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第二十二話 トリコロール・ロマンス



 ひやり、湿った冷気が頬を刺す。
 薄暗い洞窟の中は、陽光の庇護(ひご)の下にある外よりも、随分と寒く感じる。
 白いトレンチコートの上から自らの身体を抱き、リミルは小さく身震いした。

 重なり合った岩の隙間を抜け、いやに足場の悪い小さな自然洞窟の先を覗けば、そこには、灰色の石畳が整然と敷き詰められていた。
 時の果てから打ち捨てられた、灰色の世界。どれだけの星霜をこの姿のまま閲してきたのか、もはやリミルには想像もつかない。
 天井は所々崩落しており、ほんの僅かに差し込む日差しが、うらぶれたモノクロの景色に、小さく色を与えている。

「意外と……明るいんだ、中」

 亀裂から覗く太陽を(てのひら)越しに見上げながら、リミルは小さく呟いた。

 その部屋は、決して広いとは言えなかったが、閉塞感を覚えるほど狭くもなかった。
 それはまさに“ただの”部屋であり、伽藍堂(がらんどう)の大箱のようなこの場所が、果たして何に用いられていた部屋なのか、もはや推測すら(あた)わない。
 既に調査され尽くされた、手垢まみれの遺跡。ここに何かが置いてあったとするなら、今はどこかの歴史研究所にでも転がっているのだろうか。

「にしても、こんな簡単に入れちゃうものなんだね。貴重な遺跡じゃないの?」
「ああ、法的に保護されてる訳じゃないらしーぜ。たいして価値のある遺跡じゃないんだろう」

 ライトは部屋中を見回しながらそう答え、親指で背後を指して「既に結構ボロボロだし」と付け加えた。その指の先――リミルたちが入ってきた場所を改めて見ると、崩れた壁の向こう側に、狭い洞窟が口を開けていた。

「……壁から入ってきてたんだね、ぼくたち」
「見かけに反して、あまり頑丈な作りではないみたいだな……マップによればここは三階。一階に広間があって、そこに本来の入り口があるとさ」
「あんまり派手な運動はしない方がいいみたいだね」

 そう言いながら眺めた先では、ところどころ(ひび)割れた石壁が、無言の肯定を返していた。流石に床はある程度丈夫なようだが、無駄な衝撃を与えるような行動は避けたほうが賢明らしい。
 ドイツには目立った活火山もプレートの境界も無く、そう頻繁に地震が起きるような国じゃない。もし日本のような国に建造されていたなら、この遺跡はこうして形骸をとどめていなかっただろう。

「おにーちゃーん、なーにこれー?」

 と、部屋の外からルナの間延びした声が響いた。一歩先んじて何か見つけたのだろうか……、と言うには、(いささ)か緊張感のない声ではある。
 ライトも同じことを思っていたのか、二人は一度視線を交わしてから、声のした方へと駆け寄った。
 部屋を出てすぐ、通路の端にルナはしゃがみ込んでいた。彼女が何を見つけたのかは死角になっていてよく見えないが、その確認はライトが先にしてくれた。

「どうした、ルナ?」
「なんか毛が生えたかたつむりがいたの」
「へえ、こんな時期のこんな所にいるとは珍しいなァ。赤褐色に中央だけ灰色の殻、多分トロチュルース・ヴィロッサスだ」

 どうやら、あまり調査に関係のあるものでは無さそうだ。僅かながら身構えていたリミルは、解けた緊張を溜息に乗せて吐き出し、遅れて二人の後ろからそれを覗き込んだ。
 外殻が毛状に発達する蝸牛(かたつむり)は意外にも多く、全国各地の様々な種が似たような発達を見せる。何故このような進化を遂げたのかは未だよく解っていないが、こういった種は多湿地域に生息することが多いことから、濡れた外殻がくっついてしまうのを防ぐためだとか、虫を逃がさないように絡めて食べるためだとか言われている。
 特に、長く眺めていて楽しいものでもない。リミルは再び姿勢を起こして、軽く壁にもたれかかった。

「なんかさ、ドイツってかたつむり多いよね……かたつむりモチーフにした雑貨とかオブジェとか、パンやグミまであるし……」
「あれっ、リミルさん、かたつむり嫌いなの?」
「少なくともぼくの国では、あんまり女性が好きな生物じゃなかったな」
「えー、かわいいのにぃ」

 なぜか不満気なルナに苦笑を返しつつ、リミルは通路の向こうに視線を巡らせた。相も変わらず、モノクロームの景観は、(なぎ)水面(みなも)のように静寂を湛えたまま、眠り続けている。
 この空間に長くいれば、自分たちがこんなにも色鮮やかであることの方が異常とすら思えてきそうだ。

「でも、この辺りに変わったところは無さそうだね」
「だな、パッと見でわかるって話だけど……本当なんかな、結構いい加減な人だからなァ、博士も」
「い、いきなり不安にさせるようなコト言わないでよっ」

 表情ひとつ変えずに恐ろしい事を言ってのけるライトを、リミルは服の下の鳥肌をさすりながら肘でつついた。
 もし、見てもわからなかったら……単に発見出来ないというだけなら、まだいい。意図せず接触してしまえば、何が起こるか解らないのだ。それこそ、往年のツクール製ホラーゲーム並の即死イベントを見せてくれるかも知れない。
 そんなリミルの危惧(きぐ)を知ってか知らずか、ライトは苦笑を浮かべながら、軽く溜息を吐いた。

「いやマジで、すげえいい加減だぞ博士。ちょっと放っとくとすぐゲームソフトのケースと中身が一致しなくなるし、漫画とか絶対巻数揃えて戻さないし」
「あー……うん、それはなんか、わかる気もするけど」
「この番組をご覧のあなたもケースと中身がバラバラじゃありませんか!? 置き場所に困ったものをとりあえずその辺に置いといたら、一ヶ月後もそこにあるような生活を続けていませんかーッ!?」
「落ち着いてライト、誰に言ってるのソレは!?」
「このような以下のチェック項目のうち八個以上が当てはまった人は、高血圧の可能性があります」
「チェック項目なんてどこに……高血圧!? 今の高血圧のチェックだったの!?」
「え、違うけど?」
「今の文面で違うならぼくはこれから何を信じて生きればいいんだろう!?」

 呼吸をするかのようにボケ続けるライトに、反射的にツッコミを入れ続けるリミル。
 そんな“任務遂行中”の空気には到底見えない遣り取りが暫く続いた後、ライトは満足気な表情で、目を輝かせながらリミルの手を取った。

「このツッコミ……リミル、君との出逢いを神に感謝するぜ……!」
「えっなんか手応え感じられてる!? そんなんで感謝されても困るよ神もっ!」

 今までに経験したことのない類の賞詞を受け、リミルは奇妙な照れ臭さを感じて、手袋越しに握られた手を払った。よく考えると照れるような事を言われた訳ではないのだが、言われ慣れた文句でないと、どうにも上手く(かわ)せない。
 しかし、このライトという少年が随分とフレンドリーな性格だと解ったのは、リミルにとって悪いことではなかった。初対面の相手との合同任務とのことで、少し不安を覚えていたのも確かなのだ。それが払拭されたのは僥倖(ぎょうこう)である。

 当のライトはと言うと、相変わらずの軽い調子で、自分の髪を指に巻きつけながら、口笛混じりに周辺を見回している。
 調べると言うよりは軽く眺める程度のものだったが、然程の間も置かず、彼は小さく伸びをしてから軽快に歩き出した。

「さて、じゃあココには何も無さそうだし、下に降りるか……おーいルナ、行くぞー」
「あっ、はーい」

 応じてルナは、くるりと舞うように振り返りながら勢い良く立ち上がり、……(いや)、舞うように見えたのは単に結果論であって、彼女自身にとっては恐らく単に勢いがつきすぎただけなのだろう。そのままルナは前のめりに体勢を崩し――

「わっ、と、と」

 くるくると不安定に二、三回転し、倒れこむようにして突き出した掌が、(すんで)の所で壁に突っかかった。
 ……と、安堵したのも束の間、彼女の細い腕は、そのまま壁を貫通した。
 積まれていた石の幾つかが、ごとりと動き、瓦解する。それを皮切りにして、まるで最初から崩れ方が決まっていたかのように、古びた壁は乾いた音を響かせながら崩落していった。

「ひゃあっ!?」

 数刹那の間もなくルナの姿は瓦礫の向こうに吸い込まれ、崩れた石材に続いて天井から落ちる土砂により、その穴もすぐに掩蔽(えんぺい)される。
 呆然としてそれを見ていたライトも、慌てた様子で走り出した。即座に駆け寄らなかったのは正解だったのだろう、一歩間違えば彼が生き埋めになっていたかも知れない。

「ルナっ!」

 瓦礫の隙間を覗き込み、ライトは声を張り上げた。

「ルナ、大丈夫か!?」
「あっ、へーきだよー……痛たた、ちょっと腰打っただけ」

 向こう側から聞こえた声に、二人は溜息をつきながら安堵の表情を浮かべる。
 天井まで崩れた事に気付いて奥まで飛び込んだのか、咄嗟(とっさ)に前転でもしたのかは解らないが、どうやら彼女も下敷きにはなっていないようだ。

「そっか、良かった」

 隙間から声が聞こえるところを見ると、穴は完全に塞がったわけではないようだ。が、それでも、人が通れるほどの隙間は無く、元通りに掃除しようにも少々過ぎた量だった。
 ライトは沈黙する石壁を一通り見渡し、困惑した様子で耳の後ろを掻きながら、リミルの方に目を遣った。

「隣の壁を壊す……ってわけにもいかねえよなァ」
「ここまで脆くなってると、下手に衝撃を与えちゃ共振が起こるかもだし、崩落の危険も大きいよ」

 ライトもそれは重々理解しているようだったが、確認の意味を兼ねて、リミルは敢えて口に出した。

 共振現象とは、物質の持つ固有振動数に近い刺激が与えられることにより、その物質が強く震動する現象を言う。
 勿論、その振動に物質が耐えられなくなれば、破壊されてしまう。音による震動でガラスが割れるのがその一例である。アメリカでは昔、この現象により、わずかな風が原因で崩落した橋があったはずだ。
 この遺跡内でそれが起きるのは、あまり歓迎できた事ではない。崩落の衝撃が伝わり、連鎖して、遺跡ごと崩れ落ちたりしたら目も当てられない。

 とは言え、代替案もすぐには思い浮かばない。どうしたものかとリミルが腕組みをしていると、隣でライトが自分の携帯電話を取り出した。ディスプレイに表示された何事かを確認しているようだったが、彼はすぐにそれをポケットに突っ込み、壁の向こうのルナへと問いかける。

「ルナ、携帯は通じるよな?」
「うん、ばっちし」

 成程、電波が通じているかどうかの確認か。
 この遺跡は、ところどころ土砂に埋れてはいるものの、完全に地下に埋没しているわけではない。どうやら、電波は充分に確保できるようだ。
 即座に返事が返ってきたところを見ると、彼女も同時に確認していたのだろう。その返答を確認すると、ライトはどこか安堵の色を浮かべて、台詞を続ける。

「OK、二手に分かれて下に降りよう。何かあったら連絡してくれ、何もなければ一階で落ち合おう」
「そーだね、一人はちょっと怖いけど……頑張るよー、お兄ちゃんっ」

 彼女の活気に満ちた声が止むと同時に、反響混じりの微かな足音が、壁の奥へと駆け抜けていった。
 それを見送ったライトは、安心したように微笑んで、小さな吐息を漏らす。その表情に僅かばかりの違和感を覚えたリミルは、反射的に一歩踏み出した――が、彼が気付いて振り向いた頃には、その一瞬の不和を想起することも出来なくなっていた。
 天井から漏れる幽光に照らされ、奇妙な錯視を起こしただけか。
 沈黙の中、怪訝(けげん)な顔をして見返すライトに、リミルは取り繕うようにして笑った。

「あ、えと、仲いいんだね、きみたち」
「ん……ああ、兄妹だからな」
「や、兄妹とは思えないくらい、って意味でさ」

 強調するように、リミルはそう付け加える。
 実際、彼ら兄妹の間柄は昵懇(じっこん)と言って相違ない。兄弟姉妹の関係に()いては、喧嘩するほど仲が良い、などとよく称されるが、恐らく彼らはそれを通り越して喧嘩することがなくなった例だろう。細かな仕草や遣り取りを見ると、そこらの恋人達よりも親密なのではないかとさえ思ってしまう。
 自覚しているのかいないのか、言われたライトは(しば)し複雑な表情をしていたが、じきに曖昧に笑って、

「なのかもな」

 と短く返した。
 同時に、ライトはズボンのポケットから、折りたたまれた紙切れを取り出した。何の変哲もない、一般的なコピー用紙だ。広げられたそれには、この遺跡のものと見られる地図が描かれていた。
 リミルがそれを覗き込むと、彼はまず三階の出入口を指差し、道順を辿りながら二階、一階と滑らせていく。

「地図を信じるなら、一階の広間で合流できるはずだ。これ以上、道が崩れてなけりゃあな」
「二階には往来できる通路は無いんだね……ともかく、調査はそれからか」
「済まねえな、身内の踏んだドジに付き合わせちまってさ」
「あは、気にしない気にしない」

 妹がいなくなったからか、急に調子を抑えて申し訳なさそうに言うライトの肩を、リミルはぽんと叩いて笑った。
 こちらとしても、気にしていないのは確かである。(うつせ)の滞在中はドイツにいなければならないものの、リミル自身はあちこち観光に行けるわけでもなく、基本的には退屈なだけだ。そんな中に長々しく居たいとは、リミルには思えない。
 折角(せっかく)、久々に同年代の亜人と喋ることが出来たのだ。この任務をさっさと終わらせてしまうのは、実のところ、惜しかったりもする。

 そんなリミルの心中を察したのだろうか、ライトは照れくさそうに笑い返して、先刻、自分がされたのと同じようにリミルの肩を叩いた。

「んじゃアレだ。帰ったら一緒に酒でも飲もうぜ、(おご)るからさ」
「あ、それは乗ったっ」

 さすがドイツ、飲酒には寛容な国だ。
 でもその台詞、そこはかとなく死亡フラグっぽいという事は言わないでおこう。



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