TOP文章>Weiß gespenst.4




 ――人の心は、硝子(ガラス)のようなものだと思う。
 最初はとても綺麗に輝いているのに、生きるうちに醜悪(しゅうあく)な嘘と残酷な現実にまみれて曇り、割れていく。
 割れた破片はとても鋭く、他の硝子にも消えない傷を付ける。そして終いには砕けて(ちり)となり、切れ味と輝きを失うのだ。


 時間は人を強くする。
 自分は弱くて当然だと思い込んでいた幼き頃、私はそう信じていた。
 その目に映っていた大人達はとても立派な人達ばかりで、大人になれば誰もが強くなれると思っていた。

 しかし、十年の歳月が私に与えたものは、硝子に深く刻まれた、喪失と言う傷と痛み。それだけだった。
 頼れる者は誰一人いない。その時に強く理解した。時は強さなど与えてはくれない、と。
 大人は決して強いわけじゃない。生きるために弱さを認めてはならないだけなのだ。

 そして今、私は屍の道の先頭を往く。
 一人を斬るごとに、私は確実にその者の上に立つ。その死体の数こそが、私の強さの証明となる。

 人は一人では脆弱だ。だからこそ、何をしてでも、一人で生き抜く強さが必要なのだ。

 弱さなど、認めない。
 これが私の強さだ。



 …………。



 ――――



「メンジャー・スポンジ、と言うものを知っているか?」

 大乱闘勝負が一区切りつき、部屋の掃除も粗方(あらかた)が片付いた頃、本棚の文庫本を作者ごとにまとめていた兇闇がふと思い出したかのように振り返り、問いかけた。
 無気力を絵に描いたようにベッドと一体化していた(ひじり)は、緩慢な動作で顔だけを兇闇(まがつやみ)に向ける。

「え、と……名前は聞いたことあります、なんとか幾何学(きかがく)に出てくる……?」
「フラクタル幾何学だな、難しくなるので詳細は省略するが、フラクタル図形とはどれだけ拡大しても複雑なままの図形のことだ」

 確かに、そんな名前からして難しそうなオーラが溢れ出ている学問の説明を受けても理解はできないだろう。いくら聖が鐫界器(せんかいき)のマスターだからと言っても、その戦闘能力以外はただの中学生と変わらないのだ。
 そしてそれを理解できているらしい兇闇は、台詞を続けながら、机に置いてあったメモ帳に何かを書いているようだった。

「そのメンジャー・スポンジ……これは立方体をベースにしている」

 そう言って、兇闇は聖の眼前にそのメモ帳を放ってよこし、遅れて自分もベッドの上に腰掛けた。聖がメモ帳の一番上の紙を見ると、正方形の中央にもう一つ正方形を配置したような図形が描かれていた。

「聖、そのように一辺が一センチの正方形を均等に九つに分けたうち、中央の正方形をとったら面積は何倍になる?」
「え……えっと、全体の九分の一がなくなるから、九分の八倍です」
「そう」

 思っていたよりも簡単な問いだった。まぁ、兇闇の描いた図がなかったら答えを出すのにもう少し時間がかかったかも知れないが、少なくともこれは数学ですらなく、算数レベルの問題である。

「じゃあ、残った八つの正方形も一つずつ九等分し、同じようにしたら、どうなる?」
「それも同じ、九分の八倍になります」
「その通り、ではそれで残った六十四個の正方形も……と言うように、ずっと繰り返したら?」
「繰り返すたびに九分の八倍」

 本当にそのなんとか幾何学に関連性があるのかどうか疑いたくなるほど簡単な問題だったが、よく考えてみれば、確かにこれならどこまで拡大しても極限に辿り着きそうにない。延々と同じ光景が繰り返される、無限ループと言うやつだ。

「そう、繰り返すたびに穴が開き、面積は無限に小さくなってゆく……これはシルピンスキーの絨毯(じゅうたん)と言うものだ」

 ……どのような図形かはとりあえず理解できたが、次に日が昇る頃には、その名は恐らく忘れているだろう。兇闇も「名前は別に覚えなくていいぞ」と補足したが、その言葉があってもなくても結果は変わりそうになかった。
 一呼吸置くと、兇闇は右手でペンをくるりと回して、メモ帳の図形に線を加え始めた。正方形の角から斜線を引いているところを見ると、どうやらこの正方形を一つの面とした立方体を描こうとしているらしい。

「さて、ではこれをこの三次元世界に適用させてみよう。正方形ではなく、立方体でやったらどうだ」
「あ……それがメンジャー・スポンジ、ですか」
「その通り。これは繰り返すたびに体積が減るが、反して表面積は増えてゆく。最終的には無限の表面積を持ちながらも、体積はゼロとなるわけだ」

 その台詞を終えると同時に図が完成し、兇闇がペンを置いた。よく見ると、立方体の他の面にも同じように穴が開いている。聖は一瞬納得しかけたが、あらゆるものは原子や分子と言った最小単位からなると言う物質の基本構造を思い出し、思考はすぐに矛盾へと行き着いた。

「無限でありながら、何も無い……でもそんなの、この世界には存在し得ません」
「そうだ、飽くまでも理論上の物質だからな。だがここで注目すべきは面積≠ニ体積▽つまり二次元≠ニ三次元≠ノついてだ。次元の意味は解るか?」

 兇闇の問いに、聖はとぼけた顔で答える。

「えーと、次元をルパンとしたら……三次元はルパン三世……?」
「うん、それはちょっと違うな……」
「あ、ルパン三世の時は次元なんだから、ルパンの時は三分の一次元になる」
「ルパンから離れろ……簡単に言うとだな、その空間に軸≠ェどれだけあるかだ」

 そう言われて(ようや)く、人間として学校に通っていた頃に数学の教師がそんな事を言っていたと思い至った。グラフを書く時のX軸やY軸がそれに相当するのだったか。

「二次元は縦と横、三次元ならそれに奥行きが加わる。面積は二次元的な大きさであり、体積は三次元的な大きさだ。ちなみに一次元的な大きさは長さになるな」

 そのあたりの話も同時に思い出していたので、こくりと頷く。それを見ていたかどうかは判らないが、兇闇は次に出す言葉を考える程度の間を置いて台詞を続けた。

「四次元目は時間軸だと言われてるが、三次元の世界に住む俺達には一つの空間に時間の差がある≠ニ言う感覚は到底理解できない」
「あ……じゃあ今のは、二次元を超えて理解できなくなっているから……二次元的な大きさである面積が、無限に……?」
(おおむ)ね当たりだ、よく気付いたな」

 そう言うと、兇闇は寝転がったままの聖の髪をさらりと撫でた。その掌は大きく、彼が聖よりたった一つ年上であるだけだと言う事を忘れさせる。同種と言う親近感もあってか、少なくとも、その一瞬だけは彼のことを親のように感じていた。

「それじゃあもう一つ訊こうか。一辺が一センチの正方形、面積はもちろん一平方センチだが、体積はいくつになる?」
「え……えっと、正方形だと立方体と違って奥行きが無いから、一センチ×一センチ×ゼロで、ゼロ……あっ」
「そう、三次元に満たないから体積は無条件でゼロ。メンジャー・スポンジも同じで、三次元以下だから体積はゼロになったわけだ」
「でもちょっと待ってください、確か二次元より大きいって……」
「両方正解なんだよ、つまりメンジャー・スポンジは二次元と三次元の境界にだけ存在できる物質だ。数値的には約二.七次元になるが、難しくなるから計算や説明は省こう」

 確かに、二.七次元などと言うわけのわからない空間が今の……いや、どれだけ未来の聖であっても、理解できるとは到底思えなかった。簡単な説明すらせずに省略した所を見ると、これから兇闇が話そうとしていることに関しては、そこまで理解する必要性は全くないのだろう。

「……そして、何故俺がこのような話をしたかと言うと、亜存在はまさにメンジャー・スポンジとほぼ同質の存在だと言えるからだ」

 兇闇の語調が僅かに変わり、それは話が前置きから主題へと移り変わった事を示唆(しさ)していた。

「つまり、分子や原子と言ったものは一切無く、どこまで拡大しても同じ。三次元の空間に存在していると言うこと自体が、大きな矛盾である存在」

 存在自体が矛盾。
 その響きはどこか恐ろしく、一瞬ざわついた空気が聖の背筋を冷たくさせる。

「……ゴクリ」
「擬音を口で言うな」

 抑揚のないツッコミを入れながら兇闇はメモ帳を一枚ちぎり、恐らく亜存在のことだろう、人の形をした黒塗りのシルエットを新たに描き、その隣に波平ライクな横向きの曲線を一つ引いた。

「まぁ、そんな矛盾を内包してるから、亜存在の周囲の空間には微弱な波状の歪みができる。お前はそれを利用して奴らを視認しているわけだ」

 どうやらその曲線は空間の歪みを表していたらしい。しかし今の言葉では事実だけしか伝わらず、説明としての様相をほとんど持ち合わせていない。聖はメモ帳から視線を動かさぬまま、次の言葉を促す。

「どういう……わけですか?」

 すると兇闇はメモ帳に円形と直線だけで作られた人間らしき姿を描き、先刻の曲線をなぞるようにして、もう一つ曲線を乗せた。

「指紋や声紋は解るだろう、実はあれと同じようなものが感情にもあってな、心紋(しんもん)と言う。一人一人に差異があり、識別信号にもなる」
「私のそれが、関係してるんですね……」
「そうだ、心紋は波で表され、その振幅は感情の起伏の大きさを示し、周期は感情の持続する時間を示す。その二つと亜存在の放つ波との差が一.二八パーセント以下の時にだけ、大気中のアストラル体を介して二つの波が同調し、そこから亜存在を脳が知覚して、光学的な視界と合成する。結果、本人にだけ亜存在が見えるわけだ。これを深層同調と言い、お前にはその適正がある」

 そう言った兇闇の瞳には、その言葉をとても重要なものとして聞かせようと言う意志が明確に感じられた。
 深層同調、その適正を持つ者は聖だけ。……即ち、聖という存在はこの戦いに於いて重要なキーとなり、その全ての行動には普段よりも遙かに強い責任が伴うのだ。

「……ゴクリ」
「擬音を口で言うな」

 どうやら聖は簡単に離脱することも許されないらしい。そんなことは知らない方が気楽で良かったかも知れないが、遅かれ早かれ知らなければならなかったとするならば、まだ覚悟を決める余裕がある時に知っておくのが正しいのだろう。

「しかし、亜存在については殆ど解ってないのが現状だ、今まで言った理論だって、Enigmaには適用されるがStigmaはまた微妙に違う。(うつせ)は亜存在のうち名前≠フついているものをStigmaと言い、それ以外をEnigmaと呼ぶと言っていたが……名前を持つことによって何が変わるというのか、見当もつかない。大気中のアストラル濃度が高いと視認できる理由も不明だしな」

 台本を読み上げているかのようにすらすらと言葉をつなげてゆく兇闇を見上げ、聖はふっとベッドに沈めていた上体を起こした。

「先輩」
「なんだ」

「ごはんつくってください」

「…………」

 窓の外は日暮れにつき、暗くなりつつある静かな部屋。
 壁を隔てた外から聞こえる雨音に混ざって、くぅ、と、空になった胃の蠕動(ぜんどう)する音が響いた。

 「えーと、その間に先輩の分の布団は私が用意しときますので……」
 「え、いつの間に俺泊まることになってるの?」
 「明日の朝ごはんもよろしくおねがいします」
 「聞けよ」



 ――――

 Weiß gespenst.
  第四章 燦爛(さんらん)たる始まりは黯然(あんぜん)とした終端へ

 ――――



 ひゅんと短く鳴く風斬り音に、続いて響く金属音。二本の刃を鞘に収めた兇闇の背後で、ガードロボットはもはや完全に動きを止めていた。

「助かったわ、兇闇くん……正直なところ、もうだいぶ魔力が減ってきてたのよ」

 鞭状の鐫界器獄焔紅蛇(ごくえんこうだ)≠片手に(まと)めて、小さく溜息をつくラファエル。その視線を辿れば、恐らく魔力の過剰消費をするに至った原因であるルシフェルの姿があった。何故か大量のエビフライに埋もれている彼を見て、兇闇も「理解不能」の四文字を乗せた溜息を一つつく。そしてゆっくりと振り返ると、壁にもたれかかっているコスモの肩に手を置いた。

「どうだ、何か解ったか?」

 触れられた事により視点を自分の周辺に戻したらしいコスモは、困惑を滲ませた表情で(かぶり)を振った。

「それが、全然……おかしいんです、まるでピースの足りてないパズルみたいに、そこら中に真っ黒なブランクが……」
「魔力探査がきかないってことか?」
「ええ、今まではそんなこと無かったんですが、恐らく光の反射がなされない状態と同じだと……この遺跡、なんか異常です……」

 そう言ったコスモの手は、確かに震えていた。
 どうやら、この任務は現の想定していた範疇(はんちゅう)を超えるものであるらしい。兇闇の知る限りでは、鐫界器を持たない身でありながらも、コスモの実力は相当なものだ。現が彼女一人を護衛につければ大丈夫だろうと踏んだのも充分に納得できる。そのコスモが今、怯えているのだ。

「こりゃ、ライトくん達を先に行かせたのは間違いだったかしらね……」

 腕組みをして、まっすぐに伸びる道の先を見据えるラファエル。淡緑色に照らされた道は、その先に静かな暗闇を湛えて鎮座している。

 ひょっとしたら、今回の騒動は雨を止ませる≠セけでは済まないのかも知れない。表向きに見えているものの他に、隠された思惑がある。もちろん確証などは無く、直感に過ぎないのだが……長年の勘と言うものはなかなか侮れないものだ。五感に入り込んできた、気にも留めなかったような断片的なデータを無意識のうちに脳が統合し、本能的に判断が下される場合もある。それは意識的思考による判断よりも遙かに信頼できる命令なのだ。

「……そうして考えてる暇があったら、さっさと進んだ方がいいんじゃねぇのか?」

 食べかけのエビフライを持ち、ルシフェルは口をもぐもぐ動かしながら鐫界器天凪波風(あまなぎはふう)≠取り出した。それを見て、ラファエルが呆れたように自分の頭を押さえる。

「言ってることは正しいかも知れないけど、とてつもない説得力の無さね……」

 よく見ると、ルシフェルの頭の上にはもう一つエビフライが乗っていた。

 兇闇は再び溜息を吐き出そうとしたところで、くいと軽く袖を引かれた。視線を落とすとそこには相変わらず無表情のコスモがいて、その袖を持つ右手はもう震えてはいないようだ。

「聖さんもまだ見つかりません……二人と同じく先にいる可能性が高いです、急ぎましょう」
「そうだな……」

 兇闇が顔を上げると、ラファエルとルシフェルの二人と目があった。四人の視線が一つ所に集まり、誰からともなく、同時にこくりと頷く。そしてルシフェルの頭に乗っていたエビフライが床に落ち、全員の視線がそれに移る。
 暫しの間。

「よし、行こう!」
「おー!」

 何事もなかったかのように、四人は道の奥へと駆け出した。



 これまでの階層と違い、最下層の作りはとても単純なものだった。特に分岐も見当たらず、ただひたすらに一本の道が続いているのみ。まるでその先に待ちかまえている何らかの存在によって誘い込まれているようで、少し気分が悪かった。
 どうやらコスモにはもはや足下も正確に見えていないらしく、ふらつきながらも飛行魔法を用いて慎重に進んでいた。
 魔力反応の異常を引き起こすフィールド。人並み以上に魔力を扱う者なら、誰もがこの地に起きている事の重大さを理解できることだろう。
 この一帯を覆うほど大規模な魔術儀式か、国一つを滅ぼせるレベルの魔力集積か、はたまた思いも寄らぬような計画が進行しているのだろうか……少なくとも、この現象を引き起こしている張本人は、自分の身内だけに影響する程度の範囲で事を済ませるつもりはないだろう。それほどの異常が、今、この場所に起こっているのだ。

「見て、あれかな?」

 ラファエルの指さした先には、一つの扉があった。よく見ると、その奥に壁が崩れたらしく穴が穿(うが)たれている。兇闇にとってはそちらの方が気になったのだが、とりあえず場の流れに従い、手前にある扉を開けることにした。

 そこは小さめの体育館ほどもある広い部屋で、四方の壁を埋め尽くすように、使い道の見当もつかないような機械がずらりと並んでいた。
 目を凝らして見てみたが、その中にライトやリミルの姿はない。機械のうち一つが起動しているらしいところを見ると、目的の装置はこれでよさそうだ。しかし、名前を呼んでも二人はいなかった。彼らが扉の内部を確認もせずに奥の道へと進むことは考えにくいのだが、どうしたのだろうか。
 結果から言えば、その答えは、すぐに理解することになる。

「やっぱり、他にもいたんだ……」

 聞き覚えのない、低く落ち着いていながらもあどけなさの残った女の声。

「ここに来てるのがあの子供達だけとは考えがたかったけど、これはまた予想以上に大人数だね」

 肩で揃えた茶髪に、それと同じ色の耳。(ひだ)のついたニーロングスカートの上に不思議な光沢の布を纏い、胸部だけを覆う動きやすそうな上衣の上に、袖は長いが軽そうなジャケットを羽織っている。その手には金色に煌めく月形の刃を先端に持つ、その身長よりも大きな武器があった。よく見れば、ベルトや首飾りなど、至る所に月形の紋章が刻まれている。
 そんな目立つ格好にも関わらず、その熊型亜人の少女がそこに現れていたと言うことには、誰一人として気付いていなかったのだ。

 皆が一斉に驚き、一歩引いて構える中で、一人ルシフェルが身を乗り出して金色のオーラを纏い叫ぶ。

「あの子供……? クリリンのことか……、クリリンのことかー!」
「ちがうよ」
「なんだつまんないの」

 オーラ消滅。

「え、あーっと、まぁとにかく、この機械は今止めてはならないんだ、お引き取り願えるかな」

 最初の対話で出端を挫かれたらしいその少女は、しどろもどろになりながらもそう言った。
 その言葉に、どうやら彼女に戦う気はないと悟ってか、ラファエルが構えを解いて話しかける。

「止めてはならないって……貴方、何者なの?」
「通り名はラスネール……でも敬意の証として本名で名乗るよ、ラスティ・ネイル」

 ラスティと名乗った少女は、胸の前で両腕を交差させて軽く頭を下げた。それに倣って、ラファエルも軽く微笑みながら自己紹介を始め、他の者もそれに続く。

「私はラファエル、元は時空都市の天使機関のうち一人、現在はヴァルハラ高校の教頭」
「兇闇だ、表向きはそこの生徒をやっている」
「上位聖霊のコスモです」
「僕は、神山満月ちゃん!」
「なんでやねん!」

 ラファエルの獄焔紅蛇による強烈ななんでやねんがルシフェルを吹き飛ばし、彼は壁を突き破って皆の視界から消え去った。

「な、なんかツッコミが人を軽くデストロイできるレベルまで達してるけど……」
「気にしないでください、すぐ慣れますから」

 瞳に不安の影をちらつかせ始めたラスティに、コスモがくすんだ瑪瑙(めのう)のような目を向けて、(なだ)めるように、そしてそれ以降の思考を止めさせるように言い放った。
 こうもはっきりきっぱり気にするなと切り捨てられてしまえば、それ以上言及してくる者などそうはいまい。そしてこのラスティも例に漏れず、二の句を継ぐことはなかった。
 まぁ、それでいい。自慢にもならないことだが、自分たちのパーティにまともなツッコミを入れ始めたら際限がないと兇闇は自負している。

「ツッコミも入れる∞物語も進める=@両方≠竄轤ネくちゃあならないってのがツッコミ≠フ辛いところだな……覚悟はいいか? 俺はできてない」
「まずアンタはボケだろうが、誰がこんなに話をややこしくしたと思ってんだこのダメ校長」

 壁の向こうに吹っ飛んだはずなのに地面の下から生えてきたルシフェルに、彼の言うとおり、引っ張りすぎない程度にツッコミを入れる兇闇。そんな一連の流れでラスティとの間に大きな壁ができたであろうことを感じながらも、それに気付かなかったことにして溜息と共に吐き出す。

「しかしラスティ・ネイルとやら、この異常なエネルギーフィールドに気付いていないわけではないだろう?」

 混沌とした舞台を仕切り直そうと、兇闇は一歩踏み出しながら掌で床を指す。

「この魔力の流れを維持して何をするつもりか聞いても良いが、生憎と俺達は君を善の者≠ニ判断するに足る情報を持ち合わせていない……右手の刃から見て、それを理解しておきながらここに現れたのだと推察するが」
「ああ、別に悪いことをするつもりはない、って言っても証拠は無いからね……もし私が悪人だったら街が消し飛ぶかもしれないんだ、見逃してくれとは言わないよ」

 そう言うと、ラスティは金色の刃を(ひるがえ)し、その柄を両手に持って下段に構えた。それはさながら太陽の光を受けて輝く月のように、青白い魔力の光を映し出している。それを見た各人がそれぞれの武器に手を掛け、ラスティは周囲を見渡してから再度、唇を開いた。

「互いの目的をBETにした、単純明快な賭けだ。装置を止めたければ、その前に正々堂々戦って私を倒してくれ。それで負けたのなら、目的を守り通すには力が足りなかったと諦めよう」

 その台詞を受けて兇闇が周りに目をやると、ラファエルとコスモは全く同時に首を縦に振り、最後にルシフェルも口角を上げてその視線に答えた。いちいち眉を上げ下げしているところには「欧米か」などとツッコミを入れたかったところだが、今はそんな雰囲気じゃないので、大人しく話を進めることとする。

「そうだな、隙を突いて装置を止めたりはしないこととしよう……最初の相手は誰が取る?」
「待って、正々堂々と言ったって別に試合がしたいわけじゃないんだ、一対多でかまわない。コンビネーションも力の内だし、ハンデを貰うのは好きじゃないんだ」

 なるほど、このラスティと言う少女は随分と立派な精神を持っているようだ。自分の有利になる意見であっても、自らの道に背くと言う理由だけでこうも簡単に棄却(ききゃく)して見せるとは。兇闇は心中にて感嘆の声を上げた。
 と、その時、ラスティが静かに月形の刃を水平に構えた。

「それに――」

 くるりと舞う彼女の持っていた刃の青白い軌跡が、虚空に浮かぶ残光となる。
 残像も残さず、その場から一瞬にして姿を消した彼女は、その場にいた全員の死角であった部屋の入り口付近から、凛と通る声を発した。

「――簡単に倒されもしない」

 振り返るよりも前に、強い光が周囲を覆った。得体の知れない巨大な圧力が背中を押し、為す術もなく身体が宙に浮く。自らが放物線を描き地面へと激突する直前、兇闇は素早く身体を捻り、受け身を取って衝撃をいなした。
 上体だけを素早く起こして周囲を見ると、兇闇は既に部屋の最奥近くまで到達していた。どうやら実に十メートルほど吹き飛ばされたらしい。他の三人もみな一様に驚嘆の表情をして、扉の前に立つ一人の少女を見つめていた。

 その少女は、開いた左手を前に(かざ)した体勢のまま、じっと動かずにいた。

「今の、魔力掌圧(しょうあつ)……っ!?」
「あの武器、鐫界器か……!」

 ラファエルとルシフェルの言葉に、ラスティは薄く笑みを浮かべる。

「鐫界器盈虧刃(えいきじん)・モーントリヒト▽空間という曖昧な範囲を自在に操り、非空間を斬り裂く最高位の神器……もちろん、それを扱う私自身だってそれなりに鍛えてるよ」

 それなりに、などと言う表現は謙譲(けんじょう)か、または冗談にしか聞こえなかった。以前ヒスイが同じように魔力を掌に込めて高圧で放射する≠ニ言う技をやって見せていたことがあったが、彼女ほどの実力者でなければ、無変換の魔力をここまで自在に扱うのは難しいはずだ。
 ヒスイの場合は魔王たる存在なのだからまだ納得もできよう。実際、粗大ゴミの冷蔵庫を薄さ五ミリに圧縮して見せた彼女のそれと比べれば、先刻ラスティの放った技の威力は微弱なものだ。
 しかし、今ここにいる者達に同じ事をやらせれば、文庫本一冊動かせるかどうかも怪しい。魔力を魔法として現出させずに扱うと言うことは、まさに針穴をも通す集中力と正確なコントロールが必要となるのだ。それをいとも簡単にやってのけたラスティは、魔王クラスの実力を持っていると見ていいだろう。

 何より驚異なのは、あの月形の刃を持つ鐫界器。魔王を倒すには伝説の武器と相場が決まってはいるが、相手がそれを持っていてはどうしようもない。ルシフェルやラファエルも鐫界器の所持者ではあるが、肝心の彼らの表情から推察するに、どうやらあのモーントリヒトとやらは、それらより遙かに高位のものであるようだ。

 もちろん、すぐ背後にある装置をここで止めてしまえば終わりなのだが、兇闇にそれはできそうになかった。相手が真正面から向かってくると言うのならば、こちらも姑息な手は使わず真正面からぶつかっていくのが礼儀と言うものだ。
 正直言って、今となっては、兇闇はラスティのことを悪人だとは思っていなかった。この勝負に勝ったとしても、装置を止める前に理由ぐらいは聞くつもりでいる。あのように力強く悲壮な瞳を持つ敵は、今までの経験からして(ほとん)どがわけあり≠ネのである。彼女の訴えを聞く耳持たず片端から棄却していては、こちら側が悪人になってしまう可能性も高い。

「――さぁ、いつまでもそうしてないで、勝負だよ!」

 ラスティは風斬り音を立てて盈虧刃を素早く振り回し、びし、と真っ直ぐに構えた。その周囲の空気が陽炎(かげろう)のように歪んで見えたのは、恐らく気のせいではないのだろう。空間操作と言う大規模すぎる能力……先刻の瞬間移動もそれの範疇。もし魔法の競技会のようなものがあれば間違いなく反則ものの、驚異的な能力である。

「四人がかりでも勝てないかも知れませんね……」

 コスモはそう言って指をひゅんと上下へと振り、身体に薄桃色の光を纏って、爪先をそっと地面から離した。

「それでも、全力で戦うっきゃねーだろ」

 天凪波風を宙に舞わせ、ルシフェルがにやつきながら言った。どうやら兇闇があれこれ考えている間に、皆は戦闘準備を済ませていたようだ。

「でもそのエビフライはいらないと思うわ」
「ええ、エビフライはいらないと思います」
「マジで?」

 女性陣の意見を受けて、ルシフェルは両手に持っていたエビフライを高速で平らげ、最後に残った尻尾を投げ捨てた。

「さぁ、君の信念と俺達の絆の力、どちらが強いかバトルといこうじゃないかッ!」
「うわあー迫力ねぇー」
「絆の力ってなんですか」
「どうでもいいけどエビのポイ捨てはダメ、ゼッタイ!」
「待てラスティ、なにやらこのカオスな流れに慣れてきてるようだが君はまだこっちに来ちゃいけない」
「ようこそ男の世界へ」
「あーもう黙ってなさいよこのアホ校長ッ!」

 ラファエルがどこからか取り出したホームランバットの一撃により、ルシフェルは「SMAAAASH!!」みたいな音を響かせて場外へと吹っ飛んでいった。

「よし、じゃあ仕切りなおして」
「え、いや、戦闘開始前から一人脱落してるけど……いいの?」
「いいのよ、あれはただの一風変わったベイブレードだから」

 どうにも納得がいかない、と言った表情でそれ以上の言及を止めるラスティを見ながら、兇闇は「ベイブレードって久々に聞いたな……」などと思っていた。
 いわゆるボス戦を目前とした空気としては決定的に何かが間違っているのだが、いつものことなので正直どうでもいい。

 とかく気持ちの切り替えは大事なものである。そんなことを心の隅に置きながら、兇闇は腰に差した鞘から細身の両刃剣を抜きはなった。
 こうも狭い遺跡の中では、派手な魔法は使えないだろう。相手の一撃で全滅、なんて事はないだろうが、逆に言えばこちらの決め手も失われる。敵の特性上、広範囲の攻撃を封じられては勝ち目は薄い。さて、どうやって戦おうか。

「えーと、じゃあ……いいんだよね……いくよ!」

 あまりにも異様な展開をしているためか自問らしき声が途中に入ったが、ラスティは盈虧刃を構えて前傾姿勢をとり、勢いよく駆け出した。それと同時に兇闇も剣を構えて地を蹴り、ラファエルがその後に続く。
 最初の一撃は、ラスティの刃だった。兇闇は力を込めた剣でそれを弾き、勢いを殺さぬように弧を描いて白刃を振り下ろす。ラスティはそれを盈虧刃の柄で受け止め、ぐるりと回転させて跳ね返した。
 その二回の手応えで理解した。どうやら彼女は魔力を扱う能力こそ高いものの、身体能力に()いては並の人間とそう変わらないようだ。

 兇闇は軽くステップを踏み、その場から離脱した。直後、その脇を朱色の炎が一閃する。ラファエルの鐫界器獄焔紅蛇≠セ。

「低級鐫界器だって馬鹿にしないでよね、ものは使いようってやつよ!」

 言ってラファエルが持ち手をくいと引くと、獄焔紅蛇の炎は紅蓮の大蛇へと姿を変え、盈虧刃にぐるりと巻きついた。

「わ……っ!?」
「変われ!」

 蛇の眼光に驚いたのか、ラスティの動きが一瞬止まった。その隙を確認したかどうかは解らないが、ラファエルの声と同時に蛇は炎へと戻り、その空間に複雑な紋様を映し出す。それは魔術の教本などでよく見る、魔法陣に用いるための呪文と同じように見えた。

「そうはいかない!」

 ひゅん、と風が()く。素早く薙がれた月形の刃から、一瞬の閃光が(ほとばし)った。見覚えのある、青白い魔力の光だ。ラファエルの得意としていたはずの、花火のように繊細な爆発は一切見られなかった。しかし直後、コスモの放った桃色の光球が代わりに爆発を起こし――それでも、ラスティはその直前に踊るように回旋したかと思うとその姿を掻き消してしまっていたので、結局は石畳が軽く穿たれただけに終わった。

「これで非空間を斬り裂く≠ニ言う意味が理解できたかな」

 声の出所を辿ると、ラスティはコスモがいるよりももっと奥、最初に兇闇達が吹き飛ばされた辺りに立っていた。

「魔法が発動する前に、その情報を斬り裂き無効化する……その上、空間を操って瞬間移動までやってのけるのね、今まで戦った中でもトップクラスに厄介だわ」

 変わらず冷静な声でラファエルが言う。しかし彼女の言う通り、その能力は非常に厄介なものに違いはない。何せそれは、こちらの攻撃は何一つ通らないと言うことではないか。
 あまりに辛い状況に思わず「参ったね」と苦笑に近い笑みが零れ、剣を握る手に汗が滲む。

「らぁーん りぃーぶとぅーふらーい ふらーいとぅーりーぃぶ どぅー、おあー、だーあぁーい」

 そんな緊張感が見事なまでに粉々に砕け散るこの瞬間。
 謎の光る台座に乗ったルシフェルが天井から歌いながら登場し、その場の皆が目を点にしてそれを見つめていた。

「……な、何してんのよ、アンタ」
「アイアンメイデンのAces High、撃墜王の孤独だ!」
「いや、曲名はどうでもいいから」
「ああ、大丈夫、あと残り三機ある」
「何よ三機って、久々に聞いたわよその表現」

 ラファエルとそんな言葉を交わしながら、ルシフェルはひらりと台座から飛び降り、唐突に両手を広げると、唖然としているラスティに向かって爽やかに笑いながら疾走していった。

「う、うわぁああぁあぁ!?」

 その行動に理解力が追いつかなくなったのか、ラスティは慌てた様子で盈虧刃を振り、魔力の塊と思しき光の球体をルシフェルにぶつけた。しかし、それは白く明滅しているルシフェルの身体に弾かれて消え、当の本人は足を休める気配もない。

「ハーハハハハハまだ無敵時間よ無敵時間」
「きゃ――!?」

 今まで気丈に頑張っていたはずのラスティが、あまりに非常識なその行動に悲鳴を上げている。こうなると、もはやルシフェルと言う男が何なのか兇闇たちにもよく解らず、感嘆さえ感じるほどだった。

「なぁ、コスモよ」
「はい?」
「常識って、何なんだろうな……」
「えぇー……いきなりそんなこと訊かれても……」

 武器を構えたまま、そんな黄昏(たそが)れたやり取りをしながら、見据える先には混乱したラスティに殴られ放題殴られまくっているルシフェルがいた。もちろん、無敵時間らしいので傷一つついていない。あの道化は、ひょっとしたら人としての完成形なんじゃなかろうか、と、そんな考えまでもが頭を()ぎる。

「……あ、無敵切れましたね」

 どーん。
 コスモの言葉を合図としたかのように、先刻は結局見ることができなかった、花火のように繊細な爆発がルシフェルの姿を覆った。

「すいません、うちのアホ校長がご迷惑おかけしました」

 ラファエルはそう言ってぺこりと頭を下げ、長髪に爆発した志村けんのようなパーマのかかったルシフェルを引きずって部屋の隅に捨て置いた。ラスティは未だ思考回路が凍り付いているようで、(とぼ)けた顔で立ち尽くしている。

「よし今だ、チャンス」
「あんな状態でも狙うんですか、意外と容赦ありませんね兇闇さん」

 コスモが言い終わらないうちに素早く踏み込み、一気に加速してラスティとの距離を詰める。もちろんラスティも気付いて盈虧刃を振り上げるが、それは反射に近い自然な反応。予測した通りの軌道を描くそれはもはや剣で弾くまでもなく、兇闇は身体を傾いで刃を(かわ)し、そのまま振り抜いた剣は、慌てて身を屈めたラスティの髪を掠める。

葬螺(ホムラ)っ!」

 その直後、コスモの声と同時に、金属同士をぶつけたような甲高い音が響いた。先刻も聞いた音だ。盈虧刃の端から青白い魔力の光が弾け、コスモの魔法が不発に終わったことを暗に示す。
 それから一瞬ほどの間もあったろうか、再び視界は強い光に覆われ、見えない圧力の波が兇闇の身体を吹き飛ばした。咄嗟に放ったものらしく先刻の魔力掌圧よりも威力は低かったが、若干有利に傾いていた状況を再び平行線以下に戻すには、それは充分なものだった。

 しかし不意打ちすら無駄とは、これでは本当にどうしようもないではないか。兇闇は内心歯噛みした。ラスティの挙動を見ていれば解るが、これでも彼女は全力を出していない。鐫界器があまりに強力すぎて出せないのかも知れないが、ともかく予想以上に彼女は強い。
 ひょっとしたら、こうも彼女に負けたくないのは任務のためなどではなく、ただ剣士として強い者を超えたいと言うだけの感情なのかも知れない。

 兇闇が再び地面に足をついたとき、今度は炎の剣を手にしたラファエルがラスティに飛びかかっていた。本来は不定形である炎で形成された刃だが輪郭が揺らぐことはなく、それは確かな諸刃の剣でありながら、その内で燃ゆる混然たる炎は、煌々と猛っている。
 がきん、と音を立てて、鐫界器の刃同士がぶつかり合った。盈虧刃が一歩押され、それを持つラスティごと中空へと弾き飛ばされる。

「く……!」

 空中にて旋回し、今までと同じようにその姿を掻き消すラスティ。彼女はその一瞬で、追撃をしようとしていたラファエルの背後を取った。金色の刃が振り下ろされる、瞬間。空中で見えない糸に絡め取られたかのようにラスティの身体が失速し、ほんの一瞬だけ停止した。その隙が生まれることを初めから知っていたかのように、ラファエルは振り向きざまに手にした剣を横に薙ぐ。すんでの所で受け止めたラスティは、吹き飛ばされて床に激突する直前に盈虧刃の柄を支点にして身体を捻り、宙返りして地に足をついた。

「二回目は不発……同じ手には引っかからねぇってか」

 自嘲気味に呟くルシフェル。どうやらラスティの動きが一瞬止まったのは彼の鐫界器の仕業らしい。成功したときには永劫に動きを止めておければ楽なのだが、彼に残っている魔力を考えるとそれは難しそうだった。着地の瞬間を隙と見て斬りかかった兇闇の一撃も、またもや例の瞬間移動によって躱される。

「まさか四対一で一撃もマトモに入らないとはね……はぐれメタルみたいだわ」

 炎の剣を構え直し、息を切らした様子もなくラファエルが言い放った。そして一度深く息を吐き、後方で天凪波風を構えるルシフェルに視線を向ける。何故かボンバヘッだった彼の髪型が元に戻っていて、さらに何故か鮮やかな七色にカラーリングまでされていたのは今はツッコまないことにしておこう。

「ルー、特に道具を使わず、さらには自力ではぐれメタルを倒すにはどうする?」
「遊び人の熟練度を敢えて二で止めたバーバラのおままごとが確実に効くぜ」
「そういうマニアックな答えじゃなく、定石として」
「最近のじゃー基本的にはまじんぎりだな、一か八か、大ダメージを狙う技」
「そうね、この場合は一撃に賭けるのが最も効果的だわ」

 まるで互いの台詞が発せられる前から全て解りきっていたかのように、間も置かずに次々と会話を進める二人。恐らくその対話は本来ならば視線の一つで交わされるようなもので、今はただ兇闇やコスモにも内容を知らせるために言葉を付与しているに過ぎないのだろう。いつものアホなやり取りで忘れがちだが、彼らは一応大天使の名を継ぐ実力者だったりもするのだ。

「でも流石に得体も知れないのに全力で殺しにかかっちゃマズいんじゃねーかい」
「だから、私の能力があるんでしょう?」

 そう言ってラファエルは静かに微笑み、剣の柄を軽く振るって獄焔紅蛇を鞭へと戻し、ぐるりと空中に円を描いた。その炎の円は次第に内へ外へと染み出し、複雑怪奇な紋様を描き始める。祈るように瞼を綴じた彼女の背に、薄く光の翼が広がった。

「――陽光(かたむ)瑠璃(るり)を纏う、偶像に浮かぶは蒼き焔、虚像と散らすは朱き焔、交じりて成すは極彩色の華……人(いずく)んぞ常に()しからん」

 ラファエルの詠唱が始まった途端、ラスティが再びその背後を取った。しかし振り下ろされた刃は空中でゆるやかに動きを止め、近くにいたルシフェルがすかさず間に入ると、ラスティは再び盈虧刃をぐるりと回して姿を消した。

「ち、もう弾くには硬度が足りないか……二人とも、天凪波風はその能力に自由度こそあれ、細かく狙い澄ました芸当はできん! ララは今無防備だから、どうにかしやがれ!」
「そんな無責任な」

 そのコスモの呟きには全面的に同意である。兇闇は二本目の剣を抜き、それらを構えた隙間からラスティの姿を通し見た。あれだけ鐫界器を振り回しておきながらも疲弊の色は見られず、エーテルの強さが伺える。何せ周囲の空間ごと転移させているのだ、瞬間移動だけでも莫大な魔力を消費するはずなのに。
 一拍ほどの間を置き、ラスティの身体が前傾姿勢をとる。

「やぁあっ!」

 やはり遅い。本来は前線で戦うタイプの亜人ではないのだろう。最初の一撃は難なく躱し、しかし彼女も躱されることを想定していたようで、反撃の間もなく続く二撃目、三撃目も剣で受け止める。そして動作に余裕が生まれ始めた四撃目にて、力を込めた一閃によりラスティは大きく吹き飛んだ。兇闇は追撃を加えようとするが、ラスティは着地と同時に素早く盈虧刃を回旋させ、その場から消失する。しかしそれも予測済みの行動、後ろ手に回した二本目の剣は、確実に兇闇の背後を取ったはずの彼女の攻撃を弾き返す。

「ち……っ」

 ラスティは即座にバックステップを踏んで離脱する。兇闇もそれを追おうとするが、ラスティの構えが僅かに変わったことに気付いて前進を止め、助走でついた速度を落とすために真横に跳躍して、剣を握ったままの両手を突き出した。
 結果としてその判断は正しかったようで、シールドを張った直後に身体全体に大きな衝撃が走る。月形の刃に左手を宛うような構えは、恐らく魔力を集中させていたのだろう、ラスティの振るった盈虧刃の軌跡から、漆黒の光線のようなものが放射されたのだ。それは今までに繰り出していた攻撃とは桁違いの威力で、破壊力そのものは全て相殺(そうさい)しているにも関わらず、兇闇の身体は反動によって一瞬のうちに壁際の機械へと叩き付けられていた。
 肺の中の空気が吐き出され、視界が明滅してくらりと暗転する。すんでの所で剣を地面に突き、倒れることなく体勢を持ち直した。骨折したりしてないだろうな、などと苦笑しながら剣を抜き、再び構える。
 しかし、念のためと思って過剰と思えるほど全力で防御したのにこれだ、相手にも決め手はあると言うことか。

(かげ)りし御陵(みささぎ)斜陽(しゃよう)萌芽(ほうが)、時の抑制、朔月(さくげつ)に染む滄溟(そうめい)に、揺らぐは凛然(りんぜん)たる刃の風」

 よく注意しなければ聞き取れないほど早口で、しかし明確に空気を伝わる言葉の(さざなみ)。その台詞の出所に目を遣ると、どうやら兇闇がラスティから大きく離れるこの時を狙っていたらしく、頭上に高く重ねた両手をラスティに向けてまっすぐに突き出さんとしているコスモがいた。
 ラスティもそれに気付いたのか、兇闇を追うのを止めて盈虧刃をぐるりと回す。普通ならば充分に退避できる間合いだったのだろう、しかしコスモは魔力を練りながらも兇闇とラスティの戦いをずっと見ていた≠フだ。もはや彼女はここにいる誰よりもラスティの行動を見切っていて、その回避行動が間に合うであろうことを事前に予測し、結果、コスモは両腕を前に突き出して数刹那、魔法の発動を止めた。

「……荒天風(こうてんぷう)ッ!」

 そうして、死角――ただし、コスモが瞳からものを見ていたとしたら、の話だが――に現れたラスティを、その特殊な視力によっていち早く察知し、改めて照準を合わせてから解き放つ。
 肉眼で空気の境界が視認できるほどの、サッカーボールほどの大きさをした高速の風圧弾。螺旋状にうねる尾を引きながら襲い来るそれを避けることは、転移直後で体勢を崩したラスティには不可能だろう。かと言って、既に発動してしまっているのだから斬り裂くことも(あた)わず。これほどの技、咄嗟(とっさ)のシールドで威力を殺すこともそうはできないはずだ。

「イルズィオーン!」

 しかし、ラスティは盈虧刃を持った両手をその弾に向かって突き出し、その動作と同時にくるりと一回だけ盈虧刃を回した。すると、その軌跡が描いた見えない円形に風圧弾が触れた直後、見当違いの方向にある壁際から爆音が轟いた。
 一瞬遅れて、兇闇は状況を理解した。何せあの鐫界器の秘めたる力は空間を操る能力≠ネのだ。そのような技があったとて、決して不可思議な事ではない。

「そう……最初にあの炎の剣を受けて吹き飛ばされたとき、宙返りしながら出口≠フ範囲を選択しておいたんだ」

 入口≠ニ出口≠指定し、放射された技を全て転移させ受け流す。普通はカウンターと言ったら予測から繋がる待ちの技だが、これは相手の技を見てから一瞬で繰り出せるというのだから、まさに防御の奥義とも言える技だ。しかも、うまく使えば防御がそのまま攻撃にもなる。……これでますます迂闊な攻撃ができなくなった。

「打つ手無しですね……どうしましょう、兇闇さん」
「防御と回避にかけては、今までのどんな敵よりも高性能だな……味方として欲しいくらいだ」
「要はもう対策思いつかないと」
「まぁ、そうなるな」

 やはり、この二人だけではそう長く止めきれない。かと言って、ライトやリミルがいたとしても戦況は変わらないだろう。彼らは同じ学生でも、幼い頃から亜存在と対抗するために訓練を積んできた兇闇とは違うのだ。彼らに戦闘を求めるのは酷というものだろう。せめてもう一人でもいい、仲間がいれば――

「――ってあれ、誰でしょうかあの人」

 なんと パパスが たすけにきた!
 パパスが せんとうに くわわった!

「すごいの来ちゃった――ッ!!」

 広い洞窟内に、二人の絶叫と「ドッギャァァ――ン!」と言う出所不明の効果音が(こだま)するちょっと前に、

「て言うか第三話で出たろお前!」

 と躍り出たルシフェルが放った火球がダンディなヒゲのおじさんを直撃した。

「ぬわーーーーっっ!!」
「パパァァ――――ス!!」

 ラスティを含めた三人の叫びと炎の轟音が渦巻く中、天井まで届いている火柱に包まれ灰燼(かいじん)と化してゆくパパスに背を向け、ルシフェルは顔を伏せて額に手を宛い、静かに呟く。

「全く、空気を壊さないで欲しいもんだぜ」
「お前が言うかッ!?」
「そもそもなんでメラゾーマ使えるんですか!?」
「今のはメラゾーマでは無い……メラだ」
「うるせぇーッ!」

 バトルシーンの空気をびっくりするくらい見事にぶち壊したルシフェルは兇闇のツッコミを手で制し、不適な笑み、と言うよりは、いつものように中途半端に口角を上げてニヤついた顔をしながら、構えるのも忘れて呆然と見ているラスティを横目で見つめた。

「でもまぁ、この騒ぎは充分時間稼ぎになったようだな」

 はっとして、ラファエルの方を見る。そこにはルシフェルと同じように片側の口角を上げ、ただしこちらはきちんと不適な笑みを浮かべている、六枚の光翼をその(せな)に広げた女性の姿。その両手の指で作った十字の前には、この他に例を見ないほど巨大で複雑な魔法陣が完成していた。

「――黎明(れいめい)、古き焔に(すべから)く、紅蓮の(かせ)与えるべし! 全ては純白と漆黒の翼の下にッ!」

 Angelic spell【天使術――多重エフェクト】
  /Flame【属性宣言・炎】
  /Innocent【無害化】
   /Bind【束縛】
   /Addition【能力付加】
    /Wide area【広域範囲】

「……馬鹿な、なんだあれは……っ」
「ろ、六重魔法陣……ですか……!?」

 恐らく鐫界器の、そして自身の持てる力を限界近くまで発揮している状態が、まさにこれなのだろう。その魔法という範疇を軽く超越した技に対して二人の発した驚愕の声は、魔力の鳴動によって掻き消され、空気に溶解してゆく。

「いざ――燃えよっ!」

 ラファエルは十字に合わせた指を左肩の辺りまで持っていくと、ひゅんと空を斬るように右手の指を薙ぐ。弧を描いた指先の軌跡は青白い魔力の光を残し、光は分解されて魔法陣に組み込まれた。
 明滅。次の瞬間、魔法陣から吹き出した紅蓮の炎が、部屋中の空間を満たした。そのとてつもない勢いは吹き付ける風として感じるが、その炎はモノを侵食せず、熱さも感じない。ただ一人、ラスティだけは巨大なシールドを張ってそれを防いでいた。

「どこにいても避けられないと読んで魔力をチャージしてたみたいね……でもそれも、どこまで()つかしら?」
「く……ぅ……っ」

 魔力によって形成されるシールドは、その強度や範囲によって消費する魔力量が違う。当然、より強固で広範なものになるほど消費量は多くなり、またそれはシールドを持続させている時間にも比例する。
 見たところ、今ラスティの形成しているシールドでは、並の亜人ならば十秒と経たないうちに魔力が底を尽きるだろう。流石に完全に魔力が尽きて死ぬ前に身体がブレーキを掛けると思うが、それでも過度の魔力不足によって昏睡状態に陥る。これでもはやチェックメイト、と言ったところか。

「ひざかっくーん」
「ぅあ!?」

 そして、どうやら勝利はルシフェルによって少々早めに達成されたようだ。
 方法はともかくとして、バランスを崩したラスティは反射的に重心を戻そうとしたのだろう、魔力を現出させていた両手を僅かに上へとずらしてしまった。そうして台風の日、強風に向けていた傘の角度をずらすと簡単に絡め取られてしまうように、彼女のシールドもまた炎の勢いに絡め取られ、消し飛んだ。

「きゃあああああっ!」

 無防備となった全身を舐める炎の壁に、ラスティは甲高い悲鳴をあげた。とは言え、その炎が身体や衣類を侵食するわけではない。ラファエルはすぐに腕を下ろし、それに伴って炎も消える。脱力したラスティが地に膝をつき、そのまま倒れそうになったところを盈虧刃を支柱にして留まった。

「倒れないだけ立派ね……今の炎は、敵として認識したもの全ての行動を束縛するわ」

 そう言ってラファエルが手を翳すと、複雑に描かれていた炎の魔法陣は一振りの鞭に戻り、するりとその手に収まった。

「生命活動に支障はないけど、もう動くことはできないでしょうね」

 ラファエルは微笑みながら言う。それは決して勝ち誇ったような笑いではなく、恐らく敵を倒さずに勝つ≠アとができたという事に対しての安堵の笑みなのだろう。敵の怪我をも気遣うような優しさ……戦いに於いてそれは甘い考えなのだろうが、それこそ彼女が、熾天使(セラフィム)のうち唯一の女性であるガブリエルや炎を司るウリエルではなく、癒しの天使ラファエルの名を授けられた理由なのかも知れない。

「動けない!? ならばする事は一つ、レッツお持ち帰りいいいいいいい」
「右手からメラゾーマ、左手からバギクロス……合体! 火炎竜巻っ、メラゾロス!」
「恐るべし賢王の力ッ!!」

 ……やっぱ気のせいかも知れない。
 渦巻く炎に包まれて粉々に吹っ飛ばされるルシフェルを見て、兇闇は小さく溜息をついた。どんなパーティを組んでも溜息ばかり出てしまうのは、ひょっとしたらこの黒神ファミリーの最たる特色なのだろうか。我ながら、随分と変な組織に引き取られてきたものである。そう思うと、また溜息が出てしまいそうだった。

 しかし、あのラファエルの使った規格外の魔法によって、戦闘がほぼ強制終了に近い形で決着させられたのは助かった。長期戦になっていたら、恐らく無事では済まなかっただろう。些か不完全燃焼ではあるが、先刻ラスティに言われたようにこれは試合ではない。全力で戦えたかどうかは()したる問題ではないのだ。
 それよりも、兇闇にとっては彼女の行動の方が気になっていた。兇闇が唯一ラスティと接近戦を繰り広げていたから分かった事なのだろうが、彼女の攻撃には、そして何よりその瞳には、確かな迷いがあった。それが証拠に、確実に攻撃が入るようなタイミングのうち、実に五回に一回程度しか彼女は攻撃して来なかったのだ。それも、恐らく全力ではなかった。避け回るばかりでは倒せないのは解っているだろうし、フェイントにしては数が多すぎる。やはり此方(こちら)を傷つけることに抵抗があったのではないだろうか。
 そして、心にその感情しか無ければ葛藤など発生しない。最初から戦いはしなかったはずである。即ち、彼女には多少の無理を押してでも戦わざるを得ない重要な理由があったのだ。強力な攻撃は温存するばかりでなかなか使おうとしなかった所を考えると、こちらを傷つけず、そして自分も傷つかず、ただ時間を稼ぎたかったのではないだろうか。

「さて、じゃあ早くあの機械止めちゃわないとね」
「いや、待――」

 ラファエルの声に兇闇は思考を断ち切り、先にラスティの方の事情を聞いてからにしようと引き留めかけた……その時。

「――待って!」

 後方から響いた声に振り向くと、地面に突き立てた盈虧刃に掴まって、不安定に震えながらもラスティが立っていた。束縛魔法による脱力に抗えるほどの精神力には感服する他はないが、傍目(はため)には今にも倒れそうな半死人のようにしか見えない。
 兇闇はとりあえず声を掛けようとするが、それよりも先にラスティは両手で持った盈虧刃を大きく背に回して構えた。

「そんな、束縛を掛けられてあんなに動けるわけが……っ!?」

 ――いや、違う。兇闇は直感的に理解した。動いたのではなく、動かしたのだ。あの鐫界器、空間を操ると言っていたが、切り貼りするだけが能力ではあるまい。自分の関節周辺の空間を僅かずつ移動させることによって、自分自身をマリオネットのように操っている。
 やはりそうだ。よほどの勝ちたがりか、よほどの使命感がある者でなければここまではしない。もし前者であるならば、最初から全力で攻撃してきたはずである。こんな――今まさに使おうとしているような、とんでもない破壊力の技を温存することなく、だ。

 前傾姿勢をとって大きく背後に回した盈虧刃は、まるで新月の夜のような漆黒の光≠放っていた。以前、聖が亜人化した時に彼女のアビスゲートが同じような光を放っていたのを見たが、それとは比較にならないほど集束しているのが解る。

「全員、シールドを張らずに伏せろーッ!」

 いつになく真剣なルシフェルの声に、兇闇は反射的にその身を屈めていた。
 一瞬遅れて、ラスティが盈虧刃を豪快に振り抜き、薙ぐ。

朔ノ月(ノイ・モーント)ォオッ!」

 一瞬、黒い閃光が頭上を覆った。部屋全体を覆うほどに放射された漆黒の斬撃は、四方を覆う壁のうち三分の一をまるでバターでも切るかのように音もなく斬り裂き、少し遅れてその一帯が瓦礫へと変わる。
 全魔力を投じてシールドを張ったとしても、防ぎきれるようなものではなかった。鐫界器にはそれぞれ特有の大技が幾つかあるとは知っていたが、これはその中でも常軌を逸している。最初に言っていた「最高位の神器」と言う言葉も、まさに真実なのだと実感せざるを得ない。

 ラスティは再び地に両膝をつき、しかしそのまま伏せることは無く、盈虧刃にしがみつきながら四人に鋭い眼光を向ける。追いつめられているからか、その目にはもう迷いはない。

「今、あれを止めさせるわけには……いかない……っ!」
「待てラスティ、俺も理由すら聞かずに君の意見を棄却する気はない」

 そう言って兇闇が剣を収め、手を差し伸べようとした所に、困惑と苦笑が同居したような表情を浮かべたコスモが割って入る。

「……あの……さっきので、装置真っ二つになりましたけど……」

「え」
「あ」

 そう言えば、機械類は壁に配置されていたのだった。

「機械なんて叩けば直るんじゃねーの、うらうら」
「エビフライを投げるな! そんなんぶつけて直るわけな――きゃっ!?」

 こちらで時間が止まっている間にルシフェル達が装置を直そうとしていたようだが、その試みは大爆発と言う何ともお約束な結果に終わった。数刹那の後、今度は地鳴りのような鳴動が部屋を包み込む。

「な……なんですかっ!?」

 狼狽するコスモの声に、ラスティが答える。

「壁が崩れてバランスが取れなくなったんだ、そこに今の爆発による振動が……部屋が崩れる!」

 \(^o^)/オワタ

 ……なんて万歳している場合ではない。エビフライが原因で死ぬなどと間抜けな最期を飾ってたまるものか、と、この場の全員が思っていることだろう。無論、易々と諦めるはずはない。兇闇は目の前に座り込んでいるラスティを半ば強引に背に乗せると、その両足をしっかりと腕で固定して駆け出した。

「な、何を……」
「今も昔も、一人で頑張ってる奴を見るとほっとけない性質(タチ)でね」

 二人分の体重を支えて走るのはかなり厳しいものだが、人体の構造上、走る時は重心を前に取るため、やや前傾姿勢になるものだ。このように背負えば、抱えるよりは楽に走れる。咄嗟にその判断ができたのは、兇闇自身も僥倖(ぎょうこう)と思っていた。
 既に背後では瓦礫の落下音が聞こえていた。部屋の中央あたりから走り始め、扉までもう五メートルもない。コスモが一足先にそこまで飛んで手を翳すと、扉が枠から外れて通路の壁に叩き付けられる。兇闇は最後に大きく跳躍し、今までは扉であった場所から通路へと躍り出た。

 コスモの背を追って通路を数歩駆け、振り向いて背後を見ると、丁度ルシフェルがラファエルを腕に抱えて飛んできた所だった。その少し後に、落ちてきた瓦礫が部屋の入り口を埋める。

 しかし、それだけでは終わらなかった。地震のような鳴動は止まることなく、ついには通路の壁さえも剥落(はくらく)し始めてゆく。
 共振現象、と言うやつだ。上に乗った人間が特定のタイミングで身体を揺らすとブランコが大きく振れるように、物質はその固有振動数と等しい振動を受けると大きく震えると言う現象。同じ石で組まれた遺跡のうち一ヶ所が崩れて大きな振動が起こった結果、組まれた石が共振を起こして次々と振動が伝わり、瓦解(がかい)しているらしい。エネルギーはあの部屋一つだけでは治まりきらなかったようだ。

「なんてありがちな展開だよ畜生ッ!」
「と、とにかく階段まで走りましょうっ!」
「走るのは俺だけだ! 楽でいいなお前らはーッ!」

 軽々と飛んでゆくコスモを追いながら、兇闇は息を切らして叫ぶ。まだラファエルの魔法が効いているのか、肩にしがみつくラスティの手には殆ど力が入っていない。慎重に走らなければ、恐らく振り落としてしまうだろう。厄介な負担ではあったが、まさか捨て置くわけにもいくまい。
 それよりもライト達がまだ奥にいるのだが、大丈夫なのだろうか。崩落の範囲にいなければよいのだが、流石に少しばかり心配だ。

「――きゃ!?」

 甲高い声に視線を上げると、先を行っていたコスモが瓦礫に阻まれて立ち往生していた。進もうとしていた所に落ちてきたらしく、それもどうやら数人でどかせそうな量ではなさそうだ。

「八方塞がりか……!」
「塞がれたのは二方だけどね」
「動けないわりになんか余裕あるなお前」

 ラスティとそんな緊張感のない言葉を交わしているうちに、靴で地面を擦りながらルシフェルもその場に到着する。彼は間も置かずに視線で通路の奥を指し、息切れを隠すように一息に言う。

「どーやら潰されて死ぬことはないみたいだぜェ」

 見ると、壁や天井の崩落は止まり、あの鳴動ももはや止んでいた。あとはただ、瓦礫に塞がれた双方の通路があるだけだ。
 ……確かに潰されて死ぬことはなくなったようだが、これでは死因が変わるだけで心中は避けられないような気がする。

「ほらよ、降りな」
「ありがと、いちお助かったわ……魔力使い果たしちゃって、たぶん走れもしなかったから」
「じゃあお礼に熱い接吻を」
「焼けろ」
「グハァ魔力あるじゃねーか! 連邦の熾天使(セラフ)は化け物かッ!?」

 そんな状況に置かれても自分たちのペースを崩さないこの二人は、ある意味凄いと兇闇は思う。

 さて、どうするか。ここは地下二階、周囲は壁で囲まれ、唯一の通路を塞ぐ瓦礫はどかせそうもない。下手に大技を放てば再び遺跡が崩れ始めないとも限らないし、まずそんな大技を放てるだけの魔力が残っている者はこの場にいない。

「ラスティ、その鐫界器の力でどうにかならないか?」
「流石に私も五人分もの範囲選択はできない……行ったり来たりするには魔力も残り少ないし、まず身体が動かないよ」
「そうか……」

 \(^o^)/

 ……だから呑気に万歳をしている場合ではない。
 しかし、もはや万策尽きたか。魔力が完全に回復するまで待てばどうにかなるかも知れないが、この狭い空間では先に酸欠になってしまう可能性もある。それならば何か行動を起こした方がいいかも知れないが、結局何もできずに、しかも魔力が殆ど回復しないうちに酸素を使い切ってしまっては元も子もない。大気中の酸素が三割減っただけで人は死んでしまうのだ。制限時間がついている以上、決して判断を誤らないように、慎重に動かなくては。

「まあまあ落ち着いて焼きエビフライでも食おうぜみんな」
「揚げ物をさらに焼くな――って何こんなとこで焚き火してんだよ、酸素無駄に使うんじゃねぇーッ!」

 どこまでも空気を読まないルシフェルに一通りツッコミを入れ、兇闇は再び熟考に入ろうとした。が、しかし、ルシフェルの言い放った一言がそれを止めさせた。

「脱出したいなら、方法はある」

 とりあえず、こう言っている彼が(あて)にならないのは誰もが――会ったばかりのラスティでさえ周知の事だとは思うが、「なんでやねん」とハリセンでひっぱたく準備をしつつも一応聞いてみることとする。溺れる者は(わら)をも掴むと言うが、少なくとも藁よりは助かる可能性があるはずだ。無いかも知れない。

「まぁ、そんな心配することないわ。彼って意外と目敏(めざと)いから、たまに誰も思いつかないような方法で状況をひっくり返したりするのよ」
「ケケケ、一応堕天使だからな」

「その、堕ちているあたりが不安なんですけど……」

 コスモの言う通りであったが、とりあえずラファエルの言葉を信じて、試しにこのケケケとかあり得ない笑い方をしている奴の言うとおりにしてみようと思う。
 兇闇が視線でそれを促すと、ルシフェルはにやりと口角を上げ、ポケットから何か黒いものを取り出した。

 ああ、自転車のサドルだあれ。
 早くもギャグ的な結果が見え始めたところで、ルシフェルはそのサドルを持った右腕を真っ直ぐに伸ばし、左手を宛って構えた。

「いくぜ、最終奥義……!」



 (略)



「――ふぅ、いろいろあったけど、なんとか外に出ることができたな」
「そうね、いろいろあったけど」

「待て」

 雨の上がった灰色の空を爽やかな顔で見上げる二人に対して、その二文字が今の兇闇にできる精一杯のツッコミだった。

「待て」
「なんで二回言ったんですか」

 そのコスモの問いには、脳の処理能力が限界に達したからだと答える以外にない。誰も思いつかない方法と言ったって、それにも限度がある。常識の壁をこうも軽々と超えられては、物理法則と言うものの立場が全くない。見事に零パーセントだ。

 もはや何度目かも解らない溜息をつき、同じように空を見上げる。装置が破壊されたからと言って一気に晴れたりはしないらしく、空はどんよりと厚い雲が覆ったままだ。それを見て、背中のラスティが呟きを漏らす。

「どうしよう……ひょっとしたら、もう終わりかも知れない……」

 やはり、と言うべきか、その深刻そうな物言いに兇闇は耳を傾けた。

「あまり一人で片付けようとはしないことだ、何があったんだ?」
「それは……」

 暫しの沈黙の後、話せば長くなるのでこれを見て欲しい、と差し出された書類を受け取ったところで、兇闇は背後から近づく気配を感じて振り返った。ラスティが遠心力で落ちそうになるも、書類を持った右手を背に回して支える。
 そして視線を元の高さに戻した先には、皆の主たる黒服の青年が立っていた。

「現!」

 意外なことに、最初にその名を口にしたのは何の関係もないはずのラスティだった。皆が意表を突かれたような顔で彼女を見る中、当の現は少し微笑んで静かに歩み寄る。

「解っているよ、皆まで言わずとも……最初から真実が掴めていれば私が赴いたのだが、時既に遅しか。封印は完成しなかったようだね」

 兇闇の肩を掴んでいるラスティの手に、少しだけ力が込められたのが解った。

「しかし友よ、案ずる事無かれ。事態は私の手の内だ……どう転がすも、私の掌の動き一つで決まる」

 そう言って、現は左手を開く。そこにはキャラメルの箱である紙のサイコロが置かれており、彼はそれを掌の上でころころと転がして見せた。そして終わりに、くるりと掌を裏返してサイコロを巧みに指の上に乗せると、それを上空へと指で弾き飛ばした。さほど高くなく打ち上げられたサイコロはすぐに自然落下を始め、綺麗に現のコートのポケットへ落ちて収まる。
 それをじっと見ていたコスモが、一歩踏み出して静かに、だがしっかりとした声を上げた。

「話が見えません、一体あの遺跡で何が起きてるんですか?」

 それは恐らくこの場の誰もが聞きたがっていたことだろう。現はそれに応じて静かに瞼を閉じ、一拍置いて語り始める。

「――遺跡の地下には、兇闇よ、君の所属する組織の追っている亜存在、それもStigmaがいる」
「な……ッ!?」
「駒三つでは相手をするのは苦しかっただろうが、心配はいらぬ。ライトの考えで、伏兵としてルナを送り込んである、うまくすれば倒せるはずだ」
「る、ルナさんをですか!?」

 その場にいる者全ての表情が、驚愕へと変わっていくのが理解できた。
 亜存在、それもStigmaと呼ばれる部類に勝つのは、幼少の頃より専門の訓練をしてきた兇闇とて容易ではない。聖がいるとは言え、彼女も半年ほど前までは普通の中学生だったのだ。それも、運動はできない部類に入る。それに加え、まさに普通の学生であるライトにルナ、そしてリミル……この駒で亜存在に勝負を挑むのは無謀と言う他は無い。聖以外は、亜存在と言うものの性質も全く知らないはずなのだ。
 恐らく先刻の崩落程度で死んではいないと思うが、折角拾った命を無下にして散らせるのは望ましいことではない。亜存在というのはただ力が強いだけの怪物などとは違うのだ、まさに存在そのものが常識から逸脱した、()わば超存在とも言い換えられる魔物……そんなものに対して一介の高校生が数人で相手取るなど、些か荷が勝ちすぎる。

「フフ、いらぬ心配はせぬが吉だ。君は近くにいるが故に過小評価しているようだが、ライトとルナの二人が揃えば、私と戦っても五分以上だろう。ラスネール、君が全力でかかっても一人では勝てまいよ」

 ラスネール、と言う名は恐らくラスティのことを指しているのだろう。確か、最初にそんな名を名乗っていたような気がする。
 しかし、あのライトにルナがそれほどの戦闘能力を持っているなどとは、(にわか)には信じがたい。現に兇闇は幾度かライトと戦うことがあったが、ライトが勝ちを取る確率は三度に一度以下だったはずだ。それも、正当に技だけで勝負していたら確実に兇闇が全勝しているだろう。彼にできることがあるとすれば、突飛な発想で相手を翻弄することだけだ。作戦を考える能力も、地形を見て味方に付ける能力も、決して一流とは言えない。

「本当に、大丈夫なのか……?」
「力というのは不思議なものだ、運も実力の内と言うが、それでなくとも力には様々な形態がある……!」

 現は再び瞼を閉じ、両手を広げて言葉を誇張する。そして途端に俯くと、にやりと笑みを浮かべて鋭い目で兇闇を見据えた。その威圧感に押し負け、兇闇は危うく背に乗せているラスティを落としかける。

「単純な力、修練により身につけた技術、己が信念や憧れ、善や悪と言う認識……そして絆≠ニ言うものも、力のうち一つになり得るのだよ。彼らにとっては兄と妹か、男と女か、何かそれ以外か……それは解らんが、ね」

 全てを見通すような微笑を湛えたその青年に、もはや兇闇は言葉を返す術を持たなかった。

「まぁ、二人が出会う前にどちらかを消されてしまっては終わりなのだが……それはもはや天に任せるしかあるまい」

 ……天網恢々(てんもうかいかい)疎にして漏らさずと言うが、この男はまさに天なのだ。一見何もしていないように見えて、善行も悪行も全てを見据え、何もかもを自分の思うとおりに動かす……主としてはこれほど頼もしい存在はないが、それと同時に恐ろしくもある。
 何せ、自分が何に使われているのか皆目見当もつかないのだ。現に限ってあり得ないとは思うが、捨て駒にされる可能性だって捨てきれない。並の主ならばまだ予測もできよう、しかし現の思考ともなるとまるで読めないのだ。……まるで、彼の人格は全てが作り物であるかのように。
 そんな兇闇の考えを知ってか知らずか、現は静かな微笑を湛えたまま皆のいる方へと歩き始める。その延長線上には、あの巨大戦艦きびだんご(仮)の姿もあった。

「さあ、いつまでもここにおるわけにもいくまい。ラスネールを寝かしてやらねばならぬな、それに皆にも暫しの休息が必要なようだ」

 そう言うと、現は兇闇の背中からラスティをひょいと持ち上げ、抱きかかえて、水たまりの多く残る湿原を音もなく歩いていった。

 誰も、すぐには現の後を追えないでいた。
 ライトが、ルナが、リミルが、聖が、今まさに危険な目に遭っていると言うのに、何の躊躇もなしに遺跡に背を向けることができずにいたのだろう。
 やがてコスモがふらりとその後を追い、ルシフェルやラファエルがそれに続いた。

 ……兇闇の読みでは、今この街に、いや、ひいては世界に何かが起きているのは間違いない。そして、現がそのために動いていると言うことも。問題はそれが何であるのか、見当もつかないと言う点だが……いずれ明らかになるその時を待つしかないのだろう。
 右手に残された数枚の紙を見つめ、兇闇も四人の後ろ姿を追いかけた。



 ――――



「……現」

 静かに、自分を抱きかかえる者の名を呼んだ。彼は貼り付けたような微笑でそれに応じる。贋物(がんぶつ)の表情だ、あまり好きな顔ではない。

「何かな?」
「私、正直怖いよ」

 そこまで深刻そうな雰囲気が出ないように、意識的に笑いながら言う。

「今この世界に何が起こってるのかが理解できない……亜存在、鐫界器、時の隔絶、知れば知るほど解らないことが増えていくんだ」

 しかし、これは紛れもなく自分の本心だった。彼もそれを感じ取ったのか、仮面を取り払い、表情を自分本来の笑顔に変える。

「フフ、悪を裁く天下の殺人鬼ラスネールが、随分と弱気になったものだね」
「その名で呼ぶのはやめてよ、不本意な名前だ……」

 笑みを保つのを止め、彼の服を掴んだ。まだ魔法の威力が残っているのか、指のような末端には殆ど力が入らない。

「でも、このままじゃ私はまた殺人鬼に戻らなきゃいけなくなる」
「それは無い」

 あまりにもはっきりと否定されたものだから、思わず顔を上げた。彼は何かを説く時にする、目を細めた優しい笑顔でこちらの目を見つめてくる。

「それは無いのだ、ラスティ。錆びた釘(ラスティ・ネイル)は確かに周囲を腐食させ、抜くこともままならぬが、磨けば元の輝きを取り戻すはずだ」

 ……どうも、彼の瞳には魔力のようなものが宿っているように思えてならない。目を合わせると今のように心の底から安心することもあれば、時には圧倒的な威圧感でねじ伏せられることもあるのだ。
 不意に、身体の揺れが止んだ。改めて周囲を見ると、どうやらあの飛行艇の出入口に着いたらしい。彼は最後にもう一度台詞を続け、目を閉じた。

「長たる者、須く常に冷静であるべし……もはや主要な手駒は揃いつつある、君も一人でいる必要はない」
「優しいんだね……でも、私は一人でいるのが好きなんだ」

 そんな軽い嘘をついて、心配をかけないように笑ってみせる。その笑顔は、ひょっとしたら彼には悲しげな笑み≠ノ見えているのだろうか、全てを理解してくれたような顔で、彼は視線を外した。
 今のところは、これでいい。いつか必ず、この盈虧刃が必要とされる時が来る……その日まではこれでいいのだ。
 誰かと共に歩むには、この手は汚れすぎた。


 現はそっと振り返り、後を追ってくる自分の部下達を見据えていた。
 いや、その焦点は、彼らにはなかったように思える。例えばその遙か向こう、雲の切れ間から見える黄金色の太陽に……



「支流も本流も同じだ、今、燦爛たる始まりは黯然とした終端へと動き始めた……後は刮目(かつもく)して見よ、私たちにはそれしかできぬのだからな……」







第一章:雨粒が奏でる序曲

第二章:エンドレス・パーティー

第三章:盈虚の指標

第四章:燦爛たる始まりは黯然とした終端へ ←いまここ

第五章:白い亡霊

第六章:Der blaue Himmel




inserted by FC2 system