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TRICK☆SCHooL!
〜子供達を犯罪から守りましょう〜
(ただし、例え魔獣からでも自分の身を守れる子供達は除く)




 とても平和とは言えない授業時間が終わり、いつも通り、平和な放課後。
 淡青色に朱色を滲ませた和服を身に纏った、高校としては少々不釣り合いな程度に低身長の少女が、橙に照らし出された廊下を歩いていく。
 肩より少し上あたりで切り揃えられた、爽やかなスカイブルーの髪。鮮やかな紅色に染まった毛先は、常に微風に揺れている。
 和服の帯の先にはそれぞれ大きな鈴がついているが、少女がいくら歩を進めても音を立てるようなことはない。
 どこか存在の曖昧な――幽霊なのだから当然とも言えるが――その少女、華鈴は、突然窓から差し込んだ夕陽を手で遮りながら、廊下のそれよりも赤に近い、橙色に染まった空を眺めた。

 夕焼けの次の日は快晴だとよく聞く。
 幽霊らしくない話なのだが、このように寒い季節に於いて、快晴は望むところである。いくら真冬とは言え、暖かな日向以上の昼寝場所を、華鈴は知らないのだから。
 と、そんな事をぼんやりと考えながら歩いていた――その時。

「大変です!」

 と、唐突すぎるその台詞と共に、上下が逆になった少女の顔が視界の大半を埋め尽くした。

 何が起こったのか理解できないまま、一歩後退。
 漸く全容が視認できるようになり、廊下の天井に目を遣ると、天井板が一枚外れ、そこから逆さまの少女がぶら下がっていた。
 柔らかいクリーム色をした、外側に撥ねた肩胛骨あたりまでの髪。この学校の制服。左頬の赤いプラスのマーク。髪の隙間からは、ウサギのそれのように長い深紅の耳がぴんと立っている。

 蝙蝠のように倒になり、そのまま微動だにしないその少女と対峙した華鈴は、最初の声を発するのに逡巡し、幾許かの間を開けて、やっと彼女の名を呼んだ。

「シャープさん?」
「はい」

 無表情で答え、頷くシャープ。それに合わせて赤い耳が揺れる。
 耳と言うよりは角に近いような質感だが、以前、本人が「これは耳です」と言っていたので、そう言うことにしておく。
 と言うか――今の彼女には、それよりも気になる箇所がありすぎた。
 華鈴はどこからどうつっこんでいいものか逡巡し、ひとまず直感的に、早急な対処が必要であろうと判断した箇所に声を掛ける事にした。

「あの、シャープさん……」

 次の言葉を紡ぐのに、照れからか、多少の間が入る。

「……下着見えてますけど」
「はい」

 それだけだった。 ある意味、予測できた返答である。
 何を意識するでもなく、彼女の行動準拠はもはや宇宙の神秘に包み隠されている。そんな人間に常識を説いても無駄と言うものだ。
 重力に従って捲れたスカートは、直される兆候すら無かった。

 同性とはいえ、この状態では見ている方が気恥ずかしい。
 とりあえず廊下に人影は無いかどうか視線を巡らし、誰もいないことを確認すると、安堵の溜息を漏らして、再び彼女に向き直る。

「それで、何が大変なんですか?」

 と、その台詞を発してから、初めて異変に気付いた。

「……って、あれ、フラットさんは?」

 そう、いつも彼女の隣にいる、もう一人の少女の姿が無いのだ。
 華澄の記憶が正しいのなら、シャープとフラットは常に二人組になって行動していて、今まで単独で行動している姿を見たことはなかった。
 外見が似通っている事もあり、華鈴にとって二人は意識の共有体のようにさえ思えている。

 だが、今はシャープ一人だけ。
 先刻の「大変です」と言う言葉からも、フラットに何かあったと推測するのは容易である。

「な、何かあったんですか?」
「はい」

 相変わらずの無表情。この言葉を聞くのはこれで何度目だろうか。
 だが、次に聞く言葉は、恐らく人生でも滅多に聞くことの出来ない言葉であった。

「誘拐されました」

 時間そのものが凍り付いたかのような、沈黙。
 落ちかけた陽光に、烏が影を射す。
 その鳴き声で、再び流れ出す時間。

「――――え?」
「いや、だから誘拐されました」
「な、え、いや、ちょ……っ」

 思考回路が正常さを失っていく。
 たった今聞いた言葉さえ、まともに整理することができない。
 いや、抑もこの言葉を整理する必要性など無いのだが、早すぎる展開に脳がついていけていないのである。

「ど、どういう……ことですか?」

 頬に冷汗を感じながら、小声で訪ねる。
 シャープはいつもの無表情のまま、抑揚の少ない声で冷静に唇を開いた。

「先刻、帰路についていた時にですね……突然、黒服の人間二人が彼女を浚い、車に引き込んで逃走しました。正確な時刻は、彼らがフラットに触れた時点で5時54分29秒。場所は……」

 その指先は無駄な動きもなく、窓の外、紫色に染まった民家を指した。
 この色は家主の趣味なのだろうか……だが、やはり普通の田舎町にこれは浮いている。そういえば、もじゃもじゃした正体不明の紫色モンスターが住んでいるとか言う噂もあったような気が

「えーと、そこの北島秀二さん(61)宅、東側の塀に面した道路ですね。あの辺りで誘拐され、何処かへと連れて行かれました」

 その台詞で一旦は元の話題を思い出す……が、何故か心配する気にはなれない。
 普通なら一刻も早く解決しなければいけない状況だが、この二人に限っては、地球最後の日でさえも簡単に覆せてしまうような気がするのだが。

 と、その時。

「話は全て聞かせて貰ったァ!」
「うわー!?」

 突如として真横から響く声。
 先刻と同様、あまりに唐突なその青年の登場に、華鈴は大きく仰け反った。

「ら……ライトさん、一体いつから……?」

 蒼い髪に、青く長い無機質な耳を持った青年……ライトは、隣に立った華鈴に人差し指を突き出し、不敵な笑みを浮かべながら、決め台詞の如く、歯切れのいい声で叫ぶ。

「お前が部室から出てきたあたりからだッ」



「……ってこの話始まる前からですかー!?」
「軽くストーカーだよな。 で、フラットが誘拐されたってか?」

 相手より先に自らの否を軽く肯定し、こちらが対応に困ったところで即時に話題転換。これだけで完全に会話の主導権を取られた。
 ……なかなかやるな、この人。 このままだと変なノートとか使って新世界の神になりそうだ。名前的に。

「で、お前の事だからそいつらの所持品は既に入手済み、場所を突き止めるために華鈴の霊感に頼って来たってか」
「ええ、察しの通り、二人分の名刺をスリ盗ってあります」

 ……何者なのだろう、この人達は。そのへんのバーローよりも頭いいんじゃないだろうか。

 と、シャープは二枚のカードを懐から取り出し、こちらへと差し出してきた。
 ライトは華鈴が取るように促してくる。 ……話の筋を考えると当然か。
 ともかく、真っ白いカードを手に取り、裏返して文面を見る。先ず目が行くのは当然、名前。



 ジン

 ウォッカ



「バーローwwwwwwwwwwwwwwwwwwww」
「バーローwwwwwwwwwwwwwwwwwwww」


 華鈴とライトは同時に叫び、その声は庭でアンパンマンたいそうをしていた北島秀二さん(61)にも届いたという。



 ――――



「……そんなわけで、帰り道にある公園のトイレにやってきたのだ」
「ライトさん、そんな事言うとベンチからいい男が湧いてくるのでやめてください」

 無表情でボケるライトに、無表情でツッコミを入れるシャープ。
 薄汚れた公衆便所の入口で高校生の男女二人と中学生程度の和服少女が佇んでいる風景は、明らかに周囲から浮いている。
 砂場で遊んでいる小学校低学年と見られる少年たちが、奇妙な眼差しを向けてきているが、この際そんな事に構ってはいられない。

「で、華鈴。 ここでいいんだな?」

 ライトが銀色に輝くスティレットを構え、呟いた。
 右手に持たれたそれはステンレス製の模造品だが、接近戦での戦闘能力、また殺傷能力はそれなりにある。もしも相手と戦闘になる事があれば、この武器マニアに頼らざるを得ないだろう。

「はい、エーテル稼働の残留エネルギーはここの中――いえ、下に続いてますです。多分どこかに地下への入口があるんだと思いますけど……」

 問題はそこだ。入口が見つからない。

 恐らくロケット団のアジトみたいなものなのだろうが、スキャニングなんて高度な真似は華鈴にはできないし、周辺で唯一それを使えるルシフェルも所在が掴めない。
 かと言って、今から彼を探していては確実に手遅れになる。
 こんなバーローみたいな組織に拉致された少女の末路は、殺されるか犯されるか売り飛ばされるかだろう。その三択、どれをとっても怖気がつく。
 何の変哲もない風景を見回し、焦燥感から華鈴は強く唇を噛んだ。

 と、視界の隅でライトが何やらもぞもぞやっている。
 どうやら掌で砂を払うようにマンホールを撫でているようだが――

「おしてみよう、ポチっとな」

 ずずーん、と、人工的な地響きのような音。
 音のした方を見ると、トイレの壁の一部分が完全に消滅し、地下へと続く階段が現れていた。

「おk、入口出た」
「そんな安易なッ!」

 華鈴の叫びも虚しく、警報音に掻き消された。こんな大音量で鳴らしては、近隣住民からの苦情は逃れられないだろうと言う程である。
 ……これでは基地を隠す意味が無いのではないだろうか。

「やー、俺らが作った時のままになってんなぁ、この秘密基地」

 ってコレあんたらの基地ですかい。

「久々だったから警報解除キー忘れちゃったよ、はははは」

 クオリティ高すぎないか。

 ……いや、そんな事にいちいち突っ込んでる時間はない。
 ともかく入口は開いた。 早くしなければ、フラットの身が危ない。

「二人とも、行きましょう!」

 シャープは頷き、ライトは無言のまま、不敵に微笑んでスティレットを構えなおす。
 華鈴は公衆便所の壁にぽっかりと空いた四角い穴に向き直り、駆け出した。

 二つ飛ばしに階段を駆ける三人。照明は薄暗く、全神経を足下に集中させていなければ転びそうだ。

「階段を降りた先にはテーザーが仕掛けてある、着いたら跳べ!」

 警報の反響の中、ぎりぎりで聞こえたライトの声。
 意味を完全に理解する前に足下の感触が変わり、華鈴は本能的に強く地を蹴った。
 刹那、大きく跳躍した三人の下をワイヤーが迸る。

 テーザー……先端の尖った電極を発射し、それが標的の体に突き刺さった後にワイヤーを通して電撃を加える、遠距離型スタンガンである。
 ここで使われたのは、数年前に使われていたM26モデルを改造したものと思われる。直撃していたならば、五万ボルトの電撃で昏倒していた事だろう。
 ……元・子供の秘密基地とは思えない仕掛けである。

「華鈴、気配はどこだ!?」
「近くなった……けど、まだ下です!」
「ならそこを右折、通路突き当たり左側の壁は押すと回転する、階段はその奥だ!」
「ややこしい仕掛け作らないで下さいよ、もー!」

 心の底からそう叫びながらも、言われたとおりに左手の壁を叩く。すると、忍者屋敷のような仕掛け扉の奥には、先刻のものよりも薄暗い階段が姿を現した。
 華鈴は躊躇いもせず、その暗闇に身を投じる。

 もはや凝視していても足下は見えない。ライトの注意が無いと言うことは、ここに罠の類は無いと言うことだろうか。
 と、抑揚の無いシャープの声が、僅かな反響を伴って響いた。

「何だー、この階段はー」

 シャープが発したよくわからない台詞に、脊髄反射でライトが答える。

「とにかく入ってみようぜぇ」

 階段は階段です、としか言いようがない。そして入ってみようも何も今まさに駆け下りているのだが。
 ……まじめにやっているのか巫山戯ているのか、よく解らない方々である。

 降りていくにつれて、照明の明るさが増しているようだ。
 湿った空気に混ざる黴の臭いが鼻をつく。

 足音の反響。
 荒くなっていく息遣い。

 長い階段を降りる途中、それだけが脳に入ってくる。
 実際はそんなに長いものではなかったが、次第に募る不安や焦燥感が時間を遅れて感じさせていた。

「着くぞ!」

 唐突に響くライトの声。
 単純作業でぼやけていた意識が覚醒し、前方には木製の扉が見えた。

「せっかくだから俺はこの赤の扉を選ぶぜッ!」

 ライトは叫び、どう見ても赤くは見えない扉を蹴破った。
 しかしこの状況下に於いて、ここまでデス様を再現しようとするのは何故なのだろうか。
 まぁ、突っ込んでも「せっかくだから」としか返ってこない気がするので止めておくが。


「フラット、どこ!?」

 シャープが珍しく大声を上げる。
 それなりに大きいドーム状の広間に人影はなく、ただの埃っぽい空間でしかない。気配の元はここに間違いないのだが、他に通路らしきものは見当たらず。

「どういうこと……?」

 周りをざっと見渡すも、やはり目立ったものは何もない。
 軽い恐怖を感じながら、目を凝らしてみる。

 刹那。

「上から来るぞ、気をつけろッ!」

 ライトの叫びと共に、頭上で短く風音が鳴った。
 華鈴は見上げる前に手を翳し、護符を環状に広げて回転させ、作り上げた光壁に衝撃を感じると共にバックステップを踏み、頭上からの襲撃者を眼前に落とす。

 そこに落ちてきたのは、黒服の人間が二人。決して名探偵バーローに出てくるアレのようなアレではなく、あの名刺はきっと彼らなりのギャグだったのだろう。
 ……つっこまないぞ、つっこんでたまるか。

「フフ……よくぞここを見つけたなァ」

 黒服のうち一人、綺麗な銀の長髪に眼鏡の男が不敵に呟いた。
 黒いローブを纏ったもう一人――体格からして、恐らく女性と見られる――の背後には、なわとび(青)で縛られた少女。
 装飾物のような深青色の耳と、右頬に入った青いマイナスのマーキングが無ければ、一見してもシャープと区別が付かない、フラットの姿が見える。

「勝手に人の基地使ってんじゃねぇよ! お前達、一体なんなんだ!?」

 ライトがスティレットを逆手に持ち、構えを取る。男の手には武器らしきものはないが、銃などを所持していた場合は華鈴の神通力も必要となるだろう。
 黒服の二人は互いに背を向けるように構え、呪文の詠唱のようによく通る声で喋り始めた。

「なんだかんだと聞かれたら!」
「答えてあげるが世の情け!」

 ちょwwwwwwwwwwwwwww

「世界の破壊を防ぐため!」
「世界の平和を守るため!」

 おまwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

「愛と真実の悪を貫く!」
「ラブリーチャーミーな敵役!」

 それはwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

「とうっ」

 二人は纏っていた黒服を脱ぎ捨てた……かと思ったら、その下にもまた同じ服を着ていた。
 だが本人達――長い銀髪の青年と、蒼髪に赤いカチューシャの少女――はそんな事など気にも留めず、台詞を続ける。

「ルシフェル!」
「ヒスイ!」

 な、なんだって――――!!?
 まさか校長と担任がフラット誘拐の犯人だったとは!

 そんな一行の驚きも無視して、二人はポーズを取り、最後の仕上げに入る。

「銀河を駆けるヴァ高教師の二人には!」
「ホワイトホール、白い明日が待ってるぜ!」

「にゃーんてニャ!」

 ……ってニャース役のバーコードなおっさん誰だよ!? しかもCV若本だったよおっさん!

 そう思いはしたものの、もはや突っ込む気力すら起こらない。
 正確に言うなら、あまりに予想外なサプライズにより、情報処理に時間がかかりすぎているのだ。
 時が経つにつれて脳は正常な働きを取り戻してゆくが、面倒な理解は未だに否定され続ける。

 静寂の水面、そこに最初に波紋を起こしたのはライトの声。

「甘い! その台詞は旧版、今となっては台詞違うんだぜ!」

 びし、と突きつけた指に迷いはなく、勢いを重視して発した台詞とよく判る。
 よく見れば、ルシフェルの手には黒い剱があった。戦闘前の対話によって、その後の戦闘に於ける心理状態に影響を及ぼす作戦なのだろうか。

 この手のよくわからない雑談は、学校でやり慣れている。
 華鈴は人と話すことすら苦手だが、ライトもシャープも、言葉巧みに人を騙すことにかけては相当な腕を持っているのだ。
 ……あまり自慢できたことではないが、少なくともここでは役に立つだろう。

「な、なんだってー!?」

 やはり世代の差は知識に差を作るものらしい。
 そして、校長がそんな期待通りの台詞を言ってしまったなら……やることは決まっている。

「よし来た、なんだかんだと声がする!」
「地平線の彼方から!」

 ああ、やっぱり始まった。 再び例のBGMが鳴り始める。
 ライトの台詞が発された瞬間、こうなることは予測できなかったわけではないのだが。

「ビッグバンの彼方から!」
「我らを呼んでる声がする!」

「お、お待たせニャース!」

 華鈴は観念したかのように、自分が割り当てられたと思われる役の台詞を紡ぐ。
 頬が紅潮しているのは、やはり恥ずかしさを抑えきれなかったが故である。

「健気に咲いた悪の花!」
「ハードでスウィートな敵役!」

 どっちも敵役になっているような気がするが、この際そんなことは気にしない。
 ただでさえややこしい状況なのに、これ以上引っかき回したら収拾がつかなくなるだろう。

「ライト!」
「シャープ!」
「ニャースでニャース!」

 どうしてこうも恥ずかしい役に回ってしまうのだろう。何の遊び心か、いつの間にか猫耳まで生えている。
 ……と、そんな事を呪ってみても、どうにもならないのだが。

「ヴァ高生徒の在るところ!」
「世界は!」
「宇宙は!」

 華鈴だけ半ば投げ遣りになりながら、全員一緒にポーズをとる。

「君を待っているッ!!」

 一度も合わせたことがないのに、ここまで綺麗に決まるのは少々気持ちがいい。
 ここまでやると恥じらいも薄れてくるが、本当にそれが正しいのかどうかはよく判らない。

「これが現代版だー!」

 逆転裁判並のオーバーリアクションで指先をつきつけるライト。
 ルシフェルは何故か若干怯み、後ずさるように戦闘を意識した構えへと移行する。

「く……、これがアドバンスとの壁、世代の違いかッ」
「旅館で見えないパソコンを使ったり、デパートでミュウを釣り上げていた時代とは違うのね……」

 と、二人はなにやらよく判らないことを言って、それぞれの武器を構え直す。
 ルシフェルは祭事用の黒い剱。ヒスイは大鎌型に変形した黒よりも黒いペンダント“神の陵”。
 それに応え、ライトもスティレットを握りしめる。

 ……その前に、何故戦うことになっているのか全く理解できない。
 いつもの悪戯にしては手が込みすぎているような気がするのだが……。

「華鈴さん、この一帯に神符陣を展開させてください」

 シャープの声により、ぼやけた思考は現実へと引き戻された。
 見ると、彼女の手には先端に五芒星のついた短杖が握られている。
 ……やはりこの少女、徒者では無かったらしい。

 周辺の様子を窺い、できるだけ冷静に状況を分析する。
 その場に固着したかのように張りつめて動かない空気。相対するは堕天使と魔王。力で敵うはずもないが、背を見せれば敗北は確実。

 華鈴はそっと両袖に指を入れ、数枚の護符を取り出し、ゆったりとした動作で頭上に掲げる。
 ライトは構えを保ったまま振り向き、それを一瞥して、一呼吸置いてから叫声をあげた。

「撃てぇえッ!」

 合図を受けて、華鈴は両腕を振り下ろし、護符を地面に叩き付ける。同時に、ライトとルシフェルの得物が激突する、激しい金属音が響いた。
 一拍遅れ、地に貼り付いた護符から波紋状の光が固い地面を走り、ドーム状の部屋は青白い光で埋め尽くされていく。
 護符の配置によって堕ちた魄霊を呼び醒まし、その力を源とする術――所謂、魔法の強化を行う神符陣。
 それを確認し、シャープは短杖に左手を添えて前方に翳し、やる気のない声で技の発動を宣言する。

「じゅーまんぼるとーっ」

 ヒスイのちょうど胸部のあたりで、雷撃の球が弾ける。
 普通の人間ならば感電して卒倒する所だが、そうなる前に彼女の輪郭は掻き消え、直後、その雷球の左右に、鏡に映したかのように完璧なヒスイの複製が生じていた。

「かげぶんしん……ですか」

 シャープは短杖を構え直し、相変わらずの無表情で呟いた。
 その視線の先、神符陣の朧気な光に照らされた二人のヒスイは同時に地を蹴り、こちらへと走り抜ける蒼髪の軌跡は一定間隔を置いて残留、幻影は次第に増えてゆく。

「サイコキネシス!」

 華鈴の首筋を黒い鎌が狙った瞬間、カウンターで放った念動力は大気を歪に湾曲させ、世界全体の法則に生じた矛盾の力は、眼前の華奢な身体を貫いた。
 その瞬間、先刻と同様にしてヒスイの輪郭は薄い霧となり、一瞬にして気配ごと消失する。

「はずれーっ」

 背後から響く、弾んだ声。咄嗟に振り返り形成した光の壁は、振り下ろされた大鎌を受け止める。
 だが、その大鎌を持っているのは左手――彼女の利き腕は右だったと記憶している――であることに気付いた瞬間には時既に遅し。紫紺色の霧を孕んだ掌底が、華鈴の胸部に叩き込まれた。

「どくどく!」

 衝撃を受けた胸元に禍々しい毒霧が集束し、体内に入り込む。
 一瞬、二人の動きは止まるも、ヒスイは右脚で地を叩き、その反動で華鈴を大きく投げ飛ばした。

 右回りに回転し、受け身も取れないまま地面に叩き付けられる。
 両腕を地面に突いて嗚咽と共に立ち上がるも、胸に残った猛毒のドス黒い感覚が体力を奪い続けている為か、視覚も足下も覚束無い。
 ……嫌な戦い方だ。こちらの攻撃は当たらない上、何もしなくてもダメージを受け続けてしまう。
 只でさえ、こちらは戦力的にも劣っているのだ。僅かでも油断した戦い方をしてくれればいいのだが、流石は魔王と言うべきか、自分たちのような子供を倒すのでさえ全力でかかってくる。
 正直、どうしようもない。

 二対一でこれじゃあ、一対一では……と思い、ちらとライトの方を見る。

「アハハハハハハハハハハハ死ね死ね死ね死ねェ――――!!!!」
「んな簡単に死ぬかぁッ! 貴様こそ剣の錆にしてくれるわァァ――――!!!!」
「あはははははははははははは!!!!」
「うひゃはははははははははは!!!!」

 ……あっちの戦闘狂たちは、もう何十時間か放っといても平気そうだ。

 ともかく、こちらの圧倒的不利な戦況をどうにかしなければ。
 幸い、シャープは持続的に雷撃を放つことで、近付く幻影を全て消し飛ばしている。暫くダメージを受けることは無さそうだ。
 華鈴は痛む胸を押さえつつ、空いた左手をまっすぐ天井に伸ばした。

「いやしのすず!」

 神通力を使い、空気を振動させて鈴のような音を鳴らす。
 生命力の大元とも言える活力媒体――エーテルのエネルギーを凝縮した波紋は、華鈴の身体に染みついた猛毒を数刹那にして浄化していく。

 ……だが、このままでは再び毒を食らうのも時間の問題。
 戦闘開始時に放った神符陣でかなり体力を消耗しているのだ、鼬ごっこの展開とは言え、このままでは先に疲弊したこちらが負けるだろう。

「せんせー」

 唐突にシャープが手を挙げ、抑揚のない声でヒスイを呼んだ。
 ヒスイは困惑した表情で攻撃を止め、だが構えは解かずにそれに応じる。

「なぁに?」
「このような終わりの見えない状況を鼬ごっこと言いますが、一体どのへんがイタチなんですか?」
「あー、鼬ごっこって言うのはね、昔の子供達の遊びなの。まず二人一組になって、『いたちごっこ、ねずみごっこ』って唱えながら、相手の手の甲をつねって自分の手をその上にのせる……それを交互に繰り返す遊戯ね」
「それ楽しいんですか?」
「つまんないと思う」
「でしょうね」

 二人の対話が終わると、雷撃と水流が絡み合い迸る戦いが再開される。
 ……この人らは命の駆け引きをしているという実感があるんだろうか。

 ともかく、ここで黙っているわけにもいかない。
 華鈴は数枚の護符を手にし、激しい戦闘の中へと特攻を仕掛けようとした……刹那。

「華鈴、一瞬でいい! ヒスイさんの攻撃を止めろッ!」

 剣戟の音に紛れたライトの声が響き、華鈴は一瞬戸惑うも投擲の構えへと移った。
 指先から護符へと、魔力の青白い光が浸透してゆく途中、眩、と視界が暗転しかける。
 魂魄である華鈴が、魂魄より生み出した力を使役しているのだ、当然と言えば当然だが。

 一瞬だけ攻撃を止めればいいのなら、重要なのは一撃の破壊力。
 ここは耐えなければ、と、そう自分に言い聞かせて、扇状にして両手に持った護符で空を斬り、舞う。

蒼茫(そうぼう)たれ、魄霊(はくれい)舞踊(ぶよう)(ひこばえ)……血紅色(けっこうしょく)(はな)()み、虚空(こくう)へと……奔流(ほんりゅう)をッ!」

 足を大きく前に伸ばし、地を踏む勢いに乗せて、羽を広げるように後方へと伸ばした腕を薙ぎ、生命を孕んだ護符を放つ。
 それは皓く煌めく軌跡を描いて戦渦の床に突き刺さり、一刹那を置いて破壊の風を吹き上げた。
 雷も水流も共に吹き飛ばされ、飛び散ったエネルギーが壁を、床を、天井を穿つ。
 現世の黄昏を思わせるような凄まじい魔力の奔流の中、華鈴はシャープの微かな呟きを聞いた。

「……感謝します、華鈴さん」

 両腕で顔を護りつつ、声のした方を見る。
 吹き荒ぶ風の中でシャープが短杖を掲げ、光条がその一点へと集束していく。

「でんげきは!!」

 破裂音。
 集中した光が一気に弾け、それは華鈴の放った破壊の風をも巻き込んで、中空に螺旋を描く。
 そして、一瞬の間を置いて天井近くで再び拡散した光は、数十体のヒスイの幻影を一挙に貫いた。

「きゃああああッ!!!!」

 分身体は全て掻き消え、残った本体は雷に撃たれ、倒れる。

 ……そうか、本当に魔王化していたのならば、大鎌の一撃で二人とも屠ることだって可能だった。
 かと言って、全く殺気が無かったわけではない。なのに持久戦の戦法を取ると言うことは、最初から魔王化などしていなかったのだ。
 “でんげきは”は、威力こそ低いものの、一撃必中の秘技。
 魔王化していないのなら、能力的には普通の魔物と変わらない。水と飛行タイプ両方の弱点である雷技を当てられれば、致命傷は必至だろう。

 しかし、気にかかるのはシャープの術の威力だ。プラスルと言う種族は、どちらかというと補助に偏った能力を保有しているはずなのだが。
 それに、彼女が持つものからも、常軌を逸した“何か”を感じる。
 そう、雷を放つ、あの五芒星の短杖……この世に存在していてはならないもののような……

「華鈴さん、早くライトさんに加勢を!」
「え、あ、はい!」

 シャープの声で、剣戟がまだ続いていることに気付き、倒れたまま動かないヒスイに背を向けて、護符を取り出す。

 こちらの視点からは、ライトの背を越して、標的である銀髪が見える。
 この位置から、ライトを傷付けないように遠距離攻撃を放つのは困難だろう。

 護符を構えて移動しようと右足を踏み込んだ、刹那。

「フフン、直線に並んだな?」

 時が、止まった。

 周囲の空気が、ルシフェルの剱に集束してゆくのが解る。

「やば……ッ」

 シャープが短杖を構えようとするも、僅かに時は足らず。
 ルシフェルは白い風を纏った剱を逆袈裟に振り上げ、ライトのスティレットを大きく弾いて、とてつもなく遅く進む時間の中、右手の剱を突き出しつつ叫ぶ。

「エアロブラスト!」

 三人の間を抜けるように、細く白い閃光が迸り、その眩さの反動か、視界は一転して暗くなる。
 一刹那の硬直をおき、左に通った閃光の軌跡からとてつもない圧力が押し寄せた。

「……っきゃああああ!?」

 悲鳴を上げたつもりだったのだが、それが自分に聞こえていたのかさえもよく解らない。
 暴風により、身体が空中に巻き上げられる。上向きに力がかかっているように感じるが、恐らく風に巻き込まれて回転しているのだろう。
 宙を舞う速度は二次関数的に上昇し、約二秒の間を置き、音を立てて石壁に背が叩き付けられた。
 それでもなお風は止まず、地に足を付くこともなく、壁に磔となったまま、身体を押し潰さんばかりの風圧が襲う。

「弾けろォ!」

 不敵に笑うルシフェルの声が響き、風圧は真空の刃となって身体にまとわりつく。
 自由落下の浮遊感に合わせて、身体全体を激しく切り刻まれる痛みが脳を突き刺した。
 受け身も取れないままに地に落ちる衝撃。肌を伝う、生暖かい血の感触が、余計に痛みを感じさせる。

「いいとこまでいったのにボスの大技で瞬殺なんて、ゲームではよくあること」

 嘲笑的な微笑を浮かべながら、ただ一人その場に立ったルシフェルが呟いた。

 ……信じられない。一撃で全滅だなんて。
 右腕を地に打ち立てて身体を起こそうとするが、刻まれた傷の痛みですぐに頽れる。
 あやふやな目線だけを向けて周囲の様子を窺うも、やはり全滅のようだ。
 ライトも、シャープも……戦っていなかったフラットでさえ、切り刻まれて壁際に追い遣られている。

 悔しさに手を握りしめる力さえも残っていない。
 口の中に鉄の味が広がり、視界がぼやけていく。
 絶え間なく流れ出る血液に体温を奪われ、感覚も消え失せて……

 ……ああ、私はまた死ぬのか。
 いや、辛うじて物質としての存在を保ってはいるが、霊体である今では消え失せるだけなのだろうか。

 神の元へ。
 消える……帰依るだけ。



 嫌な最期だ。
 死にたくない……。


「ラインヴァイス・シュトラール!」

 唐突に響く、甲高く弾んだ声。
 突然の乱入者の手に握られた細長い得物より、一条の光線が発せられた。
 光は部屋中を駆け巡り、倒れた者達の身体を純白の光で照らし出していき、その柔らかな光は緩やかに傷口に入り込み、切り裂かれた赤色を埋め尽くす。
 その光が止むと同時に視線を傷に移すも……思った通り、傷口は完全に消え去っていた。

 抜けた血の多さに眩暈を起こしながら、乱入者のシルエットを確認しようと上体を起こす。
 そこにいたのは、真っ白な法衣を着、綺麗に外側にカールした短い桃色の髪を持つ17、8歳程度と見られる少女。
 そして、そのような身体的特徴を遥かに凌駕した個性を演出する、少女の右手に煌めくながねぎ。

「マジカル☆グリーンオニオンマスター、フレア参上っ!」

 成分不明にして不可視の火薬を用いた色鮮やかな爆発と共に現れたその少女は、ながねぎから煌めく粉末を放射しながら、よくある魔法少女もののような登場ポーズを決めた。

 ……常人ならば、この状況を理解するのに数十秒の猶予が必要であろう。
 妙に遅く進む時間が一向に戻らない……どころか、半分硬直してしまった時間の中で、華鈴が静かに呟く。

「ほ、保健室のおねーさん?」

 そう、この場にいる全員、彼女には見覚えがあった。
 しょっちゅう変な乗り物で校舎に突っ込んでくる校長のせいで毎日絶えない怪我人を、僅かな時間で片っ端から治して見せるという魔法使いのような人……って言うか魔法使いなのだ。
 ……相変わらず世界観がぶっ壊れた話である。

「校長っ、いいかげんに目を覚ましなさぁい!」

 たん、と軽い靴音が鳴り、何か不可思議な力が作用したとしか思えない異常な瞬発力で、淡い桃色の影が加速する。
 二歩、三歩と不規則な軌跡を描いてルシフェルに接近し、右手のながねぎを逆袈裟に振り上げ――

 ――まぁ、当然ながら、ねぎが曲がっただけで何も起こらない。

 その場の全員、当のルシフェルも一瞬目が点になるが、すぐに持ち直し、剱を振り上げる。
 ダメだ、いくらなんでも剱とねぎでは一つ一つ説明するのが面倒なほど何から何まで違いすぎる。
 このままでは彼女は殺される……そう思った、刹那。

「校長ー、油断大敵ってコトバは知ってますよねー?」

 剱が人影を貫いた……かに見えた、刹那、彼女はルシフェルの背後にいた。

 ねぎを空中に放り投げ、眼前の男の首元、そして肩を掴み、そのまま跳躍して真横の壁に放り投げる。
 壁に当たり、落ちるルシフェルの身体を下から掬い上げ、さらに回転を加え床に放り投げる。
 反動が強すぎてバウンドした影を捕らえ、勢いを殺さないよう大振りに円を描いて真上に放り投げる。
 それに合わせて跳躍し、羽根を使わせる時間も与えずに腕を掴んで地面に叩き付ける。
 落ちてきたながねぎをすかさずキャッチ。

 ――その間、僅か数秒。

「お……おい、見えたか、今の?」

 血紅色に染まった華鈴の身体を助け起こしながら、ライトが言った。
 最も至近距離で竜巻を受けたわりには、服に損傷は少ない。これも戦闘狂の成せる業だろうか。
 乱れた服を直し、露出した肌を隠しながら華鈴も口を開く。

「……なんか、こう、ごちゃごちゃと……しか」

 ちいさくなるで一度攻撃を躱し、敢えて効果を解いて背後に移動、そこから怒濤の四連ちきゅうなげ。
 途轍もないスピードで繰り出されたその連続攻撃を、二人はただ呆然として見ていただけだった。

「攻撃個体値1だからってなめないでよねー、わたしがマジになれば校長の一人や二人軽いもんよー」

 右手でながねぎを回転させ、煌々とした粉を振りまいてピタリと止める。
 あどけなさの中に冷酷な光を宿した、その嘲笑にさえ見える微笑みに、華鈴は確かに恐怖を覚えた。
 それは普段の優しい保険医としての彼女と、先刻の戦い方とのギャップがそう見せたのかもしれない。
 だが、その場にいる者全ての目には、彼女は戦神として映っていることだろう。

「さて」

 ふと響いた声の出所を見れば、完全に回復したシャープとフラットの姿。
 声色が似通っているため、どちらの台詞だったのかの判別はつかない。
 服はボロボロのままだが、華鈴と違ってこの二人はそんな事を気にする性格ではない。
 フラットの手には逆五芒星の短杖が握られており、あくまで二人とも戦闘態勢を解くつもりは無いらしい。

「手駒はいなくなりました、そろそろ出てきたらどうですか?」

 シャープの強気な言葉が部屋に響いた、刹那。

 部屋の最奥、何もない筈の空間に“揺らぎ”が現れ、それは周りを巻き込んで中央へと集中していく。
 その混沌とした景色、全ての色を混合した暗黒から、次第に黒い影が滲み出てくる。まるで、空間そのものを侵食していくかのように。

「……これなんてRPG?」
「知りませんよ、そんなこと」

 そして、引きつり気味にその光景を見つめるライトと華鈴。

 影は冷たい空気を伝播するように広がり、一つの形を為していった。
 高さは約三メートルにまで達し、無骨な身体の両脇からはツバサのような影が形成され、その陰影のない黒色の塊は、次第にはっきりとした輪郭を持ち始める。

 やがて生まれた漆黒の物体は、シルエットで言うと“魔獣”と形容するのが正しいのだろうか。
 輪郭線は常に蠢き、形骸は一つの型を留めていない。黒幕と言うには適格すぎる色彩と形状だ。

「やはり、鏡面世界の亜存在ですか」
「彼らを操る力を持つとなると、かなり高位のモノですね」
「誰の感情が呼び込んだのかは解りませんが」
「そんな事は問題ではありません」

 シャープとフラットが交互に言う。もはや台詞の間はゼロに等しく、それは捲し立てると形容しても過言ではない。
 二人はそれぞれ五芒星の短杖を構え、蠢く漆黒を睨め付けた。

「消えなさい!」
吼雷囘閃(こうらいかいせん)ッ!!」

 二人は短杖を重ね合わせるように交差させ、再度乖離させると同時に、電の塊を放った。
 雷撃は空気を震わせながらも黒い影に向かい直進、中央部を貫き、漆黒は四散する。
 だが、流石にこの程度で終わりはしないらしい。飛び散った黒い霧は数メートル離れた場所に再び集束し、今度は何ともつかぬ奇妙な形を取り始める。

「ねぎの力をくらえー!」

 そこにフレアの投擲したねぎが直撃、直前に込められた魔力が暴走し、爆発を起こすも、やはり散らした漆黒は再び結合し、すぐに復活してしまう。
 フレアは僅かに顔を顰め、服の下腹部あたりに位置するポケットから新しいねぎを取り出した。

「おい華鈴、お前も応戦しろ! なんか特殊攻撃だ特殊攻撃!」
「は、はい!」

 ライトの声に応じ、華鈴も念動力の波を放つ。 直撃し、三度目の四散。
 周囲に散った黒い欠片が結合する前に、シャープとフラットが残らず狙い撃つ。
 高く短い破裂音と共に、次々と閃光が弾けては消えてゆく。

「やったか?」

 目を細め、止まぬ閃光の中をじっと見据えるライト。
 それに対し、フラットが短杖を構え直しながら答える。

「私の調べでは、その台詞が出た場合に敵を倒せている確率は皆無です」

 ……確かにそうだが、それについては触れてはいけないことだと思う。
 だが案の定、閃光の残滓が消えた瞬間、その向こうから黒い触手が群れを成して現れ、空を裂いた。
 それは決して目視できない程の速度ではなかった……が、こちらの疲弊は予想以上であり、反応が遅れてしまった華鈴達に漆黒の塊が襲いかかる。

「ま、油断大敵って言葉くらいは知っといた方が良いわね……私も、あんたも」

 声と共に、破裂音。眼前にまで迫っていた漆黒は霧散し、今度は上空に集束する。
 それから一瞬の間もなく、土煙を切り裂いて立ち上る水の針。

 現れたのは、皓々と輝く光のヴェールを身に纏ったヒスイの姿。
 その“アクアリング”の輝きは、もはや瀕死も同然であった彼女の傷を、残さず包み隠し、癒していた。

「家で蓬ちゃんが待ってるからね、残念ながら私は死ねないのっ」

 言うと、ヒスイは手にした大鎌を水平に構え、とん、と軽くステップを踏むようにして回転。
 スカートがふわりと傘のように舞い、鎌の軌跡は綺麗な円を描く。
 僅かにでも魔力を扱える亜人なら、その軌跡に沿って、空が裂かれたかのように光が滲み出てくるのを視認することが出来た事だろう。
 少なくとも、華鈴はそれが複雑な紋様を描いてゆくのを見た。

 世界を構成する言語の羅列。
 それを書き換える別の言語。

 光によって描かれたそれは、確実に世界を侵食し、秩序を崩壊させてゆく。

「それに……」

 ヒスイは僅かに笑みを漏らし、黒よりも黒い大鎌を、頭上の魔獣に突き付けた。

「魔物が魔王に敵うわけないでしょ!」

 一瞬、視界に小さなぶれが走り、この広い部屋は、非常に濃度の高い光の中へと埋没した。
 光源は全ての空間。何処であろうと、影は消え去り、新しく生まれる筈もない。

 僅かの、静寂。

 ぱし、と乾いた音をたてて、ヒスイは鎌をペンダントに戻し、掌の中に納めた。
 漆黒の魔獣はもはや残滓をも残しておらず、部屋にはただ静寂が残るのみ。

 ……ようやく終わった。

 華鈴は喉に詰まっていた息を吐き、脱力した影響でずり落ちた和服を慌てて押さえ、ゆっくりと部屋の中央に立つヒスイの姿に視線を戻す。
 しかし、視線はすぐにその背後へと吸い込まれた。

 僅かに残った漆黒の毒牙が、今まさに彼女を手に掛けようと――

「校長ー! 華鈴が服破けて半裸になってます!」
「な、なんだってー!?」

 ――していた所を、ライトの言葉で復活した校長が解き放った強烈な精神力の波動により掻き消された。
 ボスキャラにしては何と情けない最期だろうか。

「は、半裸って何ですかライトさんっ!」

 華鈴は顔を真っ赤にして、破けた和服を強く押さえつけた。
 ちらと周りを見渡してみると、確かに衣服の損傷が最も激しいのは華鈴なのだが、半裸と言うほどでは……あったりする。

 よく見れば、布で覆われた身体の表面積は、年齢制限のつかない最低限と言った程度でしかなかった。
 誰も普段から防御力と言うステータスを考慮した服を着ているわけではないので、これに関しては運が悪かったとしか言いようがない。
 と言っても、あの漆黒の塊に止めを刺せたのはこのおかげなのだから、華鈴以外(特に校長)にとっては運が良かったのかも知れない。
 ……だが、華鈴自身にとっては不運以外の何物でもなかった。

「半裸じゃないか」
「いや、あの、もう少し言い方ってものを考慮してください……」

 頬の紅潮を強めて、かくりと項垂れる華鈴。
 ライトは学校でもこの大胆不敵にして傍若無人な所に人気があるらしいが、華鈴にはその辺の趣味はどうも合わないようである。

 と、突然その傍若無人な青年に手を引かれ、バランスを崩して転倒しかかったところを、抱きかかえる形で受け止められた。
 そのライトの唐突すぎる行動に戸惑い、慌てて離れようとすると、頭上を何かが掠めて通り過ぎていった。

「ぐっはーかわされたァー!」

 妙にテンションの高いその声の出所へと振り向くと、いきなり近くの壁が爆発し、幾つかの破片が床に転がった。

「ははは、さすが校長。 じょうたい:ひんしでも何ともないぜ」

 頭上から聞こえたその声で、ようやく飛んでいったモノが校長であったと気がついた。
 フレアのちきゅうなげをあれだけ喰らっておいて、まだあんな動きが出来るとは……ルシフェルの名を継いでいるだけはあると言うことか。
 尤も、その力の使い道が明らかに煩悩へと傾いているのは如何ともし難いと思う。

 そんなことを考えていると、今度は頭の上から布が降ってきた。
 その布はどうやら服のようで、また、普通の服よりも少し分厚い。
 よく見ると、いつも学校で見ている制服の上着であろうことが推察できた。

「女の子がいつまでもそんな格好ってのも何だろ、着とけ」

 いつもの大胆不敵な笑みを浮かべながらそう言うと、ライトは埃を払って立ち上がり、華鈴もすぐにそれに倣う。
 手にした制服は華鈴の体にはだいぶ大きく、大半は先刻の戦闘のせいだろう、幾つもの擦り切れと埃でボロボロになっている。
 だが、この小さな肢体を覆うには充分な代物であった。

「ああ、それと……ポケットの中に入ってるものは、ちょっとした付属品程度に考えてくれて結構」

 大きな制服に袖を通す途中、ライトの声が聞こえたのは、今までよりもだいぶ遠い場所からだった。
 視線の高度を戻してみると、いつの間に移動したのか、彼が立っている場所はもう出入口にだいぶ近い。

「そういう色、お前には似合うと思うよ」

 台詞の続きと不敵な微笑を挨拶代わりにして、ライトは部屋を出ていった。
 華鈴は暫く呆けていたが、やがて右の太股あたりに布越しの硬い感触を感じ、余った袖を捲って、右ポケットにあるものを取り出した。

 それは、綺麗な青色をした楕円形の宝石だった。
 大きさはおおよそ直径1cmちょっとで、周りは透明なガラスのようなものでコーティングされている。
 また、シンプルだがセンスの良い装飾が周囲に施されており、そこからは少し長めの細い紐が、輪になるようにして伸びていた。
 その長さから推察するに、どうやら首に掛けるものらしい。
 よく見ようと少し傾けてみたところ、青色から紫色にちらちらと変色していく。

「……先生」

 自分の頬が少し赤みを帯びているのを自覚しながら、視線を固定したままでヒスイを呼ぶ華鈴。
 既にすぐ近くまで来ていたヒスイは、いつものように静かな声で応じる。

「なぁに?」
「今のは素なんでしょうか」
「たぶんね、別に意識しての行動じゃないと思うわ」
「……凄い才能ですね、いろいろと」
「うん」

 ライトが一部で人気な理由が、ようやく解った。
 何せ、趣味が合わないと思っていた直後なのに、これもちょっといいかも……なんて思っている自分がいるのだ。
 事実、さっきの彼の行動は、この年頃に多い“夢見る少女”のツボを確実に突いたものであった。
 ……難を挙げるとするなら、彼には既に先客がいて、それが実の妹であることだろうか。

「しかしタンザナイトなんて……また高価なものプレゼントされちゃったわねぇ」

 肩越しに宝石を覗き込むヒスイの言葉で、思考から現実へと引き戻された。
 その口調は、かなり驚いているように感じる。

「見たところ、魔術の媒介に使うのかな。粗末な作りだけど劈開性(へきかいせい)もカバーしてるし、品質も色相もだいぶ高いわ」

 鑑定士のような台詞をつらつらと並べ立てる彼女の瞳は、心なしか右手の石と同じように輝いて見えた。
 彼女が宝石類を身に付けているのはあまり見たことがないが、こういったものはやはり好きなのだろうか。

「へぇ、そんなにいいものなんですか?」

 言って、華鈴は今一度、その小さな結晶をまじまじと見つめた。
 確かに色が変わるのはとても綺麗だし、見ていて面白い。それなりに高いというのも納得できる。
 華鈴は細い紐を持ってそれを掲げ、中空に浮かんでくるくる回る煌めきを楽しんでみた。

「もう、絶対わかってないな、この子……」

 溜息混じりにヒスイは呟き、とん、と華鈴の肩に手を乗せて、悪戯っぽく耳元で囁いた。

「それだけのタンザナイト、特に加工してないルースでも普通に買ったら五十万は下らないわよ?」
「えっ」

 一瞬、時が止まった。

「わかってない人から見たらただの綺麗な石だけどねー、到底子供のお小遣いで買える代物じゃないわ」

 一昔前の写真のような色彩になっている華鈴の横で、ヒスイは台詞を続ける。
 だが、華鈴の耳は今や音を拾う能力を持ち合わせておらず、右から左に抜けるだけの通風口に過ぎなかった。

 五十万ってあなた。ゼロが何個つきますかそれ。これ一つでうまい棒が何本買えると言うのですか。
 て言うかヘタしたら私一人分くらい買えますよ。うわぁなんてこったい。

「まぁ、ライトくんの故郷の(かがや)きの峡谷は黝簾石(ゆうれんせき)がよく出るって聞いたから、地元じゃ価値無いのかもしれないけど……」

 と、そんなヒスイの台詞も、思考の樹海で迷いに迷っている華鈴に聞こえるはずは無かった。
 それに、彼女がその台詞を言い終える頃には、頭の使いすぎによるものか、既に華鈴の視界はくらりと暗転してしまった後なわけで――



 ――――



 結論から言えば、ヒスイの推測は正しかった。

 タンザナイトが価値ある宝石として扱われているのは、この世界だけのこと。
 ライトが言うには、あれも元手はタダで手に入れたものらしい。(入手経路については、何故か聞かせて貰えなかった)

 確かに、よく見れば周囲の装飾は明らかに魔術の行使……この世界では到底為されないことを目的としたものだった。
 そんな単純なことにも気付かなかった自分に少し嫌気が差しもしたが、すぐに「そんな事を考えられる精神状態ではなかった」と自己解決した。

 また、ライトは苦笑気味に「気付かない方が良かったのになぁ」なんて事も言っていて、その理由を問うと

「綺麗な物に価値や名前はいらない。変に価値を意識するより、何も知らない方が自然でいい」

 ……との事だ。

 右掌の中で青く輝く小さな石を見つめてしばらく呆けていると、自分の机に座っていたライトは


「要するに……」

 と前置きして、少し乱暴な手つきで華鈴の髪をくしゃくしゃと撫でた。

「高かろうが安かろうが、お前が着けて似合うならそれでいいじゃねーか」

 いつものように軽い口調でそう言うと、彼は少し勢いをつけて机から飛び降り、教室の出入口へと向かっていく。
 ……心なしか、今の微笑みはいつもと違い、優しげな影が表層に出ていたような気がした。

 華鈴は微笑み、右手に持っていた長めの紐を、そっと細い首に掛けてみた。
 高貴で冷静な青い光は、華鈴の白い肌に溶け込むように胸元で静かに煌めき、それはどこか華鈴の心情にも似ているような気がする。



 ……今回の騒動には、未だ不明瞭な部分が多々あった。

 ルシフェルやヒスイは、フラットを誘拐したあたりまでは本当に操られていたのだが、それからは術が解けているのに操られたふりをして、あの漆黒を倒す隙を狙っていたらしい。
 尤も、ルシフェルはただ単に楽しいからやっていただけのような点もあるのだが。

 だが、あの敵は何者であったのか、事が終わってもそれが明らかになることはなかった。
 途中で解けたとは言え、堕天使と魔王を操るほどの実力を持った魔物だ。さぞや名のある怪物だったのだろう。
 そして、シャープとフラットの不可解な言動や強さなど……まぁ、彼女らに至っては、普段から解らないことが多いのだから、仕方ないと言えば仕方ないのだが。

 服は今、ヒスイの家に住んでいる蓬と言う少女が直してくれている。
 あの後は気付いたらヒスイの家にいて、その日はそのまま一泊したのだが、彼女はなかなか気の合う娘だったように思えた。
 今度、気紛れに遊びに行ってみるのもいいかも知れない。

 まぁ、まずは服をどうにかしてもらおう。
 確かに制服姿と言うのも少し新鮮味があって面白かったのだが、この短いスカートはどうも落ち着かない。
 やはり、七百年もかけて馴染んだものからはそうそう離れられないと言うことか。


「……はぁ」

 華鈴は僅かに残っている疲労を溜息に乗せて、橙色に染まった放課後の教室を見渡した。
 窓の外からの光は、昼日中の太陽よりも眩しく感じる。
 だが、誰もいない教室の空気はどこか薄ら寒く、こうやって日向にいても、肌色はただ薄まるばかり。

 幽霊が陽の光を好むと言うのもおかしな話だが、物質として存在している限り、寒暖と言う原始的な感覚からは逃れられないのだと思う。
 華鈴は静かに窓際へと歩を進め、丁度開け放してあった窓の桟に肘を置き、茜色に染まった空を見上げた。

 思ってみれば、冬枯れの最高潮はとうに過ぎ、今や暖かくなるのを待つだけの季節。
 そう、確実に、暖まっているのだ。 単純な温度ではなく、別の何かも。

 ……服が直ったら、まずは彼に見せてみようと思う。
 このネックレスも、あの和服姿を想定してくれたものなのだろうから。


 ふと気付けば、遥か下方から微かに聞こえるは張本人の声。


「そーりゃー死ねシグマぁー!」
「ピッキーン! はいバリアー、攻撃きーかねー!」
「デュクシ! デュクシ! よっしゃバリアー壊したー!」
「あ、ずっりー! じゃミサイル発射ー!」
「迎撃ミサイル! どーん!」
「超ウルトラスーパーミラクルバリアー!」
「うわー跳ね返されたー! と見せかけてそこ地雷仕掛けたからー!」
「ぎゃー! 油断したー!」


 ……まぁ、コレに恋愛感情までは抱かないだろうけど。


 華鈴は気が抜けたような苦笑を浮かべ、とん、と軽く背後にステップを踏むと、僅かな閃光を残滓として消え去った。


 とても平和とは言えなかった昨日が終わり、恐らく平和であろう今日もまた、終盤に差し掛かろうとしている。
 それでも、心の底から安定した平和を求めている人がどれだけいるかは判らない。
 特に、この学校でそんな性格の人間を探すのは一苦労だろう。

 誰もが退屈な日々を嫌い、例え自らの生命に危険を孕もうともアクシデントを望む。
 そんな学校に、果たして安息の日々が訪れることがあるのだろうか。


 ――明日はきっと、平和は訪れないのだろう。






 ……とまぁ、その推測が甘すぎたと言うことを華鈴が思い知るのは、その数十分後、北島秀二さん(61)宅が盛大に爆発した時でした。







 ――――End.




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