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第四十四話 月を追う狼は時に月よりも眩い



 当惑の(もたら)す静寂の中、赤い()の少年は、いかなる感情を浮かべることも無く、ゆっくりと、足を踏み出した。
 (ふる)い時代のサンダルに似た靴が、じゃり、と地面の小石を踏みしめる。
 その音に、(ひじり)がびくりと身を引いた。瞳の奥で微かに揺らぐ、困惑と恐怖の闇。

 しかし、彼はそんな聖に反応を示すことは無かった。どこか厭世的(えんせいてき)な両の瞳には、同じ色の血溜まりの上で、荒い呼吸を繰り返すルナの姿だけが映し出されている。

「……貸して」

 彼女の前に跪座(きざ)した彼から、差し出された(てのひら)。聖は反射的に、短く、怯えた息を漏らす。
 その両腕が握りしめているアビスゲートの、中央に()め込まれた、黒い宝玉に、彼の指先が――こつり、と触れた。

 刹那(せつな)(ほとばし)る閃光は深く、赫灼(かくやく)とした(くれない)の色。
 宝玉の奥底から湧き上がり、溢れ出る輝きの奔流は、周囲を赤く、(まばゆ)く照らした。

「きゃ……っ!?」

 驚いた聖が手を放しても、十字の(つるぎ)はその場に(とど)まり、激しい赤光(しゃっこう)を放ち続ける。何も支えるものは無いはずなのに、どういう原理か、それが地に落ちることはなかった。
 そして彼は、ルナの腹部の傷口にそっと手を(かざ)し、戸惑う聖に視線を送る。不安を(なだ)めるように、穏やかな声で語りかけながら。

「発想自体は間違ってないよ。()るべき姿に“戻そう”と考えたからいけないんだ。だから、戻したあとに、進んだ。それだけの話だ。戻すんじゃあない、世界は“はじめから”この可能性に収斂(しゅうれん)していたとすればいい」

 赤い光を遮って落とされたのは、彼の掌の形をした、影。
 質量のないそれが、血に染まった肌を、服を、(いつく)しむように()で付ければ、なんと、傷跡も血痕も“まるで最初から存在しなかったかのように”、すっかり消失していた。地面に広がっていた赤色も、(うつ)ろな白昼の幻影のように薄らいで消え、染みの一つも残されていない。

 がらん、と金属質な音を立てて、アビスゲートが地面に落ちる。その頃には、あんなに眩く放たれていた光も、すっかり鳴りを潜めていた。

「う……」

 痛みを警戒してのことか、恐る恐る、ルナは上体を起こす。
 しかし、彼女が予想していたような痛みが全く返って来なかったことは、続く彼女の表情から容易に推察できることだった。

「う、嘘……治ってる、完全に……」

 喫驚(きっきょう)を顔に浮かべ、自分の身体をぺたぺたと触るルナ。服をめくって見ても、背中まで貫いていたはずの傷はもうどこにも見えない。一点の曇りもない、日焼けした腕よりもやや白い肌だけが、そこに広がっていた。
 あまりに驚きが強かったのか、男性の眼前にしては少々無神経なルナの振る舞いから、少年は黙って目を背けながら、すっかり沈静したアビスゲートを拾い上げる。

「……回復魔法で簡単に治せる傷では無さそうだったから。勝手に借りたのはまずかった?」

 言いながら、彼は剣に付着した砂埃をはたいて落とし、刃を向けないようにして、聖へと差し出した。
 聖は僅かに逡巡(しゅんじゅん)して、当惑の表情を浮かべながら、それを受け取る。答える声は、どうしてもはっきり出ない。

「い、いえ……」
「うん、問題は無いと思う、けど……な、何者なの? この剣って、確か今まで聖ちゃん以外にはマトモに使えなかったはず……」

 (うつむき)きがちに呟く聖を一瞥(いちべつ)し、萎縮した様子を見て取ったルナが、言葉と疑問を引き継いだ。()だ周囲に隠れた何かが居ないか、充分に警戒しながら。

 アビスゲートに対する実験や研究は、これまでにも、ある程度は行われてきた。
 ルナも立場上興味があったので、触らせてもらったことくらいはある。しかし、その鐫界(せんかい)能力を起動させようと思ったことはない。
 どれだけ鐫界器の扱いに慣れた人間であっても、これは聖以外に使いこなすことはできなかった――と言う、当面の実験結果を知っているからだ。
 鐫界器は強力だが、反面危険な道具である。作動原理すら正確に判明しておらず、膨大な魔力を消費するため、体質的に合わない人間が無理に起動しようとすると、エーテルエネルギーを根こそぎ吸われて即死する恐れすらあるほどだ。他ならぬルナが、それを知らないわけがない。

 ところが、この少年は、最高位の鐫界器であるアビスゲートを、いとも簡単に起動してみせた。
 しかも――聖のそれよりも遥かに強い能力(ちから)を、一瞬で引き出したのだ。

 彼は、疑問に答える前に(しば)緘黙(かんもく)してから、改めてルナに向き直った。黒髪の向こうから、(くら)い赤色の瞳が覗く。

「例えば君に、料理の上手い友人が居たとしよう」
「……え?」

 そして紡ぎ出された言葉は、あまりに突飛なものだった。
 ルナは、彼の回答を明確に予測できていたわけではない。だが、少なくとも“聞いても意味がわからない”答えが帰ってくるとは、予想範疇(はんちゅう)よりも少々外側にあった事象だ。彼女はその奇妙な比喩(ひゆ)を噛み砕くために、僅かに首を傾げて硬直した。
 その間にも、彼の言葉は続く。穏やかな、しかし、どこか(うれ)いを帯びた、優しく(ほの)暗い闇のような声で。

「彼に料理を作ってもらいたい時は、そう頼めばいい。だが君は、その時、彼を“料理道具”として使っているわけではないだろう? 彼は自分の意思で料理を作るかどうかを決める。仲が良ければ、作ってくれる。 ……赤の他人が、道具のつもりで命令してきたら、“彼”も聞いてはくれないよ」
「な、なんの話……?」
「ああ……そうだ。自己紹介が遅れたね。僕はフェイト。はじめまして……と、一応、言っておこう。僕に君たちの記憶は無いから……」

 フェイト――と、彼は自身を指して言った。その瞬間に、聖が微かに顔を上げる。先刻までとはまた色の違う当惑を、表情に滲ませながら。

 そしてルナも、さっぱり要領を得ないまま話題が飛んでしまった彼の話に面食らって、口に出すべき言葉を見失う。
 ――いや。それでも、少なくとも一つ、そのフェイトと名乗った少年に言うべき言葉があったはずだ。
 ルナは迷いを振り払い、自然な笑みを顔いっぱいに広げて、袖に隠れがちな彼の手を取った。

「……え、えっと、私も言うのが遅れたけど、助けてくれてありがとう。ルナ・エーベルヴァインって言います」

 それから数瞬の間を置いて、聖の声が聞こえてこないのを確認してから、ルナは彼女の方に視線を()り、言葉を続ける。

「で、あっちの子が聖……桜花(おうか) 聖。 ……えっと、どうかしたの、聖ちゃん?」
「あっ……い、いえ、なんでも……ないです」

 なんでもないわけではない。それは、彼女を見れば誰の目にも明らかなことである。だがルナは、“今は追求して欲しくない”と言う、その言葉の意味を汲み取り、小さく頷いた。
 しかし、フェイトはその様子からも、何かを読み取ったらしかった。物憂げに伏せた顔の、前髪に隠れた赤い(まなこ)が、風吹く湖面のように、仄かに揺らぐ。

「この有様でも、世界に未来はある……という事か。その反応、どこか違う時代で僕を見たことがあるんだろう……?」

 その言葉は、文面こそ疑問の形を取ってこそいたが、確信めいた声色は、どこか有無を言わせぬ空気を(はら)む。
 しかし二人は怪訝(かいが)する。これは電気的にシミュレートされた“別世界”だと聞かされていた。同じ世界の、過去や未来では、決してない――はずだ。

「違う“時代”? その、もっと別の何かでは、なくて?」
「そう認識していないのか……? いかにも、君たちは同時間軸の異なる点から転移してきたと僕は推定した。確かに、(にわか)には信じがたいけど……現在地球連邦本部で開発中の鐫界器、アビスゲートを手にしているのが何よりの証拠だ。時間を操るという鐫界能力から考えてもね」

 しかし、その言葉を聞いて、そんな二人の漠然とした認識に“疑念”が生じる。
 目的を持ち、国家予算をつぎ込んで進行していたシミュレート・プロジェクト。土地を現実に似せているなら、まだ頷ける。現実に行う予定の事象――たとえば戦争行為など――を、仮想空間内で行って、ケース毎の反応を見るためだ。
 だが……アビスゲートと言う鐫界器の情報は、その当時からあったのだろうか? しかも、現代でもまだ詳細な原理が判明していないような代物を、開発させてみるほどの情報が?
 そんな情報を与えていないのに、自然とそうなったと言うのなら、それこそ天文学的な確率だ。恐らく姿形も、名前も、能力も同じ代物が、本当に“偶然”生まれたとするのならば。

 ここに来て、際限なく増幅する疑心が恐怖に勝ったのか、聖は傍目(はため)には判らないほど微かに眉根を(ひそ)めて、ルナと視線を交錯(こうさく)させた。
 ルナもまた、怪訝(けげん)な顔をして聖の顔色を伺い、再びフェイトに視線を戻す。

「開発中……アビスゲートが……?」
「え、ちょっ、ちょっと待ってよ! じゃあココって、私達の世界の……ずっと過去ってこと?」

 フェイトもまた、不思議なものを見るような表情で二人を見返し、少し思索するような素振りを見せてから、再び唇を開いた。
 その声は、迷いや惑いの色を持たず、ただ淡々と、彼の持ちうる“事実”をのみ告げる。

「状況から見れば、恐らくね。今は西暦4298年。ここは中央アフリカ共和国、南部の外れだ」

 しかし、そうして告げられた“事実”に、二人の混乱は加速する。
 そう――例えばありのまま、今わかった事を話すとするならば、『仮想世界に行こうとして過去に来たと思ったらいつの間にか未来だった』。とくれば、二人が何が何だかわからず、頭がおかしくなりそうになったのはもはや必然と言えよう。仮想空間だとか、電子情報だとか、そんなチャチなものでは断じて無さそうだった。

 思わずポルナレフ顔になってしまったルナは、全く同じ顔をしている聖と顔を見合わせてから、絵柄のタッチを戻して指先で頬を掻く。

「え、えーっと……ご、ごめん、あらゆる話が私の理解力をぶっちぎってるっていうか……」

 その言葉に、フェイトは不可解そうに首を傾げ、しかし、すぐに何か納得した様子で目を細め、頷いた。
 側頭部から伸びた黒い影が、風に揺れて晴天を(くすぐ)る。振り向いた、その視点の遥か先には、遠く漂浪(ひょうろう)する紫紺(しこん)叢雲(むらくも)。地平の彼方に立ち込めている不穏な匂いは、どうやら次第に近付きつつあるようだ。
 アフリカ大陸の中央とは言え、ここは遥かな未来か過去であるらしい。恐らく二人が知っているそれとは、気候条件が全く違うのだろう。

「ふーん……こんな所で長々と話していられる内容ではなさそうだね。おいで、少しは安全な場所まで案内しよう……それと、通訳も。日本語なんて話せる人、ここにはそうそう居ないよ」

 無感情な調子でそう言って、フェイトは(きびす)を返し、迫る雨雲に背を向けて足早に歩き出した。
 その姿を見る限りでは、二人の答えを聞く気も、待つ気も無いらしい。――いや、彼女らが取りうる答えは一つであることを、彼はとうに理解しているのだろう。

 ルナは数瞬考えてから、決心を表明するかのように唇を結んで、その背を追った。
 重なる足音は、もう一つ。アビスゲートをぎゅっと握りしめて、後に続く聖――の服装をした、J・P・ポルナレフ。
 ……まだ顔が戻っていなかった。

「……ひ、聖ちゃん、それ気に入ったの?」
「ルナさんも……いいポルポルくんっぷりでしたけど……(当然おれ様程じゃないがねという確固たる自信の気持ちはあるがね)」
「ねえその( )ってどうやってるの聖ちゃん」
「えへへ……」
「ぜ、全然褒めてはいないし、その顔のまま可愛らしく頬を染めるのやめようよっ!」
「あの……置いてくよ、君たち……?」


 (やが)(かたむ)く上天の(あかり)へと導かれるように、三人は一路、北へと向かう。



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