第二十七話 Obscure
鳥たちに導かれ、穏やかな微風が針葉を撫でる。枯れ草の隙間を埋める雪白に、
そんな
時に打ち
その隙間から、更なる奥。
死んだように冷たく凍るモノクロームの景色に、
その瞬間を好機と見るや、薄桃色の閃光が宙空を舞う。狂獣の喉笛へと一息に振り下ろされる
「
リミルの放った雷撃は、低気圧の道を辿って
「そうそうっ、いい感じ!」
はしゃいで跳ねる猫のような、場違いなほどに明るい声。デューは
のたうつ影からは、一撃を加えるごとに蛇のような触手が増え、
「にしても、まだ殺し切れないの?」
「試作品とは言え……いや、試作品だからかな。確かに、規模にしては“厚い”ね」
細めた眼の中心で、
感情――
しかし、魔法もまた虚数領域の強い振動によって、その不可思議な物理現象を現実にあらしめるのだ。その法則を理解し、少しばかり応用を効かせれば、この通り。感情の矢は確実に届く。
「
「
「あははっ、なかなか上手いね。気に入ったよ」
背後から撃たれて
ライトは着地の際にも緩やかな風を
彼女がこの戦いに乱入した時には、彼はまだ、そんな方法をとっていなかった。
戦闘については全くの初心者だったはずの彼は、この戦闘の中でそれを思いつき、実戦に耐えうるレベルで実行してみせた。幾度かの試行の中で風圧を調整し、適切なタイミングで加速と減速を行えるまでに成長したのだ。
連邦国軍の正規兵ですら、気圧をここまで扱えるようになるには、平均で三ヶ月程度の訓練を要する。それを、この少年は、僅か数分の攻防で極めつつあるのだ。
無論、そういった正規の訓練を受けた者に較べて、彼の魔力操作はあまりにも荒削りで、不正確だ。しかし、傍から見れば、熟練の闘士と何ら遜色ない戦いを行なってのけているのもまた、事実だった。
「行ったぞ、リミルッ!」
「わっ、ととっ……おっけー了解っ!」
ずるずると石壁を這い、天井に張り付いた漆黒の狙いに、最初に気付いたのはライトだった。
リミルは二、三歩
あの何十匹もの犬を一斉に
急速な方向転換にバランスを崩しかけるも、彼女は身体を起こそうとはしなかった。
リミルは最後に大きく地を蹴り、その波に身を委ねて地面すれすれを跳ねた。勢い任せに転がる彼女は、襲い来るオルトロスの真下を見事にすり抜ける。数匹の“蛇”がそれを追うが、追撃
「ヒュウッ……あの子も、なかなかどうして」
感嘆の意を口笛に表して、デューは楽しげに口角を上げた。
確かに、敵の
しかも――あの衝撃波。魔法に
“弱い力”の代替作用によって大気中の陽子と中性子を強制的にベータ崩壊させ、生じた陽電子と電子との対消滅反応によるガンマ線のエネルギーを、周辺分子の電磁気力操作を併せる事によって全て消費し、残らず熱エネルギーへと変換したのだ。
瞬間的な熱膨張と、更なる気圧の操作。交互に層となって吹きつける、圧縮された高気圧と真空の波は、
魔力の消費を抑え、極力小さな干渉で自然からエネルギーを
ライトとは全く違う、戦い慣れた気配。確かな経験に裏打ちされた技術。
このリミルという少女の過去に何があったのかは知らないが、どうも
ひょっとしたら、クロスあたりと戦っても、いい勝負になるかもしれない……とさえ思った。
最初、デューはこの二人を、たまたま巻き込まれてしまった、一風変わったデート中か何かの二人組だと思っていた。冷静に考えれば、そんな訳がない。彼らの外見が幼かったが故に――他人のことは言えないが――
今となっては、その認識は改めざるを得ない。彼らは何らかの“特別な目的”を持ってここに来ている。
今や、オルトロスは
ライトは戦闘を楽しむが如く、大胆かつ実験的に動き、リミルは熟練の戦士を思わせる適切かつ正確なアルゴリズムで戦う。デューは二人の動きを観察しながら、彼らの捕捉できなかった攻撃を潰していく。
そう。こんな未完成の試作複合体など、デューにかかれば一瞬で消し潰せるのだ。わざわざ引き剥がさずとも、全ての皮膜を突き破り、“
「……でもまあ、潮時かな?」
呟きは白い息吹。冷え切った大気に
瞬間。デューの
「ワンちゃんに服着せるの、あんま好きじゃないんだよねっ」
もはや無数と言うほかない蛇の鬣が彼女を迎え撃つ。が、順手に構えた漆黒の短剣“黒剛剣ダークムーア”の
「
影の奥深くへと黒刃が突き入れられた、瞬間。
ぱちん、と風船を割るように、狂える黒き
断末魔の
後には
「お、終わった……のか?」
膝に手をつき、肩で息をしながら、ライトが注意深く周囲を見回す。
リミルはそれに応じようとして、ちらとデューの方を見た。が、剣を収めた彼女を見れば、答えを聞くまでも無い。自分もナイフを
「みたい、だね……本当に、跡形もなく消えちゃったんだ」
瞬間。
「――あ、交戦終了したみたい。今から合流するねっ」
部屋の奥、壁の影になった部分から、少々間延びした、緊張感のない声が、静寂に割って入った。
部屋中の視線が集中する先に、揺れる桃色の髪。ライトと同じ、無機質に伸びた耳。無線通信機器を手にした少女が、ひょこりと顔を出す。
「ルナ! 無事だったか!」
「そ、そっちこそ怪我とか無いかなっ、お兄ちゃん、リミルさん……と、誰かわかんないけど!」
互いの姿を確認するや
確かに、身体能力に自信が無ければ、自分は身を隠してレイに連絡を取るのが最適な行動選択だろう。接触を避け、状況を報告し、もしもの時には一人残されても無事に帰還する。実に合理的で、その冷静さは賞賛されて
しかし、冷静すぎる。それが違和感の正体だった。
兄妹とは思えないほど親密な二人。しかし、妹が土砂に潰されかけても平静を保っていた兄。そして兄が怪物に襲われているのを黙って観察していた妹。
彼らの言動は、ただの“学者の助手”として考えるには、あまりに不統一だ。
「……ん、どうした、リミル?」
「あっ……いや、なんでもないよ。ルナちゃんと同じく、怪我とかしてないかって思ってさ」
訝しげに見返され、リミルは一気に紅潮した頬を隠しもせず、慌てて作り笑顔を返す。
「ルナ……?」
だが、後に続けようと思っていた言葉は、その呟きに遮られた。
振り向けば、
この僅かな時間しか見ていない彼女ですら、違和感を覚えたのだろうか。どこか
「ルナって言うの、キミは?」
互いに顔を見合わせ、ルナとライトは
――吐息。
それが尋常ならざるものだと、僅かに遅れて気付く。
まるで肺の残気を残らず絞り出すかのように、苦痛に
「なっ……どうした、ルナっ! 痛むのか!?」
「だ、大丈夫、ルナちゃん!? ……や、やっぱ、頭打ってたのかなぁ」
こつり。
「あなた……は」
痛みを抑えるように強く眉を
デューは答えず、
「か、回復魔法……っ!?」
「凄っ、本当に何でもできるみたい……!」
回復魔法は、重力魔法にも
分子間相互干渉とは関係なく、魔力の持つ生命活動促進機能を応用することにより、正常な細胞の増殖や、免疫細胞の活性化、形質転換した細胞を人為的に死滅させることすら可能とすると言う。
ただの努力では、絶対に身につけることができない、種族としての適性が必要となる魔法がそれだった。
このデューという少女は、その両方を、非常に高度なレベルで完成させているのだ。
思ってみれば、亜人種はその身体的、能力的特徴から様々な形態分類が
「……うん、大丈夫、この子は任せてよ」
ライトの腕からルナを預かり、小さな胸に優しく抱きながら、デューは猫のようなあどけない笑みを浮かべる。言って指差す先には、古びた扉。
「君たち、調査か何かでしょ? そこから外に出られると思うんだけど」
「え……」
さも当然のように言ってのける彼女に、思わず反問の声を上げる。当然、調査をしに来ているなんて、彼女には誰も言っていない。
「
立て続けに走る喫驚は、
リミルは思わず後
「デュー、さんだっけ……あ、貴女、どこまで知って……?」
「知ってたんじゃないよ、考えただけ。キミ達みたいなのがここにいる理由なんて、それしか思いつかないもん」
と、得意げに破顔する。言われてみれば
魔法治療を受けているルナも、薄紙を
「うん、私なら大丈夫だから……任務優先だよっ、頑張って、お兄ちゃんっ!」
「っしゃあ頑張るっきゃない!」
「早ッ!?」
妹による笑顔の声援を受けた兄は、生気
慣れぬ戦闘に
リミルはすっかり脱力して、人差し指でかりかり耳を掻きながら後を追い、おずおずと問いかける。
「あの、ライト、ひょっとしてきみ、相当なシスコン……?」
「ハハハ、何だリミル、気付いてなかったのか?」
「開き直りもここまでくると清々しいよ」
――やがて、
去り際にちらと眺めた心配そうな顔にも、ルナは屈託無く笑ってみせた。兄はそれで一定の安堵を得たようで、最後に軽く手を振ると、扉の向こうに隠れてしまった。
実のところ、痛みも苦しみも、とうに抜け去っていた。回復魔法を受ける必要など、もはやどこにもない。
しかし、一瞬とは言え、彼女の紅い瞳孔を見た瞬間、
ルナは、その痛みを知っている。痛みの意味を、理解している。
デューは驚き半分、嬉しさ半分といった様子で、回復の魔力を止め、そのままルナの髪を撫でた。兄にされるのとは違う、女性ならではの、優しい手付き。
「全っ然、外見違うからびっくりしたよ。ルナ、生きてたんだ」
「生きてた、とも言えないかなぁ」
「……成る程、道理だね」
「ご、ごめん……でも、さっきの頭痛はきっと
頭を撫で続ける手を、ぎゅっと握り返す。その理由が解ってしまうからこそ、瞳に映る悲嘆の色を見ていられなくて、視線を逸した。
映っていた悲嘆は、桃色の髪を肩口で切り揃えた亜人の姿をしていた。瞳いっぱいに映ったそれは、きっと涙に融けて流れてはくれない。
デュー。聞き覚えのない名前をした、見覚えのない女性の手。ルナを覚えている彼女の。どこかルナに似ている彼女の、手。
「――知ってるんだね、あなたは、昔の私を」
自分の膝に身を委ねた、記憶喪失の少女に、“兵器”は
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