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第四十六話 ()(がれ)を問う(ほむら)(こえ)



 無秩序な跫音(きょうおん)の集合は、川を遡行(そこう)する海嘯(かいしょう)のざわめきの如く、長い(ろう)(どよ)もして、渡っていった。

 (ひじり)たちを取り巻く兵力は、合計して十と一人と言ったところだ。とは言え、廊下に人の往来は無く、万一に備えて待機させている人数までは感知できない。
 表面に見えている人数だけを考えるのなら、今の聖にとって、この程度の兵力を蹴散らすのは、容易(たやす)い。“時間加速”でもそうそう回避できない光学兵器にだけは注意しなければならないが、ただ“全員倒す”だけなら、撃たれる前に遂行可能だろう。
 ただし――瞑目(めいもく)したまま隣を行く、フェイトと名乗った少年以外は、だ。
 彼だけは、いかにアビスゲートの力を以てしても、楽観できない。

 ――こういう時、兇闇(まがつやみ)ならどうするだろう。
 ちら、と、隣を歩くルナを見る。一つ年上の、どこか放っておけない……何か奇妙な孤独感のようなものを、瞳の奥に持つ少女。
 兇闇なら、まず第一に、彼女を守ろうとするはずだ。昔、聖にしてくれたのと同じように。

 そこまでは、頭の中で(わか)っているのに。
 その先に()るべき行動のヴィジョンが、見えない。

 今もまた、重大な機会を逃し続けているのかもしれない。
 大人しく従った方がいい、なんて結論は出ていないのに――それでも、聖は動くことができなかった。

()くよ」

 フェイトの呟く声に釣られ、巡らせていた視線を前方へと戻す。
 扉――と、()だそう呼ぶのか(いな)かは知らないが――兎角(とかく)、その白い力場の障壁には、うっすらと『研究室(LABORATORY)』と読める文字が浮き上がっていた。左右に繋がる文章には、具体的にどのような研究室かが書かれているのかも知れないが、聖がそれを読解するには、もう少々の時間を要するだろう。

 初老の男性――ヘンズリー、と名乗っていた彼は、部下に何事か指示を出しながら、“扉”に向かって一歩踏み出した。すると、(たちま)ちのうちに白い障壁は消失し、奥の様子が明らかとなる。
 部屋から流れ出る、どこか静謐(せいひつ)な、人を拒むような空気の匂いは、何らかの試薬が混合された結果だろうか。

 ともかく一行は、見張りの兵を扉の前に残し、その一室へと足を踏み入れた。どうも先刻の指示は、待機の命令か何かだったらしい。
 部屋の内部は意外なほどに整然としており、目につくものといえば、壁に据え付けられた棚に幾つも収められている、見慣れない器具類くらいのものだ。
 先刻のことを思えば、恐らく必要な時にだけ、あの『フォースフィールド技術』とやらで光のテーブルを出しているのかも知れない。気軽にものを置いておける場所が無ければ、この小ざっぱりとした内装は自然にも思える。

 そして卒爾(そつじ)、部屋の奥にもう一つあった“扉”が薄らいで消失し、現れる者があった。
 赤みがかった金髪に、半ば隠れた青い瞳。無精(ぶしょう)ゆえか(まば)らに生えた顎髭(あごひげ)こそあれ、青年と呼んで違和感は無い、年若い男性だ。
 彼は、草臥(くたび)れた長裾の白衣を足でばさりと跳ね上げて、何か小さな機械端末を口に近付け、にっと笑った。

「やあ、お客人」

 彼が英語を喋るとほぼ同時に、全く同じ声色で、日本語の音声が被せられた。
 しかし、聖達が驚いてそれに反応するよりも先に、隣のフェイトが、身を乗り出すようにして喫驚(きっきょう)の意を示す。

「クリス!?」

 その言葉を含む、大小様々な錯愕(さくがく)吃語(きつご)の対応は、彼の期待に応えるに充分なものであったらしい。
 クリスと呼ばれた金髪の彼は、満足気に笑いながら、四人のもとに歩み寄った。

「はっはっはっ、どうコレ。日本人の女の子が来るって言うから即時翻訳システム作ってみちゃった! 既存の翻訳システムにテキトーな判断用のA.I.ぶっ込んだだけなんだけど!」
「……口調が砕けすぎじゃないかな」
「あ、ごめん、なにぶん急(ごしら)えなもんで、インプットとアウトプットの方向は変えられないから、日本語で言われても私には通じないんだ。今なんて言ったの?」
「何のための翻訳システムだよ……というか、聞く分には個人用のトランスレーターがあるだろう」

 呆れ顔のフェイトは、溜息を吐きながらも、自分の片耳にかけていた変わった装飾品のような機械を、男――クリスに投げ渡す。
 彼がそれを装着すると、片目の前に、眼鏡のレンズのような形状の、薄い光のディスプレイが現れた。表示されているらしき文字は、細かすぎて読むことはできないが……先の会話の内容からして、恐らく周囲で交わされた言葉が翻訳されて表示されるようなものなのだろう。

「……んん、良好良好。あんま使わないから普段持ってなくってね、助かったよ。運命に感謝を」
「オイ僕の名前の翻訳おかしかったぞ今、本当に大丈夫なのかいソレ?」
「お、コレ私が喋った日本語も翻訳されて表示されるけど、再翻訳で元の文章からかけ離れてくぞ」
「死ぬほどどうでもいいよ、話を進めろ話を」

 逐一ツッコミを入れつつも、フェイトは咳払いを一つ。
 しかし(いま)だ、心底に周章(しゅうしょう)の色を隠し切れず浮かべたまま、聖へ、そしてルナへと、交互に視線を()る。後ろに立つヘンズリーも、同様の当惑を表情に浮かべていた。

「えーっと……彼はクリスチャン中尉。まあ悪い奴ではないんだが、なんていうか……」
「まあまあ、今は紹介より先に伝えたい事があるんだ。実はヴァイカートに進言したのも私でね。でも君たちをここに呼んだのは、研究の為でも、利用する為でも、無論身体検査の為でもない」

 記憶の森のよほど奥底から、剴切(がいせつ)な言葉を探すように言い(よど)むフェイトを、クリスは遮り、対照的にすらすらと言葉を紡ぐ。翻訳システムによって重なる二種類の言語は、まるで日本で観たことのある吹き替え映像をそのまま流しているかのようだ。
 彼は言葉の勢いのまま、ずい、と上体を傾げて――ぴんと立てた人差し指で、真っ直ぐにルナを指し示した。

「君の」
「わ……私?」

 ここで自分に来るとは思っていなかったのか、ルナは狼狽(ろうばい)の念を(あら)わに、角鱗に覆われた硬質な耳をぴくりと立てて、姿勢を正す。

「君の身体を、隅々まで見たり触ったりしたいッ!」
「はぇ……っ?」

 そして、彼は言い切った。微塵(みじん)ほどの躊躇(ちゅうちょ)をも見せず、刹那(せつな)逡巡(しゅんじゅん)をも見せず、堂々と。
 恐らくは僅か数秒、しかし一同の主観からすれば余りにも膨大な時間的間隙(かんげき)の中で、当のルナの、どこか情けない反応だけが流れ去る。

 フランスの(ことわざ)(いわ)く、座談が途絶えて静寂が訪れることを『天使が通る(Un ange passe)』と形容すると言うが、だとするならば、断言できよう。“天使は意外と簡単に召喚可能だ”――と。

 そのまま凍りかけた時の中、何か吹っ切れたような優しい笑顔を浮かべたフェイトは、彼を(てのひら)で指しながら、再び聖たち二人に向き直った。

「うん。紹介の続きをしよう。アグレッシブな変態って言うか、人外フェチなんだ、彼」
「ええええええェェ――!?」

 派手に効果音付きで仰け反りながら、ルナはもはやツッコミの体すら成していない叫び声を上げる。
 ここまでの大事を起こしての目的がそれだったのだから、無理もなかろうと言うものだが。

「スキャンされた画像を見てね、ビビッと運命的なアレを感じたんだ。それで“こいつは放っとけねえぜ!”と」
「いやいやいやそんな事勝手に感じられても困りますッ! ほっといてください!」

 迫られ突きつけられた指から逃れるように、ルナは大袈裟(おおげさ)に上体を反らせながら、数歩後退(あとじさ)った。……が、後退した分だけ相手も勢い付いて前進してきてしまうため、距離はむしろ詰められている。
 しかし()かさず、横から割り込んだ白い両手の指先が、ルナに向かって伸ばされたその掌をがしりと(つか)んだ。聖である。――もし、この場に兇闇が居たならば、どこか瞳が輝いているのに気付いたことだろう。

「わかります、そのきもち」
「わかり合わないでッ! ていうか聖ちゃんもそんな風に思ってたの!?」
「その無防備なわがままボディはいつかこの手で白日(はくじつ)の下にさらけ出しプニプニしたいと思ってました……心ゆくまでプニプニしたあと、身体に身をうずめてその声で“よしよし”って頭()でられつつ、耳の裏んとこ触りながら穏やかな眠りにつきたい……」
「妄想が細かすぎて怖い!?」

 会話の軸が確実に、着実にズレていく一方で、クリスは掴まれていない方の手で無造作な金髪をがりがりと掻き乱し、総員の顔色を順々に(うかが)っていた。目を細めたまま会話の行く末を見守るヘンズリーも、ほとんど変わらぬ無表情のフェイトも、特に現状を制する様子は無い。
 この時、聖は――恐らくルナも同様に、普段の自分達の例に照らして、悟った。――ああ、こいつら、この言動に慣れてやがる。

 そんなブーメランな悟りを二人が開いたところで、クリスの青色の瞳が今一度きょろりと左右に揺れ、彼は、肩書に似合わぬ、やけに子供じみた動作で微笑みながら首を(かし)げた。

「ふむ、どうも言葉を曲解されてる気がするな。おいおい君たち、私は亜人っ()とラヴラヴしたい願望こそあれど、そういう意味で言ったんじゃあない」
「やっぱ願望はあるんだね……」

 苦笑するフェイトの言葉が、彼に正しく届いていたか否かは扠置(さてお)き。
 クリスは再び、白衣の裾を足で跳ね上げ、(きびす)を返して、ようやくルナから身体を離す。

「確かめるため、とでも言おうかね。君の“起源”に関する、重要な話さ」
「きげ……ん?」

 鸚鵡(おうむ)返しに呟いて、ふら、と蹌踉(よろ)めくルナの肩を、聖が咄嗟(とっさ)に抱き留める。――何か、急に眩暈(めまい)でも起こしたようなふらつき方だ。

「……大丈夫ですか?」
「あ……ご、ごめん。ごめんね……」

 肩に添えた手を、そっと握り返す彼女の指は、(ほの)かに汗ばんでいた。
 聖の知る限りでは――彼女(ルナ)は、そんなに弱い亜人(ひと)ではない。肉体的にも、精神的にも。
 だのに、今触れ合っている指先の冷たさは、微かな震えは、まるで(くずお)れる心を如実(にょじつ)(たと)えているかのようで――そして、その指が、この流れの中で、聖の手を求め触れたということは――

「――ええと、これはつまり、今夜は同衾(どうきん)ぷにぷにおっけーと言うことですか……? 言い出しておいて何ですが、少し照れます……」
「ち、違うよ!? どんな魔のルート通れば辿り着くのその結論!?」

 そんな、緊張感が泡沫(ほうまつ)のごとく生まれては消える遣り取りの一方で――
 どこか演戯(えんぎ)じみた金髪の背姿に、フェイトが怪訝(けげん)そうに歩み出た。
 その様は、(はた)から見れば子供と大人そのものだが、彼は今まで同様、物()じする事なく(くちびる)を開く。さも、一切の怯懦(きょうだ)を知らぬかのように。

「ねえ、ちょっと待ってクリス。先刻(さっき)から言おうと思ってたけど、アビスゲートを持っているのはそっちの子ではなく、こっちの白髪の――」
「それは解ってる。解ってるがね、気になり度合いは彼女の方が“上”だ」

 遮る声に迷いは無く、ばさりと白衣を(ひるがえ)して再びルナを瞳に映す。周囲の表情筋が形作るのは、どこか内心で楽しんでいるような、確信めいた理知の笑み。
 その真意を、今はフェイトですらも(はか)りかねているらしく、懐疑(かいぎ)的な視線と沈黙を(もっ)(こた)える。
 (ゆえ)に、事態の“核心”を、クリスはようやく口にした。

「だって君――私の子だろう?」


 恐らく一個師団くらいの天使たちが、ものすごい勢いでその場を横切っていった。


「……………………え?」

 さて、ルナの顔から表情を奪ったのもまた天使の仕業か、それまでは解らないが。
 今、新たに一つ、聖が知ることができた事と言えば、“思考が現実にマッハで置いていかれた時、人はどういう反応をするのか”と言ったところだろうか。



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