第四十六話
無秩序な
表面に見えている人数だけを考えるのなら、今の聖にとって、この程度の兵力を蹴散らすのは、
ただし――
彼だけは、いかにアビスゲートの力を以てしても、楽観できない。
――こういう時、
ちら、と、隣を歩くルナを見る。一つ年上の、どこか放っておけない……何か奇妙な孤独感のようなものを、瞳の奥に持つ少女。
兇闇なら、まず第一に、彼女を守ろうとするはずだ。昔、聖にしてくれたのと同じように。
そこまでは、頭の中で
その先に
今もまた、重大な機会を逃し続けているのかもしれない。
大人しく従った方がいい、なんて結論は出ていないのに――それでも、聖は動くことができなかった。
「
フェイトの呟く声に釣られ、巡らせていた視線を前方へと戻す。
扉――と、
初老の男性――ヘンズリー、と名乗っていた彼は、部下に何事か指示を出しながら、“扉”に向かって一歩踏み出した。すると、
部屋から流れ出る、どこか
ともかく一行は、見張りの兵を扉の前に残し、その一室へと足を踏み入れた。どうも先刻の指示は、待機の命令か何かだったらしい。
部屋の内部は意外なほどに整然としており、目につくものといえば、壁に据え付けられた棚に幾つも収められている、見慣れない器具類くらいのものだ。
先刻のことを思えば、恐らく必要な時にだけ、あの『フォースフィールド技術』とやらで光のテーブルを出しているのかも知れない。気軽にものを置いておける場所が無ければ、この小ざっぱりとした内装は自然にも思える。
そして
赤みがかった金髪に、半ば隠れた青い瞳。
彼は、
「やあ、お客人」
彼が英語を喋るとほぼ同時に、全く同じ声色で、日本語の音声が被せられた。
しかし、聖達が驚いてそれに反応するよりも先に、隣のフェイトが、身を乗り出すようにして
「クリス!?」
その言葉を含む、大小様々な
クリスと呼ばれた金髪の彼は、満足気に笑いながら、四人のもとに歩み寄った。
「はっはっはっ、どうコレ。日本人の女の子が来るって言うから即時翻訳システム作ってみちゃった! 既存の翻訳システムにテキトーな判断用のA.I.ぶっ込んだだけなんだけど!」
「……口調が砕けすぎじゃないかな」
「あ、ごめん、なにぶん急
「何のための翻訳システムだよ……というか、聞く分には個人用のトランスレーターがあるだろう」
呆れ顔のフェイトは、溜息を吐きながらも、自分の片耳にかけていた変わった装飾品のような機械を、男――クリスに投げ渡す。
彼がそれを装着すると、片目の前に、眼鏡のレンズのような形状の、薄い光のディスプレイが現れた。表示されているらしき文字は、細かすぎて読むことはできないが……先の会話の内容からして、恐らく周囲で交わされた言葉が翻訳されて表示されるようなものなのだろう。
「……んん、良好良好。あんま使わないから普段持ってなくってね、助かったよ。運命に感謝を」
「オイ僕の名前の翻訳おかしかったぞ今、本当に大丈夫なのかいソレ?」
「お、コレ私が喋った日本語も翻訳されて表示されるけど、再翻訳で元の文章からかけ離れてくぞ」
「死ぬほどどうでもいいよ、話を進めろ話を」
逐一ツッコミを入れつつも、フェイトは咳払いを一つ。
しかし
「えーっと……彼はクリスチャン中尉。まあ悪い奴ではないんだが、なんていうか……」
「まあまあ、今は紹介より先に伝えたい事があるんだ。実はヴァイカートに進言したのも私でね。でも君たちをここに呼んだのは、研究の為でも、利用する為でも、無論身体検査の為でもない」
記憶の森のよほど奥底から、
彼は言葉の勢いのまま、ずい、と上体を傾げて――ぴんと立てた人差し指で、真っ直ぐにルナを指し示した。
「君の」
「わ……私?」
ここで自分に来るとは思っていなかったのか、ルナは
「君の身体を、隅々まで見たり触ったりしたいッ!」
「はぇ……っ?」
そして、彼は言い切った。
恐らくは僅か数秒、しかし一同の主観からすれば余りにも膨大な時間的
フランスの
そのまま凍りかけた時の中、何か吹っ切れたような優しい笑顔を浮かべたフェイトは、彼を
「うん。紹介の続きをしよう。アグレッシブな変態って言うか、人外フェチなんだ、彼」
「ええええええェェ――!?」
派手に効果音付きで仰け反りながら、ルナはもはやツッコミの体すら成していない叫び声を上げる。
ここまでの大事を起こしての目的がそれだったのだから、無理もなかろうと言うものだが。
「スキャンされた画像を見てね、ビビッと運命的なアレを感じたんだ。それで“こいつは放っとけねえぜ!”と」
「いやいやいやそんな事勝手に感じられても困りますッ! ほっといてください!」
迫られ突きつけられた指から逃れるように、ルナは
しかし
「わかります、そのきもち」
「わかり合わないでッ! ていうか聖ちゃんもそんな風に思ってたの!?」
「その無防備なわがままボディはいつかこの手で
「妄想が細かすぎて怖い!?」
会話の軸が確実に、着実にズレていく一方で、クリスは掴まれていない方の手で無造作な金髪をがりがりと掻き乱し、総員の顔色を順々に
この時、聖は――恐らくルナも同様に、普段の自分達の例に照らして、悟った。――ああ、こいつら、この言動に慣れてやがる。
そんなブーメランな悟りを二人が開いたところで、クリスの青色の瞳が今一度きょろりと左右に揺れ、彼は、肩書に似合わぬ、やけに子供じみた動作で微笑みながら首を
「ふむ、どうも言葉を曲解されてる気がするな。おいおい君たち、私は亜人っ
「やっぱ願望はあるんだね……」
苦笑するフェイトの言葉が、彼に正しく届いていたか否かは
クリスは再び、白衣の裾を足で跳ね上げ、
「確かめるため、とでも言おうかね。君の“起源”に関する、重要な話さ」
「きげ……ん?」
「……大丈夫ですか?」
「あ……ご、ごめん。ごめんね……」
肩に添えた手を、そっと握り返す彼女の指は、
聖の知る限りでは――
だのに、今触れ合っている指先の冷たさは、微かな震えは、まるで
「――ええと、これはつまり、今夜は
「ち、違うよ!? どんな魔のルート通れば辿り着くのその結論!?」
そんな、緊張感が
どこか
その様は、
「ねえ、ちょっと待ってクリス。
「それは解ってる。解ってるがね、気になり度合いは彼女の方が“上”だ」
遮る声に迷いは無く、ばさりと白衣を
その真意を、今はフェイトですらも
「だって君――私の子だろう?」
恐らく一個師団くらいの天使たちが、ものすごい勢いでその場を横切っていった。
「……………………え?」
さて、ルナの顔から表情を奪ったのもまた天使の仕業か、それまでは解らないが。
今、新たに一つ、聖が知ることができた事と言えば、“思考が現実にマッハで置いていかれた時、人はどういう反応をするのか”と言ったところだろうか。
Back | Next |