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 記憶の川を、一枚の葉が流れていく。



 遙か昔、一振りの(つるぎ)があった。
 三十本の松明(たいまつ)にも等しい輝きを放つ白銀の刀身と、いかなる傷からも持ち主を護る鞘。
 その刃は戦乱の嵐を切り裂き、なおも目映(まばゆ)く輝いていた。

 剣は意志を持つかのように自らの手で主を選び、その主は後に王として君臨した。
 選ばれた王以外の者がその剣を盗み握っても、力は得られず滅んでいった。

 剣は、戦にて五百もの敵を斬り倒しても刃こぼれ一つせず、それを振るっていた王も疲れを知らずに戦い続けることができたと言う。

 剣は神々しく、美しく輝いていた。
 その白き剣閃は血煙に濡れてなお白く、戦場に煌めく刃はいつしか聖剣と称された。


 時は流れ、(かつ)て偉大なる王の紡いだ物語は次の物語を呼び、剣はその螺旋の狭間に打ち捨てられた。
 やがて物語は伝説となり、事実は虚構の果てへと消え去ってゆく。
 闇とも光ともつかぬ、記憶の(おり)となって。

 繰り返しなぞられた伝説は、いびつに形を変えて語り継がれていくだろう。



 記憶の川を、一枚の葉が流れていく。



 語り部は言う。
 全てに遺忘(いぼう)された終局、物語が行き着く先は――――



 ――――

 Weiß gespenst.
  第二章 エンドレス・パーティー

 ――――



 ゆらり、と冷たく湿った微風が肌を舐め、薄茶色をした長いコートの裾が宙を泳いだ。
 瞳孔のない、くすんだ桃色の瑪瑙(めのう)のようなコスモの瞳には、六枚の光翼を背負った男が映り込み、何か良からぬ事を企図(きかく)しているかのような、嗤笑(ししょう)にも近い微笑を浮かべていた。腰まである銀髪は微風に(なび)き、頭についた紺色の羽根飾りもそれに(なら)っている。十字架などの装飾が施された黒服は、その複雑な作りに反して身軽に動けそうだ。
 いや……翼の光が滲んでしまっているため、表情だけは瞳に映った像だけでは認識できなかったようだ。この場合は、そのものを“見た”と言っても正しいのだろうか。

 ともかく、この状況で相手が行動に出るまで待っているのは得策とは言えない。落ちていったリミルの言葉から推測すると、彼はリミル達の通う学校の長だと思われるのだが、教え子達を罠に落としておいてこの表情。どうやら協力者ではなさそうだ。

(かげ)りし御陵(みささぎ)斜陽(しゃよう)萌芽(ほうが)、時の抑制、朔月(さくげつ)に染む滄溟(そうめい)に、揺らぐは凛然(りんぜん)たる(やいば)の風」

 小さく、だがはっきりとそう呟き、コスモは静寂の(せき)を切るように、華奢(きゃしゃ)な右腕を頭上に振りかざした。

「甘いな、この手の戦闘モノじゃあ“先手必勝”の四文字はまず成り立たない」

 男はちらちらと薄紫色に光る薄布を大仰な動作で閃かせ、ひらりと眼前に舞わせた。その布は風を受けて宙に揺らめき、まるで絵本にあるような空を飛ぶ魚のようにも見える。その神秘性、この古代遺跡と言う場所で見るにはお(あつら)え向きと言ったところか。

 「勦絶(そうぜつ)せよ」

 その薄布から、古びた蛍光灯のような不安定で希薄な光が弾けた。それを見計らい、コスモも右腕に(まと)わせた風を解き、くるりと回旋する勢いに乗せて撃ち出す。
 ほんの一瞬の轟音。そして静寂。その僅かな震動によって古い石壁の一部が剥落(はくらく)し、軽い音を立てて砕けた。散らばった砂塵(さじん)が小さく渦を巻き、それもやがては収まりを見せる。
 後は何も起こらない。

 “起きるはずの事象が起こらない”と言うことは、時に“起こるはずがない事象が起きる”ことよりも驚愕の対象となる。コスモにとって、今がまさにそれだった。自分の力を過信する訳ではないが、少なくとも聖霊と言う種族に対する認識は正しいと言える。魔力を使用することに()いて、聖霊であるコスモは人間や亜人よりも遙かに高い効率を誇る。普通の亜人がそれを超えようと言うのならば、こちらの数十倍の魔力を消費しなければならないはずだ。
 魔力と言うものはエーテル体から造られる生命維持のためのエネルギー。今の術を相殺するほどの量を消費するとなると、それだけで昏睡状態に陥ってしまうだろう。可能性が高いと言うのではなく、計算上、必ずだ。

「それが、何故……」

 コスモの視線の先で、男は(あざけ)るかのように目元を歪めた。

鐫界器(せんかいき)天凪波風(あまなぎはふう)”、こいつがありゃあ『相殺』なんてワザワザする必要はねーのよッ」

 そう言って、男は左腕をぐるりと回し、薄布を自らの眼前へと運んだ。
 鐫界器。その名は(うつせ)に聞かされたことがある。通常の物質とは逆に、物質が意味を内包するのではなく、意味に物質が纏繞(てんじょう)するようにして造られたもののことだ。その名は世界を()る、そして世界に鐫るものと言う意味がある。
 魔力による作用は粒子間の基本相互作用全ての性質を持ち得るため“物理的にあり得ない現象を物理的に起こす”ものとして使われているが、鐫界器は物理法則に反した事象を何もしないまま強引に発生させる。その原理は一切が不明。副作用として何が起こるかも解らず、その現象そのものが何らかの副作用である可能性も否めない。

 ……本来、原理を解っていて魔力を行使している亜人がどれだけいるのかは解らないが、少なくとも理解している側のコスモにとって、そんな道具の存在は怖ろしいものでしかなかった。

 そして今、まさにそれを目の当たりにしている。周囲の状況から判断するに、恐らく彼はコスモの造り出した大気の刃を視認してから、それを包み込むようにして、大気中の分子運動を完全に停止させた被膜を造ったのだろう。密度を上げたとか固体にしたとかそういうものではなく、気体のままでだ。そうすれば干渉する体積は最小、それを維持する時間も一瞬でいい。消費する魔力も僅かで済む道理だ。
 これは……ヤバい。あの鐫界器が強大な力を持っているからではない、彼がその強大な力を使いこなし、自分に合わせて応用しているからだ。普通このような戦闘ではなんだかんだで隙を見付けて倒すのがセオリーなのだが、彼はどうやら今までの経験の中で自分の癖を見抜いており、隙が無くなるように戦っている。これでは戦闘開始と同時にチェックメイトも同然だ、現段階でこれを破る術は存在しない。隙を見付けて逃げようにも、前述したとおり隙はない。隙を作り出す余裕すらもないのだ。

 下層へと落ちた皆は助けなければならない。しかし、この場は切り抜けられそうにない。もし今ここにいるのが兄だったならきっと切り抜けられたのに。自分の無力を突き付けられ、コスモは内心歯噛みした。手数さえあればこちらも応用で対処できそうなものの、それを可能とする人数は最初のトラップで全て削られてしまっている。
 この状況下で、残された道は――


「……無駄ですね、降伏します」

 コスモは瞼を閉じ、静かに両手を上げた。

「初撃のみを見てその判断、なかなか優秀だな」

 男は感心したかのように微笑み、天凪波風を纏わせた左腕をくいと引いた。
 その瞬間、がくりとコスモの身体が(ひし)ぎ、地面へと引き寄せられてゆく。魔力に()るものも含め、引力と斥力(せきりょく)の双方からの干渉を自在に受け流すはずの薄桃色の光球もその役割を果たさず、無防備に地面へと落ちてゆく。体感速度や方向から推測すると、その運動は重力加速度によるものではない。

 ばさりと音を立てて、腰の辺りを包むような感触があった。三半規管が異常を関知、平衡感覚が不安定に。天地が逆になり、また戻る。

「……普通に受け止めるっていう選択肢はなかったんですか」

 まっすぐに突き出された彼の腕を支柱にして二、三回ぐるぐると廻った後、減速して地面に落ちかけたコスモは腕に自分の脚を引っかけてぶら下がり、そのままの体勢で力無くぼやいた。
 わーい連続逆上がりできたよー、って逆だもの。棒の位置が背中だもの。何今の高等技術。

「一応自己紹介をしておこう、俺はルシフェル。聞いての通り、堕天使ルシファーの名を継ぐ亜人ッ」

 このような体勢で朗らかに自己紹介をされたことは今までの人生で一度たりとも無かったような気がするが、この際だからあまり気にしないことにした。まだこのルシフェルと名乗った男の性質もよく解っていないのだ、下手に刺激はしない方がいい。

「私はコスモ、上位聖霊です。あの、とりあえず今は離してください」

 だらんと垂れていた首を起こし、コスモは自己紹介を返した。先刻の大回転のせいで、頭を動かすとふらふらと視界が揺れる。
 すると、ルシフェルはコスモの方を見つめ、即座に表情を変えて何か考え込むようなそぶりを見せた。高い実力からうすうす感づいてはいたが……先刻までの軽口やニヤケた顔はやはり道化か。そう簡単に行動のデータを取らせてはくれないらしい、常に演技のフィルターをかけておくとは、予想通りかなりの実力者――

「ピンクのレース付……基本的だがもう少し芸が欲しいところだな、せっかくロリ体型なんだからもっと子供らしさを強調し」

葬螺(ホムラ)

 どーん。

 どうやら考え過ぎだったようですね。堂々と初対面の人の下着見て淡々と感想・評価を言い連ねるような人はまずロクな人じゃありません。

「ええいっ、貴様の年代じゃ下着ではない! 年齢や外見によってそれの呼称は変わってゆくのであってだな、このようなロリ体型ならおぱんつ(平仮名)と」
「うわあああ不死身の変態だー! 何ですかその談義、青少年に有害じゃないんですかッ!? あと登場人物が地の文を読んじゃダメです!」
「呼び方一つ取っても指すものは微妙に異なるのだ! よいかね、ノーパンとぱんつはいてないではロマンが違うだろうロマンがァー!」

 ああ、なんて人だろうか。 ……これは感嘆ではない、言葉通りの疑問である。本当に、なんなのだろう。
 小さな爆発の中心地にいたはずのルシフェルは、今や血塗れになりながらも即興と思われる自らの論文“呼称や表記と萌えの関連性”の発表を続けている。その根性と執念に対しては敬意を表せざるを得ない……が、とりあえずこうはなりたくない。
 大げさな身振り手振りを交えながら熱弁を振るう彼を見て、コスモはうまく逃げおおせる方法だけを考えていた。

「日本語というものは実に多種多様な表現方法があるが、難しいのは“用法的に”ではなく“視覚効果的に”適した表現を使うことなのだッ!」

 葬螺の爆心地にいながらもこの活力、まさに不死身。洞窟を崩さない範囲での攻撃魔法じゃあ一撃では倒れないだろうから、この隙に攻撃はナシだ。次の攻撃準備に移ったところでコスモは鐫界器の元に沈む。かと言って、洞窟を崩しては元も子もない。普通に逃げても、足付近の大気を一瞬固着させられただけで盛大にすっ転んで終了だろう。

「しかし様々な文化の飽和状態にある現代、歴史からも見られる国民性もあってか、今や業界は先人達の“模倣”で溢れているッ!」

 いっそのこと自ら落とし穴に飛び込んでみようか……いや、リスクが高すぎる。こんな誰もいない遺跡で全員が牢獄行きになってしまったりしたら、冤罪であっても助け出す者はいない。そうなれば飢え死にするのを待つだけだ。わたしの ぼうけんは これで おわってしまう。人生は自ら電源ボタンを押すことは出来てもリセットは効かないのだ。

「何でも平仮名にすりゃいい、四文字に略せばいい、言葉の合間に☆をつけりゃいいってもんじゃない! 最後に“○○っ!”なんてつけてポップな感じに見せてもダメだ! 量産された娯楽文化から頭一つ抜きん出るには新たな流行を作るオリジナリティをだなッ!」

 そして逃げたいと思っても逃げられないので――そのうちコスモは考えるのをやめた。

 ともかく、倒せもせずに逃げられもしないのなら、どうにかして説得するしかない。演説は終盤の“具体的な解決案”に入ってきた所だが、コスモはひとまず話題を変えて彼の素性を探ることにした。

「ルシフェルさん、見た感じ天候操作装置に関連性なさそうですけど、何しに来たんですか?」
「面白そうDA・KA・RA!」
「おもッ……」

 広げた掌で顔の半分を隠し、変なポーズを決めてあっけらかんと答えるルシフェル。
 コスモはそのあまりにも予想外の回答を聞いて、自らの色彩をグレースケールに変え硬直した。

「成ーる程ォ、天候操作装置とは予想通り面白そうなものがあるらしいなー」

 ルシフェルはどこか間の抜けたような感嘆の声をあげた。どうやらここに何があるのかも知らずに来たらしい。ああもうホントになんて人だ、ただの馬鹿だこれ。完全に騒ぎを嗅ぎつけてきただけだ。もう、知恵も知識もあるけど行動が馬鹿な人ってこれだから嫌だ。

「で、でもそれじゃなんで皆さんを落としたんですかっ!」

 コスモは横にぽっかりと空いた大穴をちらと見てから半ば責めるようにして言い、ルシフェルをまっすぐに()め付けた。……とは言え、性格上そのような表情をするのは慣れていないので、ただの困惑顔のようにも見える。
 すると、ルシフェルは至極真っ当な意見を言うように大真面目な顔をしてコスモを見つめ返した。相変わらず変なポーズをとっているが、そのへんはあまり気にしないことにしようと思う。

「そこにスイッチがあるからさ……」

 うわー絶対エレベーターでボタン全部押したりする人だこの人。可能なところでは無駄に連打してボタン入力取り消したりしてる人だ。シャドウゲイトなら序盤で死んでるよこの性格。
 溜息と共に怒る気力も吐き尽くし、がくりと肩を落として項垂れるコスモ。無意味にかっこいいポーズをとったルシフェルから流れてくるキラキラした演出効果が地味にウザい。コスモは顔を上げ、今度は本物の困惑顔で口を開いた。

「待って下さい、じゃあそもそもどうして私たちがここにいると……」
「あんなでかい乗り物で移動してればすぐ解る、みっけてからはずっと一緒にいたんだぜ」

 ルシフェルはまるでその質問を予測していたかのように一瞬で答えを提示した。いや、事実予測していたのだろう。彼の顔面に浮かんだ不敵な笑顔が、答える前後で微細な変化を見せたのがその証拠だ。全くの予想外である行動が精神に動きを与えるのは勿論のことだが、予想通りの言動と言うのも、時に前者を凌駕する精神的影響を与える。表情も少しばかり不自然になるものなのだ。
 しかし、コスモが考えるべきはそんなことではなく、回答そのものについてだった。素性を探るとかどうとかの前に、彼の発言には見逃す方が無理とさえ言えるほどに大きな矛盾点がある。ただの見落としかと思いざっと前章を確認してみたが、やはり彼らしき姿はなかった。

「あの、読み返しても見当たりませんけど」
「そりゃ当然だ、華麗にカメラさんの背後をとって遊んでたから一つも描写ない」
「反則でしょうそれは……」

 本日三回目の、なんて人だ。この人には完全に常識が通用しないらしい。“地の文に書かれないように動く”なんて尾行方法は今まで聞いたことがない。
 やはり真っ先に降参したのは正しかったようだ、もし彼とあのまま戦っていたら、確実に今のような非常識の群れで応酬してきたことだろう。そんな“小説”と言うフィールドさえ利用するような奴に勝てるわけがない。こういう物語に於ける戦闘は、実力如何(いかん)に関わらず工夫した方が勝つものなのだ。

「よし、じゃあ俺も協力しようじゃあないか、その装置の所に案内するがいいッ!」

 ルシフェルは宣告のつもりか、まっすぐに立てた人差し指をコスモに突き付けようとしたが、距離が狭すぎて指はコスモの額に直撃した。コスモはその勢いで大きく仰け反るも、どうにか体勢を立て直し、爪が刺さった跡をさすりながら露骨に呆れたような口調で言う。

「ど、どうせ晴れの日にいきなり雨降らして服を透けさせようとか、そう言う魂胆でしょう」
「ハハハ甘ーい、こう強烈な酸性雨で服をだな」
「それは人の方が溶けます、ある意味では全裸体よりも刺激的な状態にはなりますけど」

 小さく溜息をついてから、「でも」と、コスモは(かし)いでいた(こうべ)を上げ、

「協力してくれるのなら歓迎します、考えようによっては強いわけですし」

 そう言ってにこりと笑った。笑みと言うのは最も作るのに慣れていない表情なのだが、今回は自分で見てもちゃんとした笑顔になっていると思う。ちょっとうれしい。
 ルシフェルも僅かに素直な笑みを見せ、自分の右手を開いて差し出してきた。コスモも同じように右手を差し出すと、

「まっくどなーるどー」

 掌が触れ合う寸前でルシフェルの手は上に避け、そのまま例のハンバーガーチェーンのロゴマークのようなM字を描いて止まった。彼は世にも愉快そうな笑い声と共に、馬鹿にしているかのようにコスモの頭をぺしぺしと叩いている。
 ……なんか十秒も経たない内に早くも協力するの嫌になってきたんですけど、これどうしたらいいでしょうかモニターの前の皆様。
 コスモは今一度大きく溜息をついて、それから一つ咳払いをした。

「ちょっと待っててください、まず落ちた皆の無事を確認しますから」

 その台詞を聞き終えると、ルシフェルは水飲み鳥のような動きではたき放題はたきまくっていた手を休めた。空気にからけとかむなげとかルビを振りそうなくらい空気の読めない人だと思っていたが、一応それなりに流れを汲むことくらいはできるようだ。

 コスモの保有する特殊な視力……いや、人間や亜人の認識からすれば、これは視力と言っていいものではないだろう。コスモは目が見えない、と言うかまず視覚を有するための瞳孔すら無いのだ。
 通常、視覚を持つ生命体は瞳孔に入る光によって物資の輪郭や色彩を認識するが、コスモは違う。その空間に存在するものの形骸や光の反射率を読みとり、思考の中枢に直接送り込むことで認識しているのだ。
 だから、自分で自分の顔だって見ることが出来るし、自らの魔力が及ぶ場所ならばどれだけ離れていても“視認”することができる。それどころか、味覚や嗅覚、果ては心の躍動や安寧(あんねい)などの精神的なものまで、意識によって感じることのできるもの――哲学ではクオリアと呼ばれているが、それら全てを読みとることが可能なのだ。
 それは確かに視覚ではないが、視覚と同じようにモノの形も色も見分けられる。蝙蝠(こうもり)などは暗闇の中にいても超音波によってモノの存在を認識すると言う。それは聴覚以外の何物でもないが、感じ取ったそれは脳に投影され、光学的な視覚と何ら遜色のない輪郭線を映し出してくれるのだろう。音に色があるのかどうかは、その手の生物になってみない限り解らないのだが。
 (もっと)も、クオリアと言うものは自分だけが感じる共有不可能な感覚であって、他人が同じものを感じているかどうかは解らない。自分が赤だと思っている色は、誰かが緑だと思っている色なのかもしれない。自分が甘いと思っている味は、誰かが辛いと思っている味かもしれない。概してそう言うものなのだ。それならば、本質を直接読みとるコスモの“視覚”はより優れたものであると言えよう。

 ただし、いくらなんでも複数の座標を同時に確認することはできない。もっと広い場所ならともかくとして、このように遮蔽物が多い場所では認識が難しい。限界範囲は広くて半径二十メートル程度、遠方を投影していれば、本体は周囲の確認すら出来ず、完全に無防備な状態になってしまう。先刻、すぐに使わなかったのもそのためだ。

「コスモとやら、その前にちょっといいか」

 そうして穴の底まで視点を飛ばそうとしていたところでルシフェルに呼び止められ、コスモは視点を元に戻して振り向いた。
 ……コスモの特性を考えると、この“振り向く”と言う動作も不要なものだが、以前兄に「不自然な動作は注目され、いつか不利に回る。賢者は常に目立たず、自然でありながら、水面化では八方に手を回すものだ」と言われてからは、形だけだが身体も動かすようにしている。

「なんですか、可及的速やかにお願いします」
「敵、来る、危険」

 言ったとおり、ルシフェルが可及的速やかに三つの単語だけで答えた直後、まるで大岩を投げ入れられた水面のように、隣接していた壁が大きく揺れて弾けた。
 咄嗟(とっさ)に指向性の魔力シールドを張って瓦礫(がれき)の直撃を防ぎ、第二撃を予測して大きく飛び退くコスモ。流石にここまでのことを一瞬でこなすとなると、動作全てに機密性は保てなかったらしい。過剰に放出した魔力が結合し、コロニーとなって宙を舞う。
 どうやらルシフェルもうまく避けたらしい。恐らく足裏に密着した大気を一瞬だけ固着させ、空中を跳ねて大穴を越えたのだろう。鐫界器は魔力消費率が大きすぎると聞くが、このように上手い使い方を心得ているならば、コスモが同様の事象を為すよりも効率がいいかも知れない。

 しかし今、注目し、そして刮目すべきはこの現状だ。
 あんな不自然な破壊は見たことがない。観測する余裕があったのは僅かの間だが、瓦礫は石の組み方に関連性を持たず、水面(みなも)に起こった波紋のように、多重に円を描くようにして“凹凸”をつくり砕け散った。
 物理的に不可能な動作だった。魔力を用いても、あんな現象を起こすには相当難解な操作をしなければならないだろう。かと言って、そうするだけの意味は特に見当たらない。
 この聖霊の視力を以てしても見抜けぬほどの攻撃か、古代文明時代の罠はコスモには察知できないほど高度なものだったか、はたまた全く未知のエネルギーが引き起こす相互干渉の印か……いずれにしても考えにくいが、いずれにしても考えられないわけではない。
 それに、隠匿されていたとは言え、あんな所に空間はなかったような気もするが……まぁ、それは恐らくコスモが見過ごしていただけだろうが。

「ガードロボットが動き出しちまったみたいだなァ」
「先刻の震動が原因みたいですね……迂闊でした」

 地面の大穴を挟み込むように立ち、壁の奥に揺らぐ影を見つめる二人。ルシフェルの表情を見ると、先刻までのふざけた雰囲気はどこへやら、その名に似合いの敵意を剥き出しにした顔をしていた。
 コスモは物質の輪郭や色彩こそ正確に読み取ることが出来るが、内包する気配(データ)の質まで読み取ることはできない。あの暗闇のカーテンに隠された影がルシフェルに()えているとは思えないが、恐らく彼は気配の方を感じているのだろう。……やはり特殊能力は一長一短が基本なんだろうか。

 大きさは約二.二メートル。確かにロボットととれる外観をしているが、人間社会でのそれとはどこか違う。中央の大きな球体を厚手の金属板が鎧のように取り巻き、上部からは頭部と思しき八面ダイスのような形状の金属塊が突出していた。頭部にはセンサーと思われる赤い円が埋め込まれているが、レンズの類ではない。背からは金属板で作られた二枚の羽、そして触手のような二本の尾が伸びていた。球体の下部では、細長い円錐状の物質が独楽(こま)のようにくるくると回っている。他にも小さな球体が二つ、衛星のように周囲に浮かんでおり、それから生えた金属の指から、恐らく手をイメージしたものだと推察できる。
 とは言え、機械と言うものはその性質上“不要な部分”と言うものがあってはならない。あれがただ手に似せただけのオブジェであるはずはないし、羽や円錐にどのような役割があるのかは解らない。あの球体はどうやら原動力となっているようだが、原理は全くの不明。生命体でないロボットにはエーテル体から魔力を生成することなどできはしないのだから、こうやって重力に逆らい続けているのもおかしい。
 やはり古代文明の技術力は現代よりも遙かに上だったようだ。まあ現代より技術水準の低い古代文明なんてファンタジーじゃ見たこと無いし。

「おいコスモ、何ボーっとしてる!」

 ルシフェルの忠告にはっとして視界を見直すと、つい先刻まで観察していたガードロボットは、今やコスモの眼前まで迫っていた。
 咄嗟に右腕を伸ばして魔力を出鱈目(でたらめ)に顕現させ、その勢いをそのまま逆側への推進力とする。マグナム銃を遙かに超える反動に腕の骨が軋み、その判断の誤りを悔いる前に、コスモは吹き飛ばされて背面から地面に叩き付けられていた。

「……っ」

 激突の衝撃で肺の中の空気が吐き出される。勢いが止まないうちに左手を地に突き、大きく回転してどうにか体勢を立て直すも、体重を支え立ち上がるほどの力が両足に入らない。神経回路の一部が麻痺しているらしい。
 ガードロボットを中心に視界を展開してみるが、追いかけてくる気配はない。コスモは大きく咳き込みつつも左腕を(かざ)し、魔力を円形に展開させ始めた。少なくとも一分はまともに動けそうにない、それまでは耐えなければ。

「盾だッ!」

 瞬間、ルシフェルが鋭く叫んだ。その台詞が自分に向けられたものだと理解すると、コスモは何も考えず魔力の変換を中止し、それまで展開させていた魔力を使って指向性のシールドを張り、その影に隠れる。
 その直後、そのシールドに巨大な衝撃と、遅れて小さな波紋が走った。受けた衝撃の余波で、静かな地面に輪を描くように砂塵が舞う。

 軌道を視認する間もなく届いた攻撃。コスモの視力ならば、例え光速でも物質である限り視認はできるのだが、今の攻撃はそれすらも許さないらしい。恐らくは高エネルギーレーザーなどの光学兵器だろう。いくら何でも電磁波では見ることはできない。
 まぁ、この場合は弾道が見えていたって回避できるわけではない。高速の攻撃には予測で対応するしかないのだ、見えるか見えないかで大して変わりはしない。ただ少しだけ、性質が違うだけだ。

「ここでL+R同時押し!」

 しかしコスモの思考は、唐突に響いたその声により中断させられた。

「ちょ、何してんですかルシフェルさん!」
「言われなくてもスタコラサッサだぜぇ――ッ!」
「いや逃げろなんて言ってませんって私ー!」

 コスモの身体はルシフェルに抱えられ、アクロバティックな飛行に振り落とされそうになりながらもガードロボットの脇をすり抜けて洞窟の奥へと進んでいった。

「残念だが、気体を操る天凪波風じゃ光学兵器は完全に防げねえ……他の奴を巻き添えにしちまう可能性もあるしな。粒子ビームならどうにかなるんだが、まぁリスクの高い行動は取らないのが賢明ってこった」

 ルシフェルはいかにも深刻そうな低音で言い、六枚の光翼をはためかせて暗闇の中を突き抜けていく。この景色も、彼にとっては大部分が暗闇にしか見えないのだろう。減速せずに曲がり角に突っ込んでいったときは思わず身を固くしてしまったが、彼はそのまま壁を走り抜け、速度を維持したまま曲がりきった。
 なるほど、堕天使の名を継ぐだけの実力はあるらしい。ここまで複雑な動作をしていながら、その動きには全く無駄が見当たらない。
 コスモは少し呼吸を整えてから、ルシフェルの服に掴まり直し――そして感覚器を落ち着けて初めて、今までの動作により彼の身体に多大な負担がかかっていたことに気付いた。恐らく動きを安定させるので精一杯なのだろう、心臓の鼓動が大幅に規則性を欠いている。

「でも、それではすぐに追ってくるんじゃ……」
「お前をかっさらう直前にグレネードの光で一時的にセンサーを潰した、その目じゃ見えなかっただろうけどな……まさか逃げるのに自分の方に舞い戻ってきてるとは思わないだろうから、復活した後も簡単には追って来ねぇさ」

 息切れを隠すようにそこまで言うと、ルシフェルはにやりと不敵な笑みを浮かべながらコスモに視線を送り、台詞を続ける。

「真っ向から突っ込んで無駄にダメージ負ってたら、俺が落とした奴らも助けられないだろ」

 表面上だけとは言え、精神の疲弊(ひへい)をここまで隠し通せるとは、なかなかの気魄(きはく)の持ち主だ。どうしてこう高い能力を持っている人は他の部分で勿体ないことになっているのだろう。
 コスモは見かけだけの視線を逸らして小さく溜息をつき、自分を抱えるルシフェルの細い腕を強めに掴みながら、愚痴るように小声で呟き始めた。

「えー、うち十割あなたの責任でしょうとか、シリアスを演じながら胸触るのやめてくださいとか、協力するフリして機械パクってく気じゃないですかとか、いろいろと言いたいことはあるのですけど」
「ほほう、お前鋭いな!」

 至極当然であるかのように開き直るルシフェルに糾弾(きゅうだん)する気も失せ、コスモは深い溜息を一つついてがくりと(こうべ)を垂れた。

「わぁ正直ー、なら正直ついでに今から私が言うとおり飛んじゃってください、下層への道は調査済みですので」

 コスモがそう言うと、ルシフェルは感心したような、そして次に意地悪そうな笑みを浮かべて頷き、自分の腕の中にある小さな身体を強く締め付け、右手に持った天凪波風を煌めかせて、一陣の風のように狭い洞窟を突き抜けていった。

「ちょ……っ、そこ結構衝撃に弱いんですから強く掴まないで――」
「ほら、早く指示せんとクラッシュして炎上のち爆発だぜェー!」
「うわわわわ右です右、もちょっと減速して下さい危ないですーっ! て言うか何に引火するんですか!?」

 レールが無いと言うだけでどんな絶叫マシンにも勝る恐怖の中、気力を振り絞って発したツッコミの言葉も、次の瞬間には遙か後方へと吹き飛んでいる。周囲に薄い空気の層を張ってあるらしく風圧こそ全く感じないが、凄まじい加速だ。あの鐫界器の魔力消費量は“影響下に置く体積”と“効果を維持する時間”との乗に比例して上昇するものと見たが、先刻からの合理的だが消極的な戦法と言い、こんな大胆な使い方をするような余裕があるとは微塵ほども想定していなかった。
 いや、本当は余裕なんて無いのかも知れない。ただ戦闘に於いては本能的なものや慣れがあっただけで、実は全く後先考えてなかったり、ひょっとしたら胸触りたかっただけの変態さんか……って否定できませんね困った。どうしよう。

「次の分岐、来るぞー」
「あ、次はそのまま真ん中です!」

 この暗闇の中で分岐を見分けられると言うことは、彼もそれなりにスキャニングの技法を身につけてはいるらしい。まぁ、少なくとも曲がりきれずに激突するやも知らぬ、と言う心配は杞憂(きゆう)であった。ならば、今回の憂いも杞憂であって欲しいものだ。
 如何(いかん)せん、鐫界器の及ぼす影響は通常の魔力行使とは乖離(かいり)し過ぎている。また、それを扱う彼についても同じだ。どのような法則の元にそれらが成り立っているのか、想像はできても確証は持てない。……聖霊という存在の能力が、いかに薄弱なものか思い知らされているようで気分が悪い。
 コスモは自分の腕の中に顔を埋め、少し考え込んで――いや、ただ気持ちを切り替えるために無駄な思考を白紙に帰しただけで、特に何を考えていた訳でもないが、不意に顔を上げた。

「えっと、あとは階段を降りた先の十字路を右に行けばしばらく分岐点は無いはずです。私は皆さんを捜してみますので何かあったら知らせてください」

 ちゃんと聞こえるように少し声を張り上げて言い、返事も聞かずに瞼を閉じるコスモ。
 この“ただ運ばれるだけ”の時間にコスモが出来ることと言ったら、これくらいしかないのだ。何もせずにいると自分が足手まといになっているような気がして落ち込んでくる。実際一番迷惑かけてるのは今ちょっと活躍しているように見えるルシフェルなのだが、人というのは何故かその場の状況で物事を判断したがる性質らしい。

 淡い桃色の煌めきが四方を駆け、それに従ってコスモの脳に投影される景色は、二人の移動する速度よりも遙かに速く洞窟を突き抜けてゆく。一瞬にしてコスモの視界から人影は消え去り、その後は無機質で一辺倒な石の通路だけが続いていた。
 (ふね)の中から軽く調査しておいたが、この洞窟は地上階と地下一、二階と言う三つの階層から成っている。先刻落ちたリミルの悲鳴が途切れるまでの時間を考えると、皆は恐らく一気に最下層まで落とされている。無事かどうかはわからないが、少なくとも地面との衝突音はしなかった。何らかのギミックが施されていたのだろう。
 地下二階、遺跡の色が濃くなってきている。少し速度を落として認識精度を上げてみると、壁や天井を埋め尽くすように描かれた壁画が投影されてきた。その不気味ともとれる空間に暫し圧倒されていると、視界の墨にちらりと動く影があった。
 ああ! あれは、ライトさんとリミルs……

「ってできるか――ッ!!」
「何を!?」

 思わず叫んでしまったコスモに驚いたらしいルシフェルは、集中力が途切れたのか急に減速し、二人は一瞬だけ凄まじい風圧に晒された。ルシフェルはすぐに空気の皮膜を張り直したが、崩れた飛行バランスを直すことが出来ず、やむなく回旋して地面に滑り降りた。砂利の擦れる音と共に、逆方向への加速度による圧力が襲いかかる。

「な、何故いきなり人格が変わるほどのツッコミを……」

 長い髪に淡く光る魔力塊を付着させたまま、ルシフェルは目を丸くしてコスモを見据えた。その様相、まるで遊戯が最後の最後で逆転してきた時の海馬社長。
 ……ちょっと(たと)えが悪いか。でも人によっては上の台詞も社長の声で再生されるだろうからまあいいや。って何がいいんだろう。

「コスモ、おいコスモ、どうした」

 そう言うとルシフェルは冷や汗を垂らし、コスモの両肩を掴んでがくがくと揺さぶった。その様相、まるで「ティマイオス発動せず」の回でインセクター羽蛾に勝った後の遊戯……っていよいよわかりづらくなってきましたね。あんまりやりすぎると読者が置いてけぼりに

「HAGAAAAAAA!!」
「きゃああー!?」

 胸倉を掴まれ持ち上げられたと思ったらジェットコースターのようにそのまま二回ほど回転、空中に放り投げられた上に追い打ちで回転をかけられ、きりもみ状態のまま落下してそれをルシフェルが華麗にキャッチ、今度は腹で樽の内側を舐めるように高速での横回転。ああこれ知ってる、バレルロールとか言う戦闘機の操縦技術だー、とか思ってる間に怒濤の垂直落下。酔った。しかし頭が朦朧(もうろう)としてても決めポーズはしっかり決める。イエーイふたりはプリキュ……ああもう、何やってるんだ私。

「……ってあれ、ホントに何やってたんでしょう私」
「よし、正気に戻ったか」

 どうやら着地の際にルシフェルが起こした加速度と慣性に挟み込まれて混乱状態に陥っていたところ、あの曲芸飛行のショックで正気を取り戻したらしい。物語の視点となっている人物が本当に混乱するとこんな描写が為されるのか、と、普通は覚えていられない自分自身の乱れた心境を読み返す。どうも複雑な心境だが、まぁ小説の主人公とは得てしてそう言うものなのだろう。
 ルシフェルは軽く首を振るわせ、髪に付着していた魔力塊を大気に散らした。放たれた魔力はまるで水槽に滴下されたインクのように淡く解け、気化していく。それを見届けると、彼は短く溜息をついてコスモに視線を向けた。

「んで、何だったんだ今の?」
「いや、その……」

 コスモは説明に唇を開きかけたが、その瞬間、ルシフェルを挟んだ道の向こうから近づいてくる影に気を取られ、思わず言葉を切った。咄嗟のこと故にコスモ自身の視線は動かしていないので、ルシフェルは不思議そうな顔をしてこちらを見ている。
 その間にも影はこちらに近づき、そしてコスモがルシフェルに知らせる間もなく――

「必殺、ナントカ焔星脚ッ!」
「ワサビッ」

 炎を纏った兇闇(まがつやみ)の強烈な跳び蹴りが炸裂し、ルシフェルは珍奇な悲鳴をあげて背の小さなコスモの頭上を薙ぎ、炎に包まれながら吹き飛んでいった。

「大丈夫かコスモ、何か変なことされなかったか?」
「えっと、まぁ平気です、ハイ」

 兇闇は電源を切っていたらしい――今のコスモには明るさの差は解らないので、飽くまでも切っていた“らしい”懐中電灯のスイッチを押し、紅蓮に燃ゆるルシフェルを一瞥(いちべつ)して、乱れた髪を軽く()いて整えた。恐らく天凪波風の光に気付いて、近づく前に明かりを消していたのだろう。
 改めて周囲を確認してみると、どうやら三人はちょうど先刻ルシフェルに教えた十字路の交差点あたりにいるようだ。それほど進んではいなかったらしいが、こうして兇闇と合流できたので良しとしよう。一瞬来た方角を見失ったかと思いひやりとしたが、ルシフェルが燃えさかっている通路の地面や壁にしっかりと鎌鼬(かまいたち)の痕が残されていたので問題はなさそうだ。
 コスモは口許に指を宛てて暫しの間黙考し、兇闇の涼しげな顔を見上げて唇を開いた。

「兇闇さん、聖さんとは会いましたか?」
「いや、ここに来るまでは誰とも会ってない」

 そう答えて、兇闇は静かに瞼を閉じて台詞を続けた。

「その口振りだと、無事が確認できていないのは聖だけらしいな」

 少し躊躇(ためら)いながらも、こくりと頷くコスモ。兇闇は俯きがちに虚空を睨み、ゆっくりと息を吐くと、振り返りざまに勢いよく右腕を水平に薙いだ。身体に比べて大きめの黒服がはためき、細身の両刃剣が闇に煌めく。

「心配いらない、あいつは私生活こそただのダメな奴だが、魔物としては一流だ」

 兇闇は風切り音を立てて伸ばした右腕を振り下ろし、剣を持ち直してから瞬きする間もなく回旋、何もない空間へと斬りかかった。
 姿を消した何者かがいるわけではない。コスモの視力なら、光の反射や屈折を無くしたって輪郭の判別はつく。そして案の定、兇闇が切り裂いた空間には何もなく、行き場を無くした剣先は通路の壁に突き刺さった。

「必殺、えーと、なんか弾ける剣ッ!」

 技の名前は思い出せなかったのか思いつかなかったのかは判らないが、ともかく彼がそう叫んだ瞬間、切っ先が触れていた石造りの壁は大きく震動し、岩が砕ける重く乾いた音と共に穿(うが)たれた。
 その瞬間、無機質な石壁がまるで波打つ水面のように揺れ動き、古びた灰色は鮮やかな光沢を持つ金属へと変貌していく。ぐにゃりと奇妙にうねる石壁は次第に複雑な形骸を形作り、兇闇が剣を引くと、穿たれた穴は波に呑み込まれて消え去った。
 そして欠損を修復したそれは、まるで自分自身をくり抜いた痕のような、石膏像の型にも似た彫刻を石壁に残し、ようやく姿を現した。中央の球体に亀裂が入っていることを除けば、先刻コスモが見たガードロボットと同一のものだ。
 それを見て、コスモは全てを理解した。

「壁の中にいたのではなく、壁そのものになっていた……ってことですか」

 空間が見つからなかったのは当然のこと、奴らは石の中を潜みゆくのではなく、石壁と完全に同化して移動していたのだ。そして今、兇闇がその機能を司る中枢を停止させ、無理矢理に出現させた。だから以前のように出現と同時に壁の一部を飛ばしたりはしなかった……できなかったのだ。
 見つかった原因については思い返せば余りあると言うか、あんだけ騒げばそりゃあ見つかるのが当然だろう。

「ああ、わしゃ燃え尽きてしもうた、くやしいのうwwwwwwwwwwwくやしいのうwwwwwwwww」
「おどりゃクソ森ええかげんにせい」

 ギギギとか言いながら真っ白な灰になっているルシフェルに、兇闇はどこから取り出したのか埴輪(はにわ)“踊る女”を投げつけ、

「余裕なのは判るが、あまり遊ぶんじゃない」

 と付け足してから剣を下段に構えた。教師と生徒と言う関係上、今の物言いは何かが間違っているような気がするが、この際あまり考えないようにしておこう。

 壁と完全に同化するなどと言うことは、突き詰めれば分子間の相互干渉を狂わせることだけしかできない“普通の魔法”では不可能だ。未知の技術を扱う敵とは幾度か交戦したことがあるが、いずれも油断を押して実力だけで勝てるような相手ではない。
 ガードロボットはただ沈黙し、こちらの様子を伺っている。気配を関知できないコスモにとって同化の術を封じることができたのは大きいが、未だ手を隠し持っていないとも限らない。

「先手必勝、バギクロース!」

 唐突に復活していたルシフェルが天凪波風を掲げて叫び、荒れ狂う気流がガードロボットの真下から吹き上げ、一帯を覆った。そのすぐ近くにいたコスモと兇闇は、咄嗟に翳した掌から魔力を放射してシールドを張ったが、ものの見事に気流に弾かれ、十字路を挟んで逆側の通路にまで吹き飛ばされていく。コスモは飛行の術を使いゆるやかに着地したが、兇闇は地面に激突する直前に剣を突き立て、それを支柱にしてどうにか地に足をつくことに成功したようだ。

「っ痛……技使う時は範囲ってものを考えろよオイ!」

 兇闇の叫びにルシフェルはにやりと笑って返し、六枚の光翼を静かにはためかせながら、気流に巻かれて動きの止まっているガードロボットに向き直り、天凪波風を持った右手を突き出した。

「なぁコスモ、正解の道はそっちでよかったんだよなァ?」

 その言葉に、コスモははっとして顔を上げた。
 ルシフェルは今“先手必勝”と言っていた。それは最初に会ったとき“まず成り立たない”と否定していた言葉でもある。それを敢えて強調するように使ったと言うことは、彼はそれで何かを伝えようとしていたのだ。
 即ち――この技は勝利を狙ってのものではない。

「だ、ダメですルシフェルさん! 貴方にはもう、戦うだけの魔力は……っ」
「いいから行けッ、クローズ・ザ・ドアー!」

 急いで駆け寄ろうとするも、時既に遅し。コスモが数歩踏み出したところで両開きの扉はぴたりと閉じ、狭い通路は十字路から完全に遮断された。
 ルシフェルは初めからコスモ達だけは逃がすつもりだったのだ。一刻も早く下層の皆を助け出すために。
 まぁ落としたのは自分なのだが(ここ重要)、様々な機械が動き出している今、あの三人が無事でいられる保証は無い。特にライトとリミルは亜人とは言えただの学生なのだ、早めに合流しておいた方がいいだろう。
 しかし、まさか彼がこんな手段を取るとは思ってもいなかった。

「そんな、ルシフェルさん……て言うか、この扉はどこから出てきたんですか……?」

 黒く煤けた巨大な鋼鉄の板を見据えて、コスモは自分の胸元を強く掴んだ。その向こうを通し見ることは容易(たやす)いが、そうしたら恐らく決着を見届けずして視点を戻すことはできなくなる。

「フン、あの校長もやる時はやるもんだな」

 腰に差した鞘に剣を納め、転がった懐中電灯を拾い上げながら言う兇闇。

「心配するな、奴はあれでなかなか強い。一人ならば好きに戦えるからな、負けることはないさ」

 そう言って彼はコスモの頭に手を置き、鋭くも優しげな瞳で微笑みかけながら「行こう」と――

 ガチャ

「あ、やっべ鍵かけんの忘れてたごめりんこ」

 ルシフェルは戦闘中に寄りかかったら開いてしまったらしい鉄の扉を笑いながら閉め、がちゃりと重い鍵をかけた。
 二人は暫くその扉を呆然と眺めていたが、不意に兇闇がコスモの頭に置いていた手を再び置き直し、何事もなかったかのように笑みを浮かべた。

「行こう」

 あ、仕切り直しですか。

「そうですね」

 爽やかな笑顔で淡泊にそう答えると、コスモは扉に背を向けて、長く続く通路を歩き出した。
 ああもう、なんと盛り上がらない引きの演出だろうか。やっぱりルシフェルと言う人は致命的に空気を読めない人なのかもしれない。
 とりあえず、下層へ急ごう。



 ――――



 空中で旋回して高出力レーザーを(かわ)し、ガードロボットの懐に潜り込んで気圧の弾を撃ち込む。中央の球体に直撃するも、粉々に砕くとまではいかなかったようだ。ルシフェルは小さく舌打ちをしてガードロボットの背後に回り込み、反撃を躱してから背の装甲に再び気圧弾を撃ち込んで、その反動を利用して距離を取った。

「おいララ、見てるんだったら少しは手伝え!」
「あら、やっぱりバレてたのね」

 通路の影から現れたその声の主は、ルシフェルのよく知っている女性だった。燃えるような真紅に金色のメッシュが入った長髪に、冷めた表情を常に湛えた童顔だが端正な(かお)。軽く羽織った薄手のコートの下に覗くワイシャツの首元はきっちりとリボンで留められている。少し長めのキュロットスカートには、サスペンダーの金具がちらりと見えた。彼女――ラファエルの性格を体現した、いかにも几帳面そうな服装だ。

 ガードロボットは突然の乱入者に戸惑っているのか、二人を交互に見比べて少し後退した。ルシフェルは(すか)さず気流の刃を右腕に纏わせ一気に加速、高速でガードロボットの腹部に叩き込んだ。そして体制の崩れたロボットに、ラファエルの放った炎の鞭が襲いかかる。そのダメージにより頭部が半壊、通路の向こうまで派手に吹き飛ばされていった。
 その直後、ルシフェルが手を翳すと、二人の背後で天井が崩れ、剥落した瓦礫が落ちて砕けた。

「物理的破壊を起こすほどの高エネルギー光学兵器、それでも“指向性の光”ってことに変わりはない。狭い空間に気圧の差を起こせば、蜃気楼と同じように光は屈折して飛んでいく……ダテに教師やってるわけじゃねえんだよ」

 ルシフェルの言葉を理解できているのかどうかは判らないが、ガードロボットは怖じ気づいたかのように後ずさった。頭部が半壊したとは言え、その機能に大した障害は出ていないらしい。ラファエルはそれを見て、鞭を構えつつ目を細めた。

「こいつ、ひょっとして生き物なの?」
「お前も気付いたか、さすがは俺の嫁」
「嫁になったつもりは無いわ、貴方と私はただの幼馴染、OK?」

 むっとして言うラファエルを見て、ルシフェルは悪戯っぽくにやりと笑って返し、相変わらずこちらの様子を伺っているガードロボットを見据えて、天凪波風を眼前に舞わせた。

「じゃあもし無傷で帰れたら、幼馴染のよしみでキスくらいしてくれるかい」
「別にキスなんていくらでもしてあげるわよ、どーせアンタの事だから本当にしたいんじゃなくて反応を見て楽しんでるんだろうし、私は意地でもそんな反応してあげないけどね」

 表情一つ変えず、早口で捲し立てるように淡々と言い連ねるラファエル。そんな彼女を見て、ルシフェルは少し肩を落として苦笑し、

「可愛くない女だなぁ、全く」

 と呟いた。
 それでもラファエルは気にも留めない様子で、貌だけをルシフェルに向けて片目を瞑り、ちょっと舌を出して一笑した。たまにこう言う子供っぽい動作を見せるあたり、昔から全然変わっていないなと思う。

「別にアンタなんかに可愛いと思われなくてもいいもんねー……っと、来るわよ、ルー!」

 その合図と共に、二つの影が同時に構え、ガードロボットに向かって勢い良く地を蹴った。







第一章:雨粒が奏でる序曲

第二章:エンドレス・パーティー ←いまここ

第三章:盈虚の指標

第四章:燦爛たる始まりは黯然とした終端へ

第五章:白い亡霊

第六章:Der blaue Himmel




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