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第三十五話 セブンスランクは見えているか



 ドーモ、読者の皆さん、おはこんばんちわ。
 ヴァ高(略称)のペットのワンちゃんこと、姫宮(ひめみや)華鈴(かりん)です。

 もともと孤児な上に十一歳の若さで事故死したかと思えば、死体を勝手に“人工意識固着実験”とやらに使われて生き返らせられ、大部分の記憶をロスト。
 挙句(あげく)、戸籍も用意されずにアイテム扱いとして生かされてるとゆー、わりと不幸な身の上ですが、めげずに頑張ってます。

 いや、でもですね。
 私が特別なのはそんな生い立ちだけで、性格も能力も、どこにでもいるごくごく普通の女の子なんですよ。
 他の皆さんみたいに刃物ぶんぶん振り回したり、手から電撃ぶっ放したり、何の説得力もなく時間の進み方を操作したり……そんなコトは、こうしてフツーに日常を生きる十二歳には出来っこないんです。
 それでいいんです。たまに犬扱いされたりもしますけど、それでいいんですよ。
 そんな日常が、何よりも幸福なんですから。

 あの、だからですね。
 はやく私を日常に帰してください。
 こんなドカーンとかズドーンとか爆音が絶えず(とどろ)いてる系のサツバツとした日常じゃなくて。


 ――見たこともないお父さん、お母さん。
 私はいま、何故か西暦2120年――第四次世界大戦中のノルウェーにいます。



第三幕

『因果の綴る追想録』

第一章 流転する運命(さだめ)の狭間に




 透き通った碧空(へきくう)、まばらに浮かんだ白雲。
 天頂から照りつける陽光に()かれ、アスファルトの大地がじりじりと熱を帯びる。
 黒く平坦な舞台の上、分厚い湿気のドレスを(まと)って、気怠(けだる)げに踊る陽炎(かげろう)。木陰から眺める犬が、これまた気怠げに舌を出す。
 セミ達による無秩序な合唱は、まるで近代前衛音楽。

 時は八月もしばし過ぎた頃。
 都立ヴァルハラ高校が夏休みに入ってから、二週間が経過しようとしていた。

「暑い」
「暑いねえ」

 そんな陽気の下を歩くのは、ライトとリミルの二人組。どちらも涼しげな私服姿と、手には小さなコンビニ袋を()げている。
 真昼の道路に車は少なく、時折、大型車両が僅かな風を起こして去っていく。
 彼らが半年前に置かれていた状況に比べれば、欠伸(あくび)が出るほど平和な光景だ。――とは言え、そんな平和が一瞬で粉々になる光景にも、彼らは頻繁に遭遇しているのだが。

「いや、日本の夏ってホント暑いのな」
「湿気が凄いんだよ、温度見るだけじゃわかんないよね」

 そう答えるリミルの顔を、それから全身を眺め、ライトは意味ありげに肩を(すく)めて見せた。わざとらしい溜息に、リミルが怪訝(けげん)な表情を返す。

「はーあ、これが漫画だったらなー、夏と言えば読者サービスの季節なんだけどなー」
「ああ、水着とか浴衣とかね。一応買ってはあるけど、今回は使いそうにないなあ」
「海とか行きてえなー。さしあたっての問題はお前ではサービス力が足りないという点か……」
「なっ……だ、大丈夫だよッ、どんな体型だってきっと需要はあるよ! ぼくらはここにいていいんだーッ!」

 ちょっと可哀想なくらいに平坦な胸を片手で隠しながら、彼女はライトの背を軽く蹴りつけた。
 このような、しばしば暴力の伴うじゃれ合いにも、すっかり慣れたものだ。以前、ちょっとばかりやりすぎて、周りのクラスメートが数人死にかけたことがあったが……さておき。
 二人がやがて辿り着いたのは、単に“家”と呼称するよりも、“屋敷”と呼んだ方がしっくりくる、そういった大きさの建物だった。
 無論、この家も領地も二人のものではないが、彼らは躊躇(ためら)うことなく鉄格子の門を押し開け、内部へと足を進める。ノックもせずに木製の玄関扉を開くと、一言。

「ただいまー」

 その声に応じてか、広い廊下の奥から、家人が顔を出した。
 深い藍色(あいいろ)の瞳と、短めに切り揃えられたアクアマリンの髪に、赤いカチューシャがよく映える。やや小柄な身体の中に、鷹揚(おうよう)として余裕に満ちた立ち居振る舞い。自分たちの担任教諭として、二人もよく見知った姿だ。

「おかえりなさーい。外は暑かったでしょ、麦茶めっちゃ冷やしといたよー」
「おおっ、さすがヒスイさん気が効いてるっ!」

 ライトは嬉しそうに言いながら、奥のリビングルームへと向かっていった。
 テレビやゲーム、オーディオ機器など、この家の娯楽用品は殆どがここに集中し、また同時に散乱している。先日からライト達が泊まりに来ている影響で、限定空間内におけるエントロピーの増大が加速しているのだ。簡単に言うと、遊んでて散らかした。
 テーブルの上に袋を置いて、ライトは椅子に腰掛ける。リミルも後に続こうとしたところで、ふと足を止め、部屋の中を見回して首を(かし)げた。

「あれ? そう言えば、ルナ達は……ぼくらが出るまでこの部屋にいたよね?」
「あー、それなんだけどぉ」

 答えようとするヒスイの声は、別の声によって遮られた。
 焦燥(しょうそう)狼狽(ろうばい)、恐怖、そういった感情に彩られた――しかし、なんとも緊張感の無い、情けない少女の声。

「ら、ライトさぁーんっ!」

 ばたばたと(せわ)しない足音と共に飛び込んできた彼女は、小柄な体躯(たいく)に見合わぬ速度で一直線に部屋を横切り、突然の事に面食らう二人の影に隠れた。先端だけ淡赤(うすあか)に染められた淡青色(たんせいしょく)の髪は大幅に乱れ、西洋人形のような丸いアクアブルーの瞳は、今や怯えた羊のそれのようだ。
 だが、ライト達が一番気になっているのは、そんな細かな表情の機微よりも、より解りやすく表面的な異状――(すなわ)ち、その服装。
 ノーフォーク・テリアを思わせる、垂れた犬耳のアクセサリー。無骨な鎖をじゃらつかせた犬用の首輪。史実を無視した、異様にスカートの短いメイド服。更にはどういうわけか、本物の手錠が両腕を拘束している。
 どこをどう切り取って見ても、日常的にするような格好とは思えなかった。

「お、おう……華鈴、それはどこの国のお祭りだ」
「いやっ、こんなの着せられるお祭りどこの国にあっても嫌ですよっ!?」
「日本で夏と冬に三日間ずつあるお祭りでは、いろんな人が似たような服着てるぞ」
「ソレとコレとは似て非なる概念ですっ! な、なんでもいーから助けてくださいー!」

 怯えっぱなしの華鈴をよそに、未だ事情が飲み込めないライトとリミルは、当惑して顔を見合わせる。
 しかし、そんな中に続いて入ってきたルナの姿を見て、二人は現状に合点がいった。心底楽しそうな笑顔で、片手には何やら子供一人を縛るのにちょうど良さそうなロープを、もう片手には用途不明の、有名なムンク作の絵画“叫び”の真ん中の人のフィギュアを持っている。

「うふふふっ、逃げちゃダメだよぉ華鈴ちゃーん」
「ヒィおいつかれた!?」
「あんまり逃げると捕まえた時に勢い余ってねじ込んじゃうじゃない」
「なっ、何をですか!? どこにですかーっ!?」

 鼻先同士が触れそうになるほど顔を近付けて、怯える華鈴に“何かをねじ込む動き”のジェスチャーをしてみせるルナ。何をどう勢いを余らせると、結果どうなってしまうのか、皆目見当もつかないが、得体の知れない予告は下手な脅しよりも恐怖を煽るものだ。華鈴の顔に刻まれた不安やら恐怖やらが、見る間に倍増する。
 そんな中に、無害そうな笑顔を浮かべたヒスイの、脳天気な助言が飛び込んだ。

「あぁ、ねじ込む系のものが欲しいならあっちの部屋の引き出しに――」
「協力的にならないでくださいヒスイさーん! て言うかねじ込む系のものって何!? 私が知らないだけでそういうメジャーなカテゴリがあるんですか!? “ねじ込む系のもの”コーナーとか百均にあったりするんですかーッ!?」

 ツッコミの焦点がズレてきているのは、恐らく過度の狼狽によるものだろう。じりじりと迫るルナとムンクさん(仮)から必死で逃れようとするも、華鈴は手錠と鎖に繋がれた身……というのを差し引いても運動神経が悪く、位置取りが下手すぎてすぐに壁際に追い込まれた。
 リミルは騒動に巻き込まれないように若干足を引きつつ、どこか楽しげに微笑(ほほえ)むヒスイに目を()る。

「先生、あんな服も持ってたんですね……」
「いろいろあるよー、ホントは妹に着せようと思って集めてた衣装なんだけどね」
「えっあの手錠とか首輪も?」
「うん」
「即答したよこの教師」

 一方で、そんな短い会話をしているうちに、華鈴は首輪の鎖を(つか)まれ、すっかり逃走不可能な状況に陥っていた。
 この子は何かあったら生き残れそうもないな、と、リミルは漠然とした憂慮(ゆうりょ)(いだ)いてみる。今までの事を思えば、ここにいる以上、どんな“何か”に巻き込まれるかは(わか)ったものではないのだ。
 なんか、こう、ある日突然どっかの戦場に放り出されたりしないだろうか。普通なら有り得ないような事態だが、“彼”の影響下に限っては、そのレベルの心配をしていても不足なくらいだ。
 そんな事を思っていると、リミルの肩をぽんと叩く手があった。今まで何も感じなかった背後の気配が、急激に濃密なものとなる。

「ふむ、君の懸念も(もっと)もだ」
「うわ――!?」

 弾けるように飛び退(すさ)り、さっきまでは居なかった“六人目”に向き直るリミル。誰か、なんて問うまでもない。こういう登場の仕方をするのは、彼女の知る限り一人しかいない。
 この部屋にいる中で、唯一喫驚(きっきょう)を表さなかったヒスイだけが、従容(しょうよう)とした笑顔で彼を迎えた。

「あら(うつせ)、来てたんだ」
如何(いか)にも」

 事も無げに言いながら、現は目深(まぶか)に被っていた黒い帽子を脱いで、(いま)()()ったまま硬直しているリミルの頭に置いた。
 少々大きすぎる帽子によって、視界が黒一色に塗りつぶされる。不思議とそれだけで落ち着いてしまうのは、幼い頃から幾度となく同じ事をされてきたからだろうか。目隠しの(つば)を指で押し上げ、視界を再度確保してから、溜息を一つ吐く。

「ま……毎回毎回とーとつすぎるんだよ、君の登場は……」
()もありなん、それは断続と連続という認識に起因する差だ。本来あらゆる事象、事物は連続しているものだがね」

 現は相変わらず、答えているんだか誤魔化(ごまか)しているんだかよくわからない文句で返す。“今それを理解する意味は無い”。つまり、そういうことなのだろう。
 リミルがそれ以上を問う気がないと(わか)ってか、現は彼女の肩をぽんと叩き、いつも通り、貼りつけたような微笑を浮かべた。帽子の(あと)がうっすら残る白髪の向こうで、紅玉(ルビー)色の瞳が――少しだけ不自然に、細く(ゆが)む。
 誰かがその挙動を(いぶか)る間も無く、彼は伏し気味の視線をヒスイに向けていた。

「ヒスイ、状況がまた動きはじめた。“クロニクル”の解析を急ぐ必要がある」
「ん……意外と早いね。虚数領域に何か変化は?」
「活反応は感じられん。もはや時間の問題だが」
「なるほど、読めたよ。……劇薬だね」
「うむ。時にはな」

 受け答えるヒスイの表情は、まるで世間話でもするかのように穏やかなものだったが――その“眼”だけは、(やいば)のように冷たい光を帯びていた。
 この間、部屋の(すみ)では、話の邪魔をしてはいけないと思ってか、抵抗がさっきより控え目になっている華鈴を、ルナがわりと容赦なく追い詰めている。何やら鮮やかな色の縄が、日常生活で見たこともないような形に巻かれようとしていたが、それよりこっちの話が気になるため、リミルはとりあえず見なかったことにした。

「厄介事? 先生に何か頼むのって、結構よっぽどのコトだよね」
「まあ、ね。せめて君達にはかからぬ火の粉であればよいのだが」

 軽い調子で言って、現はぱしんと扇子を開いて扇ぎ始める。暑いならそのロングコート脱げばいいのに。
 しかし、リミルが何か言う前に、割って入ったライトの背中が言葉を遮った。薄笑みを浮かべた彼は、どこか挑発的にも聞こえる楽しげな語調で、台詞を乗せた人差し指を突きつける。

「逆に言うと、俺たちに火の粉がかかる可能性もあるって事だろ? わざわざ聞こえる場所でその話をしたって事は、覚悟が必要なレベルでさ」

 言われた現は、一瞬、きょとんとした顔でライトを見返した。彼には見えなかっただろうが、リミルの表情もそれと同じだ。
 普段の彼なら、頭の中で思ってはいても、こんな事を言いはしない。ここで現を問い詰めることに、意味は無いはずだ。――自ら、その件に首を突っ込もうというのでなければ。

 現はすぐに表情をあの貼り付けたような微笑に戻し、自分に向けられた指に同じ指を重ね、つい、とずらした。

「察しが良い子は嫌いではないよ、ライト。しかし、不必要な積極性は、時に寿命を縮める。わざわざ巻き込まれに行く必要は無いのだよ?」

 やはり、現もライトの真意を悟っている。それでも向けられる視線は揺らぐことはなく、深紅(あか)い瞳の奥を通し見るように――もしくは、ただ愉悦(ゆえつ)に笑うように――細められた。
 それはまるで、駒が指し手に待ったをかけるような矛盾。
 現の采配は、誰が何と言おうと最終的に正しい。やがて歴史が彼を証明するだろう。恐らくライトも、それを踏まえた上で言っている。最適であるはずの手を、敢えて崩そうとしているのだ。

 とは言え、ライト達のいる盤上は、未だ大きく動いてはいない。
 ()わば、チェスに()けるオープニングの段階にあると言えるだろう。この段階で打つべき手は、決して少ないとは言えないが、それほど多くもない。この“それほど多くない”盤面のパターンを、一般的には定跡(じょうせき)と呼ぶ。
 定跡は()べて様々な目的を持っており、指す目的が違う限り、どちらの方が強いとか、弱いとかと言えるものではない。
 何よりも攻撃を重視した速攻の陣か? 中央エリアを支配し、足がかりにすることを第一に考えるか? 展開しながらも、堅牢な防御で敵を迎撃するか? ……と、そういった戦略の数だけ、定跡にも“変化形”がある。
 ライトが望んでいるのは、その“変化”なのだろう。決して無意味な手としてではなく、“戦略の変更”を踏まえさえすれば、それがもう一つの最善の手となるように、自分たちを動かせと要求しているのだ。

 対する現が果たして何を思っているのか、二人には解らない。
 しかし、何も疑わず、ただ見たままを思うのであれば、彼の表情は――強く、純粋な、欣快(きんかい)
 それが果たして真意か演技かは誰にも解らなかったが、現は楽しげに笑いながら、ぱちんと扇子を畳んだ。

善哉(ぜんさい)、善哉! 男子三日会わざれば刮目(かつもく)して見よ、とはよく言ったものだ。好奇心は往々にして猫を殺すが、思いがけず蝶の羽搏(はばた)きがそれを救うこともある。大胆な賭けもまた一興(いっきょう)やも知れん」

 深く透き通った紅玉色の瞳に、無意味な虚勢を張ったライトの姿が映り込む。
 視線は彼の価値を推し量るように全身を移ろい――至極自然な流れで、その足元に移動した。と言うか、その頃にはもう、全員がそこを見ていた。
 ずりずりと芋虫(いもむし)みたいに()いずりながら、すっかり全身を縛られた華鈴が、情けない声を上げていた。

「ううー、あのー、ライトさん、今まさにあなたの妹によって火の粉どころか火炎放射かけられてるレベルで厄介事の爆心地な私は助けてくれないんでしょーか……」
「え? あー、うん、もっとヒドい目に()わせてもいいなら助けるけど」
「わあい完膚(かんぷ)なきまでに四面楚歌(しめんそか)

 やっぱりこの子は、この先生きのこれそうにない。
 しかし、この緊張感をぶち壊して周りを和ませる能力だけは、他の追随を許さないだろう。



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