砂塵の畢り
遠く、遠く我らの
かの光の残り香も
今や誰の追憶にもなく
この星の支配者をヒトとするならば
ヒトとはただ風に歌う星の光に他ならず
はげしい雷を伴って巻き荒れる砂塵に
ものを思わず漂う砂漠の月たちが
時折その囁きを聴いていた
およそ天地の開闢の時からすべてがそうあったように、
世界はおそろしいほどに静かで、
陶酔を誘うような轟音に満ちていた
星の
海底の揺り籠のように 降り積もる死骸を受け止めて
今もまだ波に揺れつづけている────
風が吹いていた。
その事象は決して特別珍しいことではなく、もう幾年月も止むことすらなく続いてきた、定常的なものだった。
──あるひとかたまりの流動体に起こる自然の攪拌現象を『風』の言葉のうちに定義することを咎める者は既にどこにもいないので、記述はこのまま進行するが、ひょっとしたらそれは『波』と呼ぶべき現象なのかもしれない。あるいは、いずれとも異なる星の歌の旋律でも新たに冠してやるべきだろうか。
さておき──
風は、砂の衣を拾い上げて纏っては
幾億、幾兆の砂の粒子が互いに擦れあっては正と負とに帯電し、それぞれが質量によって
今や、この星の都会の喧騒とはそれだった。
かつて風には境目があったという。
まっすぐに区切られた紺碧と群青の領域は、決して互いに混じり合わず、しかし時に手
葉擦れ。
地揺れ。泡飛沫。歌声。降り積もる白。爆発音。揺らめいてうねる波。
その差は今もあるものか、
その差を認識するものが今もあるのか、既に定かではない。誰も、それを定義しようとなどしない。
そんな風にも、かつては境目など無かったという。
荒れ猛る熱と、沈み込む熱とが激しくぶつかり合い、火花を散らした。
無事を祈るものもない、身喰らい合う風と風との闘争。ただ
しと、
と最初の一滴が、怒りの火で満ちた地表に落ち──
ややあって、黒い岩の地面を伝い、ふたつの風の狭間に、どうっと凪が傾れ込んだ。
いつしか暗い星々を映した地上の天空に、鏡の向こうには見えない、ちいさな星の光が生まれ、一つ、また一つとその数を増していった。
凪の
──
不意に、風は歌うのをやめた。どれほどの星霜が巡ったのか、そして今、いかほどの間隙が生まれたのか、それを観測する者はいないため特定の単位に記すことはできないのだが、はたと砂塵は止み、ぱらぱらと死骸の雨が散った。
ここでは、死骸とは意味の残骸のことである。
砂とはすなわち死骸である。それは打ち砕かれた大地の工芸品であったり、文明の
今、ぱらぱらと落ちる砂の
今は、なにもない。
すり減って乾いた小さな砂粒は、風に巻き上げられては地表に落ちる、無数の
砂衣の舞いが静けさのなかに余韻としてのみ残る頃、砂漠の月がふわふわとその合間を移動していた。
名称は便宜的なものである。もはや誰も個を定義するものはなく、どこからどこまでを個の存在と見做すのかも曖昧であったが、例えば『書』を通じてそのすがたを観た彼女は、直感的に『砂漠の月』と称したために、ここではそれを引用してこう呼んだ。他の者が『書』を見れば、見るたびにその名は変わるだろうが、今その全パターンに触れることはない。
砂漠の月は仄かに身体を明滅させながら、砂塵の間隙を縫うように、連れ立って浮遊していた。
この明滅に意図はない。意味はあるかもしれないが、全て偶然の産物である。ただ、その発光現象が特定の微弱な電磁場を発生させ、仲間同士を引き寄せ合う効果を持つことは、少なからず存在に役立っていた。故に海鳥が海上で鳴き交わすように、月は、夜の砂漠にて明かり交わすのだった。
それが何なのかは、誰にもわからない。考えるものが誰もいないからだ。
ただ、今はそういうものがあった。それが全てだった。
内側の気
その名を知る者がもしここに居たならば、蝉と蟹とを比喩に挙げてその生物を形容しただろう。生物は、長いストロー状の口吻を突き刺して獲物を砂に固定し、鋭い甲殻の爪に覆われた指でそれを引き裂いた。
──かつて星に突き立てられた審判の光は、粛清の炎となって罪を
瞬間的に激しく蒸発し、電離しながら宇宙空間にまで飛び散った水蒸気は、それでも凍てつきながら重力に引かれて分厚い暗雲の層を成した。
高温によって一斉に発生した
強きものも、弱きものも、砂と火の惑星と化したこの地で長くは生きられず、確かに在ったはずの物も、者も、いずれ誰からも忘れられていった。
しかし、分厚い雲に覆われた星が冷えきってしまうよりも僅かに早く、太陽の熱放射は再び地表を照らした。低酸素・高二酸化炭素のバランスを欠いた気体組成は赤外線の放出を阻害し、長い時間をかけて、却って高温多湿の環境を作った。惑星表面を舐めるような高熱が、多量の水蒸気を空気中に蓄えさせたのもその結果をもたらす一因となった。
苔が、低木が、植物が息を吹き返した。今や呼吸をする者も少なく、光合成によって増えゆくばかりの酸素は、かつてよりもさらに高い水準で安定しはじめた。
外骨格を持つ甲殻類などの節足動物は、元々身体が大きくなるほど脱皮の成功率が低くなり、無理に寿命を延ばしたところで必ずどこかで死に至る。
理由は、体躯が肥大化すればするほど重力の影響を強く受け、外骨格を脱ぎ捨てた直後の柔らかい身体にはそれが多大なダメージになるというのが一つ。
外骨格についている呼吸器官ごと脱皮するため、大きな体に酸素を送るために気道の構造が複雑化するほど、それを脱ぎにくくなるというのがもう一つ。(蝉の抜け殻を割ってみれば、白い糸のような気道が内側に確認できるはずだ)
かと言って脱皮をやめれば、形の変わらない外骨格の中で、内部膨張による圧死を待つばかりとなるだろう。
かれらの循環系には肺も、細やかな血管もなく、あるのはただ心臓と、気門という通気口のような穴が開いているのみである。その穴を通じて、自然に循環する空気から酸素を取り入れ、開放血管系という体腔すべてを満たす体液──血液とリンパ液の境界線が無くなったもの──の攪拌機構により、体内の細胞に酸素を行き渡らせている。
たとえば身体が二倍の大きさになれば、酸素を取り入れる気道の表面積は四倍となるのに対し、体細胞全体の体積は八倍となる。それは酸素の運搬に極力エネルギーを使わない代わりに、小さな身体でしか効率よく働かない構造なのだった。
されど極めて種へのストレスの高い、進化を促進する環境の中で──
蝉などが持っていた共鳴器官としての気嚢が、肺のように働き始めるまでには、さほどの時間はかからなかった。
その疑似肺の働きが、循環器のポンプ構造を補強したため、肥大化する体積に栄養を送り届けることができた。
何より、低酸素環境から一転して高酸素の組成となった大気が、その道を後押しした。
動物は自然な状態だと巨大化する傾向にある。少なくとも、巨大化による生存リスクの増大と釣り合うまでは。
──正確には、それら全ての条件が揃っていたとしても、ここまでの進化を遂げるには時間的に不十分であった。
それでも、今そこにある形態から類推できる事実は以上が全てである。もしかしたら、鯨の祖先が陸上から海へと出戻りした後、異例の速度で適応進化を遂げたように、奇跡的なまでの環境要因がそうさせたのかもしれない。あるいはひょっとしたら、いつごろまでか残っていた旧支配種族のあがきが、幾つかの種に
いずれにせよ、そのような仮説を立てるものも確かめるものも今はなく、当人も自分の出自になど関心のない様子で、ただ獲物を貪るばかりだった。
この嵐の砂漠地帯に適応することを選んだ個体群は、中でもほんの一例であり、今の世界各地には、類似する進化を遂げた大型甲殻類が闊歩していた。
環境が類似しているならば、同様に類似した進化をなぞる、収斂進化の法則の一例と言えるだろう。
ならばこの星の支配者は、そこにいる月喰らいの生物なのだろうか?
否。
かれらもまた、大いなる循環の一部分に過ぎない。
砂塵の
蟹もたまらじと暴れ、必死に逃げんとしたものだが、丸太のように強靭な二本の豪腕に組み伏せられ、振り乱す顎に甲殻を噛み砕かれては、次第に動きを鈍くしていった。
元々スカベンジャーとしての様相の濃い甲殻類は、小物狩りはできても闘争は不得手である。対してこの犬の仲間は、瞬発力、持久力ともに平原での狩猟に適した筋肉質な肢体を持ち、組み合っての狩猟をも得意としていた。
かつて猫と犬はひとつの仲間だった。古くは樹上生活を送っていた共通祖先の一部が、そのまま樹上に適応し続け、木登りと飛びかかりに適したしなやかなものたちが猫として、平原に降り、大地を駆けて獲物を追いつめる逞しいものたちが犬の仲間として分化した。こと砂塵の荒野に暮らす大型動物を獲物とするなら、今の形態はこの上なく適したものであったことだろう。
大型猫の仲間は瞬発力によって狩猟を行うのに対し、犬の仲間は持久力に長ける。この特徴は普段の呼吸の荒さ、すなわち空気交換率の差異に見て取ることができる。犬は多量の酸素を必要としたとき、口を開けて激しく呼吸をする。そして広い舌から蒸発する水蒸気の気化熱によって体温を調節するのだ。
通常、恒温動物は激しい運動をすればすぐに体温が上がりきってしまい、長時間の冷却を必要とする。それは追う側にとっても逃げる側にとっても同じだ。史上これを解決できたのは、犬のほかには多量の汗をかく馬、そして人間の三種が代表例であろう。
雑食性であるということも、過酷な環境で生き延びるには有利に働く因子だった。かつてこの星の支配者がそうであったように、毒を毒とも思わぬ多彩な消化酵素を持つということも。
強力な顎が炭酸カルシウムの装甲を砕き、内側の柔らかな肉を裂いて喉奥に送り込む。その傍ら、光の止んだ月の残骸が、一陣の風に攫われて舞う。ものを思わず浮遊する幽光の群れが、うつろな明滅を繰り返しながら天を漂う。
歴史は万象に
風は再び緩やかに砂を撫で、歌を奏ではじめた。
砂とは即ち、死骸であった。
◆ ◆ ◆
古い、古い
形なき唇が口ずさむ夢の謌は、
姿なき指先がなぞる流砂の螺旋、生と死の輪転を、とこしえの轟音の中に刻みつけるように。
かつて、風には境目があったという。
今はどうであるのか、それは誰も事実を観測するものがないため判らない。
時刻む謌の主がいかなるかたちをしているのか、吹き渡る風をどこで区切るのか、その判断を下すものは、今やもうどこにもいない。
ちいさな風は睫毛を揺らし、静々と喉と唇を震わせ、舌をたわめて音を歪めた。
律動を数えて爪先は上下し、音階を捉えて指は踊った。
地表を歩くものがあった。
波間をゆくものがあった。
上天を舞うものがあった。
そのすべてを、風は慈しむように撫でて謌い続けた。
はるかな午睡のまどろみの、
生誕の
打ち砕けては消えてゆく波と波の狭間は、およそ天地の開闢の時からすべてがそうあったように、おそろしいほどに静かで、陶酔を誘うような轟音に満ちていた。
高く高く育った樹林の密集する肥沃な土地は、激戦に相応しい報酬を餌にぶら下げ、無数の死を
忘却の謌だけがいつまでも変わらず、降り積もる砂を優しく眠らせて、星を吹き渡っていた。
遠いむかしに死んだどこかの誰かの何らかの意味の残骸の残骸の残骸の残骸のそのまた残骸に過ぎぬ小さな砂の粒子は、当然、意思のないただの残骸なので特定の情報を留め置くことはできなかったが、もし分子未満の微小粒子に記憶があったとしたならば、この降り積もった砂と波の遥かな下に、かつての栄華の残響が眠っていることを憶えていただろう。
しかしそうではないので、結局、あの日死んだ蟹のことを知っているものも、どこにもいなくなった。
かつてここに居たほとんど無限にも近しい生命たちが、何を思い、何を成していたのかも、後世に残したはずの無数の物質や非物質も、すでに誰も知るものは居なかった。
────いつか、
時の流れとは相対的なものであるため、どれほどの時が経ったのかなんて観測主体の定義によって意味を成さなくなるのだが、ともかくも遠い遠い時の流れたあと、砂の上に大きな影が落ちた。
丘の上、
草と花の波、
吹き渡る風の中、
赤い実の生る樹の下、
忘れじの故郷への長い旅路の果てに、子は、懐かしき見知らぬ大地をその目に見た。
轟音のような静寂が、その場を支配していた。
緊張するいのちのざわめき。本能的な警鐘。遺伝子の奥の奥に刻まれた奇妙な共鳴。何もかもが、王を前にした民のように、その場を動けなかった。
ただひとり、
そのすべてを破壊した忌むべき血の末裔へと、
愛し子の帰郷を喜ぶ母のように、
『
「──おかえりなさい────」
いにしえの少女の姿で振り返り、微笑んだ。
ふたつの目によって確実に観測され定義された情景は、しかし瞬きのうちに消え、
風の輪郭は、その後の記録には残されていない。
◆ ◆ ◆
観測可能な全宙域におけるペトラ・ティラン個体の消滅を確認。
我らの母星は滅びたが、旅路の果てに辿り着いたEクラス惑星のひとつを、断片的な情報から太古の故郷『地球』と推定する。
先遣隊による観測の結果、生態系は豊かであり、大型の生物が多数生息している事がわかった。人類の末裔は確認できず。
十二時間後、地球"再侵略"を開始する。
────A.D.9816
2018/08/23