだが、その正体については他の鐫界器以上にわからない部分が多いと言う。どうやらライトの知り合いに、この手のオーパーツを研究している者がいるらしく、ルナはその人によって発掘、修復されたものであると言う。その時、既に記憶には何も残っていなかったらしいので、彼女の正体は彼女自身でもよく判らないままだ。
 ライトの潜在魔力が異常に高い理由も、ルナの駆動実験のため、その研究者に若干の遺伝子改造を施されたかららしい。とても小規模なものながら、定義的にはいわゆる改造人間と言うやつだ。現のパーティに加入する前のことだ、と教えてくれた。
 とは言え、今更二人に対する扱いを変えるつもりはない。その時の話にはリミルも同席していたが、彼女も思いは同じだと言っていた。

 そう、そのリミルについてだが――彼女は、目を覚ましてから一晩ほど自室で泣いていたようで、聖はどうすることもできずに玄関を見つめているだけだった。
 しかしその時、ライトが「アイツの扱いなら任せな、こういう時に慰めるのは男の役目だ」とか言って家に突入してから十数分。中で何があったかは知らないが、彼に連れられて出てきたリミルは、はっきりと聖に「ごめんなさい!」と言い、その次の日からは変わらぬ笑顔と鮮やかなツッコミを見せてくれるようになった。
 そんな彼女も、充分に強い人だと思う。


 何人もの友人達が死にそうになった事件に対し、こんな事を言うのは少し間違っているのかも知れない。
 だが、全てが終わった今となっては、あの遺跡での冒険は楽しかった。自分自身も死を間近に感じていたのにそんなことを思う聖は、感性がおかしいか、または性格が破綻しているのかも知れないが、それは間違いなく本心であった。

 無論、いわゆる処刑者(エグゼキューショナー)としての本分を忘れるつもりは無い。と言うかあれ以来、(かえ)って甘いことを言わずに殺しに集中できるようになった自分がいる。戦いに対する抵抗が全く無いわけではないのだが、それでも事実と向き合うことはできるようになったと思う。
 自分の居場所を守る、と言う、基本的な動機は変わっていないかも知れない。だが、その為にやることは、ただ徒に屍を積み重ねるだけではない。人から変わり果てた姿で、ようやく出来た人ならぬ友を守る。そのために戦うのだ。



 そう、求めるべきは、ただ純粋な心の強さだ。
 ただひたすらに己の意思を貫き通し、何に背こうと信じる友を守れる――強さ。



 決意の表情で見上げた先、雲一つない遙かなる蒼穹(そうきゅう)から包み込むように吹き下ろす風が、優しく聖の髪を撫でた。





 [To be continued]






第一章:雨粒が奏でる序曲

第二章:エンドレス・パーティー

第三章:盈虚の指標

第四章:燦爛たる始まりは黯然とした終端へ

第五章:白い亡霊

第六章:Der blaue Himmel ←いまここ




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