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第四十五話 (いわ)霈然(はいぜん)として驟雨(しゅうう)の打つ



 金属、もしくはプラスチックに近い、奇妙な質感の白壁に囲まれて、ルナと(ひじり)は途方に暮れていた。

 簡素な椅子に腰掛けながら、部屋中を見渡すのにも、お互い飽いた頃だ。いやに殺風景な部屋の中、目を引くものと言えば、流線型の出入り口に()め込まれたドアノブのない扉と、部屋の中央に鎮座(ちんざ)する奇妙な円筒形の機械。しかしどちらにも、迂闊(うかつ)に触れるのは少々(はばか)られる。
 視界の中に、フェイトの姿はもはや無い。この部屋に二人を案内するや否や、『手続きを済ませる』と言って出て行ってしまった。

 時間的にはほんの僅かな、しかし本人らにとっては長い長い沈黙を()て、やっと聖がおずおずと重い口を開く。

「あ、あの、ルナさん、どう思います……?」
「どうも何も……わりと状況を整理するので精一杯っていうか……」

 国際連合軍(United Nations Forces)亜存在対策本部(Sub-existence countermeasures office)――この建物の入り口に掛けられたプレートには、確かに、そう刻まれていたはずだ。
 ルナが驚いて問えば、フェイトは、先刻襲ってきたものがそれだと言った。
 しかし、あの姿は、ルナの知識にある“亜存在”というモノとは、大きく違っている。念のため“専門家”である聖にも確認したが、やはり、ああいうタイプのものは今まで見たことが無いと言われた。
 実数物質の形骸(けいがい)を持つ“スティグマ”タイプの亜存在もいるにはいるが、それらは生前の自分の姿を取る。即ち、あれが亜存在だとするならば、“最初からああいう形の存在”が亜存在化したとしか考えられない――との事だ。

 ……こんな世界で、他の皆は、無事だろうか。
 あと四人、落ちてきたはずの者がいるとフェイトに伝えた時、彼は即座に周辺区域を広域走査(スキャニング)してくれたが、亜存在以外に生命体の反応は無いと言った。
 事実がわかれば、それでいい。最も恐るべきは、“わからない”という事だ。この状況にどう対処したらいいのか、ルナには全く見当がつかない。

 雑念を追い()るように、ふう、と溜息を一つ()き、ルナは目を伏せる。

「……でも、確かに気になってたんだ」
「何が……ですか?」
「聖ちゃんがあれを斬った時、あいつらには……“血色素”が無かった」
「血色素……。ヘモグロビン、とかの事……ですよね」

 首を傾げる聖に、ルナは首肯(しゅこう)して見せた。

 血色素とは、血液中に存在する、酸素を運搬するための蛋白質を指して言う。人間の場合は聖の言う通りヘモグロビンで、ヘモという赤い色素のために人間の血は赤く見える。
 本来、猛毒であるはずの酸素を、解毒機構を備えることで強引にエネルギー源として取り入れるという大胆な進化により、地球上の生命系統樹を席巻した“好気性生物”。そのうち、ほぼ全てが――菌界や原生生物界においても同様に――ヘモグロビンか、もしくはそれと似た血色素を有している。
 虫などの節足動物に多く見られる青色のヘモシアニン、環状生物が持つのは緑から赤に変わるクロロクルオリン、そして海棲(かいせい)生物に多い紫色のヘムエリスリン……詳しく言えば枚挙に(いとま)がないほど多いが、とにかく地球上の動物には、(ことごと)く、こういった“血中色素”が存在しているのだ。

 ルナは伏せていた目をゆっくりと聖に向け、台詞を続ける。

「言われた事の真偽はどうあれ、アイツの血――体液は、完全な“透明”だったと思う。血色素が無くて、血が透明な生物って、私が知る限りだとコオリウオって魚の仲間だけだよ。あれは心臓が大きくて、血漿が酸素を運ぶって言われているけど」
「えっと……虫の血液は、リンパ液との区別がないから透明に近いんだって、先輩に聞いたことがあります……色が薄すぎて、透明に見えたんじゃないんですか……?」
「なら、いいんだけど……少なくとも、あれは地球上で進化し得る生命体じゃない。そういう要素が多すぎる」

 地球外生命体――という、古臭いSFにでも出てきそうな言葉が、(にわか)に現実味を帯びる。
 しかも、その文字列を冠するものの名が“亜存在”と言うのだから、その事実を看過(かんか)はできない。例えこれが、電気的に演算された仮想世界の話だとしても。

 聖は(しば)し黙考した後、(くちびる)に指を当て、訥々(とつとつ)と言葉を選ぶように答える。

「亜存在の出自については……現在でも、まだ、推測の域を出てません」
「うん。可能性の話だし、結論を急ぐのは早計だけど……すごく、気になる」

 (あご)に手を当て、(うつむ)くルナ。
 ここで演算されている世界でも、“亜存在”が自然発生しているとするならば。その出現原理までも、完全にシミュレートされているとするならば。状況の違う二つの世界を照らし合わせることで、見えなかった真実が、(あらわ)になるかもしれない。

 しかし、それから何か考える間もなく、出入口を塞いでいた白い扉が、どちらに開くでもなく、静かに消失した。
 顔を上げた二人の視線を受け止めつつ、軽い靴音を立てて、部屋に歩を進めるフェイト。その手には、小さな白いコップ――らしきものが二つ、握られている。把手(とって)が本体と一体化したような、奇抜なデザインだ。

亜存在(かれら)の出自は、現時点でも不明だよ」

 彼は穏やかに言いながら、部屋の中央まで歩いてくると、(おもむろ)に、円筒形の機械を足で小突いた。どうやらその位置に何らかのスイッチがあったらしく、低い駆動音が鳴り響く。
 一体何が起きるのかと二人に見守られる中、フェイトは静かに身を引いた。すると、半透明なオレンジ色をしたテーブルが、宙空に“出現”した。

「うわあっ!?」

 ルナは驚いて椅子から飛び上がり、聖は声も出せずに目を見開き、顔を近付ける。
 まるで光が一つの形へと凝縮したかのように、綺麗な円形をしたそれは、地面からも、天井からも支えられていないにも関わらず、宙に浮き続けていた。
 二人の喫驚(きっきょう)を見たフェイトは、含み笑いを漏らしながら、コップを二人の前に置く。オレンジ色の光は、小さいながらも確かに質量がある白いコップを、無機質な音を立てて受け止めた。中に入っている液体の色は珈琲(コーヒー)に似ていたが、実際はどういったものかは定かで無い。

「フォースフィールド技術がそんなに珍しい?」

 表情こそ薄けれど、彼の反応を見て、ルナは気付く。
 これは、あれだ。いわゆる“テレビを見て驚く原始人”的な反応なのだ。たぶん。
 頬を紅潮(こうちょう)させながら椅子に座り直し、コップに注がれた飲料を一口、(すす)る。その黒い液体はコーヒーよりもココアに似て、甘味とコクが強く、しかしすっきりと飲める不思議な味をしていた。
 フェイトもまた、空いている椅子を持ってきて、ゆっくりと腰掛け、言いかけていた話を続ける。

「彼らの内にああいった“実体”を持つ種族が現れたのは、ごく最近の事さ。一応、細胞構造は地球生命体のそれと酷似しているけど、骨格や臓器などの体構造そのものは地球のいかなる生物とも異なる。分類学上でも議論の的で、今は動物界亜存在門だけで独立した門に分類されてる」

 予想外に専門的な話に、ルナは思わず面食らって隣の聖を見遣る。
 聖はその“フォースフィールド”とやらで構成されているらしいオレンジ色のプレートに上半身をべたりと乗っけて、不思議そうに指先で引っ()いていたが、ルナの視線に気付くと、顔だけを向けて答えた。

「……私達の分類は、そこまで詳しくありませんでした。エニグマとスティグマの二種類だけです……」
「だよねぇ……」

 ルナの知識に誤認は無かった。亜存在は大別して、黒く実体の無い影のような“エニグマ”タイプと、先刻も記述した通り、生前の姿を仮に取る“スティグマ”タイプの二種類。
 そのスティグマの体も、ただ“明確な意思と輪郭(りんかく)を持つ”というだけで物質的な実体は無く、倒せば四散し、消滅してしまうため、研究は不可能であったはずだ。
 ……とは言え、それも以前、無理を言って聖から聞いた情報なので、薔薇(ばら)十字団員とは言え、若い彼女には元々何も知らされていなかったとするなら、知識の信憑性(しんぴょうせい)は皆無である。(いささ)心許(こころもと)ないが、信じる他に無い。

 こつ、こつ、と、指先でテーブルを叩く。上手い問答をする技術はルナには無いが、()きたいことは大量にあった。
 まずは――この世界について。自分たちが、そして兄や、友が放り出されたであろう、この舞台の状況を知りたい。

「ねえ、亜存在って……どれくらいの時期から出現しはじめたの?」
「おおよそ二年前だけど、正確な時期も理由も不明。一説には、次元跳躍実験の失敗がそもそもの原因だとも言うね」
「二年前から出現頻度が加速しただけで、実は西暦二千年代から、たまーに出現してた……ってことは?」
「いや、そういった情報は無い。よほど強固に秘匿されていたなら、可能性はあるけど」

 どうやら、地名が同じだとは言え、二つの世界は全く似通っているというわけではないらしい。ついでに、こっそりと思っていた、“現実世界の未来である”説も望み薄だ。
 しかし、完全に無関連の世界と考えてしまうには、少々の憂虞(ゆうぐ)は否めないだろう。今の自分が理論や理屈でものを考えられているかどうかは自信がないが、何より、先刻から身体に(まと)わりつく、(いや)焦燥(しょうそう)感がどうしても消えない。

 わずかな静寂と、視線の交錯。

「えーと……ルナさん、どう思います?」
「どうも何も……以下同文、だよ」

 全く変わりないポーズのまま、さっきも聞いたような質問をする聖に、溜息一つを追加して、ルナも同様に答える。
 それから彼女は改めて両手を組み、フェイトへと向き直った。

「“時代”が違うだけじゃなくて、“平行世界”である可能性って、どうかな?」
「真の意味での平行世界なら、その考えは除外していい。Dブレーン間の移動も不可能だ」
「……つまり、“偽の意味”では?」
「ああ、無ではない」

 相も変わらず(ほとん)ど無表情のフェイトは、幾許(いくばく)抑揚(よくよう)も無く、淡々と続ける。

「即ち、“平行宇宙に見せかけた何らかの時空連続体”から、君達が来たとするなら……確率の問題は一応クリアだ。僕はそれを知覚できなかったけど」

 平行宇宙――いわゆるパラレル・ワールドというものは、コペンハーゲン解釈で言われる“シュレディンガーの猫”の思考実験からか、『人間が観測することで、世界が分岐する』とよく言われるのだが、それは誤りである。そもそも人間は世界の一部であり、ただの物質であるのだから、そんなものが何を観測しようがしまいが関係ない。
 多世界解釈では、世界そのものが、“歴史の始まりから終わりまで、あらゆる可能性を含んだ巨大な波”なのだ。人間は、飽くまでも、その可能性のうち一つを“後から見ている”というだけの事に過ぎない。
 箱の中の猫という比喩(ひゆ)を引き継ぐのなら、分岐するのは猫だけでなく、観測者もまた『生きた猫を見た観測者』と『死んだ猫を見た観測者』に分岐する。無論、それを取り巻く世界そのものも、全時間・全空間において、ありとあらゆる可能性の重ね合わせ状態にある。
 故に、“平行世界”同士の移動――“観測されなかったものを観測する”ような真似は、原理的に不可能なのだ。できたとすれば、それは最初から宇宙に内包されていた、正規の可能性に過ぎない。

 では『一つの宇宙の異なる可能性』に移動するのが無理として、『別の宇宙』ならどうか?
 それが、フェイトが次に言っていた“Dブレーン(膜宇宙)”と言うもので、高次元から見た宇宙のモデルの事だ。この膜状宇宙が、別の膜状宇宙(ブレーン)と衝突することは、確かに有り得る。有り得るが――接触した瞬間に、ビッグバンが起きてしまう。

 故に、最後に残る線は――“並行宇宙に見せかけた、ニセモノ”。
 世界という枠組みの内に存在する、異なる時空連続体……いや、電気的にシミュレートされた模造世界も、それに当てはまる。

 暫しの黙考を経て、ルナは試すような視線をフェイトに向け、再び唇を開く。

「似すぎている事の説明は? 言語に、国名、鐫界器(せんかいき)の存在みたいな……」
「“手を加えられた”んだろう。どちらか、ないし両方が」
「ああ、そっか。思ってみればそうだよね」

 妥当な答えだ。全く同じ地球という岩石惑星が発生し、全く同じ国が出来るよう歴史を辿るなど、自然には有り得ない。
 “何かを狙って、似せられた”。それが答えだ。現は何も言っていなかったが、この世界には、絶対に、何か特定の意図がある。……現実よりも遥かに進んだ技術を持ちながら、現実では既に実在するアビスゲートが(いま)だ造られていない点から、少々の差異はあるようだが。

 ルナは、必死に思考を巡らせる。
 理学博士であるレイの元で育ったとは言え、その期間は“兄”よりも短い。科学的な思考は、未だ不慣れな部類だ。
 普段なら、それでよかった。自分よりもずっと速く、正確に、兄が考えてくれたのだから。
 その彼も、今は居ない。
 妹として兄に引っ張られてばかりいたルナは、最前列に立って誰かを引っ張っていくような経験を、まるでして来なかった。だから、いざこういう状況に陥っても、どういう事を考えて、どういう風に動けばいいのか、まるで想像がつかない
 しかし、今更(ほぞ)()んだ所で仕方が無い。
 隣の聖をちらと見る。自分よりも一つ、年下の少女を。
 ルナは、彼女のようには戦えない。しかし今、ルナは彼女を守らなければならない立場に立っているのだ。

 フェイトが、そんな彼女の様子を察したのかどうかは、定かではない。
 ただ、彼は薄い表情の中、ほんの微かに相好(そうごう)を崩し、変わらず穏やかな調子で語りかける。

「僕ですら関知できなかった時空間移動が起きたという事は、非常に興味深い事実だ。君達自身も状況を完全に理解しているとは言い(がた)いみたいだけど、良ければ話を聞かせてほしい」

 言葉を促す視線が二つ、ルナの身に突き刺さる。
 聖は、二人以上の集団でいれば、どんな時でも自分が一歩引くタイプだ。とは言え、それはルナも同じようなものだが――ともかく、それがわかっているから、ルナは(しか)と前を見据え、顔を上げる。

 だが、放たれかけた言葉は、真っ白な“扉”が再び開く音に遮られ、止まった。

『やあ、お客様。フェイト君も御機嫌よう』

 やや(なま)りのある英語で挨拶をして、入ってきたのは、見知らぬ初老の白人男性だった。
 白髪交じりの短髪と、やや()れ気味の蒼眼(そうがん)。どう着るのかよくわからないスーツに包まれた、細身の身体をぴんと伸ばして、敬礼の姿勢を取る。
 ルナはそれを見て、「ああ、あのポーズまだ変わらないんだ」、なんてどうでもいい事を、ぼんやりと思ってみた。
 最初に彼に応じたのは、椅子に座ったまま、右手だけで敬礼を返したフェイトである。彼は同じく、流暢(りゅうちょう)な英語で返した。

『これは、少佐。わざわざご挨拶に?』
『うむ。国際連合軍少佐ウィリアム・ヘンズリーだ。外では大変だったようだね。この国の中では、ここは最も安全な場所だ』

 ヘンズリー少佐は、ルナ達に向き直り、にこやかに言って右手を差し出す。二人は順に握手に応じ、同時に自らの名前を告げた。
 ややあって、自分の(てのひら)を見つめていた聖が、改めてルナを見る。

「……なんて言ってたんですか?」
「ひ、聖ちゃん、たぶん業種的に英語は覚えたほうがいいよ……?」

 これまでの会話の概要をフェイトと二人で翻訳してから、不思議そうにその遣り取りを見ていたヘンズリー少佐の方に、総員再び向き直る。とは言え、状況を解っているのはフェイトただ一人だと思われるので、ルナ達は見ているだけだ。

『で、どうしたんだい? まさか、挨拶だけが目的でわざわざ来やしないだろう』
『相変わらずだな、フェイト。まあいい、そちら二人のお嬢さん方だが、一応、簡単な衛生検査のため、一度隣の研究区画に移送するようヴァイカート将軍に命じられた。ご同行願いたい』
『ヴァイキーに? 入り口でスキャンは済ませたけど……それじゃご不満かい?』
『うむ、亜存在の気配は無いが、それとは関係なく幾つかのチェックを受けて貰いたいようでな。なに、新兵の身長や体重を量るようなものだ』

 簡単な訳文を聖に耳語(じご)しながら、ルナは二人の対話を注視していた。が、それきりフェイトは腕組みをして背凭(せもた)れに体重を預けてしまい、会話は停止する。
 念のため身体検査のようなものを受けて欲しい、と、確か、少佐はそう言っていた。
 わずかばかりの静寂に、ルナは戸惑い、先刻聞いた言葉に応じて立ち上がろうとする――が、動作にかかろうとする刹那(せつな)の呼吸を、フェイトが組んでいた手を広げて制した。その表情は、黒髪に隠れて伺えない。

『なあ、おかしな話じゃないかい、ヘンズリー? 健康診断の案内人に、君を寄越したのか? “銃を持った”君を?』

 三人の視線が、目の前の、ただ一人の男に集中する。突然こんな事を言われて尚、驚いた様子も無い、初老の軍人に。

『うむ。私もそう思うね』

 事も無げに言って、彼は自分の背中に手を回し、恐らく服の下にでも隠していたのだろう、黒い拳銃を抜いて、真っ直ぐにフェイトに向けた。
 掌に収まりかねないほどコンパクトで、流線を多用した特徴的な銃身のフォルムは、現代では見たことのないデザインだった。一歩間違えば玩具にも見えるデザインだったが、これが悪ふざけの(たぐい)でない事は、現状を一目見れば理解できよう。

「――っ!」

 息を()んで、もしくは武器を手に立ち上がろうとする二人に、フェイトは座ったまま、大きく両手を広げて再度制止をかける。
 銃口を向けられながらも、彼は冷静そのものであった。口元にはうっすらと、微笑とさえ取れる色が浮かんでいる。

『待て待て。後ろにいる物騒な人種は、二人や三人じゃないな?』

 はっとして、白い扉に視線を移す。これもフォースフィールドとやらの技術なのだろうか、その向こうを通し見ることはできず、隠れたものの気配を鋭敏に感じ取るようなスキルは元々ルナには無い。だが、一筋の動揺すらも見せずに目を細めたヘンズリーの反応を見るに、どうやら真実であるらしかった。

『……ご明察だな。警戒させんようにと言って待機させている』
『とすれば――うっかり者の軍人が、間違えて弾を込めてない銃を携行していたとしても』
(だま)せるのはそこの不出来な監視カメラくらいのものだろう』

 声を潜めて言葉を交わす、二人の表情は揺るがない。
 ルナはその時になって初めて、彼らの間に“敵意”が見えないことに気付いた。隣を見れば、聖もアビスゲートを手にしてこそいるが、とうに見抜いていたのか、表情に警戒の色は薄い。――いや、元々無表情な子なので、ルナが気付けていないだけなのかも知れないが。

 惶惑(こうわく)を押し殺して唾を呑むルナに、ヘンズリー少佐は青い瞳を向ける。
 その視線に、いかなる意味が込められていたのかは解らない。だが、手にした銃の射線軸よりもずっと、その視線の方が重く思えた。

『命令自体は嘘ではない。私は何も知らされなかった。だが恐らく――』
『ああ、スキャンされたデータか。鐫界器を所持しているのがバレた、と』
『鐫界器開発は“使い手”の有無が最大の課題だ。それが突然現れたとあれば、研究・利用しない手は無い。私が彼同様に責任ある立場なら、そう考えるだろうな』

 フェイトは両手を上げたまま、小さく微笑を零した。外見の幼さに到底そぐわぬ、大人びた笑みだ。

『君は優しいな、ウィル。そんなだから出世が遅いんだ』
『人権の尊重は、軍人以前に人間の礼儀だ。それに、ちゃんと命令は守っているさ。“推論を述べるな”との命は受けとらん』

 半世紀分ほども離れているであろう年齢を、微塵(みじん)も感じさせない立ち居振る舞い。老人と子供は、お互いを見据えて笑う。

 その一方で、ルナの肩をつつく白い指。
 聖のものだ。驚きのあまり先程から翻訳を中断していたが、なんとなく会話の雰囲気だけは察したのだろう。
 現状において、これしきの事で安心の材料になるとは思えないが、ルナは自分の指先を、聖の指に絡める。冷え性のせいだろうか、彼女の白い指先は、どこか冷たかった。

「……ルナさん……雲行きが怪しくなってきましたね……?」
「う、うん。私達、実験台にされちゃいそうな状況みたい」
「実験台、ですか……。私、一度なってみたかったんです……全国の女子中学生の夢ですよね……」
「捨てちゃいなさいそんな夢」
「これで私も仮面ライダーに」
「なれないから」

 どんどん最悪に近付く状況の中、何故か目を輝かせ始める聖に言い聞かせながら、ルナは必死で考えを巡らせる。が、どうにもこんな遣り取りをしながらでは、まともな思考が浮かばない。
 再び冷静になって考え直す間もなく、重苦しい部屋の空気に、フェイトの溜息が()けた。彼は深刻そうな顔で、ルナ達二人を横目で見てから、再び日本語で語りはじめた。

「困った事になったね。保護するつもりが、このままだと何の罪もない女の子を仮面ライダーに改造する事に……」
「なれちゃうんだ!? ていうかこの時代にもまだ残ってるんだその固有名詞!?」
「やりましょう」
「乗り気にならないで聖ちゃ――ん!」
「うっ……でも私はどっちかと言うと二号の方が……」
「どっちにしろ嫌だよ私は!」

 さも人生の重大な岐路に立っているが如く、深刻な表情で苦悩し始める聖。
 だがルナとしては、いくら戦えるようになるとしても、さすがにバッタ型改造人間と化すのは勘弁願いたいところである。そんな身体になってしまっては、後々、ライトや華鈴(かりん)達とどんな顔をして合流したらいいかわからない。たぶん二人揃って変身した瞬間爆笑の渦になる。アリかもしれない。

 思考が迷走しはじめた所で、フェイトがこほんと一つ(せき)払いをして、ルナははっと現実に引き戻される。
 彼は底の見えない無表情で、手を上げたままゆっくりと立ち上がった。黒髪の向こうに隠れた赤い瞳の深淵(しんえん)が、(くら)く揺らめく。

『研究区画までは、大人しく従おう。入り口はとっくに封鎖されてるだろうから、途中での突破は無理だ』
『同感だ。私個人がどれだけ油断していたとしてもな』
『やれやれだ。まずは“見えざる手”だな。ドアを開けるには鍵が必要だ』

 どこか気怠げに、フェイトは部屋の出入口へと歩を進める。ヘンズリーもまた、小さく頷いてそれに続いた。
 要約するに、どうやら“こうなっちゃったらどうしようもないので、保護は諦めて強行突破の機会を伺おう”――と、そういうことらしかった。まあ、ここを出たところで住民は尽く避難してしまっているため、廃墟に隠れながら、無人の荒野を北へ北へと逃げ続けることになるだろう。
 無論、銃弾か――もしくはもっと進んだ何らかの兵器による攻撃に晒される確率は、低くは無いと思われる。
 “身体”の方は、少々の被弾なら耐えられる自信はある。が、この“精神”はどうだろう。流石に今度こそ、死んでしまうかもしれない。

「え、えーっと……えー……ま、マジ?」
『まじ? それはどういう意味だね? 魔術(マジック)でどうにかするという事か?』

 思わず呟いた言葉に、ヘイズリー少佐が真顔で応じる。
 普段なら笑ってしまいそうになっていた所なのだろうが、さすがに今の状況では、心のいろんな部分が一斉に折れただけだった。

「や……なんでもないです……なっしんぐ……」

 ルナはがっくりと項垂(うなだ)れて、まさにひらがなで表記するのが剴切(がいせつ)なほど、平坦な発音の英語で答えた。
 そして、ここで死ぬよりも、しばらく仮面ライダーとして生きてみるという選択肢について、大真面目に考え始めるのだった。



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