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 求めるべきは、ただ純粋な心の強さだ。
 肉親の血で喉を潤し、親友の肉を喰らってでも独り生きてゆく――強さ。





 ぴんぽーん。

 楽しげに弾むその音を発端として流れ出す、無機質で抑揚のない電子音のメロディ。一定の音程と一定のリズムで断続的に流れるそれは、薄ぼんやりと(もや)のかかった脳髄を程よく覚醒させる。
 いつもなら惰眠の安寧(あんねい)を壊してくれた音に多少の苛つきを覚えるところだが、ただ退屈なだけの今に限っては逆にありがたかった。同じことのように見えても、このような雨天が幾日も続けば、気分もまた違ってくるものだ。
 読みかけのページに親指を挟んだまま放置していた小説をベッドの脇に投げ出し、仰向けの体勢からふらりと起きあがる。きょろきょろと辺りを見渡し、ちょうどベッドの上にあった受話器をとり、「入っていいです」と一言告げると、返事も聞かずに元の場所に納めた。

 時刻はまだ朝と呼べる範疇だが、二日降り続いている雨のせいで窓の外はどんよりと重い。天井から垂れ下がった紐を引いて電気をつけると、死んだような瞳でこちらを見返す亜人の少女が暗い窓に写り込んだ。
 病的なまでに白い肌、瞳孔だけを残して不自然に白い瞳、銀色を通り越した白い髪。暗く濁った窓硝子に、その真っ白な風貌ははっきりと写っている。右の蟀谷(こめかみ)から天へと突き出た無骨な漆黒の尖角も、慣れてしまえば特に違和感も感じないものだ。

 取れそうもない寝癖をちょいちょいと弄っていると、等間隔で三回ほどドアを叩く音が部屋に響き、その向こうにいる彼は「入るぞ」と低く落ち着いた声で言ってから、ゆっくりとドアを開けた。
 そこから入ってきたのは、窓に映った自分と同じ、白い髪に黒い尖角を持った青年だった。すらりと長い体躯に少し大きめの黒服を(まと)い、端正な顔にかかった長めの前髪の中には、威圧感のある鋭い瞳が見え隠れしている。

「おはよう、(ひじり)
「……おはようございます、先輩」

 無表情のままで挨拶を交わす。聖が先輩と呼んだその青年、兇闇(まがつやみ)は、その場で少し口を(つぐ)んだあと、露骨に呆れを織り交ぜた溜息を一つついて、小さめの革の鞄を床に放り投げた。

「聖よ、お前の生活スタイルにそこまで厳しく言うつもりは無いがな」

 そう前置きして、兇闇はベッドの上に座り込んだ聖の頭を軽く小突いて一言、

「ワイシャツの前くらい閉めてくれ」

 と呟いた。
 聖の服装はとても適当なもので、ワイシャツ一枚と短めのスカートと言う、この上なく身軽なものだった。そのまま寝ていたためどちらも(しわ)だらけで、ワイシャツのボタンは一つもかかっていない。無論、上半身に下着などという面倒なものを着用しているはずもない。

「でも、家の中だし……」
「いいから閉めろ、これじゃ少し動いただけで年齢制限入る」

 そう言われ、聖は「それもそうですね」と呟いてから、緩慢な動作で第三ボタンと第四ボタンだけを引っかけた。兇闇は再び小さな溜息をつき、聖と同じベッドに腰掛ける。周囲に物が散乱していることに少々呆れ気味のようだが、聖はあまり気にしないことにした。

「さて、早速だが本題だ」

 言って兇闇は、自分の周りに散らばった大量の本を慣れた手つきで片づけ始めた。聖は戸惑いつつもその様子をじっと見ていたが、やがて左手を胸のあたりに宛い、首を少し傾げながら唇を開く。

「先輩、言ってることとやってることが違います……」
「こうして俺が片づけてやらんといつか部屋が部屋でなくなるだろうが、話はちゃんとするから安心しろ」

 図星を指され、黙りこくる聖。実際に彼女はあまり掃除の得意な人種ではないのだ。とは言え、不要物がすぐに増えてしまうと言うわけではなく、ただしまってあった物を出した後に再度しまうのが面倒なだけなので、散らかるペースは遅く、掃除も比較的楽と言えよう。
 まぁ、そうでなければ、いくら世話好きの兇闇と言えども、来る度に掃除などしてはくれないはずだ。

「で、亜存在についてだったな。戦えるんなら充分だとは思うが、お前はどこまで知ってる?」

 散らばっていた漫画を巻数順に揃えながら、兇闇は視線だけを聖に向けて言った。聖は少し考え込んでから右手の人差し指をぴんと立て、それに答える。

「まず一つ目に、物理世界じゃ普通の人には見えないけど、私には見えるってこと」

 続いて、同じようにして小指を立てる。

「二つ目に、普通は攻撃がほとんど、または完全に効かないこと」

 そして、残った三本の指をぴたりとくっつける。

「三つ目に、その場の物理法則に関わらず、強い感情をぶつけると消滅す」
「いや何でキツネ作ったんだよ今、ナチュラルに指三本立てるだろトゥルーな場合」

 台詞の途中に漫画の角でツッコミを入れられ、聖の右手に宿ったキツネさんは少し不満げに項垂(うなだ)れた。

「そっちこそ何で微妙にルー大柴が乗り移りかけてるんですか……?」
「ともかく、それだけ知ってればいいと思うがねえ」

 兇闇は、まるで聖の言葉など聞こえていないかのように、著者ごとに一纏めにした書物の群れを確認しながら、溜息混じりに言い放つ。聖は胸元に宛った左手に力を込め、薄手だが柔らかい掛け布団に突き入れて、ぐいと身を乗り出した。

「詳細な知識が欲しいんです」

 兇闇の綺麗な黒い瞳に、魚眼レンズを用いた写真のように奇妙な倍率で変形した自分の顔が映り込む。
 今までの聖からは想像できなかったであろう態度に、兇闇は僅かながら驚きの色を示しており、何より聖自身が一番驚いていた。それでも、その場の空気を崩さないように強気のままで台詞を続ける。

「確固たる知識の地盤がなければ応用は効きません、私は不要物になりたくない……」

 兇闇の瞳の中で静かに語る聖は、弱々しく情けない嘆願の表情をしていた。強気と決めた直後にこれだ、自分のこの精神力の弱さにはもはや呆れるしかない。どこまでも無意味で非効率的だと理解できているのに、すぐに感情が表層に出てしまう。女性の脳は理論的思考と感情的思考を隔てることが難しいと言うが、実に迷惑な話だ。これじゃあ強くなんてなれっこない。

 兇闇のことだから、聖が発した台詞の意味くらい、すぐに理解できるだろう。
 今までのように自衛だけを考えていてはやり過ごせない。出る杭を片端から打つだけでなく、地面の下で杭を押し出している大元を駆除しなければ間に合わない……それだけ切羽詰まった状況に陥っているのだ。
 相手の性質さえよく解っていないような聖がそんな戦いに出ていっても、役に立つとは思えない。それでも、この殺し合いばかりは避難しているわけにもいかないのだ。どういうわけか、亜存在をまともに視認できるのは聖だけなのだから。

 兇闇はしばらく乾ききった無機質な瞳で聖を見つめ返していたが、やがてその瞼を伏せて、再び積んだ本を片付ける作業に戻った。

「怖いか?」

 小声の問いかけ。世話好きな性格や優しさから来るものか、それとも聖の心を試しているのだろうか。
 正直に言うならば、怖い。成り行き上、人を殺したことは何度もあるし、殺されたものを見たこともあるが、あの陰惨な光景には慣れる気がしない。溢れ、滲み出る血液の()せ返る臭い、嗚咽(おえつ)を誘う生臭い臓物の臭い、割れた頭蓋からどろりと垂れる脳、吐き気を催す鮮明な色彩……一歩間違えれば、自分が“そう”なるかも知れない。
 そして何より、自分の実力が露呈することが最も怖ろしい。情けないことだが、自分自身の能力に明確な自信が持てないのだ。精一杯強がってはいるが、いつかはその強がりも限界に達するだろう。それまでに充分な実力がついていればいいのだが、そうでなかったら、きっと見捨てられる。

「はい」

 だからこそ、聖は頷いた。意志表示ではなく、自戒の念を込めて。
 少しばかり荒療治だが、恐怖を克服するにはそれに真正面から向かい合うのが最も手っ取り早い。あとは聖の精神力次第と言うわけだ。呑み込まれてしまえばそれまでだが、自分にも克てないような臆病者が過酷な戦争に出られるはずもない。

「それでも、少しでも役に立ちたいと言うわけだな」

 今一度、頷いた。兇闇はどこか閉鎖的にも見える微笑を顔に貼り付けて、諦観の入り交じった穏やかな口調で続ける。

「大丈夫だ、何が怖ろしいのか知っているならそんな無茶はしないだろう」

 違う、私の恐怖はそんな真っ当なものじゃない。ひと思いにそう言ってしまいたかったが、そうすれば彼は何も教えてはくれないだろう。聖は動かない唇の下で、奥歯が痛くなるほどにきつく、行き場のない言葉を噛み殺した。
 ……これは成長のための試練なのだ。この自分自身との戦いは、飽くまでも一人で乗り越えなければならない。誰かの厚意に甘え溺れてしまっていては、本当の強さなど得られるはずがないんだ。そう自分に言い聞かせ、今すぐ全ての感情をぶちまけてしまいたい衝動を必死に抑える。

「まぁ、なんだ」

 兇闇は沈黙を振り払うように、掌を合わせて軽い音を出した。

「早急に考えなきゃいけないわけじゃないからな、とりあえず今は適当に気分を切り替えとけ」

 そう言うと、兇闇は立ち上がって纏め終えた本を本棚に納め始めた。きちんと著者ごとに区切って並べてくれているようで、その分ペースは少し遅い。

 ……確かに、自身の恐怖に関しては今すぐに考えなければならないことではない。未だ来てもいない事態に怯えるなど、無意味以外の何物でもないことだ。ここは兇闇の言葉通り、この部屋のようにごちゃごちゃと散らかった頭の中を一度掃除してみるのがいいかもしれない。現実の掃除は……彼に一任するとして。

「ですね、じゃあそうします」
「ああ」

 聖はベッドの上から上体だけを床に降ろして、液晶のモニターとそれに接続されているゲーム機の電源を入れた。暗かった画面に一瞬のノイズが走り、明るい効果音と共にハードの名称と立方体のようなロゴマークが画面中に表示される。
 と、唐突に兇闇の影が視界に入ってきてコントローラーを奪い去り、

「よろしい、ならば大乱闘だ」
「って先輩もやるんですか」
「小リンクでボッコボコにしてやんよ」
「じゃー愛戦士ももいろファルコンで抱き殺します」
「アッー」

 この人、実は遊びたかっただけなんじゃないの……?



 ――――

 Weiß gespenst.
  第一章 雨粒が奏でる序曲

 ――――



「雨、止まないなぁ……」

 薄く曇った窓に指で描かれた落書きの線から外の様子を眺め、リミルは深く溜息をついた。
 外側に跳ねた肩までの金髪も、長く横に伸びた動物的な耳も、きちんと朝起きてすぐセットしたはずなのに、この暗鬱な湿気を吸ったせいで重力に負けて情けなく垂れ下がっている。昼前でこれでは、夜になったら表面に水分の層が出来てしまうのではないだろうか。
 もう一度、溜息に乗せて憂鬱な気分を吐き出そうとするも、吸い込んだ空気からまた憂鬱が染み込んできて、結局何も変わらない。

「どうにもできないことで悩むな悩むな、そんなことより現状を楽しむ方法考えよーぜェ」

 背後から聞こえた、調子の軽い声に振り返る。そこには、身軽そうな膝下くらいまでのズボンにポロシャツを着込み、もみあげを少し伸ばした蒼髪に長く青い無機質な耳を持った、亜人の青年の姿があった。寒色系の色彩でまとめたラフな服装は、この赤絨毯(じゅうたん)に白い石壁と言う厳かな部屋には(いささ)か不釣り合いではある。……キャミソールにひらひらのロングスカート、そして大きめのストールを羽織っただけのリミルも似たようなものだが。この場所でドレスでも着たら少しは似合うのだろうか。

「じゃあ二人でトランプでもやる、ライト?」
「地味だなオイ」
「こう、手裏剣にして先に相手を殺すか眼球を潰した方が勝ち」
「派手だなオイ」

 幾つかの言葉を交わし、クスクスと笑い合う。そんないつも通りのやり取りも、この天気のせいで変にねじ曲げられ、リミルの心の靄を取り払うには至らなかった。ライトの言っていることも正論だと解っているのだが、どうもいつものように物事を前向きに考えることができないのである。
 雨は嫌いだ。正確に言うなら、今日のそれのように小降りのまま長続きするような雨は。まだ梅雨でもないのに、この雨はもう三日も降り止む気配を見せない。天候程度で苛つくほどリミルは短気な性質ではないが、流石にここまで続けば少しばかり憂鬱になってくるものだ。

「ったくもう、こうもしつこく雨降ってると眠くなってきちゃうよね」

 ぺたし、ぺたし、とスリッパの音を鳴らしながら、リミルは窓際から離れ、ゴシック調の装飾が施された白いテーブルの近くまで歩いていく。元々テーブルの近くにいたライトも、それを見てからテーブルに右手をつき、軽くよりかかった。

「眠いのはアレのせいじゃねえの?」

 そう言って、部屋の隅にある暖炉を左手で指すライト。視線で台詞の続きを促すと、ライトは左手の人差し指を暖炉からリミルに向け直し、

「酸素が足りなかったり、あと身体が暖まったりしてボーっとしてるんだよ」

 と続けた。確かに、冬場に窓を閉め切って炬燵(こたつ)に入っていたりした時には幾度かそんなことがあった気がしないでもない。後者の場合はただ眠いから体温が上がっているだけと言う場合も多いだろうが、まあいいだろう。
 ライトは左手の人差し指をリミルに向けたまま暫く考え込んだ後、今度はそれを自分の蟀谷に持っていき、再三唇を開いた。

「あれ、酸素ってどんくらい減るとダメなんだっけ?」
「大気中の酸素濃度はおよそ二十一パーセント、そこから三割減ると人は死ぬ」

 リミルは白い椅子を引きながらその疑問に即答し、座ると同時に次の台詞へと移る。

「ちなみに酸素は増えすぎてもダメ、普通の気圧なら酸素濃度六十パーセント以上の大気を十二時間ほど吸い続けると最悪死んじゃう。酸素はエネルギーに変換される際に活性酸素が発生して身体の構成分子を酸化させちゃうからね」
「でも、それじゃ運動したりしてたくさん呼吸するだけで危険なんじゃないのか?」
「うーん、確かに激しい運動や喫煙によってたくさん生まれたりもするけど、ぼく達は活性酸素くらい酵素で分解できるんだよ。そもそも偶然酸素の毒を取り除ける生物が生まれたからそいつは人類まで進化できたんだし、人類もできるのは当然っちゃあ当然だね」

 すらすらと流れるようにここまで言い連ねた後、リミルは締め括りに

「これでキミにまた一つ生きてく上では全く必要のない知識が増えたね?」

 と言って笑顔を浮かべた。ライトは感心したように小さく溜息を漏らし、リミルの向かいにある白い椅子に腰を下ろしてぼりぼりと乱暴に頭を掻いた。

「相変わらずすごい知識だなァ優等生さんめ、歩くWikipediaって異名つけてやろうか」
「いやそこは百科事典でいいじゃない、万人が編集可能なぼくって何さ」

 と、その台詞を言い終わるか終わらないかのうちに部屋の向かい側にある木製の扉が開き、一人の少女が入ってきた。リミルやライトに比べて二回りほど小さい、セミロングにした黒髪が綺麗な亜人の娘だ。純白にアイスブルーのアクセントが入った浴衣は昨日の夜に見たままで、どうやら寝間着のまま着替えていないらしい。

「どしたの(よもぎ)ちゃん、なんかあった?」
「あ、いえ、お昼ができたので呼びにきましたです」

 蓬はきちっと背筋を伸ばし、両手の指の先を合わせてにこりと笑った。腰が低いのは恐らく居候と言う身分意識から来ているのだろうが、年下とは言え友達なんだから、リミルたち相手にここまで礼儀正しくしなくてもいいのにと思う。

 リミルとライト、そしてその妹のルナは、四日ほど前からこの家に泊まり込んでいる。最初は一日だけ滞在して帰るつもりだったのだが、家の持ち主であるヒスイの「雨が止むまで泊まってったら?」との提案に乗ったところ、予想以上に雨が長続きし、降り始めてから三日経った今も依然として変わらず、空は暗く澱んだままだ。
 確かに皆と遊んでいるのは楽しいのだが、こう何日も世話になっては少しばかり申し訳なく思えてくる。ヒスイの性格ならそんなことはこれっぽっちも気にしていないだろうし、彼女自身存分に楽しんでいるのも解っているのだが、やはり常識感と言うものから離れるのはなかなかに難しいらしい。
 と、そんなことを思い返していると、部屋から出ようとしていた蓬が何か思いだしたかのように「あ」と呟き、くるりと踊るような動作で振り向いて今一度唇を開いた。

「そういえば、ちょっと前からマスターもお見えになってますよ」
「えっ!?」

 リミルが立ち上がって驚きの声をあげたのと同時に、ライトも同じように椅子から立ち上がっていた。二人は互いに顔を見合わせてから、再び蓬の方に向き直る。

「マスター、ここに来てんのか?」
「蓬ちゃん、(うつせ)は何の用で来たか言ってた?」

 二人の疑問に蓬が口を開きかけた、その時。

「少々、ヒスイさんに話があったのですよ……」

 完全に死角になっていたテーブルの一面から、静かだがよく通る声が響き、リミルは慌てて振り向こうとして床に転がった。
 そこに座っていたのは、暑苦しそうな黒服に黒い帽子を目深に被った、この街では珍しい人間の男だった。彼の表情は落ち着いた口調通り穏やかで、だがその初老の紳士のような口調に似合わず肌は白く若い。時代錯誤(アナクロ)と言うよりは、時代や俗世と言ったものからほとんど乖離(かいり)してしまっているように思える。
 その男――この場にいる全員にとっての主人、黒神(くろがみ) 現は、自分に驚き飛び退いたリミル達を気にする様子もなく、静かに笑って右手に持った扇を広げた。奇妙に芝居がかったその動作は、彼の周囲に現実離れした空気を造り出してゆく。

「やあ子供達、ご機嫌は如何(いかが)かな?」

「ど……どうやって入ってきたんだよ、マスター」

 ライトは冷や汗を垂らしながら驚愕の笑みを浮かべ、押し殺したような声で言った。現はそれに微笑で返し、

「なに、入ることに関しては蓬と同じだよ。唯一の相違点は、私は“移動する”と言う手順を踏んでいないことだけだ」

 と、いつものように難解極まりない言葉で返した。
 彼はどうも説明の面倒なことはこうして誤魔化す癖があるように思える。いや、それとも彼自身は普通に教えているつもりなのだろうか……いずれにしても、変な人だと言うことに変わりはないのだが。
 リミルはゆっくりと立ち上がり、スカートをはたいて埃を落とした。実際のところ埃がついていたかどうかは判らないのだが、転んだ状態から立ち上がる際の条件反射と言ったところだろうか。

「大丈夫だったかね、リミル」
「平ー気、心配いらないよ」

 その必要はないと理解しつつも、現の問いに答える。彼のことだから、リミルの身に外傷がないことくらい最初から見抜いているのだろう。もし少しでも怪我をしていたなら、その段階でキズぐすりを差し出していたはずだ。

「それで現、ヒスイに話って何だったの?」

 彼の登場を聞いたときから僅かに抱いていた憶測を確かめようと、リミルは必要もない自然さを取り繕いながらそう訊ねた。現は一旦リミルに視線を向けてから仰いでいた扇をぱしんと畳み、それで窓の外をまっすぐに指して瞳を細める。

「あの雨の異常性についてだよ、この雨天は通常のものとは少々違うようだ」

 思った通りの返答に、リミルは安堵の微笑を漏らした。
 この時間はいつも各地を飛び回っている現がいきなりヒスイの家を訊ねてきたと言うことは、何か協力を要請するようなことがあったに違いないと思っていた。解決しなければならない問題があるとするなら、現段階で思いつく中ではこの雨しかない。梅雨でもないのにこんなに雨が長続きするようなことは、今まで生きてきた十六年を振り返ってみても思い当たらなかった。
 ライトもやはりこの雨にはうんざりしていたらしく、「マジか!」と露骨に目を輝かせて現の方に数歩詰め寄った。現は穏やかに笑ってこくりと頷き、畳んだ扇を今一度広げて口許(くちもと)に宛う。

「この雨は“潤み”エリア深奥の洞窟にある古代文明の装置が再起動したが故のものらしいのだよ」

 事前に電球でも仕込んでおいたのか目元を本当にキラリと光らせ、現は若干語調を強くしてカメラ目線で言い放った。カメラを吊っている変な雲に乗った眼鏡亀が視線に負けて後ずさるが、現はそんな事など気にも留めない様子で台詞を続けた。その冷静でありながらも朗々たる様は、まるで締め括りの推理を皆に披露する探偵役のようにも見える。

「あの湿地帯の奥地に、深ァい洞窟が口を開けているのは皆も知っておろう?」

 質問を受け、皆が一斉に小さく頷く。湿地の洞窟の話はこの街でもわりと有名な話だ、リミルやライトはこの街にとっては新入りに分類されるのだろうが、数ヶ月も暮らしていればそれくらいの情報は入ってくる。

「どうやらそれは古代遺跡とも繋がっているらしくてねぇ、遙か過去に大発見だと騒がれたであろう技術が、我々に再び大発見だと騒がれる機会を心待ちにしているのだよ」

 相変わらず表現が少しややこしいな、とリミルはぼんやりと思った。文字を見るだけでは、洋画の吹き替えみたいな声で再生してしまう人もいそうだ。いつもより若干理解し易いように抑えてくれているのが唯一の救いか。いや別段何を救っている訳ではないが、まあ言いたいことは伝わったと思う。……正直言って、心情を言葉にして伝えるのはどうも苦手なのだ。

「そして今回、自己顕示欲の旺盛な一つの天候操作技術が痺れを切らして自己主張をし始めたと言うわけだ。今日ここに来たのはヒスイにそれの停止を請け負って貰おうと思っていたが故なのだが……」
「だが、何ですか?」

 考え込むように顔を俯けてしまった現に、いつの間にか近くまで来ていた蓬が続きを促した。一呼吸ほどの間を置き、彼は再び語り始める。

「流石に彼女ほどの実力者ともなると準備にも時間がかかるのだよ、どうやら神の光が懐かしき碧空(へきくう)へと戻るのは数日の後になりそうだ」

 普通の人なら大仰に「ええーっ」と期待が外れたことを露骨にアピールでもするのだろうが、その台詞を聞き終えた後も、リミルはそうしなかった。
 何故なら、太陽が空に戻るのには数日もいらないだろうと踏んでいるからだ。何せこちらには抜群の行動力と判断力、そして明晰な頭脳を持っている、とびきりの馬鹿がいるのだから。もちろん、彼が期待通りに動いてくれることも、リミルには判っている。

「なら心配いらねぇよ、暇な俺達が行きゃあ済むことだ」

 ほーらやっぱり。ほーら。ライトなら絶対こう来ると思った。絶対ぼくも行かされる流れだと思ったー。
 リミルは表向き無表情のままで爽やかに高笑いしてみたが、心境は複雑なものだった。あの現がわざわざ仲間内でも最高クラスの実力を持つヒスイに協力を要請しに来ているのだ、その洞窟が危険なものであることに相違ないだろう。
 ライトの性格からして溺愛する妹を危険な場所に行かせはしないだろうから、二人だけでそこを探索しなければならない。実力を合計したって、ヒスイの足下どころか爪先にも及ばないのではないだろうか。これでは些か不安である。
 地下の探索は幾度か経験があるが、だからこそ安易に突撃するのは避けるべきだと知っている。かと言ってしっかりと準備をする訳でもなく、恐らくこのまま行くつもりだろう。一人は防護性能を全く考えていない身軽な服装、一人は動きにくいことこの上ないひらひらしたスカート。その上、そこにふわふわしてるカメラ亀から推察するに、絶対に一騒ぎ起きるはずだ。これは慣れと勘ではカバーしきれない、と思う。
 どうやら現もそのあたりは決めかねているようで、凪のようにじっと静寂を保ち考え込んでいる。

「まあいいや、では頼んだよ二人とも」

 って決めちゃったよ、すんごいあっさり決めちゃったよ。まあいいやとか言ってたし、わりと生命とか関わってくると思うんだけどそれでいいのかご主人様。

「だがまずは食事としようじゃないか、ヒスイの炒飯は調味が絶妙なのだ」

 そしてアンタも食ってくのかい。
 リミルの心の底からのツッコミは、それが口をついて出る前に飛行機の轟音へと吸い込まれ消えていった。



 ――――



 分厚い二重硝子の窓越しに、低くくぐもったエンジンの駆動音が聞こえてくる。窓の向こうには久々に見る青空が広がっており、真綿のように真っ白いどこまでも続く雲の大地は、同一のものでありながらも下界の薄暗い様相を一欠片も感じさせない。どこまで進んでも変わりそうにないその景色……もし天国と言うものが本当にこんな所だったなら、さぞや地獄のような退屈を味わえることだろう。
 部屋の中を改めて見渡す。広さは小さな学校の体育館くらいはあるだろうか、鉄板が剥き出しの質素な壁や床で四方を囲まれた、機械的な部屋だ。何に使うのかよく判らないパイプやスイッチが多数埋め込まれており、見ているとメタナイトの逆襲とかそのへんを思い出す。他の皆も同感だったようで、先刻もライトが「2どめのしょうじき、ヘビーロブスター発進っ!」とか言いながらザリガニの死体を兇闇に投げつけていた。ああワシらの艦が壊されてゆく。

 しかし確かにここは雲の上であり、戦艦とまではいかないが、近しいものに乗っていることは明白である。この黒神家が誇る自家用巨大飛行艇にして史上最大の夏休みの工作、サカナー・ド・たくさん感嘆符……略してきびだんご(by現)、実際に搭乗するのは初めてだが、噂に違わず極端に常識外れな上、ツッコむべき箇所が多すぎて逆にツッコミもままならない代物だ。

「もうすぐ、です」

 濃い桃色の髪を揺らして小さな少女が振り向き、呟いた。子供らしく可愛らしい声だ。

「そう、わかった」

 彼女に視線を向けて微笑み、リミルも答えた。ついでに今度街で会ったときにも声を掛けられるように、彼女の特徴を少し観察してみる。
 ぼんやりとした眠たげな瞳に、子供のように小さく開いた瑞々(みずみず)しい唇。ふわりと肩まで伸びた髪からは無機質な桃色をした長い耳が突き出ている。ファスナーに大きな三角形の飾りがついた薄桃色のジャンパーや赤いミニスカートと言った子供っぽい服に、大人用と思われる薄茶色の渋いコートを羽織ると言う取り合わせが印象的である。胸部のあたりを取り巻くようにして大きな金色の輪が宙に浮いており、その輪はちょうど彼女の正面あたりで途切れ、先端は鋭く尖っている。釣り針の返しのようなものも見受けられた。戦闘用には作られていないようだが、その気になればこれでシカぐらい狩れるかもしれない。
 何やら彼女もリミル達と同じように黒神ファミリーの一員らしいが、今まで直接面識がなかったので、素性や詳細などは殆ど知らない。訊ねてみたところ名はコスモと言って、どう贔屓目(ひいきめ)に見ても中学生程度にしか見えないが、これでも二十一歳だと言う。外見的特徴から判断するにライトやルナと同種の亜人だと思うのだが、どうやらそれも虚構であるらしい。今のように“見えるはずがない場所を見る”能力といい、現が護衛に選ぶだけの実力はあるようだ。

 ライトが連絡して強引に引っ張り上げてきた兇闇と、たまたま彼と一緒にいた何故か制服姿の聖も加え、これでパーティは全部で五人となった。共に行動する人数を増やしておけば、いざと言うときの選択肢が増えると言うものだ。これなら洞窟内部も意外とスムーズに進めるだろう。
 人数がこちらのキャパシティを超えると少しばかり管理が大変になるので、この程度が最も丁度良いと思われる。極端な例だが、小学生の遠足風景などを見て貰えれば大変さが理解できるんじゃなかろうか。

 この飛行艇きびだんごを使うと言う選択は想定外のものであったが、リミルにとってはありがたかった。この街――アルトヒンメル南東部の“第五居住区”に位置するヒスイの家から、西部の“潤み”エリアまではかなりの距離があるし、雨天の湿地帯を徒歩で横断すると言うのはあまり好ましい展開ではない。それに、比較的楽に兇闇達を迎えに行けたのも大きい。
 窓の外は相変わらず何の変化も無いが、かなりの速度で移動しているのだろう。このまま時空転移とかしてラヴォスの外殻に突っ込めそうな勢いだ。

 だだっ広い空間を有効活用して格闘ゲームのような技を繰り出しまくって遊んでいるライト達を眺めながら、リミルは先刻説明された今回の留意点を反芻(はんすう)していた。
 まず、固まって動くこと。それぞれ散って探した方が効率はいいのだろうが、効率でものを考えてはいけない。優先されるべきは“全員の安全”であり、決して“一人の成功”ではないのだ。
 次に、戦闘を余儀なくされた場合はコスモに頼ること。現の話では、仕掛けの類も(おおむ)ね彼女が看破できると言う。こうまで信頼されているところを見ると、やはり結構な実力者らしい。だがこれは飽くまでも“余儀なくされた場合”であり、それ以外の交戦は極力避けるようにも言われた。
 そして最後に、装置を停止させた後は、可能であればそれを持ち帰ること。もちろんそれが困難な場合は破壊してくれても構わない。天候を変えると言っても固定するものではないので、破壊してもいずれ雨は止むと言う。
 リミルの予想では、十中十の確率でその困難な場合にぶち当たるだろう。事件の起きない某名探偵バーローが無いように、このメンバーで何事もなく終わるわけがないのだ。
 うーん、こんな先読みしまくる人が読者サイドだったら創造主にとって厄介なことこの上ないだろうな。

「あの、着いたみたいですよ、リミルさん」

 コスモの声でふと我に返る。どうやら考え込んでいる間に目的地に到着していたらしい。窓の外を見たところ未だ雲の上にいるようなので、目的地の上空、と言うのが正しいだろうか。

「手薄なところだな……しかし風が強い」
「さむい」
「たかい」
「こわいダス」
「……おまえら」

 向こうのやり取りを見るところ、兇闇、聖、ライト、現の四人は今までずっとピンクの丸いのごっこをしてきたのだろうか。特に現、ご主人様がそんなところで何やってんの。初めて見たよ現のダス口調。ひょっとしてさっき格ゲーみたいな動きをしていた時に聞こえてきた「こがはざん!」とか「ひえんれんきゃく!」って台詞は某大乱闘の↑+Bに空中→+Aだろうか。

「ほらキミ達、もう着いたんだから早く荷物まとめてまとめてっ」

 言ってリミルは、部屋の隅に置いてあった小さなナップザックを肩に引っかける。中にはキズぐすりや絆創膏などのファストエイド・キットと非常食が入っているが、まあこれらは使わずに済むことを願おう。

「何をする気だ?」
「みちにまよったの?」

「もう着いてるっつの」

 最後までしっかりボケてくれる兇闇と聖のコンビに敬意を込めたツッコミと苦笑をセットで送りつつ、リミルはコスモの後に続き、昇降装置へと歩き出した。静かに手を振って皆を送り出す現が視界に入り、にこやかに手を振り返す。

「行ってくるよっ」
「ああ、気を付けるのだよ」

 ちらと分厚い窓の外を見ると、雲の上とはうってかわって一面の雨模様となっていた。事前にきちんと革靴から探索用の長靴に履き替えておいたのは正解だったらしい。この服もわりと気に入っていたのだが、少しくらいの汚れは我慢しなければならないだろう。
 とは言え、それでこの雨が止むと言うのならどうと言うことはない。洗濯すれば消えてくれる程度の汚れで済めば尚よろしいのだが、雇われの身でそこまで贅沢は言えまい。
 外へと繋がる昇降装置の前に立ち、呼吸を整える。何せ今回は珍しく大量に制限のついた“ミッションらしいミッション”を遂行しなければならないのだ、頑張りすぎて空回りしない程度に頑張らなければ。隣を見るとライトも張り切っているようで、右手に握り拳を作って、「オラなんだかワクワクしてきたぞ!」なオーラを全身からフルパワーで放ちまくっている。

「よーし、久々の不思議のダンジョンだ! 待ってろ幸せの箱!」

 いや、あの、まことに遺憾なのですがたぶん違います。
 て言うかこの人目的忘れてない?



 ――――



 ぱしゃぱしゃと軽い水音を立てて、濡れた地面を歩いていく。足下は外の雨のせいで浅い水たまりのようになっているが、床のうちほとんどが土ではなく岩盤でできているおかげで、粘土に足を取られたりすることはない。
 懐中電灯をぐるりと回してざっと見渡してみたところ、洞窟の内部は入口の小ささに釣り合わない広さで、人工の洞窟らしく端々に削り取られたような痕跡も見受けられる。広々とした横の空間に反して天井は低く、身長の高い兇闇は少し歩くのに難儀しているようだった。

「結構広そうだね……迷っちゃわないかな……」

 聖がぼそりと呟くと、ライトが自分のポケットから黄金色に輝く無骨だが神秘的な刀を取り出して、少年漫画によくあるような無意味にかっこいいポーズを決めた。

「なに、このマンジカブラ+99があれば並のダンジョンなど」
「キミは商人なのか風来人なのかどっちかにしなさいよ」

 リミルがいつものように軽くツッコミを入れると、ライトは刀を鞘に収めてポケットにねじ込んだ。何やら彼を研究すれば未来の世界の猫型ロボットがわりと簡単に作れてしまいそうな気がしてきたが、まあ今は追求しても仕方がないだろう。
 ライトは少し残念そうな難しい顔をして頭を掻き、

「リボンのクラもあれば完璧なんだけどな」

 と、もっともらしい悩みのように低い声で呟いた。

「どっちかにしろって言ってるのになんで黄色い鳥も増やすかな」

 苦笑気味にそう返し、リミルは再び前方の地面を懐中電灯で照らして注意深く歩き始める。「やれやれだぜ」とでも言いたげな兇闇の溜息が聞こえてきたが、とりあえず聞こえないふりをすることにした。

 自分で落としたスポットライトを追いかけて暫く歩いていると、今まで水面で揺らめいていた反射光の眩しさがふっと止んだ。目を細めてみると、どうやらちょっとした段差があるようで、雨水はそこで完全に堰き止められているようだった。
 段差の向こうは岩盤剥き出しの地面から古びたタイルへと変わっており、(かび)臭く閉塞的な空気がリミルの肌を震わせた。今までのような洞窟よりも、このような廃墟じみた場所は幾分か空気が冷たいように感じる。
 正直なところ、暗い場所や心霊現象などの怪談についてはあまり得手ではないのだ。そんなものは馬鹿馬鹿しい妄想だと思いたいところだが、通っている学校に本物がいるあたり、存在を否定して自身に言い聞かせることは不可能に等しい。

「罠の類はありませんが、何やら変なものが動いていますね」

 懐中電灯も持たずに皆を先導していたコスモが、事務的な口調で報告した。正体不明と言う響きに不安感が高まり、ごくりと喉が鳴る。
 すると斜め前あたりにいた聖がぼけーっとした無表情のままでリミルの顔を覗き込み、かくりと首を傾げて無言の問いを向けてきたので、リミルは作り笑いを浮かべて

「へ、平気平気、気にしないで」

 と早口気味に答えた。聖は何も言わずくるりと振り向いて、再び遺跡の奥へと歩き出す。
 少し脱力して安堵の息を漏らすと、突然背後から肩を掴まれ、リミルは「ひゃうあ!」と自分でも恥ずかしく思うほど変な声を出して全身の毛を逆立たせた。

「怖いなら正直にそう言えよー、リミルゥ」

 リミルの背後から聞こえたのは、やはりライトの声だった。こういうことをする人間は、五人の中でコイツしか思い当たらない。悪戯っぽくリミルの頬をつついているライトの手をはたき、陸に上げられた魚のように不規則に暴れる心臓の鼓動を抑えるように、(あわ)立った肌をさする。

「ばっ、何言ってるんだよ、このぼくが幽霊なんて怖い訳……あっ」

 そこまで言って初めて、ライトは“幽霊が”なんて一言も言っていなかったことに気付く。彼は並んで歩きながらもリミルの頭に肘を乗せ、変に瀟洒(しょうしゃ)なポーズをとってにこやかに笑って見せた。

「おばけなんてなーいさ」
「う、うるさいだまれー!」

 風切り音を立てて、リミルの手刀がライトの首を狙う。だがライトはふらりと不安定な動きでそれをいなし、後に続くボディブローを両手で受け止めた後にローキックを跳躍にて(かわ)し、掴んでいたリミルの腕をバネにして飛び退き、距離を取った。反動でよろけたリミルは地面に片手をついてバランスを保ち、もう片方の手から光線状にした電気を放つも、軌道を見切られていたようで紙一重で躱される。

「お前の技は見切らせてもらったぜ!」
「くっ、必殺奥義しねしねこうせんが防がれるなんて……」

 わざとらしく構えを取り、視線をぶつけ合って火花を散らす二人。どこからかゴゴゴとかドドドとか地鳴りのような効果音も聞こえてきているが、彼らと付き合う上ではもはや慣れっこである。

「まるで修学旅行だな、お前ら……」

 一連のやり取りを見ていた兇闇は呆れたように呟き、くるりと背を向けて台詞を続けた。

「現地の人が笑ってくれてるからまだいいものの、あまり人の多い場所で騒いじゃならんぞ?」

 その霊感少年の台詞には若干不穏な語句が潜んでいたような気がしたが、あまり深く考えずに流すことにした。
 世の中には気にしたら負けなことも多々あるものだ。異論は認めない。

 幾つかの分岐に迷う気配もなく、コスモはただ出鱈目に進んでいるだけにさえ思えるほど軽快なペースで歩いていく。これも彼女の視力が成せる技なのだろうか。もしそうであるならマッピングと言う洞窟探索で最も面倒な手順を踏まなくていいのだから、これは予想していたよりも楽な仕事なのかもしれない。
 だが油断は禁物だ。創作世界に()いては、あからさまな油断は必ず事故を招くものだと相場が決まっている。避けられる失敗を避けて通らぬ道理はない。

 そうして歩いていると、コスモはふと立ち止まって顔だけをこちらに向け、緩慢な動作で右手の人差し指を前方に突き出した。

「そこのタイル、妙な仕掛けがあります。踏まないように注意して下さい」

 コスモの指の先には、確かに一枚だけ微妙に色の違うタイルがあった。とは言っても、それは壁際にあるほんの小さなタイルで、罠として作動するのかどうかは疑わしい。(そもそ)も、もし侵入者避けの罠だったならあんな位置に、しかもあんなに判りやすく作るものだろうか?

「コスモ、この通路には他に仕掛けはないの?」
「ええ、何かしらの干渉により作動するのはそれだけみたいです」

 コスモは通路の中央付近に立ち、ぴょこぴょこと飛び跳ねて見せてから再び歩き出した。他の三人も彼女の後に続くも、特に何かが作動する気配もない。
 考え過ぎだったか、と軽く息をついて一歩踏み出そうとした、その瞬間。直感的に、リミルはあのタイルの存在意義と矛盾点を説明するに足る推測を思いついた。曰く、本来あの仕掛けを作動させていたのは“侵入者ではなかった”のではないか、と。
 素早く踏みだそうとしていた片足を引き、その気配に皆も歩みを止める。まさにその直後であった。

「おしてみよう、ポチっとな」

 聞き覚えのある、どこか気怠そうな男の声。僅かな地鳴りと共に、雷の残響のような身体に響く低音が轟き、目の前の地面が崩れ去ってゆく。どうやら先刻足を引いていたのは正解だったようだ。前を歩いていた皆は、あまりに唐突すぎる展開に悲鳴を上げることもなく闇に消えていった。
 轟音の中で微かに聞こえた、閃光花火が泣いているような静かな音に視線を上げると、真っ暗な空間の中に薄ぼんやりとした淡い光を纏ったコスモの姿が浮かんでいた。ただでさえ一部の亜人にしか適性のない浮遊の魔法をこうも自在に扱っているところを見ると、やはり並の実力者ではないようだ。
 彼女の眠たげな瞳は、ほんの僅かながら驚いているようにも見えた。予想外の事態に驚いているのではなく、今の事態そのものを理解できていないようだ。

 それと同じように、リミルも今、自分が何をしているのか理解できていなかった。
 先刻思わず放り投げ、床に転がった懐中電灯の光が照らす自分の腕には、もう一つの腕がしっかりと掴まれていた。

「な……何やってんだよリミル、明らかに選択間違ってんだろその行動!」
「うっさい馬鹿ッ、やっちゃったんだから今更退けるかぁっ!」

 ライトにはそう答えたものの、結果は火を見るよりも明らかなものだった。こうしている間にも腕が痺れ、震えは大きくなってきている。人一人を片手で持ち上げるなんて、子供にはまず不可能な話なのだ。このまま続けたって彼を引き上げることは不可能だと断言できる。
 普通ならば最初の時点で重心が移動できず、バランスを崩してどちらとも落ちていただろう。どうしてそうならずに済んだのかと言うと、特に何もしていない。こうして耐えていられるだけで奇跡としか言いようがなかった。

 リミルは混乱していた。一人が助かるか、二人とも落ちるか、そんな単純な選択もできないほどに。
 このように単純に作動してしまう仕掛けならば、例えその先に出口が無かったとしても、誤って作動させ仲間が落ちてしまった時のために外側から救出できるはずなのだ。いくら何でも即死するようなことはない。リミルがそれに気付かなかった訳ではないが、身体の方は言うことを聞いてくれなかった。原理を解っていても金縛りからは逃れられないのと同じように、完全に脳が錯乱状態に陥っているのだ。

 確かに、油断はなかったと言えよう。それなのに何故こうなってしまったのか、それはリミルに実力と経験が不足していたからに他ならない。なまじ予測する能力に長けていたために、その予測を外れた事態に対応しきれなかったのだ。
 もはや感覚の無くなった右腕を、地面についた左腕でゆっくりと引き上げる。どうせ無駄だとは判っていたが、頭の中で安西先生が「あきらめたらそこで試合終了ですよ」とか無限ループしてくるものだから諦めるに諦められなかった。
 向こうではコスモと先ほどの男とが言い争っているが、耳鳴りに阻まれて内容を理解することはできなかった。視線だけをそちらに向けてみると、コスモの纏った光に照らされて、長い銀髪に隠された男の顔がぼんやりと――

「……って、え?」

 瞬間、がくりと視界にぶれが走り、自分がバランスを崩したことに気付いた。慌てて左手に力を込めるも、それは二人の体重を支えつつも重力加速度に打ち勝つだけの力は生み出せず、手を支点にして自分の身体を上空へと打ち上げるだけの結果に終わった。あとは重力に身を任せ、闇の中へと吸い込まれてゆくだけである。
 レールの途切れた片道ジェットコースターに縛り付けられたかのように凍り付いた身体を震わせ――状況としては似たようなものだったが――リミルは自身に残されたエネルギーを全て、それどころか魂までも燃焼させる勢いで、悲鳴にも近い絶叫をあげた。

「な、何考えてんのよ、この……っ、馬鹿校長ォ――――ッ!!」

 意識は、そこで途切れている。







第一章:雨粒が奏でる序曲 ←いまここ

第二章:エンドレス・パーティー

第三章:盈虚の指標

第四章:燦爛たる始まりは黯然とした終端へ

第五章:白い亡霊

第六章:Der blaue Himmel




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