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第十話 Fear Of The Dark




「男ってェ奴はよォ──」

 と、彼は何故か得意げに語り始めた。

 駅前に店を構えるドーナツ・ショップの片隅の席に座り込み、(ひじり)は何か面倒そうな話の気配を感じて、詳しく()かなきゃよかったかな……と小さく後悔した。
 まばらに(すだ)く人々の喧鬧(けんとう)は、波濤の反復にも似た定常的な雑音となって空を揺蕩(たゆた)う。
 静かな神秘性を孕む浅い夜の空気が、人々の営みに()され、(にわか)に色付いていた。

「──何より強くなりてえモンなのよ、な? ガリ勉のヒョロい男なんかもよぉ、その為に努力すんのが面倒いだけで願望はあンだよな。オメーみてえなちんちくりんには解らねえかもしんねーけどよォ」

 たっぷりのホイップクリームを包んだドーナツを頬張りながら、落ち着きなく大袈裟な所作を交えて、スラリン(まだ実際の名前を知らない)は語る。
 対照的に、その隣に座ったスラぼうは、落ち着いた態度で熱いコーヒーを一口啜りながら、横の男を揶揄(やゆ)するように指差した。

「嬢ちゃん、今のが論理学で言う“早まった一般化”という誤謬(ごびゅう)じゃな。男が全員そうではないぞい」
「ッせェな! 学習マンガの物知り博士かテメェは!」
「ホッホッホッホッホ……」

 勢い良く肩を(はた)かれ、しかし彼は動じた様子もなく笑いながら、ひょろ長い身体を振り子のように揺らす。……あの動きで打撃のダメージを逃しているのだろうか。

 見るからに内気な聖と、このような男たちとの取り合わせはやはり目を引くのか、視界の端々から怪訝な視線を感じる。
 とは言え、このように目立つ場所に移動したのは聖の判断だ。根本的に彼らの言葉は信用できない。あのまま路端で話して日暮れを迎えるのは避けたかったし、店内で揉め事を起こせばすぐに警察を呼ばれるだろう。その事実は、強力な後ろ盾とも言えないが、気休め程度にはなる。

 スラリンはそんな視線を意に介さず、小さく鼻を鳴らして続けた。

「でまぁ、一発ブチのめされてよォ、デュンッと来たぜ。まだガキとか関係ねー、アイツ、マジで強ェよ」
「どういう擬音なんですかそれ」
「俺ァ思ったね。リベンジとか小ッせえ事言うんじゃねー、俺もああなりてェ! あれができンなら舎弟にでもならァ、デュンッとされても構わねーってな……」
「どういう擬音なんですかそれ」

 呆れ気味に、溜息を一つ。
 言われたことを鵜呑みにするつもりもないが、騙すつもりならもう少しマシな事を言うだろう。多分。と信じたい。
 ……まあ、螢一(けいいち)ならば、たとえ彼らが急に襲いかかったとしても、聖が人質に取られたとしても、きっと打開してくれるはずだ。手段を選ばなかったことを責められたなら、あんな消え方をした彼が悪いと言ってやろう。まずは探して、後のことは見つけてから考えればいい。
 聖は、駆け引きの緊張に(はや)る呼吸を抑えながら、訝しげな目をして小さく首を傾げた。

「えーと……でも、承諾されると思ってるんですか、それは……?」

 それでも生じた疑念を口にしたのは、本音が半分、ポーズが半分。答えが欲しいわけではなく、疑いの姿勢が伝わればそれでいい。
 されど二人に動じる気配はなく、スラリンはきめ細かい砂糖の粒子でコーティングされた指先を、聖の眼前にびしりと突き出した。

「あァ? ……んじゃ聞くけどよ、お前はどーなんだよ? 『見つけて話しゃ、絶ッ対、100(パー)戻ってくる』と思って探してんのか?」
「……っ」

 咄嗟(とっさ)に身を強張らせた聖が二の句を継ぐよりも前に、彼は不遜な嘲笑を吐き出し、また一口、ドーナツを頬張る。

拒否(ダメ)食らう可能性なんざ百も承知だッつーの。別に今はチームのメンツとか無ェしよ」

 その一方で、どこか自分が見て見ぬ振りをしていた事実を突きつけられた気がして、聖は静かに奥歯を噛み締めた。
 いずれにせよ、今考えるべきではない事だ。聖は縹渺(ひょうびょう)と己への警句だけを胸に刻み、握りしめていた指先を(ほど)く。

 そんな聖の様子が見えているのかいないのか、スラぼうが猫背を殊更(ことさら)に折り曲げて、卓上に身を乗り出した。長い金髪が、垂れた先でしなやかに(たわ)む。

「ヒョッヒョ、ワシも概ね同意見じゃよ。っちゅうか、知りたいんじゃな。とても知りたい! 何じゃアレは? 彼奴(きゃつ)めは何をした?」
「……わ、わかりません。教えては……くれなかったので……」

 投げつけられたのは、()わば当然の疑問である。
 隠し立てをしたわけではなかった。聖もあれについては、納得のいく説明を受けていない。
 まるで本物の超能力だ──とすら思ったが、彼が答えてくれない以上、真相は闇の中だ。……まさか拷問してでも聞き出すわけにもいくまい。
 それに、聖の考える拷問(例:くすぐりの刑、首筋アイスの刑、靴下を常に半脱ぎにさせる刑など)は、何一つ彼には効かない気がする。

「俺ァわかるぜ。あれこそ“気”だ! 中国武術ってやつだな、俺は詳しいんだ」
「ンなもん物理的にあり得んっちゅーとるじゃろ……」

 身を乗り出した勢いのまま、ゆっくりと背を曲げ続けたスラぼうは、そのうち、テーブルに頬をくっつけて静止した。
 無気力げな態度に反して、表情は常に一定の薄笑い。その上で、何事か思考しているらしく、彼は小さく唸るような声を上げながら、顔だけを聖に向ける。

「じゃが実際、超常の力とでも言わんと納得できんのも確かよな。嬢ちゃんや、心当たりは無いかのう?」
「心当たり……ですか」
「そうじゃ。どこに出かけていたとか、そういう以外での……まあ、日常での不審な点じゃな」

 転瞬、その言葉に惹かれ、茫洋たる無意識の底から浮かび上がる泡沫(ほうまつ)のように、(まぶた)の裏に断片的な記憶が映し出された。
 ──あの日、彼は『(ゆい)を殺したのは自分だ』と言っていた。どういう意味合いで言われたのかは解らないが、事件との関連性は強く示唆されている。
 その結は、行方不明になったきり未だ戻らない。
 行方不明と言えば、他にも誰かが行方不明になっていなかっただろうか。
 螢一は、そちらの事件には直接言及しなかった。だが、結の事件と、もう一つの事件に関連性があるとしたら、そちらにも螢一が関わっている可能性があるのではないか?
 既にある程度の捜査が行われているであろうその事件の方にこそ、彼の行先の手掛かりはあるのではないか──……?

「そう、いえば────」

 唇を開いた、刹那。

 矢庭に暗く漆黒の(とばり) が落ち、ざわめきが卒爾(そつじ)須臾(しゅゆ)の静寂に取って代わった。
 三人、ともに訝しげに首を上げ、虚空に視線を巡らせる。幸い、夜も浅いおかげか、窓越しに入射する外の明かりは、物々の輪郭を判別するに事足りた。

「……何事じゃ、停電か?」
「違ェよよく見ろ、外明るいだろ」

 言葉の通り、ガラス窓の外に見える信号機や街灯、その他の店の明かりは、瑣細(ささい)な変化もなく煌々と照っている。
 ──即ち、この店舗の電源にのみ異常が見られるということだ。
 察するが早いか、聖が思わずショウケースの向こうを(すが)め見れば、暗闇にぼやける視界の中央に、不可解な『もの』を認めて止まる。
 光を失って尚はっきりと塗り分けられた陰影の、空間そのものが落ち窪んだかのようにすら思える闇。困惑する店員に紛れ、その漆黒の中に揺らぐ──影。

「……あれ……は?」

 漏れた呟きに、向かいの二人も『それ』を見た。
 その『影』が、例え『人影』であったとするなら、それと判別できた段階で言い換えよう。
 しかし、その時は、一向に訪れることはなかった。
 店内を(どよ)もす戸惑いのざわめきに紛れて、聞き慣れない、湿った音が幽かに聞こえた。闇が、ほんの少しだけ境界を広げる。──店員の一人の輪郭が、飲まれる。不快な音。知らない匂いが仄かに香る。

「あ、ヤベェわアレ」
「じゃな、破るぞい」
「ッし! オイちんちくりん、目ェ守れ」

 その一方で、迅速に、二人は行動を起こしていた。
 躊躇(ためら)う様子もなくテーブルを乗り越え、聖の隣、ソファの上で足を広げて面積を広く取る。
 蹴り落とされたコーヒーが床に染みを作り、人々の視線がこちらに移った。

「え、えっ……」

 するり、と袖口から引き抜かれたのは、暗闇でよく見えないが、恐らく特殊警棒と呼ばれる護身具だった。
 裂帛(れっぱく)。瞬雷の如く光芒を引いて、よく(しな)る金属の打擲(ちょうちゃく)は、透明な硝子の表面を撃ち──(たわ)み、軋み、(ひび)割れ──小気味良い音を立てて、その姿を前衛芸術へと変容せしめる。
 素材の持つ弾性ゆえに跳ね返り、驟雨(しゅうう)のように降り注ぐ硝子片から、通学鞄を掲げて咄嗟に身を守る聖。『目を守れ』と言われたのはそのためか、と、遅すぎる納得が脳裏をかすめた。

 切り裂くような耳障りな悲鳴は、他の女性客のものだろう。
 まあ、こんな状況に直面すれば、誰だって叫びたくもなる。聖は同情と共に、こんなの二人を連れて来てしまったことについて内心で謝罪した。

 兎角この一撃を皮切りに、店内はいよいよ混乱の渦中に落とされた。雷雨のような喧囂(けんごう)に紛れ、義憤に駆られたと思しきスーツ姿の壮年が、声を荒げて席を立つ。

「おい、ちょっと! 何してるんだ君た──」

 言語は、結びの言葉を待つことなく途切れた。
 ──聖には、見えていた。今度こそ、はっきりと見てしまった。ゆら、ゆら、と不気味に身体を(もた)げながら近寄ってくる『影』の、朧な姿形を。
 その進行方向に立ち上がってしまった男が、邪魔だとばかりに払われた純黒の(かいな)削り取られて崩れ落ちる様を。

「ひっ……!?」
「オイオイオイ、マジヤベェってこれ、何だこれオイ」

 息を呑む聖の横で、スラリン達二人は、残ったガラス片を蹴り飛ばして穴を拡げる。その甲高い衝撃音が、危うく意識を手放しかけた聖の視界を、再び明瞭にさせた。

 脱兎。気付けば聖はソファの背もたれを乗り越え、(まろ)び出るように、硝子片を踏みしだき駆けていた。
 その判断を意識的に下した記憶はない。ただ、本能が警鐘を鳴らすままに足が動いたのだ。あそこに居てはいけない、あれに追いつかれてはいけないと。

 野次馬の視線を受け、一心不乱、前をゆく二人に続く。行くべき場所が何処かなど、考える余裕もない。
 何なのだろうか、あれは。殺人鬼? (いな)、そんな生易しいものではない気がする。もっと恐ろしく、(おぞ)ましい何かだった。
 息急き切って駆けながら、肩越しに視線を遣れば、三人の駆け出た歪な穴から、『影』は姿を表した。その不定形の輪郭はおそらく人の形を模して、しかし決して人ではない、異形の姿形をしていた。
 ざわりと総毛立つ肌の上を、冷水のような怖気が走る。
 こちらを見ていた。赤く、爛々と(かがや)く燠火のような光が、その純黒の内側から二つ、それ以外の光を吸い込むように禍々しく瞬いた。これまで見たことのない虚ろな『光』だったが、少なくとも聖は、そう知覚した。

「お、追って……来……っ!?」

 怯えは身体を震わせ、冷えきった肺の底から声を絞り出す。
 前を走っていた二人が、初めて振り向いた。

「ヌゥ……狙いはこちらか!?」
「わかったぜ! こりゃアレだな、中国四千年の秘密をこれ以上探られねーように放たれた式神──」
「お主はもー黙っとれェ!」

 大真面目な顔で握り拳をつくるスラリンに一喝して、スラぼうは姿勢を傾け、更に速度を上げる。
 信号を無視して突っ込んだ先の道路で、急ブレーキをかけた乗用車に、後続車が激しく追突して大破した。
 ──気にしている余裕はない。ざわめきと悲鳴を背に、聖は逃避行の殿(しんがり)となって、もはや陽光届かぬ住宅地の路地へと走り抜ける。更なる暗闇に向かって、駆ける。







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