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 記憶の川を、一枚の葉が流れてゆく。

 流れ流れて、沈み、消えてゆく。


 鬱蒼(うっそう)()い茂る森の中、老人と少女は、ただ静かにそれを眺めていた。



斯く在れかし(AMEN)、決定された形骸と、籠の中たゆたう意志……」

 低く落ち着いた、だがどこか胡散臭い声が、深い森の奥に響いた。

お嬢さん(LASSIE)……」

 黒衣の老人が、モノクル越しの透き通った視線を少女に向ける。
 その眼差しは、優しい笑みを湛えながらも、多分に憂いを含んでいるようだった。

「君は、どちらに属するものなのかね?」

 少女は答えず、じっと自らの足下を見る。
 その無言の回答に、老人は自嘲の笑みを浮かべ、ただ静かに天を仰いだ。

「……主よ、汝の業は永遠なり(AMEN)



 さらり、さらり、記憶の川は緩やかに流れてゆく。
 人が永遠を願い続ける限り、その流れは決して留まることはない。
 原初の大海へと、落ち葉を流し、澱を沈めながら。


 願わくば


 楽園に許されざる少女は、ただゆらゆらと歌い続ける。

 いつの日か、この永劫と剥落の川を抜け、あの鳥のように、遙か自由な空へ。
 何を考える暇もなく、ただ落ちぬように必死で羽ばたき、一緒に笑い合える人さえいない、自由な――――


 …………。



 ――――

 Weiß gespenst.
  第三章 盈虚(えいきょ)の指標

 ――――



 視界も思考も、共に混濁していた。
 寿命の近い蛍光灯のような薄ぼんやりとした明かりが、薄い涙の皮膜に滲んでいる。頬に感じる漠然とした冷たさは、液体のような脳をだんだんと固化させてゆき、そうしてふっと(せき)を切るように、ライトは目を覚ました。

 まず最初に目に入ったのは、薄明かりに照らされた石造りの床だった。明滅する光はどうやら夜光虫のような虫のものらしく、しかしライトの知っている夜光虫のそれよりも遙かに強い。
 周囲の様子を伺うため立ち上がろうとすると、動きを見せる前に右腕をくいと引かれ、止められた。何かと思い、未だ明確とは言えない視線を向けると、ライトの右腕には別の手がしっかりと繋がれていた。視線の延長線上には、仰向けに倒れたリミルも見える。見ると天井に穴はなく、兇闇(まがつやみ)(ひじり)の姿も見えない。どうやら落ちる際に手を繋いでいたおかげで、ライトとリミルだけはまとめて同じ場所へと落とされたらしい。

 左手首の腕時計を確認すると、それほど時間は経っていないらしい。落下時に少し放心状態に陥っていたのだろう、衝撃による気絶ではないことは、身体に全く痛みがないことから読み取れる。

「不幸中の幸い、ってやつかね……」

 自身の冷静を保つため、敢えて言葉に出してから深く息を吐く。とは言え、どれだけ冷静になろうとしてもライトの分析力はこれが限界らしく、これ以上を考えようとしても心底の混乱が絡みつき、冷静さが喰われてしまう。
 ライトは溜息と共に思考を切り上げ、ゆっくりと上体を起こして隣のリミルを揺り起こした。

「ヘーイ起きろリミル、もう朝だぞー」

 しっかりと肩を掴み、高橋名人もびっくりするような回数の震動を数秒のうちに叩き込む。あまりの速さに逆にゆっくり動いているように見えたり、なんかリミルがたくさんいるように見えたりした後にピタリと停止し、リミルは目を閉じたまま僅かに当惑したような表情をして呟いた。

「んー、あと五分――」
「ベタな!」

「――ほどあれば、このウサギは世界の全てのミドリガメを呑み込むであろう……」
「やっぱベタじゃねぇや! ってどんな夢見てんだよオイ」
「ぅわあー! み、耳を掴むなーッ!」

 空いた方の腕でリミルの動物的な長い耳を掴んだ瞬間、彼女は弾かれたように飛び退き、左耳を掌でくるんで防御しながら、驚いたような顔でライトを見返した。その動きにつられて砂埃が宙に舞い、夜光虫の明かりに照らされて、僅かに視界を曇らせる。

「あれ、ライト……?」
「ようやくお目覚めかお姫様。起き抜けに何だが、あんま変な能力持ったウサギは飼うなよ」

 リミルは何があったのか理解できていないらしく、暫くの間、口をぽかんと開けたまま虚空を見つめて呆けていたが、やがて自分がライトの手を握りしめていることに気付き、慌ててそれを離した。また、その手に赤く残った痕から、自分が今ここにいる経緯も思い出したらしい。周囲の様子を素早く確認してから、リミルは大きな溜息と共に俯いた。

「あの校長、帰ったら百と八回燃やしてやる……」
「魂まで浄化されちまいそうだな」

 ライトは軽く笑って答え、服の埃を払いながら立ち上がった。見渡す視線の先には、ただひたすらに長い通路だけが見える。背後へ進む道は精密に組まれた石の壁で塞がれているので、これから取るべき進路は既に決まっているようだった。

「よっしゃ、早いとこ戻って皆と合流するぞ」

 そう言ってライトが歩き出すと、リミルも慌てて立ち上がり、その背後へと駆け寄ってきた。

「ちょ、ちょっと待ってよ! こう言う時はヘタに動いちゃ――わっ!」

 ライトは唐突に足を止めて身体を反転させ、勢いを殺しきれずに衝突してきたリミルを受け止めてから、にやりと楽しげな笑みを浮かべて、硬直気味のリミルの頭を撫でながら、極力穏やかな声で語りかける。

「リミルゥ」
「な、なに……よ」

 怯えたような小さな声で返すリミルの、震える子羊のような瞳を見据えて、ライトはそっと顔を近づけ、ややあって、心底から楽しそうに三日月の形に口の端を吊り上げた。

「こォんな面白い状況、こっちも動かねぇと損だっつーのよーッ」

 リミルの頭をくしゃくしゃに撫でながら軽快にそう言い放ち、ライトはくるりと振り返って腰に手を宛て、どこぞの悪役のような高笑いを始めた。リミルは暫し呆然と硬直していたが、幾許かの間を置いてからがくりと項垂れ、疲れ果てたような顔で唇を開く。

「わかったよ、確かにそーいう奴だった、キミは……あーびっくりした」
「ははは、発想がエロいんじゃねーのー?」
「アンタにだけは言われたくないよ、このシスコンっ!」

 ライトの頭を手の甲で軽く叩き、むすっと口を尖らせて腕組みをするリミル。言われたライトも言葉を訂正するでもなく、ただにやにやと楽しげな微笑を浮かべているだけだった。実際に彼が妹であるルナを溺愛しているのは事実であり、逐一言い返すほどのことでもないと判断したからだ。
 ライトの価値観では、人の器とは心の広さが多大に関わってくるものと信じている。たいした損害もないくせに、ただ言われたことだけで激昂するような人間のなんと低俗なことか。まぁ、そんな感性を理解できないからこそ、ライトはこうして怒りを知らぬ道化≠地で行くことができている。やはりどんな状況も楽しまねば損と言うものだ。思考はいつでもエンジョイライフ、これ鉄則。

「っつーても、早く戻った方がいい事は確かだな。あのコスモの視力をかいくぐるとは、校長もわりと本気出してるらしい」

 顎に手を宛い、目を細めて天井の夜光虫を見据える。その言葉に、リミルは不思議そうな表情をしてライトの顔を覗き込んだ。

「ん……、ライトってコスモのこと前から知ってたの?」
「あー、なかなか面白い奴だからな、わりと一緒に遊んだりしてたよ」

 ライトはそれから少し考える素振りを見せ、補足するように台詞を繋げた。

「あいつの視力は少々特殊で、屋外は勿論、こんな洞窟でも二十メートルくらいまでの範囲を視認できるし、音も聞こえる。ただし視点が自分から離れちまえば、自分の近くで起きてることもわからない。レミングスのプレイヤー視点みたいなもんかね、(もっと)も普段は普通の視界と変わらないようにしてるらしいけど」

 文章ごとに間をおいて、言葉を作りながら喋るライトに、リミルは「ふーん」と相づちを打って、質問と言うよりは確認するように訊ねる。

「じゃあ、ぼくたちの居場所も判るんじゃないの?」

 その言葉にはっとして、ライトは構えるように虚空を睨んだ。そして、人差し指をまっすぐに突き出し、まるで舞台上の役者のように声を張り上げて、糾弾(きゅうだん)するかのように叫ぶ。

「コスモ、貴様見ているなッ! 見ていたらその場で笑いながら剣玉をしつつ高速、かつ連続でサマーソルトを繰り出し『ゴートゥDMC! ゴートゥDMC!』と――」
「いきなり何言い出したのアンタ!?」
「いや、なんかつい」
「ホントに見てたら大変でしょうが! 唐突に『できるか――ッ!!』とかツッコミ入れて場を混乱させるよあの子!」

 上体を乗り出すようにして、的確なことこの上ない予測を述べるリミル。対するライトはそんな彼女の額に指先で触れ、その勢いを削いだ。
 ライトはくるりと振り返り、扇のように広げた掌を口許に宛って片方の瞼を閉じ、静かな微笑を湛えて暗闇の奥へと視線を移した。

「さぁて、前章と照らし合わせて時間軸の整合も取れたところで、そろそろ行きましょうか」
「登場人物が物語上の都合に口出ししちゃダメだって……その意味のないポーズは何?」

 リミルは呆れたように肩を落とし、一筋の汗を流して、冷めた視線をライトに向ける。その空気の温度差にあてられたかのように、天井付近を舞っていた夜光虫のうち一匹が、ぽとりと床に落ちて転がった。やがて夜光虫が光を失い動かなくなると、まだ飛んでいたうちの数匹がそれに群がり、光の球体を作り上げた。どうやら仲間の死骸を喰って生きているらしい。

「……うわ」

 それを見たリミルは露骨な嫌悪感をその二文字の内に込めて吐き出し、それから目を背けるようにライトの隣へと歩み寄った。
 無理もない、初めて会ったときからリミルは理想主義を絵に描いたような人格だった。種の保存のため友の死体を喰らう、これが自然として在るべき姿なのだと納得できないのだろう。いや、ただ虫が嫌いなだけだったかな……まあ今はそんなことはどうでもいい。

「よし、脱出するぜ! ついてこい野郎共!」
「野郎はアンタだけよ! て言うか、もう少し間を意識して動きなさいよっ、私達の話ただでさえ地の文少ないんだからー!」

 乾いた音をたてて二人は地を蹴り、脱出に向けて最初の一歩を踏み出した――

「*おおっと!*」

 ――ら、そこにまさかの落とし穴(トラップホール)。ベトナム戦争でも使われていた、人を落としたり、狩猟時に用いて動物を捕らえたり、攻撃力1000以上のモンスターが召還・反転召還された時にそのモンスターを破壊したりする典型的トラップ……と言うか、まさに先刻ひっかかったものと同じである。

「ま、また罠ぁー!?」

 リミルの叫声が(こだま)する中、二人の影は為す術もなく宙に舞った。
 足元から離れた重力は二人の身体を絡め取り、奈落の底へと引き込もうと暗闇に笑みを湛える。身体を貫くナイフのような冷たい恐怖に心臓を掴まれ、それでもライトはリミルの身体をしっかりと掴み、引力に逆らうかのように、直下の暗闇に右腕を突き出した。

「心配いらん、召還術だ! いでよドラゴンー!」

 ライトの右手が微かに煌めき、数刹那の後に、円形に伸びる光の帯が暗闇を照らした。眩くような閃光が視界を白く染め、次の瞬間。「でっていう」と言う鳴き声と共に、緑色の大トカゲのような生命体が暗闇に現出し、二人をその背に受け止めた。

「なんかカメと接触しただけでピューっと逃げ出しそうなドラゴンが出ましたけど!?」
「この状況を打破するには充分さ、それ二段ジャーンプ!」

 ぽいーん、と何とも情けない効果音を出し、緑色の生命体を踏み台にして対岸へと華麗に着地するライト。漆黒の闇に消えてゆく緑色の生命体は、表情一つ変えずに二人を見ていた。ドナドナ≠ノ出てくる売られてゆく子牛の瞳は、ひょっとしたらこんな感じかも知れない。

「あああああでっていうが谷底にィー!」
「君の犠牲は無駄にはしないぜ……運が良ければまた会おう、ドーナツ平野の裏道のブロックとか叩いたときにでも……」

 抱え上げていたリミルを地に降ろし、ライトは「赤色兄貴はクールに去るぜ」と静かに呟いて、何故か屋内なのに微風が吹き下ろす洞窟を悠然と歩いていった。リミルも今や完全に気勢を削がれてしまっているようで、現状の理解を諦めたような表情で彼の影を追う。

 まるで田舎からの修学旅行客のように、きょろきょろと無意味に周囲を見回しながら、二人は道なりに歩いていった。壁には見る限り一面に絵画が彫り込まれており、間隙(かんげき)にはその時代の文字と思しき記号が(ちりば)められている。
 その絵のうち一枚に顔を近づけて、リミルは少し難しい顔をしたあと、すぐに肩を落として回れ右をした。

「ダメだー、こんな言語の存在自体知らないよ……」

 ちらと見てみると、リミルが読み解こうとしていたのは十字架らしきモチーフを中央に、そして鐘のようなシルエットをその上にあしらっただけの、文字ばかりの一枚だった。もっと大きな絵が描かれているパネルを選べば、それも少しは解読の手伝いになったろうに。ライトは軽く溜息をつくと、自分も壁の彫刻に顔を近づけた。

「語りし(とぎ)は遺忘の果て、烙印と謳う古き碧空(へきくう)は、(あけ)(かがや)き朽木に(なだ)る……(つるぎ)韜晦(とうかい)されど、(とき)俊傑(しゅんけつ)()かる咎人(とがびと)慟哭(どうこく)すらも(まか)らぬ。泡沫(うたかた)と蒼穹、記憶の果てに交錯し因果の澱となれ、覆滅(ふくめつ)せし(あかつき)(ひこばえ)現世(うつしよ)に惑い、幽世(かくりよ)(くるめ)く先に睡る……覚醒の刻まで、静謐(せいひつ)な棺の底で」

 そこまで読み上げ、ライトは乱暴に頭を掻きながら、複雑な記号の群れから顔を離した。そして少し考え込むような動作を見せてから、ぽかんと口を開けているリミルに緩みきった笑顔を向け、広げた掌をひらひらと振った。

「読めたは読めたけどダメだな、言い回しが複雑すぎて何を言いたいのかさっぱり判んねーわ」

 そうやって軽口を叩くライトとは裏腹に、リミルは引きつったような張りぼての笑みを浮かべ、冷や汗を垂らしながら上目遣いにライトを見据え、おずおずと唇を開く。

「あんた、マジで何者なの……?」
「亜人の学生、種族は夢幻竜。平たく言うとムゲンドラモン」
「はぐらかさないでっ」

 リミルは威嚇するように語調を強めて、ライトの眉間に向けて人差し指を突き出し、台詞を遮った。どうやら彼女の中では、ライトはただちょっと特化しているだけの人≠ナは済まないらしい。ライトからして見れば、リミルだって充分に異常だと思うのだが――特に、こうして異常≠ニ正常≠フ明確な境界線が理解できているあたりが。

「確かにキミの反応速度や戦闘スキルはただの学生レベル。でも知識や行動力は異常だよ、まるで……」

 そこまで言うと、リミルは突き付けていた指を下ろして、躊躇の為か目線を反らす。

「……ぼくらに会う以前にも、何かあったみたい。さっきだって簡単に召還術なんてやって見せたし、ただの亜人とは思えない」

 そうして放たれたその台詞は、ライトにとって予想通りのものだった……が、込められた意味についてはその限りではなかった。
 リミルは潤んだ瞳でライトをじっと見つめているが、その視線は詰問(きつもん)や非難のそれではない。まるでライトの身を憂慮(ゆうりょ)しているかのような不安げな視線。まっすぐに射抜かれた眼孔(がんこう)の奥がくらりと暗転しかけ、崩れたバランスをとるために右足を後ろに踏み出す。

 驚いた。彼女は自分の言っていることが解っているのだろうか。
 確かに亜人種は比較的自由に魔力を扱えるため、種の限界≠ニ言うものが非常に高い位置にある。極端なことを言えば、例え刃物で斬りつけられても傷一つ付かないようなレベルまで実力が開くことさえ、そう驚くことではない。
 しかし、科学の大きな発展には戦争が必要であるように、ライトのような子供がそこまで魔力の扱いに慣れるには実戦が不可欠である。それも、殴り合いの喧嘩とはわけが違う、本物の殺し合いのことだ。百メートル離れた針の穴さえ通すような正確な魔力のコントロールは、日常生活で身に付くような代物ではない。魔力は魔力同士ぶつかり合って初めて限界へと近づけるものなのだ。
 しかし、ライトには肝心の戦闘技術が欠けている。立場上、他の亜人に比べたら高い方かも知れないが、少なくとも目の前のリミルには負けるだろう。つまり、ライトの魔力の質は正規のものではない■リミルがそれに気付いていないとは思いがたいが、ライトはひとまず試してみることにした。

「ハハハ、そりゃ俺がちょっと歴史に興味があっただけだって。この文字は文法も音もほとんど今のものと同じだ、解読すると同時に翻訳できた理由はそれ。あの召還術の陣は昔イギリスの貴族同士がでっかい魔法戦した時の記録に残ってるじゃねーか、その辺りの歴史学んでる時に覚えたのが役に立っちゃったってわけさァ」

 よくもまあ、こうスラスラと言葉が出てくるものだ。少しばかり饒舌(じょうぜつ)になりすぎたようにも思えるが、この程度なら大した影響はないだろう。
 ライトは出方を窺うような視線をリミルに向けて、口許に小さな笑みを浮かべた。対するリミルは表情一つ変えず、腕を組んで短く溜息をつき、片足で石畳を(こす)って(はす)に構えながら、呟くように小さく問いかける。

「じゃあ、確かめさせて貰うわ。その貴族のうち一人が当時の女王エリザベスに秘密裏に依頼された内容は?」
「あー、ヴァンパイアの討伐じゃなかったかな」

 ライトの答えを聞いて、リミルは静かに瞼を閉じてから、

「正解……でも、やっぱりキミが言ってたことは嘘っ!」

 と、いきなり満面の笑みを迎えてライトに向き直った。あまりに唐突なその変わり様に気圧されて、ライトは半歩ほど後ずさり、リミルはそれに追い打ちをかけるように、自分の人差し指をライトの胸部に押しあてた。

「その当時の女王の名前はエリザベスじゃなくてヴィクトリア……細かい知識はそれなりにあっても、歴史を学ぶついで≠ノ複雑な魔法を覚えちゃうような歴史好きの人が、そんな大っきい間違い見逃すのっておかしいよね?」

 そう言ってにこりと笑うリミルに、ライトは降参の意を示すように溜息をついてから、感嘆の情を込めた微笑を返した。

「……やっぱ見抜いてたかい、なかなかの慧眼(けいがん)だよ、優等生」
「どうもっ」

 元々あまり大きくはない胸を張って、得意げに短く答えるリミル。僅か十六歳にしてこの知識と知恵、そして機転。やはり彼女の方がライトよりもよほど怪物じみているようにも思える。もし間違った方向に成長してしまったら、ひょっとしたら国一つ動かせるほどの詐欺師にだってなれるかもしれない。

「ったく、もっと早くお前と知り合ってれば良かったのになァ」

 目を細めて、静かに呟くライト。リミルはまともな物言いをするライトが珍しいのか、その感情を推し量ろうとするように、恐る恐るライトの表情を窺っていた。本人は気付かれていないつもりなのだろうが、視界の影にちらちらと不安げな金色の髪と耳が揺れているのが見える。
 そう言えば、彼女はそう言う性格だった。自分が辛い時は無理をしてでも堪え、明るく振る舞っているくせに、他人の辛さに対しては全力で胃を痛める。善の人と言うよりは、絶望的に要領が悪いのである。こればかりは自慢の知識を以てしても解決できはしないだろう。
 ライトは少し微笑んで、リミルに向き直った。その一瞬のうちに表情を元に戻す彼女のことを、きっと今、ライトは強がっている妹を見るのと同じ瞳で見ているのだろう。自分自身でも理由の理解できない溜息を一つ吐き出し、手の甲で軽くリミルの額を叩く。

「はーいはいはい、脱出したらみんな話してやるさ。念のため離れてついてくるよう′セってあったから、上の皆も大丈夫だろうし」

 そこまで言うと、ライトはポケットに手を入れて、爽やかな笑顔で天井を仰いだ。

「まー、問題は無事に合流できるかどうかなんだけどなぁ、特に俺達」
「は……え?」

 細く瞼を開き、謎の発光体を用いてキラリと目を光らせる。

「そろそろ来るぜェ、流れ的に」

 直後、リミルの背後で壁が弾けた。細かな破片が水飛沫(みずしぶき)のように舞い散り、二人が張った魔力シールドがその一部を弾いた。魔力制御の初歩とは言え、たいして戦闘訓練を受けていない二人のものでは全ては防ぎきれず、幾つかの破片が肌を掠めてゆく。
 石の雨が止み、その向こうの暗闇に赤い煌めきが見えた瞬間、ライトはポケットから剛剣マンジカブラ+99を引き抜いて、光を目掛けて投げつけた。

「よし、ヒット!」
「ここはツッコむべきところ?」
「可能ならな」

 早口で言葉を交わしつつも、ライトはリミルの手を取って駆け出した。昔から何かと歩くことが多かったため、脚力には自信がある。リミルの腕も最初こそ重く感じたが、二つほど角を曲がれば負担は感じなくなっていた。速度が追いついたことを確認し、掴んでいた手を離す。何か話そうとしたが、声が出なかった。
 もう一つ、角を曲がる。地に足をつく間隔よりも、心臓が鳴る間隔の方が早くなっていた。肺が半分程度しか機能していないかのように息が苦しい。もうそろそろペースを緩めるか、と思った瞬間、背後から音も姿もない気配が二人を追い抜いた。

 それはまるで水中から飛び出すように、壁に波紋をたてながら現れた。独楽(こま)――いや、どちらかと言うと弥次郎兵衛(やじろべえ)のような、細長い円錐で立つ不安定なシルエット。中心の大きな球体を取り巻くように銀色の鎧が浮遊し、その左右には衛星のように二つの球体が浮かんでいる。それぞれに生えた無機的な五本の触手から見て、恐らく手のようなものだろう。最上部には頭部らしき金属塊が突き出ており、背後には大きな二枚の羽根や長い尾も見え隠れしている。

「ま、またなんか強そうなのが出てきたね……?」
「なんというボス仕様デザイン……一目見ただけで強敵だと解ってしまった、俺達は間違いなく勝てない」

 二人は苦笑しながら顔を見合わせ、再び目の前の試練に向き直った。それぞれが自分なりに構えを取り、いつでも盾を展開できるように魔力を指先に現出させ始める。
 魔法戦の基本は、何よりも相手の攻撃を防ぐことだ……と、現に教わったことがある。高速で展開されてゆく戦況の中、攻撃魔法の威力はたったの一撃当たっただけでも致命傷になりかねない。うまく避けることができればいいのだが、どうやっても避けることができない魔法も存在する。普通はそれに対抗するのにシールドを使うものなのだが、咄嗟に完全な盾を展開させるには如何せん技術が足りないのだ。

「で、消極的な戦い方でコレに勝てると思うか、秀才さん?」

 ライトは小声で呟き、リミルも小声でそれに返す。

「ズバッと言っちゃって悪いんだけど、たぶん無理だと思うよ、天才さん」

 暫し、沈黙が流れる。天井を彩る夜光虫の羽音がいやに大きく、冷たく聞こえた。
 通路を塞ぐ銀色の番兵は、浮遊している五指を広げてただ静止している。ここは通さない、とでも言いたげな頭部のレンズは、静寂の中で確かな威圧感を二人に投げかけていた。
 乱れていた息も次第に整いつつある。ライトは最後に深く息を吐き、平坦な声で今一度唇を開く。

「それじゃあ、どうしたらいいと思うかね」
「そこは決まってるでしょ」

 リミルが言い終わらない内に、二人は前傾気味に構え直し、一瞬だけ視線を合わせてから、じっと佇んでいるロボットを睨み付けた。

「三十六計!」
「逃げるが勝ちー!」

 甲高い破裂音と共に、青白い光が通路を満たした。リミルが放った高圧電流の閃光はロボットの中央を撃ち、膨張した空気が轟音を響かせる。ライトは魔力を纏った右腕で眼を守りつつも爆発音の方向へと疾走し、ロボットのレンズ目掛けて腕を掲げながら飛び込んだ。
 二度目の爆発。赤いレンズから放たれたレーザーを魔力の盾が受け止め、ライトはそのエネルギーが拡散する前にロボットの頭部へと掌を叩き込んだ。そしてリミルが追いついてきているのを確認し、ポケットから煙玉を取り出して放り投げる。濃い煙幕が周囲を包み、ロボットの姿は見えなくなった。

「とにかく皆と合流しよう、二人じゃ何やっても勝てやしねぇ」

 淡く明滅する蛍光色に照らされ、二人は薄暗い通路を走り抜けてゆく。
 コスモなら、既にライト達が置かれている状況に気付いていると見て間違いはなさそうだ。あとは時間と運との勝負、彼女らが来るまで耐えきるしかない。

「でも、それまで……逃げ切れる、のかなっ」

 疲労感を多分に(はら)んだ声。どうやらリミルは長距離走には不向きな性質らしく、呼吸の間隔を保てずに苦労しているようだ。
 ライトは再びリミルの手を掴み、その手を引きながら早口で言う。

「魔力を観察してみたところ、あいつの動き自体はそこまで速くない。危険なのは壁と一体化しての瞬間移動だけと見たッ」
「もうホント、なんなのその観察力、正直羨ましいわ……」

 驚きと呆れが()い交ぜになった物言いに、リミルが普段通り冷静であることが確認できた。

「でもさ、それじゃ結局いつかは追いつかれちゃうんじゃない?」

 実際、彼女が言う通りだった。あのロボットと邂逅(かいこう)、逃走してからここに来るまで、曲がり角は幾つかあったが、分岐点は未だ見当たらない。完全に一本道なのだ。いかに瞬間移動と言っても連続で使えるものではないらしいが、それでもライト達の走る速さなどから次に移動すべき場所を割り出すことぐらいはできるだろう。移動できるエネルギーが溜まれば、あのロボットはまず間違いなく二人の進む先に現れる。恐らく先刻の移動もそうして計算していたのだろう。
 しかし、先刻と同じような手はそう何度も使えない。ろくに間隔も置かずにあんな大魔法を使わせていたら、リミルの魔力はすぐに枯渇(こかつ)する。魔力というものは本来生命を維持するために魂魄(こんぱく)から生み出されるエネルギー、それは決して無尽蔵ではないのだ。
 かと言って、移動の予兆を読んで現出の瞬間に壁ごと叩くなどと言う真似はできない。兇闇や聖なら可能だったのだろうが、亜存在とか言うよくわからない化物と戦い続けてきた彼らは、同じ学生でもライト達とは明らかに一線を画している。

 ……ライトの策はもはや賭けに近い。敵がプログラムに従って動いている機械であると言うこと――同じ動きをすれば何度でも同じ反応を返すと言う推測を元にした賭けだ。あとは右腕に現出させている魔力に頼るしかない。

「ま、どうにかなるって」

 そんな軽い言葉を呟いて、ライトはにやりと笑って見せた。
 一つ、二つと角を曲がり、疲れを抑えて走り続ける。その間もやはり分岐点は見つからず、この通路が計算され尽くした造りであることを確信した。それと同時に、僅かに抱えていた不安感も増大してゆく。設計者の頭に展開されたこの檻、果たして自分の策で上回ることが出来るのだろうか。
 そして三つ目の角を曲がったところで、あのロボットが再び狭い通路に立ちふさがった。ライト達のいる位置とはおよそ十メートルほど離れており、通路の狭さからして向こうに抜けるのは難しいと見える。

「ホラ来ちゃった、どうすんの?」

 息を切らしながら訊ねるリミルを左手で制し、魔力の現出を止めた右腕をまっすぐに突き出す。

「もう一度逃げるッ」

 ライトは短く答え、溜めていた魔力を全て使って巨大な魔力シールドを形成した。直後、その光の膜に波紋が走る。狙い通り、敵の放ったレーザーが直撃したらしい。ライトはすぐにシールドを解き、リミルの手を取って身体を反転させ、今さっき曲がった角を再び曲がる。

「ちょっ、こっち逃げても行き止まりだよ、結局いたちごっこじゃないかっ!」

 リミルの言葉には答えず、ライトは通路を走り続けた。そしてもう一つ角を曲がったところで唐突に足を止め、左手首の腕時計に素早く視線を移す。夜光虫の明かりだけでは少し見難いが、全く読めない程ではなかった。

「なに、一体何なのさ走ったり止まったり――むぐ」

 ライトはひとまずリミルを黙らせ、それから慎重に曲がり角の向こうの様子を伺い、二人を追う気配がないことを確認すると、リミルの口に突っ込んでいた手を戻した。

「い、いきなり年頃のおなごの口ん中に指突っ込むとはどういう了見よこのやろー……」
「いや、黙らせようと思ったらちょっと勢いがつきすぎたのさ」

 悪びれた様子もなく答えるライトに呆れの色を示しながら、リミルは腰に手を宛てて溜息を一つつき、

「まぁ、君の考えてることは理解できたよ」

 と小声で呟いた。

「逃げたように見せかけて移動の隙をつくわけね……敵は瞬間移動しか出来ないわけだし、その座標決定も見てやってるわけじゃない」

 言いながら、リミルはかりかりと耳の裏を掻き、静謐な通路を今一度見渡した。相変わらず、静かな羽音を立てて夜光虫が飛び交っているだけだ。それ以外は空気の巡る様子すらない。視線の変遷(へんせん)をなぞり、ライトは軽く息をついた。

「動くものが俺達だけならセンサーに引っかかる可能性もあるが、こんな夜光虫だらけの場所じゃ正常に作動しやしねぇよ。壁の中に潜みながら現出する場所を決めるなんて真似は下手にできないみたいだしな」
「それはぼくも感じたよ、たぶん壁と同化して増えた分の密度を減らし、代わりに移動先の壁の密度を濃くすることによって、そこに移るんだと思う……質量はちゃんと保存しないと、特殊相対性理論にもある質量とエネルギーの等価性≠ノ逆らうことになるし、余剰エネルギーを発散させる必要が」
「よーし難しくて俺には理解できんくなってきたァ」

 ライトはリミルの言葉を遮るように彼女に背を向け、あっけらかんと言い放った。
 別にライトもそこまで考えていたわけではない。ただ、一回目の出現は狙い澄ましたかのようにライト達の真横から現れたのに、二度目、三度目は出現位置にかなりの誤差があった。思考の根拠はそれだけである。リミルの言っていることから完全に意味を汲み取れたわけではないが、簡単に解釈すると、根拠に裏付けが加わったと言うことだろう。
 そうだ、今はこうして冷静に考えなければならない。空気に呑まれて、冷静さを欠いて、簡単な理屈を見落としてはならない。ただ一度の失敗が命取りになるのだから。

「ともかく、あと一分ほど待機したら全力で突っ走るぜェ」
「疲れたんだけど……」
「苦情は受け付けません!」

 リミルの申し出を斬り捨てるように言って、ライトは手首の文字盤に視線を落とした。電子が投影する無機質な数字は、敵が移動を可能とするまで一分半と表示している。……二度目の移動から三度目の移動までの間隔と、今回の間隔が変わらなかった場合は……と言う(ただ)し書き付きではあるが。気が動転していてライトが時間を正確に計れていなかった場合も、もちろん失敗することになる。しかし、そんなことを逐一気にしていては何もできまい。当たって砕けろ、だ。(できれば砕けるのは相手であるのが望ましい)

「ね、ライト……」

 その声は、この至近距離でもうまく聞き取れないほど小さな囁きだった。ライトがリミルに視線を向けると、彼女は睨むような眼光でライトを制した。先刻の声といい、極力誰にも気取られぬように動けと言うことらしい。ライトは名前を呼ばれた素振りも見せないよう、目線だけでリミルに訊ねた。彼女は僅かに逡巡したように見えたが、すぐに先程のような小声で囁く。

「向こう、誰かいる」

 リミルが瞳で指した先――通路の向こう、ライト達のいる角とは逆の角から、ほんの僅かだけ、夜光虫の明かりに照らされた影が覗いていた。それは単純にそこにいるだけのものではなく、明らかにこちらを監視していた。

「どうすべきかな……これ」

 訊かれても困る、と、その一言がライトの正直な回答だった。極端に場所が離れているわけではないが、この暗さでは、その影がどうやら人の頭部らしいと言うことしか解らない。
 声をかけるか……いや、そんな浅はかな真似はできない。向こうはこちらを監視しているのだ。偶然迷い込んだとか、そういった類の者なら、その行動は自然だろうか。
 ……と言うと、自然かも知れない。見知らぬ人間がいたら、まずは様子を伺うものだろう。いや……しかし、いつからああしているのだろう。移動まであと一分。時間がない。あのロボットは、そこにいる人影に気付いているのだろうか。遭遇したのだろうか。そいつは……今までどこにいた?
 どう行動するのが正しいのか、ライトには解らなかった。冷静に考えなければならない。それは解っているのだが、制限時間がその思考に束縛をかける。この機を逃せば、目標を見失ったロボットは出鱈目に二人を捜し始めるだろう。そこにいる人影は、その捜索の手から救うべき存在か? それとも、ここで時間を取らされてはならない存在か? その判別が、どうしてもつかない。
 そして、そう考えているうちに時間は無くなっていた。

「時間だ、走るぞリミル!」
「え……ちょ、ほっとくの!?」

 靴の裏で地面を打ちつけながら、ライトはしまったと考えていた。今のリミルの台詞で、ライト達があの人影に気付いていたと伝わってしまった。リミルも同じことを考えていたらしく、走りながら申し訳なさそうに自分の口を押さえ、「ごめ……」と小さく呟いている。
 いちいち過ぎたことで悩んでいても仕方がない。それは解っている。 ……しかし、何かを忘れているような、奇妙な不安を感じる。コロンブスの卵≠ナはないが、いかに単純な理論でも、それに気付けなければ意味がない。そして今、何かに気付けていない気がするのだ。
 やろうとしていたことを忘れた時のような、漠然とした不安感。何に関連しているのかも解らない。あの人影だろうか、それともロボットの方だろうか、はたまた別の何かか。

「っく、こんな時こそ冷静に考えなきゃいけないのに……ッ」
「だ、だからごめんってば……」
「いや、すまん、お前のことじゃない」

 平気そうな顔をして、判断力を欠いているのはどちらも同じか。
 ライトは苦笑しつつも狭い通路を駆け抜けていった。思った通り、ロボットの姿は既にない。あとは偶然見つかったりしないように祈るだけだ。

 通路はそこから先もほとんどが一本道で、分岐点があったとしても、うち片方はすぐに行き止まりに突き当たった。幾つか確認していない分岐もあったが、恐らく同じようなものだろう。
 疲れのせいか、いつしか二人の足も走るのを止め、早歩きと言える程度の速度で地面を踏みしめていた。
 そして、どれくらい歩いたかと時計を確認したくなってきた頃、幾つ目かの角を曲がった時、リミルがあっと声を上げた。どうかしたかと視線を辿ってみると、通路の先で壁が途切れ、そこに埋没するようにして上層への階段が佇んでいるのが見えた。

「やった、階段!」

 そう言って駆け出すリミルを追いながらも、ライトは先刻と同じ、正体のわからない不安感を抱えていた。明確な部分の一つもない、混濁した思考。何の前触れもなく、その思考の最後のピースがかちりと嵌められる。

「待てェッ!」

 ライトの声にリミルが振り向いた瞬間、階段近くの壁が大きく揺らぎ、大岩を投げ入れた水面のように、壁から石の飛沫が(つぶて)となって宙に舞った。驚愕の表情を一瞬だけ見せて振り向いたリミルの、また同時にライトの視線の先で、穿(うが)たれた壁から銀色のロボットが姿を現す。
 迂闊。待ち伏せされていたのだ。プログラムに従った受動的な行動しかできないとは言え、子供の考え出すような策が通用するはずがなかった。
 もっと冷静になって、今まで歩いていた道の構造までも思考の視野に入れていれば、安易に予測がついたはずなのだ。逃げられたら階段前に移動≠ニ、その一文だけで唯一の出入口は塞がれてしまうと言うことに。そして、自分たちは最初からこの階段を目指すように動かされていたと言うことに。

「……ヤバいな、こりゃあ……」

 ライトが呟いたその言葉は、紛れもなく本心から出たものだった。
 落ちてきた場所は行き止まりの小部屋、ここまではほぼ一本道、そして強大な障害があり、その向こうに地上への階段と、奥へと続く道がある。つまりは、どこに進むとしても、あのロボットをやり過ごす必要があると言うことだ。
 それが無理だと言う結論は一秒で出た。ライトが持ち得る小手先の技能や道具では倒せそうにない。リミルの魔法は最大級のものでも足止め程度にしかならなかった。あれでは倒すより先にリミルの魔力が枯渇する。一旦逃げて仲間が来るのを待つと言う手も考えたが、次に逃げた時にあのロボットがそこから動かずにいるかどうか、予測できなかった。
 リミルも自分たちではどうにかできないと理解したのか、無言で立ちはだかるロボットを前に後ずさり、怯えた声で小さく呟く。

「だ、誰か助けてー……」

 と、その時!

「助けに来たよー!」
「え」

 何処かより突如飛来した影が、

「やぁ、僕アンパンマ」
「帰れ」
「なんでもいいから僕の顔をお食」
「帰れ」
「ちっ」

 何もせずに飛び去っていった。

 暫し遠い目で虚空を見ていたライトは、不意に我に返ってリミルの眼前へと躍り出た。その瞳は僅かに恐怖を宿していたが、胸元で握りしめた拳がそれを制している。

「えーと、とにかく……ここはどうにかしなきゃならねぇッ」

 必死で空気を元に戻そうとシリアスを演じるライトに、リミルの眼は流石に無理だろ≠ニでも言いたげな諦観(ていかん)の光を向けていた。が、やはり今の状況を打破するのが先決だと思い直したらしく、ライトと同じようにシリアス顔になると、演劇に飛び入り参加した。

「む、無理だよ、ぼく達じゃ倒せそうにない!」

 このような場面はそれなりに場数を踏んでいるせいか、迫真の演技である。まるで実際に倒せそうにない敵と対峙しているかのようだ。
 そうして演技と現実の境界線が曖昧になってきたころ、突然ロボットの頭部が赤く光った。ライトは咄嗟(とっさ)に両腕を突き出し、魔力シールドを形成してレーザーを相殺する。よく観察してみると、かなりの威力だ。これを相殺し続けているだけで、すぐに魔力が空っぽになってしまいそうなまでに。

「……だ、大丈夫、ピンチになったら都合良く誰か来るって!」
「いや、既にわりとピンチだと思――ってあれ、向こうからなんかダンディなヒゲのおじさんが」

 なんと パパスが たすけにきた!
 パパスが せんとうに くわわった!

「すごいの来ちゃった――ッ!」

 狭い洞窟内に、二人の絶叫と「ドッギャァァ――ン!」と言う出所不明の効果音が十重二十重(とえはたえ)に谺した。
 そしてパパスはそんな事も気にせずロボットに突っ込んでゆく。刃一閃、ロボットの片腕である宝玉が一瞬のうちに二つの半球と化す。敵のエネルギーが溜まりきらないうちに、返す刃で二度目の斬撃。今度は中央の大きな宝玉に亀裂が入った。
 しかしロボットも黙ってはいない、頭部のレンズから発せられた高エネルギーレーザーがパパスの心臓を貫く。でも死なないパパス。回復呪文を唱え、雄叫びを上げながら大剣を振り上げる。強いぞパパス。凄いぞパパス。世界の平和は君の手に。
 そして、そんなパパスの大暴走、もとい大活躍を離れて見ている高校生二人。

「何コレ、ぼく達どうしたらいいのコレ」
「あー、えー、とにかく援護だ、なんか遠距離攻撃で」

 戸惑いがちにそう言うと、ライトはポケットからミサイルランチャーを取り出した。

「よしリミル、耳を塞いで口開けろ!」
「いきなり凄いの出しすぎじゃない!?」

 リミルがそう言い終わらないうちに、ライトは照準を定めて引鉄(ひきがね)を引いた。
 白煙の尾を引いて、小型のミサイルが冷たい大気を切り裂き、見事に直撃する。
 パパスに。

「ぬわーーーーっっ!!」
「あ、外した」
「パパァァ――――ス!!」

 お約束お約束。
 この世から完全消滅したオヤジの名を叫びながらも、リミルの脳にはそんな言葉が過ぎっていたのではないだろうか。何せ、ライト自身もそうだったのだから。
 ふと見ると、ロボットも爆風に巻き込まれて怯んでいるようだった。ライトは小さく口の端を吊り上げ、弾切れとなったミサイルランチャーを捨てて、再び構えを取った。

「いける、ギャグパートなら多少の無茶は許されるぞッ!」

 勝ち誇ったように言い放つライトを見て、リミルはその表情で露骨に呆れを表現しながら肩を落とした。

「そんな身も蓋もないことを……さすがに同じネタ三回は引っ張りすぎだし、もう誰も来てくれそうにないよ」
「なーに、来てくれないなら呼べばいい、簡単なことじゃあないか!」

 あまりに朗々とした口調に、リミルが僅かに表情を変えた。彼女とは以前にも幾度か死線を潜り抜けてきたが、恐らくその時の記憶から理解しているのだ。こうしてライトが勿体つける時は、即ち最終手段を使う時か、開き直った時のどちらかだと。

「何さそれ、どういう意味で……」
「許せリミルッ!」

 まさに神速だった。リミルが口を開いた直後、その脳からの出力によって生まれる隙を突いて、ライトはリミルの背後を取った。そして、驚き硬直しているリミルが着ているキャミソールの両裾を持って、素早くめくり上げる。白く柔らかな、適度に脂肪のついた肌が露わになり、一刹那遅れてようやく現状を理解したリミルが悲鳴を上げようとした――

「ひぁ……っ」

 ――まさに、その瞬間。

「マァァアアァァァヴェラァァアァスッ!!」

 珍奇な掛け声とともに、相対性理論を超越した速度で壁や天井を突き破りながら流星のごとく現れた銀髪の男が一人。
 彼は勢いを殺しもせずに着地すると、空気の皮膜を纏わせた足で地面を滑走しながら右手にカメラを構え、

「富竹フラッシュ!」

 と叫びながらシャッターを連射した。
 しかしながら、その頃にはすでにライトがリミルの服をきっちりと下ろしており、男――ルシフェルは、地面に頽れながら本気で悔しそうに

「間に合わなかったかチクショ――!」

 と慟哭の声を上げ、その直後に追ってきたラファエルの強烈な蹴りと鐫界器(せんかいき)の一撃を受けて「モルスァ」みたいなことを言いながら飛んでいった。

「今一瞬見えたのはただの変わったハマグリだから気にしないで……どうやら無事みたいね、二人とも」

 一つの台詞の中でも冷たい瞳と優しい瞳を器用に使い分け、二人に笑いかけたラファエルは、返事も聞かずに素早くロボットへと向き直る。右手に持った炎の鞭は絶えず赫焉(かくえん)として揺らめき、さながら静寂の中で獲物を求める獣の牙のようだ。

「あのガードロボットは一フロアに一体だけ配置されてるわ。あれは私が止めておくから、君たちは戻らず先に進みなさい」

 その凛とした声と毅然とした態度は、普段の何倍も彼女を頼もしく見せていた。
 そうだ、任務を忘れたわけではない。ここに来た目的は帰ることなどではなく、天候操作装置の停止だ。本当はルシフェルを呼び出して隙を見て逃げるつもりだったが、ラファエルまでもいるとなれば話は変わってくる。

 確かにどっかの校長のせいで当初の計画からはだいぶ外れてしまったが、障害物さえ無ければこっちのものだ。と言うか、この場にいても足手まといになる可能性が大だろう。

「よし、ここは先生たちに任せて進むぜリミル!」
「え、あ、ちょっ」

 呆けているリミルの手を取り、ライトはロボットのいる方向へと駆け出した。なにやら円錐状の部分にルシフェルが頭から刺さって一緒にくるくる回っていたが、あまり気にしないことにしようと思う。
 少しの間をおいて、ライトたちの背後から炎の鞭がロボットを吹き飛ばした。ラファエルの鐫界器極焔紅蛇(ごくえんこうだ)≠ェ、ルシフェル以外の相手に行使されているのを見るのは初めてかもしれない。

「一応言っとくけど私たちなら心配要らないわ、さっきもコイツと同じの一体倒してきたところよ!」
「鐫界器のマスター二人を心配しろって方が難しい話ですよ!」
「ならよしっ、気兼ねなく突っ走りなさい!」

 ラファエルの発したその声は、心なしかいつもより調子が弾んでいたように思えた。対峙している敵は同じだと言うのに、ライト達とはえらい違いだ。彼女らにとって、この戦場は生死の分岐点などではなく、ちょっとした遊技場でしかないと言うことか。
 だが、その自信も納得できる。もともと亜人は個体ごとの能力差が大きく出るものだ。その上、ゲームにあるような最強の武器≠そのまま体現したような道具である鐫界器を所持しているのであれば、この程度の敵で怯まないのは当然とさえ言える。もし最初からライトがそれを使える状況にあったなら、逃げを選ぶこともなかっただろう。

 そこまで考えたところで、不意に妹の顔を思い出した。笑っている。だが、悲しげな笑顔だ。仕方の無いことだと、心配をかけないように見せる諦観の笑み。
 ……使える状況にあったとしたら、使っただろうか。彼女――ルナとは兄妹のままでいたいと言う幻想を、自ら断ち切ることができただろうか。その判断が、ライトにはどうしてもできなかった。

 とにかく、今は遺跡の奥へと進み続けるほかにない。
 まだあと三話ぐらい残ってるけど、できれば何事も無く終わってほしいものだ。……これが小説である以上、それは叶わぬと解ってはいるのだが。



 しかし――

「……とりあえず、帰ったら覚えてなさいよ、ライト」
「大丈夫、背後にいたから何も見えてない!」
「見えたとか見えないとか、そう言う問題じゃないーっ! それ以前に触ったでしょうが!」
「仕方ないさ、緊急事態だ! いちいち触らないように考慮なんかしてらんなかったって!」
「だからって割り切れるかバカぁー! せめて事前に言ってよ!」
「じゃあ事前に言ったら大人しくさせてくれたのか、それとも自分でやったのか」
「さ、させるか! してたまるかーッ!」
「結局ダメじゃねぇか!」
「うるさい! どんな理由があろうと女の胸を直接触った罪は重いんだー!」

 ――こんな会話しながら任務の最終目的地に向かう奴らって、他にどれくらいいるのだろうか。



 ――――



 先刻、二人の亜人を見た。どうやら偶然迷い込んだのではなさそうな少年と少女。そこまで素人ではなく、いくらかは場慣れしているようだった。
 予想していたよりも、少しばかり早い。恐らくは現の命で動いているのだろう。やはり彼には知らせておくべきだった、と、今更ながらに自責の念が頭に浮かぶ。

 それに、現があの二人だけを危険な場所に遣るとは考えにくい。二重、いや、少なくとも三重くらいには手を打ってあると推測できる。しかし、まさか黒幕が自分の友人だとは思っていまい。それだけに、彼らの前に姿を現すのは危険な賭けだった。
 もとより単独行動を旨としている身だ、彼の傘下にいる亜人たちとは殆ど面識がない。そう簡単に見ず知らずの人間を信用してくれはしないだろう。残念ながら、現の友人だと証明できそうなものは何も持っていなかった。生憎、あまり物を多く持つような性格はしていないのだ。

 ふぅ、と、ゆっくり息を吐き出した。澱んだ空間が呼気によって攪拌(かくはん)され、それに合わせるかのように夜光虫が宙を揺らめく。
 その薄緑色の明かりに照らし、ファイルに閉じた数枚の紙に、もう一度視線を落とした。

 まさか、こんな仕掛けになっていたとは予想外だった。それを言うなら、一連の猟奇殺人事件について調べていただけの自分がここまで知ってしまったことが最も予想外ではあるのだが、それをさて置いても予想外のことだ。
 それはアルトヒンメル文明エリアの魔力学総合研究所による資料で、シャープとフラットと言う二人の少女がまとめたものらしかった。
 そしてその内容は、知られざる部分が多い魔力学と言う分野に於いて、やはり未だ誰にも知られていないであろうものだった。





 “――鐫界器とは、物質を(もと)として、それに見合う意味を持たされた存在ではなく、その意味に見合った形骸を形作られた存在である。

 この世界にある物体のうち大半は、飽くまでも物理的な側面が主体であり、意味を内包した物質≠ナしかない。
 しかし鐫界器は、その意味により「()()れかし」と命じられた存在を忠実に再現する、霊的側面――怪談や都市伝説と関連づけるわけではないが、物理的側面の対局として便宜的にこう呼ぶ――を主体とした物質を纏った意味≠ネのだ。

 これは生命体も同じで、体組織や思考回路と言った表面的なものこそ物理的側面の範疇(はんちゅう)だが、その主体は飽くまでも物質として存在を持たない意識=\―霊的側面のものである。
 体組織は言わずもがな単なる分子の集合体であり、多くの者が自分の意志で動いていると信じて疑わぬ思考回路でさえ、脳の神経回路を走る電気信号の集合体に過ぎない。それらがどう構成されるかすら、DNAの塩基配列によって予め決定づけられているのである。
 だが、この魂≠セけは物理的なものではない。見聞きし、感じたものは感覚器より神経を通じて脳へと入力されるが、そうやって入力された感覚を総括して実際に感じている≠フは、個人に宿った魂≠ナあり意識≠ネのだ。
 生者と死者の決定的な違いとは魂の有無であり、魂が消滅すればそのエネルギーで稼働していた代謝能力は停止し、物理的側面に分類される機能も同時に停止する事例が多い。(まれに魂を無くしてなお活動している個体――哲学では哲学的ゾンビと言う――もあるが、意識が死んでしまっただけで思考回路や身体機能は生きている、いわば精巧な機械人形なので、それを端から見分けることは不可能であり、また普通に生活している分には何の問題もない)

 そして、その魂の力と言うものは、時に物理法則を凌駕した働きをする場合がある。第六感や予知能力と言った時間軸への干渉であったり、強い思念の震動、また大気中に存在する魂の構成元素とその振動数が合致した時に起きる、言わば非物理的な共振現象などによる空間の歪みであったり(大概の場合は空間が歪むことによって周囲に発生する重力異常のみポルターガイスト≠ネどと注目されるが)ともかく様々な種類がある。
 しかし、それらの現象はいずれも偶然の産物であり、霊的側面の力に()ける法則や原理を理解しての行動ではない。逆に言えば、性質を理解せず、がむしゃらに力を行使しているだけでこれだけの現象を起こせるのだ。

 前述したとおり、霊的側面――意味を主体とした物質と言う点に於いて、鐫界器と生命体はほぼ同一のものである。
 通常、生命体は自分の身体に宿った魂の力だけを行使する他にないのだが、鐫界器はその魂によって形骸を決定させられたもの。その形骸と言う媒介を通すことによって、内包されていた魂の力は人がより理解し易いカタチになって現れ、他人が行使することをも可能とする。力を正確に行使するためのツールのような役割を果たしているのだ。

 つまるところ、鐫界器とは限りなく道具に近い生命体≠ナあると言える。”




 ――犯人の特徴どころか凶器すら特定できない連続猟奇殺人、物質なのかどうかもわからない亜存在と言うモノ、そして人知を超えた現象を引き起こす鐫界器と言う道具……これですべての辻褄は合った。
 この装置の起動も、その目的はただ雨を降らせることではなく、この遺跡付近に特殊な魔力の流れる場を作るためのものなのだ。

 これで全ての準備は済んだ。そして雨が降り始めてからは、既に三日が過ぎている。


 あとは、日没まで……ほんの一時間だけ、堪えられればいい。







第一章:雨粒が奏でる序曲

第二章:エンドレス・パーティー

第三章:盈虚の指標 ←いまここ

第四章:燦爛たる始まりは黯然とした終端へ

第五章:白い亡霊

第六章:Der blaue Himmel




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