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第七話 死の舞踏



「ったく、(うつせ)が『兇闇(まがつやみ)と合流しろ』とか言うから薄々予測はしてたが、案の定だぜ」

 ――少なからず憧れていたはずの情景から、目を逸らしたくなるのは何故なのだろう。

「どうも星幽体(アストラル)濃度が急上昇してると思ったら、やっぱ亜存在かよッ」

 苦笑するように口角(こうかく)を上げて、睨みつけた影に右手の剣を突きつけると、ルーアリクスと名乗っていた銀髪の男はそのまま剣を一閃させて空を斬った。
 数メートル離れていたはずの影の身体が揺らめく炎のように大きく歪み、両断される。しかし影は消えず、断面に生まれた揺らぎを互いに縫い合わせるようにして身体を修復した。

「ぐげ、回復しやがる……何コイツ死ねばいいのに」

 そんな悪態をつきながら、殺そうとしている本人は持っている剣を正面に掲げた。持ち手らしき十字の中心部を取り巻く環が煌めき、飛びかかってきた影はそれに弾かれるようにして四散する。散った欠片は距離を取り、一つ隣の家の屋根に移ろい再構成された。

「へー、この丸いのって盾にもなるんだ超べんり」

 使い慣れた剣ではないのだろうか、ルーアリクスは自分の武器を見つめて、驚いたような顔で言った。それから不意に振り返ると、

「怪我とかねーかい、そこの嬢ちゃん」

 にやついた笑顔を(ひじり)に見せてそう言った。
 矢継ぎ早に現れる非常識に呆然としていた聖は、その一言で我に返って頷き、しどろもどろになりながらも答える。

「は、はい、大丈夫です、たぶん……」
「マジかよ、そりゃ相当運がいいな」

 すると男も笑って答え、ふらふらと此方(こちら)の様子を窺う影――亜存在と言うらしいモノを睨み返しながら剣を握りなおした。
 その物語の一(こま)のような情景に立った男と影とを交互に見て、聖はおずおずと呟くように問いかける。

「え、えーと、ルーアリクス……さん?」
「今はルシフェルだ」
「はぁ……じゃあルシフェルさん、アレは……一体何なんですか……?」

 アレ、とは言わずもがな影の魔物、亜存在のことを指していた。それは彼も予測していた質問らしく、聖が亜存在に向けた人差し指を見もせずに答える。

「薔薇十字団員でも何でもない俺じゃ正直よくわかんねーんだけどな」

 薔薇十字団、と言う名は聞いたことがある。十七世紀ごろに話題になった、ヨーロッパにて活動していたと言われる魔術結社だ。秩序と博愛を基本理念とし、全ての民を幸福に導かんとしていたと言われている……が、その存在はほぼ完璧に隠蔽(いんぺい)されていたため、具体的な活動内容どころか実在したのかどうかすら謎である。しかし名前が知られたおかげで後続の魔術結社にも広く影響を与え、魔術師アレイスター・クロウリーと並んで現代のフィクションにも顔を出すことが多い。
 この団体がどうして亜存在に関係しているのかは今の聖には解らなかったが、しかし今は黙ってルシフェルの話に耳を傾けることにした。

「亜存在……エニグマとスティグマの二種がいるが、こっちはエニグマだな。物理攻撃不能、特殊な条件下でないと視認不能、知性は低いが現代の物理法則を無視した現象を起こす……そんなバケモノだ」

 他人の口から言われて、その黒い塊が本物の怪物であると実感した。それがどういうものか、何故ここにいるのかなんてどうだって構わないが、しかしそれによって自分が生命の危機に晒されているのも事実。目を逸らすわけにはいかなかった。
 どうやら今の聖は恐怖よりも興奮が勝っているらしく、全身に響く胸の高鳴りは治めることができない。極度のパニックに陥らないだけマシと考えるべきだろうか、しかし頭脳は冷静な働きをしてくれそうにはなかった。それ故に、聖はあれこれと思索するのを一旦止め、ただ目の前に常識外れの怪物がいると言う事実だけを見据えることにした。

「……勝てるんですか?」
「ぶっちゃけ無理があるな」

 そして早くも挫折しそうになった。
 まるでマンガやゲームの中の剣士のようなシチュエーションで現れたルシフェルを見た時には、きっと彼はこういった怪物を駆除する事にも慣れているのだろうと思っていたのだが……こうもあっさりと否定されると、絶望すると言うより逆に清々しい。

「周辺の虚数空間にアストラルの濃度が足りねーんだ、まだ輪郭(りんかく)がはっきり判別できるかどうかもギリギリだな……」
「や、やっぱり……貴方も、()えないんですか」

 単語の意味はほとんど汲み取れなかった――アストラルとは確か西洋魔術などで言う魂のようなものだったろうか――が、要約すると恐らくそういうことだった。()(ほど)、確かにロクに見えない敵を相手に戦うのは仮令(たとえ)熟練の戦士であっても少々骨が折れるだろう。実際の戦闘なんて何も知らないくせに、聖は想像だけでそう結論した。
 やはり、あの漆黒は聖にだけ視えているらしい。いや、もしかしたら色や質感が判別できるほど見えるようになるのだろうか……? ただ、ルシフェルには見えていないらしい輪郭の線が聖の目にはくっきりと映っているのは確かだった。

「……おい嬢ちゃん、アレがハッキリ視えるのか?」

 だから、そのルシフェルの問いに、聖は頷きで返した。
 身長の高い彼の表情は、聖の目線からでは明確には判らなかったが、その口調から驚いていることは明らかだろう。それはこの状況に際して自分が特別であることの証明でもあったが、聖の心には優越感よりも不安感が色濃く残る。ルシフェルが同じように視えてさえいれば根拠の無い安堵の裏付けになったのだが、全く戦えない聖だけが敵を視認できても全く意味がない。

「そうか、深層同調≠フ適性者か! それなら生き延びられたのも納得できるッ!」

 ルシフェルは笑み半分の面白そうな声をあげているが、聖のほうは気が気でなかった。何せ今すぐ聖を殺そうと飛びかかってくるかも知れない怪物がすぐ近くにいて、隣の剣士は怪物が見えないのだ。よく物語に見る大きくなった動物<激xルの怪物相手ならまだしも、視認不能、とはこの生命を任せるには心(もと)ないハンデである。

「よし素人、こうなりゃコンビで戦うぞ」
「え」

 しかしそれでも、背中に翼をつけた銀髪の剣士と自分を同列に考えるようなことはしていなかったので、ルシフェルの発したその台詞は全く聖の想定していなかったものだった。
 聖は戦えないが亜存在が視認できる。ルシフェルは戦えるが亜存在を明確に視ることができない。以上を考慮して普通に考えればそれは当然とも言える結論なのだが、冷静な思考を失った聖の脳は無意識的に自分を危険から遠ざけることを最優先事項としていたのだろうか、いきなり忌避すべき結論を言われて、聖は完全に虚を突かれたような表情で棒立ちしていた。

 刹那(せつな)、聖の視界は激しく揺らいで上昇した。まるで大気がふわりと柔らかな形骸(けいがい)を持ったかのように、全身を覆って月光に向かう。一瞬遅れて、聖は自分が空中にいることに、そして今まで自分が立っていた場所が粉々に穿(うが)たれていることを理解した。
 同じように滞空しているルシフェルに目を遣る。彼を取り巻く、青白い煌めきを振りまく薄布のような物体が、妙な存在感を放っていた。それが何であるかは全く解らないが、しかし普通の布では無いだろうことは直感的に把握する。

「流石に鐫界器(せんかいき)で二人浮かせると魔力の消耗激しいな、可及的速やかに終わらせんぜ」
「あの……でも私、何をしていいか……」
「ちと怖いだろーが、俺が亜存在を見失わないようにナビしてくれ。指で追ってくれるだけでもいい」

 戸惑う聖を後目(しりめ)に、ルシフェルは剣を握り直して亜存在を睨め付けた。

「さあ、心の準備はいいか?」
「だめです」
「そうかそれはよかった、そこまで安全に戦ってる余裕無いから飛ばすけど酔うなよ」
「たった四文字くらい聞いてください……」

 言うが早いか、ルシフェルは光翼をはためかせて降下する。意思とは裏腹に、聖もそれに続いた。想定していたほど強い風圧は感じなかったが、加速と慣性による力が脳を揺さぶり、その僅かな期間の飛行でも胃が捻れたように気分が悪くなる。

 それから眼前で繰り広げられる戦闘は、とても聖の目で追えるものではなかった。
 最初の一撃はルシフェルの放つ白銀の剣閃。しかしその刃は亜存在を捉えきれず瓦を穿ち、しかしルシフェルは初めから深く斬り込んでいなかったらしく、即座に旋回して反撃を(かわ)す。
 螺旋状の飛翔、そして散開。風圧が聖の頬を叩いた。一拍遅れて、亜存在の放ったらしき光弾が夜闇を射抜く。それを確認すると、二人は再び空中で合流し、獲物を狙う(とび)のようにゆるやかな弧を描きながら飛ぶ。

「嬢ちゃん、どっかに異質な黒が見えるはずだ、探せ!」
「え……えっと、えっと、二時の方向で六十度くらい下、たぶん向かってきてます!」
「よし!」

 台詞より前に聖の指先を見て確認していたらしく、言い終わらないうちからルシフェルは飛んでくる亜存在に向けてまっすぐに両手を伸ばして、先刻もやって見せたように剣の中央から光の膜のようなものを現出させた。亜存在は再びそれに突き当たって粉々になり、距離を取って空中に再構成される。

「冷静的確、ナイスナビだ」
「なんかゲームの経験が役立ちました……」

 高速での機動には未だ慣れないが、精神はどうにか落ち着きを取り戻しつつあった。いや、恐怖や不安を昂揚(こうよう)が超えただけだろうか。ただ、聖が自ら戦闘行為に向き合おうとしていることだけは確かである。己が内にある幻想世界への憧れがそうさせているのだろうか、とかく今はそれも僥倖(ぎょうこう)であった。
 どうせ、やるしかないのだ。ならば、自分からそれを望んでいた方が都合がいい。

 亜存在はこちらと違って滞空と言う動作ができないようで、空中を蹴り、飛び跳ねるようにして移動している。直線的な軌道は聖の目から見ても読みやすく、突っ込んできた亜存在をひらりと躱したルシフェルは、開いた掌を向けて叫ぶ。

「物理攻撃は効かねーらしいが、これならどうだッ!」

 瞬間、空気が凝り固まるようにして、水晶玉のような透き通った球体がその掌の近くに五つほど形成された。そしてルシフェルが腕を大きく振り上げると、大気の水晶は一斉に亜存在目掛けて弾丸のように飛んでいく。その着弾と同時に漆黒の上半身は吹き飛び、しかし炎のように揺らいだ断面はまたもやその半身を完全に修復させる。苦笑するように口角を上げ、ルシフェルは小さく舌打ちをした。

「ダメか、魔法っつーても物理現象には変わりないからな……っと、どこ行った?」
「ぴったり左です」
「把握ッ」

 ルシフェルは横目で確認し、左手をまっすぐ伸ばして先刻のような空気の球を撃ち出す。それから即座に後退して距離を取ると、剣を水平に構えて亜存在を睥睨(へいげい)し、朗々と歌うように言葉を紡ぎ始めた。

「蝶の鼓翼(こよく)に集え朔風(さくふう)、舞うは幽冥(ゆうめい)(くろ)鳳翼(ほうよく)、落つる猩紅(しょうこう)()かる()し、()らばと啼哭(ていこく)(こご)(やいば)蒼氓(そうぼう)の闇を斬る……()にも浄化は黎明(れいめい)を望み、()くも黄塵(こうじん)清廉(せいれん)の滅びを……灯火(ともしび)に夢と見よ」

 成る程、どうやらこれが詠唱と言うものらしい。ゲームやマンガでは頻出するものの、当然ながら聖が実際にお目にかかるのは初めてである。その意味については作品ごとに諸説あるが、こういった実際の戦闘で使われているのだから、ただなんとなくかっこいいから、みたいな理由ではなさそうだ。

 ルシフェルの長い詠唱が終わる頃には、もう亜存在が彼の眼前にまで迫っていたが、しかしルシフェルが構えた剣を一薙ぎすると、大気を伝わる衝撃と共に漆黒の影は砕け散った。

「終末の星燃ゆる時、嘆きの大河にその身を刻めッ! 神曲(ディヴァイン・コメディ)=I」

 散った影が向かう先に剣を向け、ルシフェルは天に命ずるかのような、怒声にも似た声で言い放った。
 瞬間、凄まじいまでの風の刃が渦を巻いて闇を白く染めた。見れば微細な氷の(つぶて)が荒れ狂う暴風に乗り、輝いているのが判る。雪を巻き込んだか、それとも大気中の微細な水分すらも凍らせたかは判別できないが、心までも凍えさせるほどの冷気が(たけ)り狂っているのは聖も肌で感じていた。体感では正確には判らないが、摂氏マイナス十度、二十度……いや、それ以下。こうして思考する間にも、周辺の温度は下降を続けている。
 次第に大きくなる氷と風の剣舞に巻かれ、亜存在は再構成する間もなく砕かれ続けていた。ほんの少し再生する度にそれ以上を削られる、それはまさに強引にして完全な再生封印。身を切る寒気に身体を抱えながらも、聖はじっとその光景に見入っていた。
 そのうち、吹き付ける風の轟音に紛れて、背後からルシフェルの声が聞こえてきた。

「もっしー俺だー、亜存在って具体的にはどーやって倒すんだよ教えれ」

 振り返って見てみれば、彼は携帯電話を耳に押し当てていた。恐らく相手は仲間だろう。ゲームやってて詰まったから友達に攻略法訊いてくる小学生みたいなことを実戦でやるのはどうかと思うが、それで敵の弱点が判るなら、判らないまま戦うよりはマシなはずだ。隙だらけにはなるが、それを見越して大技を放ったのだろう。荒れ狂う吹雪の威力は、時間稼ぎには充分すぎる。

「あー、今まさに戦闘中……いや理論は判ってんだよ、でもアストラルを通じて虚数空間に波を起こすってのができねえ」

 と、その時、一瞬だけ平衡感覚が狂い、聖の視界は大きく揺れ動いた。地面に足をついているわけではないので既にバランスを気にする必要は無いはずなのだが、記憶はまだ精緻(せいび)である。気のせいではない。
 それは例えるならば足下が急激に軟化したかのような、空に沈む感覚だった。聖は足下を確かめようと下を見、あまりの高度に目を眩ませて慌てて視線を戻す。

「ごめん、ちょい待ち」

 すると、ルシフェルは電話の相手にそう言ってから、手も使わずに聖を引き寄せて背に乗せた。

「すまねぇ魔力が切れてきた、安全運転はここまでだ……全力でしがみついてな」
「え、あ、えっと……はい」

 聖は少し躊躇(ためら)ってから、ルシフェルの肩に手を回した。そう悪い気はしないものの、やはり初対面の異性に触れるのは若干抵抗がある。しかし今はそんな事を言っている場合では無いと言うことは、彼の表情を見ればすぐに理解できた。

「じゃ、行くぜぇ」

 瞬間、今まで身体を支えてきた感覚が一瞬にして消え失せ、重力を全く感じなくなった。今までかけられていた魔法とやらが解けたのだろう、重力を感じないと言うことは自分自身が重力加速に従っている証拠である。即ち今、聖たちは空を飛んでなどおらず、空中に放り出されていた。



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